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2 傭兵イグナス

 タオは負傷者用の幕舎(テント)で治療を受けた。


 腹部に薬草を(せん)じた軟膏(なんこう)を塗りこめ、その上に包帯を何重にも巻いて固定する。幸運にも折れた骨は内臓を傷つけていなかったため、医者からは安静にするよう告げられただけだった。


 ジリジリする痛みは残っているが、我慢するしかない。タオよりも重篤(じゅうとく)な患者はいくらでもいるのだ。


 事実、タオの指揮した班の隊員が戦場から生きて戻ることはなかった。それほど今日の混戦は苛烈(かれつ)を極めたということに他ならない。


 ひとりきりの幕舎で、()き出しの土に粗末な布を敷き、横になった。


「疲れた……」


 脇腹(わきばら)を押さえながら、ぽつり、とひとりごちる。声を発したのがとても久しぶりな気がした。


 夜が深まるにつれ、霧雨(きりさめ)のような細かい雨となった。


 今回の遠征において、タオの立場はやや例外的である。聖騎士見習い、ということになるのだが、明確な士官の位を与えられてはいなかった。


 そもそも、聖騎士団本隊は軍に同道していない。あくまでタオは正式入団前の見習いとして、実地での経験を積むために遠征に参加した、というのが本当のところだった。


 とはいえタオは貴族であり、武芸の心得もある。臨時の士官を求められるのは自然な流れではあった。


 だが、班員はみな年上で、若すぎるタオの命令に従う者は誰ひとりとしていなかった。そうかといって、タオに従いさえすれば彼らが無事に生き残れたのかと聞かれても、そうだ、と胸を張って言える自信はない。タオは個としての技量においては一定の水準に達しているものの、用兵術に関してはほとんど素人に毛が生えた程度である。


 それでも、班の仲間を失くした事実はタオに重く()し掛かっている。


「これが……オレの力なのか」


 自分はこの程度なのか。


 気分が落ち込み、いつまでたっても睡魔が訪れてくれない。


 冷たい夜の奥にひそむ幽鬼(レイス)が、しずかに体温を奪っていくような気がする。


「寒い……」


 身体以上に心の芯が冷えきっていた。

 

 人を殺した。


 殺した、という実感もなく、殺し続けた。


 いくつもの命を奪った。


 覚悟しなければならない時が来ただけだ、そう何度も自分に言い聞かせた。


 それでも、身体の震えは止まらなかった。


 生き残ったという安堵(あんど)は、すぐに不安へと形を変えた。いてもたってもいられず、タオは身を起こし、剣を(さや)ごと強く抱きしめた。


「バアルパードよ。お(ゆる)しください……」


 祈りの言葉を唱える。


 バアルパードはタオの国、東ムラビア王国の多くの民が信奉する、『勝利』を司る神である。顕現(けんげん)の際には翼を得た白い大蛇の姿を取るといわれ、戦神と(あが)められる一方、多産と豊穣(ほうじょう)をあらわす神でもあった。


 放り投げるように置かれた板金鎧(プレートメイル)の胸当てに、(ゆが)んだ自分の顔が縦長に映っている。


 栗色の髪に灰褐色(はいかっしょく)の瞳。


 その顔に一瞬、黒い影がよぎり、背後に気配を感じた。


「誰だ!」


 タオは立ち上がるやいなや、素早く剣を構えた。


「誰か……いるのか?」


 幕舎の(とばり)ごしに誰何(すいか)する。が、すでに気配は消え去り、雨音だけが静かに響いている。


 ──気のせいか?


 緊張をゆるめながら、それでもしばらく剣を構えていると、


「ちょいと失礼するぜ、聖騎士さんよ」


 野太い声がして、入口からひとりの男が入ってきた。無精髭(ぶしょうひげ)を生やした二十代半ばほどの青年だった。短い銀髪と同色の瞳。がっしりとした胴体に、頭部がやや小ぶりである。その顔には切創(きりきず)(あと)が無数につけられていた。


 剣を構えたままのタオに、「お」と男は目を丸くする。


「訓練か。さすがだな」


 男は感心したように口の端を持ち上げた。野暮(やぼ)ったい男の雰囲気が、それだけでぐっと柔らかくなる。


 いや、とタオはちらりと帳を一瞥(いちべつ)し、剣を鞘におさめた。


 先ほどの気配は、この男のものだったのだろうか。


「さっき……」


 と、タオは言いかけ、やめた。かわりに、


「あんたは?」


 タオが尋ねると、男はイグナシウスと名乗った。


「イグナスと呼んでくれ。お前はタオってんだろ。知ってるぜ」


 男は布でくるんだ業物(わざもの)らしい大剣を脇に置くと、断りもなく胡坐(あぐら)をかいた。腰袋から小瓶(こびん)を取り出し、少量を口に含む。


「飲むか? 温まるぞ」


 いらない、とタオが頭を振ると、イグナスは「真面目だな」と苦笑し、


「負けたな」


 まるで頓着(とんちゃく)していない様子で言った。


「ああ」


 と、タオも応じるしかない。


「今日の戦ぶり、さすがだった」


 イグナスから言われ、それが褒められているのか、タオにはわからなかった。さすが、といわれるほどの活躍などできなかったと思っている。むしろ、泣きながら剣を振り回す自分の姿を想像するだけで、情けないやら恥ずかしいやら、暗澹(あんたん)とした気分になった。すると。


初陣(ういじん)だったんだろ? 大したもんだ。普通は小便をちびる。まともに戦えたもんじゃあない。戦いの前にあっさり逃げ出す奴もいる。──俺は逃げなかったが、デカイほうを漏らしたな」


 くっく、とイグナスは笑う。これにはさすがのタオも噴き出した。


「これから軍がどうなるのか、イグナスは知っているのか?」


 タオが訊くと、イグナスは「詳しくは知らんが」と前置きし、


「上の連中は、これ以上の戦闘は無用だと考えているらしい。しかし、だ。俺はもう一戦か二戦はしかけると踏んでいた。考えてもみろよ。これだけの遠征をしかけて、たった一戦しただけで帰る、なんて話を聞いたことがあるか?」


 あるか、と訊かれても、タオは実戦に関する知識に(うと)い。経験もないから答えようがない。


 わからない、と素直にタオが言うと、イグナスはうなずき、


「すくなくとも、上の奴らの幕舎に大きな動きはないらしい。だが、ずっと会議はしているようだ」

「作戦を立てている?」


 いや、とイグナスは腕組みをした。


斥候(せっこう)が出ていない。どうにもキナ臭い。()る気がないなら、さっさと撤退なり解散なりするのが普通だろう? これだけの大所帯(おおじょたい)だ。何もしなくたって財布は軽くなっていく」

「……それで?」

「ん?」


 イグナスが怪訝(けげん)そうな顔を作る。タオはイグナスの瞳を見つめた。


「それを教えてくれるために、ここに来たのか?」


 無料(タダ)で情報を教えてもらえるとはタオも思っていない。世間知らずの貴族の次男坊に小銭でもせびりにきたのだろう。


 タオが高を(くく)って訊くと、


「いや、実はな」


 イグナスは笑顔を浮かべる。


「俺はお前についていこうと思ってる」

「は?」


 予期せぬイグナスの言葉に、タオは目を丸くした。

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