54 月とアメジストⅣ
ファン・ミリアは気づいてしまった。
ティアが『夜の徘徊者』であることに。
うすうす気づいてはいたのだ。
ティアは吸血鬼であるため、日中は行動できない。
そのため、移動は夜に限られる。
昼型のファン・ミリアではあるが、事情が事情である。ティアに対して『人は太陽とともに行動するものだ』と諭したところで虚しいだけだし、となればファン・ミリアのほうが行動を合わせて夜型になるしかない。
夜の旅である。
また、何か考えがあってか、ティアは徒歩での旅をのぞみ、ファン・ミリアも歩くことが嫌いではないのでこれを承諾した。
ここまではいい。
だが、徒歩の旅である以上、雨天は足止めをくらうことになる。
農家出身のファン・ミリアだから、ある程度は雲の動きを読むことができる。天候が崩れそうだと見れば、事前に宿を取ってやりすごすのである。
そういった場合、ティアは早く寝る。
もちろん、ファン・ミリアの食事に付き合ったり、食後に談笑をしたりもする。
が、おおむねティアはすることがなくなると、
「おやすみ」
と、早々に寝床に就いてしまう。
そうしていそいそと入っていくのだ。
クローゼットの中に。
ク ロ ー ゼ ッ ト の 中 に 。
旅をはじめた当初は、どうなってしまうんだどうすればいいんだああ神よ、と気が気でなかったファン・ミリアだったが、そんな彼女の困惑や憂慮や期待をすべて薙ぎはらい、ティアは「私はここだから」みたいな顔をしてさっさとクローゼットの中に入っていく。
──人の唇を奪っておいて、クローゼットの中で寝るとは。
星槍ギュロレットの出力を最大に上げてクローゼットごと天に還してやろうかと思ったファン・ミリアだったが、仕方がないので春の夜長にワインをちびりちびりと過ごすことになり、おかげでパンの消費量も右肩上がりだ。
そうして次の朝(というか夕方)、日没と同時にクローゼットを開けると、ティアの服が濡れていたのである。
明らかに怪しい。
しかも一度や二度でなく、毎回なのだ。
ティアは夜間、外出している。
確信したファン・ミリアは尾行を決意した。
そして次の雨の日。
夜、ファン・ミリアが寝台の上で耳を澄ませていると、クローゼットの扉が、かちゃりと開く音がした。
すわ来たか、とファン・ミリアが狸寝入りを決め込むと、枕元にティアの気配が立った。
しばらくの間、ティアはファン・ミリアを見下ろしていたらしいが、ふと、頭を触れられた。何かと怪訝に思っていると、ティアが頭をなでてくる。
なんだなんだなんだ?
私は子供ではないぞ。
私のほうが年上なんだぞ!
狸寝入りをしながらファン・ミリアは混乱の極致にあった。
うおおおお、と思っていると、ティアの手がファン・ミリアの頭から離れ、寝台から離れ、ゆっくりと部屋を出ていく。
ティアの気配が完全に消えると、ファン・ミリアは目を開いた。急いで起き上がる。寝汗がやばい。顔を真っ赤にさせたまま、外套をひっつかんで部屋を出た。
◇
ファン・ミリアが見たところ、ティアは目的があって夜の町に繰り出しているわけではないらしい。
ただ、人通りの多い道を選ぶ傾向があった。すれちがう人のなかで、時折、反応を見せることがあったが、これを二回、三回と繰り返すうちに、ファン・ミリアはすぐに理解した。
男女問わず、ティアは腕の立つ者に反応している。
かといって、彼らをどうこうするというわけでもなかった。一瞥して、終わり。獣が一瞬、他の動物に反応を示すもすぐに興味をなくす。そんな仕草に似ていた。
反対に、周囲からの反応もすくなからずあった。
何しろフードの下には氷肌の乙女が隠れている。ティアの容貌に気づいたとたん、雷に打たれたように立ち止まる者もいた。なかには来た道を戻って話しかける者もいたが、二言三言話すうち、あきらかに残念そうな表情で離れていく。それでもしつこく食い下がって追いかけようとする者もいたが、その場合は人波にまぎれて撒いてしまう。
時には路傍の荷箱に腰かけて人の流れを見つめ、時には鐘楼の上から町の景色ぜんたいを眺め、時には……どこにでもあるような建物の脇にかがみこみ、基礎の石組みにペタペタと手を当てている。強度を確かめているのだろうか? いや──しかし、確かめたからなんだというのか。いったいお前はそこに住むつもりなのか、基礎が大事なんだよという暗喩なのか、といった感じで、ファン・ミリアが首をかしげる行動も見受けられた。
これが夜の徘徊者でなくて何なのか。
そろそろ宿に戻ろうかと踵を返しかけたころ、ティアが、ふと足を止めた。繁華街の目抜き通りから、横道にはいった途中である。飲み屋街らしく、もっとも人通りの多い場所に戻ってきていた。
軒を連ねる店のひとつに入っていく。
ティアが人間の食事を摂ることはなく、たいていは水を飲むだけだが、ファン・ミリアに付き合って酒を飲むことはある。
ファン・ミリアも店に入ることにした。
◇
店の風除室を抜け、その扉を開けた瞬間、鼓膜を圧するほどの喧噪がファン・ミリアをおそった。
店内は想像以上に広い。
地下があり、そこから二階まで吹き抜けになっている。地下は中央の広い部分が舞踏場になっており、そこでは多くの人が音にあわせて踊っている。その舞踏場をぐるりと取り囲んで席が用意され、地下だけでなく、一階、二階の席からも踊りを見下ろすことができる造りになっていた。食べて、飲んで、気分が盛り上がれば舞踏場で踊る。
当然ながら、客は若者が中心だった。
──なぜこの店に?
