48 信仰告白Ⅱ
ティアはファン・ミリアとともにシフルに向かっている。
収穫すぎるほどの収穫である。
元囚人の男たちが話し合いを続けるなか、カホカは立ち上がり、外套のフードをかぶった。
「いざ行かんシフル!」
おー、とひとりで拳を振り上げ、大食堂を出て行こうとする。
「カホカさん待ってください!」
歩きはじめたカホカをバディスが引き止める。
「この時間にどうやって海を渡るんです。最終便はとっくに終わってますよ」
「アタシを乗せて、アンタが泳ぐ」
「んな無茶な!」
「あら、私は?」
ルクレツィアが会話に入ってくる。
「アンタは一生、ここで馬鹿どもにチヤホヤされてればいいよ」
「意外と根に持つタイプなのね」
カホカの皮肉にもルクレツィアはびくともしない。いい加減、わかりかけてきたが、ルクレツィアは神経が図太い。それ以上に、あざとい。
「船なら、早朝に特別便が出るらしいわよ」
「……なんでそんなこと知ってんの?」
「レム島に入港するとき、船長さんが教えてくれたの。お安くするのでよろしければ是非、って。あと夕食にも誘われたわ」
「そうなんだ? 死ねばいいのに」
カホカは誘われていない。格差である。
「安くしてもらえるのはありがたいですが、肝心の行き先は?」
バディスが尋ねる。早く出航できても、結果、遠回りしては意味がない。
「それがね」
ルクレツィアが、さも楽しそうに答えた。
「聞いてびっくり、オボロ港なのよ」
◇
北の玄関口、オボロ港。
東ムラビアを北部、中部、南部に別けた場合、当然ながらオボロ港は北部に属する。これに対し、シフルは中部である。その中部においての北──中北部に位置するため、オボロ港から大きく離れているわけではないが、最適な港は別にある。
しかし──
「いいよ、オボロで」
カホカはあっさりうなずいた。
「ティアはシフルに行くのがわかったし。オボロに行くのも何かの縁かなって」
「あれだけティアに会いたがってたのに?」
ルクレツィアの質問に、
「なんていうか……」
カホカは言葉を探す。
ティアには会いたい。今すぐにだって。
でも、ティアを追いかける、そう決めたとき、カホカはホゴイを見つけた。
そのホゴイから、ティアの居場所を告げられた。
そして、シフルを目指すためにオボロ港に寄る。
これは偶然だろうか?
「何か意味がある気がするんだよね」
「勘、ですか?」
バディスから訊かれ、「そんなところ」とカホカは答える。
「で、バディスはどうする? 別に無理してついてこなくてもいいよ」
「カホカさんが決めたのであれば、僕に異論はありません」
言って、バディスがルクレツィアを見た。
「ルクレツィアさんはどうします?」
「私も同行するわ。サティの安否がわかった以上、急ぐ必要もないし」
話がまとまり、出航の時間まで宿で休憩をとることにした。
◇
カホカは大食堂で時間をつぶすつもりだったが、ホゴイからすでに部屋を取ってあると告げられた。
「旅の疲れもあるだろう」
「別にいらないよ」
遠慮するでもなくカホカが断ったものの、ホゴイは譲らなかった。
「お前たちはティアの身内だ。ティアの金でもある」
というわけで、好意に甘えることにした。ホゴイに甘えたのか、ティアに甘えたのか、カホカにはいまいちよくわからなかったが、用意されたのは貴賓室である。悪くない室だ。むしろすごくいい。
「いい室じゃん」
カホカは入りしな、長椅子に飛び込んだ。
「おやすみー」
と、ふかふかのクッションを枕にして寝転がる。
「寝るなら寝台にしたら?」
ルクレツィアがたしなめるよりも早く、カホカが寝息を立てはじめた。
「はっや! もう寝ちゃったんですか?」
遅れて室に入ってきたバディスが、三人分の荷物を荷物置きに下ろす。
「そうみたい」
