47 信仰告白Ⅰ
ふと、先頭に立つ剃髪の男は気づいた。
いま自分に絡んでいる酔客の男が、突如として白目を剥いたのである。
「あ、が……!」
口を開いたまま、腰が抜けたように崩れ落ちる。
その酔客の背後に、旅装姿の少女が立っていた。
なぜか嬉しそうにこちらを見上げている。男の子のように短い黒髪に、勝ち気そうな碧い瞳。
「アタシはカホカ=ツェン。こう見えてルーシ人の美少女」
いきなり自己紹介をはじめて、こちらに右手を差し出してくる。
「握手しようよ」
その間にも、別の酔客たちがカホカの周りに集まり出した。
「こいつ、いま何しやがった?」
「おお、かわい子ちゃんじゃねぇか!」
そのうちのふたりが、カホカに手を伸ばしてくる。それを遮って、カホカの連れらしき二十歳ごろの青年がゆらりと立った。眠そうな表情を浮かべたまま、両手でそれぞれ酔客ふたりの首を掴む。
「──話の邪魔だぜ」
大人しそうな青年のはずが、凄んだ声は低い。人間の本能的な恐怖を誘う、暗い響きを持っている。
「てめぇらの首、刈り取ってやろうか?」
「ひっ……!」
たじろぐ酔客たちをカホカはちらとも見ず、
「ほら」
と、握手を催促してくる。
男が返答に窮していると、しびれを切らしたのか、カホカが勝手に手を握ってきた。繋いだ手をぶんぶんと上下に振る。それから、にっこりと満面の笑みを浮かべた。するりと相手の懐に入ってくるような笑顔だった。
「アンタの名前は?」
「……ホゴイだ」
とりあえず答えると、カホカはうなずいた。
「ちょっと聞きたいんだけどさ。あ、言いたくなったから言わなくてもいいよ」
「わかった」
つられてホゴイもうなずく。
「なんでやり返さないの? こんな酔っ払い、アンタたちなら簡単にやり返せるでしょ?」
「一般人には手を出すなと言われている」
「アンタたち全員が?」
カホカは首を横に倒し、ホゴイに後ろに続く男たちを見た。ホゴイも肩越しに振り返り、
「そうだ」
当然のようにうなずいた。
「でもさ」
カホカは首を倒したまま、にやりとホゴイを見上げる。
「アンタたちに命令した奴も、こんなふうに馬鹿にされるのは考えてなかったんじゃない?」
「かもな」
何かを感じ取り、ホゴイは言った。
「だが、俺たちは手を出すなと言われた。理屈じゃねえんだ。それに、そいつのためだけに言われたことを守ってるわけじゃねえ」
カホカはじっとホゴイを見上げ、話の先を促す。
「仲間と、自分のためだ」
「疲れない? その生き方」
カホカがあえて訊くと、ホゴイは「いや」と、はじめて笑みを浮かべた。
「疲れるかもしれんが、気分は悪くねぇ。やるべきことをしている感じだ」
「ティアでしょ? アンタたちに命令したのって」
「そうだ」
「驚かないの?」
「多少はな」
しかし、ホゴイの表情に変化はない。
「自分でもなぜかはわからねぇが、お前たちがティアの身内という気はした」
「アタシも。アンタたちを見て、すぐに仲間だと思った。こっちの──バディスもそうだった」
「あいつは普通じゃないからな。そういうこともあるだろう」
「アタシたち、ティアを探してるんだ」
「俺たちも会ったのはつい最近だ」
すでに酔客たちはバディスが追い払っている。はじめに倒れた男を肩に担ぎ、露店の脇に積まれたゴミ山に放り投げているところだった。
「アタシたちは、一般人に手を出すなとは言われてないからね」
ひひ、と悪戯っぽく笑うカホカに、
「聞いちゃいないさ」
ホゴイも笑みで返し、カホカから視線を外した。近くに立っているルクレツィアを見やる。
「あんたは?」
「私はティアの仲間ではなく、同行しているはずの女性──」
「聖女か」
「そう。やはり一緒なのね」
「それなら、あんたも仲間だな」
「あら、そうなの?」
「そうだろう?」
逆に訊き返され、ルクレツィアは「どうかしら」と肩をすくめる。
「まぁいい」
ホゴイが、やや離れた場所を指さした。
元通りに人が流れはじめた往来で、露店のむこうに、背の高い建物がのぞいて見える。
「俺たちはあの宿に泊まってる。──来いよ。ティアとの経緯を話してやる」
◇
宿屋に入り、帳場の横を抜けて扉を開くと、大食堂になっていた。
そのうち奥の一角、並べられた長テーブルのいくつかに、剃髪した男たちが話し合っている。大声ではないが、かなり熱が入っているらしく、入ってきたカホカたちに気づきもしない。
外から帰ってきたホゴイ一行を含め、彼ら全員が黒い服を身に着けていた。
「なんで?」
カホカが訊くと、
「ここの宿賃もそうだが、いま俺たちが着ている服は、ティアから渡された金だ」
そのティアを連想した色が、黒だったらしい。
「まぁ、なんとなくわかるけど」