店内は人でごった返している。ファン・ミリアがフードをおろしてティアを探していると、
「こちらです」
肌の露出の多い衣装を着た女給仕が、ファン・ミリアに声をかけてきた。
「私か?」
どういうことかといぶかしんでいると、
「さきほど入店されたお客さんに、『世界で一番美しい女性』が来たらお通しするように言われました」
「……ティアか」
ファン・ミリアは苦笑する。どうやら自分の尾行はバレバレだったらしい。
ティアは一階の奥の席に座っていた。
「いつからだ?」
ファン・ミリアも席について訊くと、
「はじめから」
テーブルの上で頬杖をついたティアが、意地悪そうな目で口元をゆるめている。
「いつも私に黙って外出していた。目的は?」
「特に目的があるわけじゃない。眠れないときもあるし、誰かが私を探している気がして、というときもある」
「誰に?」
「そういう気がするだけだ」
店内は音と声であふれている。また、地下の舞踏場を見下ろすことができるよう、席は向かい合わせというより、横並びに近い配置になっていた。
「その者たちを集めてどうする」
さらにファン・ミリアは声を落として、言った。
「復讐のみをこそ望むべきものではない。レム島でティアはそう言ったな」
「言った。だからこそ私はシフルを目指している」
話しながら、ティアは地下で踊る若者たちに見入っている。
ティアとファン・ミリア。
月神の黒巫女と、星神の祈り子。
吸血鬼と聖女。
このふたりが同じ時、同じ場所にいれば、たとえ店の奥であろうと目立たないはずがない。
引き寄せられるように、二人組の男が近づてきた。
「俺たちもふたりなんだ。一緒に飲もうぜ」
エールの杯をかかげる。
「いや、間に合っている」
ファン・ミリアが断って見上げると、その容姿を間近にした男たちが息を吞んだ。さらにティアを見て、これは何がなんでも、とばかりに誘いをかけてくる。面倒になってファン・ミリアが無視すると、また別の男たちが集まってきた。
ティアとファン・ミリアの意思をよそに、どちらがこのふたりの美女を口説く権利を得るか、必然的に男たちの間で取り合いがはじまるのである。で、そうこうしている間にさらに別の男たちが集まってきて──という具合に、収拾がつかなくなってきた。
「人の不和が生まれる瞬間を目撃してしまった」
はぁ、とファン・ミリアがため息をついた。すると、
「うるさいな」
それまで踊りを眺めていたティアが、横目で男たちを睥睨する。ファン・ミリアを椅子ごと引き寄せた。
「他を当たれ。私たちは間に合っている」
不機嫌な口調に、有無を言わさない迫力があった。
「ティア?」
ティアはむすりとしている。
呆気にとられるファン・ミリアをよそに、意気を落とした男たちが散っていく。その後も事情を知らない男たちが近寄ってくることもあったが、ここで不可思議な現象が起こった。これまで言い争っていた男たちが、一致団結して新たな男たちを遠ざけはじめたのである。
手に入れることができないならせめて気に入られたい、という説明づけをすることは可能だろう。
だが、はたしてそうだろうか、とファン・ミリアは思う。
──エクリとの死闘を超えて、ティアの何かが変わった。
ファン・ミリアはそう感じている。
何か、見えない力がティアのなかで目覚めはじめている。
いまの男たちの行動にしてもそうだ。ティアに惹き込まれ、結果的にティアを守っている。
これはティアが意図したことだろうか。
それともごく単純な男性心理の所産なのだろうか。
ファン・ミリアは身震いする心地がした。
祝200話!!