ルクレツィアは寝室から肌掛けを持ってきて、カホカにかけてやった。
「泣いて、食べて、怒って──寝る、か。まったく、忙しい子ね」
あどけない寝顔を眺めながら、ルクレツィアは苦笑する。
「動物みたいですよね」
同じような表情で、バディスがワインの瓶を卓の上に置いた。
「宿のご主人からの好意だそうです」
ティアから言われた通り、ホゴイたちは本当に礼儀正しくしているらしい。その上、大人数で長期滞在しているため、主人は感謝しきりだった。
「ありがとう」
ルクレツィアがグラスをふたつ用意する。
「よかったら付き合って」
「喜んで」
バディスがワインの栓を開け、グラスに注ぐ。発泡性のワインだった。
「手慣れてる」
「鷲のギルドの、レイニーによくお酌をさせられました」
「彼女、飲みそうだものね」
お互いに乾杯して、グラスに口をつけた。
おいしい、とつぶやいたルクレツィアに対し、
「僕はもうあまり味を感じませんね」
バディスは微妙な表情を作っている。
「どこからどう見ても人なのに」
「普段は首、ありますから」
「そうなの」
バディス渾身の冗談だったが、流された。ルクレツィアは卓の上、皿に盛りつけられた果物を物色している。無造作にイチゴを取ると、グラスのなかに放った。それから、思い出したように言った。
「あなたは、優しい人ね」
「え?」
「カホカからずいぶん八つ当たりされてるのに、ぜんぜん怒らないから」
「ティアさんとカホカさんには逆らえませんから。それに、カホカさんとは出会ったときからこんな感じです」
「むかっ腹が立つことはないの?」
「ないですね」
「あなただって、ティアに会いたいのでしょう?」
ルクレツィアが、ちらりと横の長椅子を見た。ふたりの会話など露知らず、カホカはぐっすりと寝入っている。
「別に、あなたとカホカを仲違いさせたいとか考えているわけじゃないの。本当よ。純粋に教えてほしいだけ」
「わかっています」
すこし考えてから、バディスが言った。
「僕より、カホカさんのほうが不安だと思うからです」
「なぜ?」
「僕のほうが、ティアさんとの繋がりが強いから」
「……情熱的な意味で?」
「いえ、そういう意味ではなく」
バディスは笑う。
「血というか、関係というか。僕は存在としてティアさんがいなければ生きていけませんし、常に身近に感じることができます。それが眷属です。でも、カホカさんはちがう。人間で、だからこそティアさんとの関係があいまいなんです。それが余計にカホカさんをイラつかせてる」
ルクレツィアは黙ってワインを飲んでいる。バディスの話を聞いているのかさえわからない素振りである。
──ひょっとして、とバディスは思う。
まったく顔に出ていないが、ルクレツィアは酔っているのかもしれない。このワインを飲む前に、羊肉料理の露店でかなりの量のエールを飲んでいた。
すると、
「私は──」
何の前触れもなく、ルクレツィアが言った。
「サティにイラつくことが、よくあるわ」
バディスはぎょっとした。その反応を楽しむように、ルクレツィアは目を細めた。口元を、グラスで隠している。
「主従である前に友人同士ですもの。イラつくし、喧嘩だってするわ」
「それは、まぁ……」
続く言葉が思い浮かばなかった。気まずい沈黙に、バディスは顔を落とした。
ルクレツィアの視線を感じる。じっとこちらを見つめている。
それでもバディスが黙っていると、グラスを卓に置く音がした。
「明日は早いし、そろそろ寝る準備をしましょうか」
ルクレツィアが立ち上がった。
「あ、僕は居間で寝ます。寝室はルクレツィアさんが使ってください」
「そうさせてもらうわ。──おやすみなさい」
ルクレツィアが寝室に消えてから、バディスはようやく顔を上げた。
空になったグラスに、イチゴが忘れ去られたように残っていた。