吸血鬼だし、とぽつりとつぶやき、ホゴイを見上げる。
「ホゴイはティアが怖くないの?」
「怖くはねぇが、身が引き締まる思いはする」
「人間じゃなくても?」
ホゴイが見返してくる。
「それが重要か?」
「や、まったく」
「ちょうどいい。ここは、そういう場所だ」
つぶやくように言うと、ホゴイはカホカたち三人を仲間に紹介した。
「ちわー」
カホカが挨拶をすると、男たちの視線が三人に集まる。
「おお!」
それまで真剣な表情で話し込んでいた男たちの表情が、一瞬で好奇に輝いた。
「すげえな!」
「ああ、すげぇ、超美人じゃねぇか!」
「何食ったらそんな美人になるんだ?」
「さすがティアのお友達だ、やべぇ!」
男たちから惜しみない賞賛が飛んでくる。
「え、そう?」
そこまで褒められると、カホカとしても悪い気はしない。
「ああ、最高だ!」
「そんなに?」
「超美人! 超最高!」
いつまでも続く絶賛の嵐に、うへへ、とカホカは首の裏を掻く。
「しょーがねーなぁ!」
上機嫌で長テーブルに跳び乗った。
「いえーい!」
と、カホカが煽ると、
「いえーい!」
と、男たちが返してくる。
「ほれほれぇーい」
さらに上機嫌になって、カホカが外套の下からすらりと足を出した。
「おおおおお!」
当然、男たちは大興奮。
「サービスしちゃうぞ~!」
さらに調子に乗って太ももをチラ見せする。健康的な肌が、洋燈の光をまぶしく弾いた。
「カホカさん! やりすぎですって!」
あわててバディスが止めようとするも、調子に乗り切ったカホカを止めることは誰にもできないのだ。
「やべぇ! やべぇよ!」
当然、男たちの興奮は最高潮。
そして。
全員の声が重なり、大食堂に響き渡った。
「「「ルクレツィアさん!」」」
男たちの視線が、カホカから一斉にルクレツィアに向く。
「あら、ありがとう」
ルクレツィアが、恥ずかしそうに頬に手を当てる。
瞬間──
ドゴォ! と、カホカの一番近くに座る男が椅子ごと吹っ飛んだ。
「かかってこいコラァ!」
殺戮の宴がはじまった。
◇
手当たり次第に殴り飛ばし、ようやくカホカの怒りが収まってから全員が席についた。
大半の男の顔に青あざが浮かんでいる。
「じゃ、そろそろいいか?」
三人に目を走らせて、ホゴイが話しはじめた。カホカはむすりとテーブルの上に足を投げ出し、バディスは眠そうな顔をして、ルクレツィアはくすくすと笑いをかみ殺している。
ホゴイは自分たちが囚人だったこと。気がつくとエクリによってガレー船に捕らえられ、ティアによって救われた一部始終を語った。
ファン・ミリア、ヘインズ、ルルゥとの共闘と、ティアとエクリの決闘。
これだけも驚くには十分だったが、ヘインズの正体がノールスヴェリア王ゲインリフであることを聞いたとき、カホカたちは絶句した。
「ティアは、出会ったばかりの俺たちを助けるため、なんのためらいもなく命を投げ捨てようとした。その上で、あいつは自分が弱いと言った。だから俺たちと一緒に戦ってくれと」
ホゴイはカホカを見た。バディス、ルクレツィア、そして仲間たちを見回す。
「俺は殺人者だ」
ホゴイは東ムラビアの地方領主に仕える守備兵長だった。
城詰めで、家を留守にすることもすくなくなかった。
妻ひとりで、子はいなかった。
けっして妻を顧みなかったわけでもない。むしろ、大切に想うからこそ任務に励んでいた。
だが、その想いは妻に届かなかった──
姦通していたのだ。
よりによって、相手は自分の仕える領主だった。
不意の休暇を与えられ、帰宅したホゴイがその現場に居合わせたのだ。
気がつけば、手に持った剣から領主の血が滴っていた。
領主殺しである。犯行は隠せるものではなかったし、また、隠そうとも思わなかった。
ホゴイは自ら申し出て、己の罪を明らかにした。
妻は殺さなかった。
赦したわけではなかった。
殺すより、生かしたほうが苦しみを与えることができると思ったからだ。
自分の不義によって、夫が領主を殺して罪科に問われる。
その苦しみを背負ってみじめな生活を送ればいい、そう考えたからだった。
「──いま思えば、領主から脅されていたのかもしれねぇ。だがあの時、俺は自分の妻を信じることができなかったし、あいつも、俺を信じて打ち明けることができなかった」
その場にいる全員が、ホゴイの話に耳を傾けている。
「俺は、ティアを追ってシフルに行く」
決心するように、ホゴイが言った。
「ティアは、俺たちを信じて仲間と言った。疑わなかった。ティアが何をしようとしているかは知らねぇが、信じられた以上、俺も信じる」
話し終わって、ホゴイがカホカを見た。
「ここで、俺たちは自分たちがどうするかを話し合っている。全員が決めるまで話し続けるつもりだ」