46 夜市Ⅲ
予定どおり夕方にレム島に上陸した三人だったが、
「おかしいな」
バディスが腕組みをした。
丘を越えた島の北側、繁華街の目抜き通りにさしかかったときだった。
人と光にあふれる夜市である。
時代の趨勢を表しているかのように、ノールスヴェリアの色が濃い。
道は露店に挟まれ、石畳で舗装されている。その石畳の隙間にはまりこんだ竹串や、露店と露店を渡して吊り下げられた明かりや、人いきれが混然となって活気を生み出している。
「どったの?」
カホカが訊くと、
「ティアさんの気配がしないんです」
バディスは首を傾けている。
「……はぁ?」
カホカは顔を強張らせた。
「アンタがティアはレム島にいるって言ったんじゃん」
「方角と距離から、レム島だろうなって。でも、自信はあったんです……」
「なんだそれ」
ふざけんなよ、とバディスの胸ぐらをつかむ。
「アンタが、ティアはここにいるって言ったんだろうが」
にわかに豹変したカホカの剣幕に、あわててルクレツィアが止めに入る。後ろから抱きすくめる形になった。
「どうしちゃったの? 落ち着きなさい、カホカ」
しかし、ルクレツィアの静止にさえカホカは止まらない。
ふざけんなよ、と何度も口にしながら、バディスに食ってかかる。
「ここにティアがいるんだろうが!」
「カホカさん、待っ──」
「お前が言ったんだろうが!」
「く、苦しい……!」
本当に苦しそうなバディスの表情に、ルクレツィアは「やめなさい!」と両腕に力を込める。
「彼を責めてどうなるの!」
カホカを叱咤して、ようやくふたりを引き離した。
離された勢いで、バディスが尻もちをついた。痛みで顔をしかめたバディスの視界に、立ちつくすカホカの姿があった。
「アンタが……」
うつむき加減に、カホカの声が震えている。
その碧い瞳を見た時、バディスは言葉を失った。
「ティアがいるって……言ったんじゃんか……」
ぽろり、ぽろりと大粒の涙がカホカの頬を流れ落ちていく。
「ちょっと、なにも泣くことないじゃない!」
これにはルクレツィアも驚きを隠せず、まじまじとカホカをのぞき込む。それからすぐバディスに顔を向けた。
「ティアは無事なのよね?」
はい、とバディスは力強くうなずく。
「それは間違いありません。ティアさんにもしものことがあれば、僕もタダじゃ済まない」
「聞いた? カホカ」
再びカホカに目を移した。
カホカはただ黙って──半ば茫然として涙をこぼしている。
その様子に、ルクレツィアはようやく理解した。
「そっか……」
ルクレツィアの表情が和らいだ。
カホカの両肩にやさしく手を置く。
「怒ってるんじゃない……ティアに会いたかっただけなのよね」
苦しいのだ。
大切な人に会えなくて。
──なんて素直な子だろう。
これほどわがままに、まっすぐに、誰かを想う気持ちを自分は持ったことがあるだろうか。
──この子をここまで一途にさせるなんて。
本来のルクレツィアの目的はファン・ミリアを探して迎えに行くことだが、同行しているであろうティアという吸血鬼に、もう一度会ってみたいと思った。
「彼女が無事なら、必ず会える」
はっきりとした口調で、カホカに言い聞かせる。
「まずはレム島を探しましょう。ティアがもしこの島にいたのなら、何か手がかりがあるかもしれない」
それでも動こうとしないカホカの手を、ルクレツィアが強引に取った。通りがかりの観光客が、何事かと不躾な視線を送ってくる。なかには足を止める者もいた。
「くよくよしない。さぁ」
言って、立ち上がったバディスに片目を瞑って見せた。申し訳なさそうに頭を下げるバディスに、ルクレツィアは苦笑して頭を振った。
◇
「せっかくだし、観光も楽しみましょうよ」
ルクレツィアに手を引かれ、カホカは夜市を歩く。
もともとが好奇心旺盛なルーシ人の少女である。露店から漂う料理の香りに、腹の音がぐうと鳴った。
「……お腹すいた」
現金なものだが、いまの気分をごまかすには食欲を満たすのが一番手っ取り早い。
「私も。どこかに良い店はあるかしら?」
ルクレツィアも楽しそうに辺りを見回している。そのふたりの後ろをバディスが眠そうな顔で歩く。やはりまだ本調子ではないらしく、幽霊かと見まごうほどに存在感が薄い。
結局、カホカの鼻を頼りに羊肉料理を出す店で夕食を摂ることにした。露店は半円型のつくりで軒が長く、丸椅子がカウンターに沿って置かれている。
三人ならんで座った。
目の前で焼かれた羊肉を、くるみをまぶしたタレにつけて食べる。
「やはり、この島にティアさんはいなさそうです」
申し訳なさそうにバディスが言ってくる。カホカに怒られるのを覚悟で、それでも言わなければと思ったのだろう。
カホカは黙って骨付き肉をかじった。
「彼女がこの島にいたのが確かなら、どこに行ったかっていうのは?」
カホカを挟んで隣のルクレツィアが訊いた。上戸らしく、エールを水のように飲んでいた。
「わかりません。何かしらティアさんが力を使って呼んでくれれば話は別ですが」
「そう」
と、ルクレツィアは別メニューのシチューを口にする。羊肉の臭みを消すためにトマトと一緒に煮込んだものだ。
「無難なところで、島の宿屋をあたってみる?」
宿泊客に人相などの特徴を伝えて、情報を得る。場合によっては賄賂を送る。足跡をたどる常套手段のひとつである。
「それが妥当ですかね」
バディスはうなずく。彼も元『鷲のギルド』の一員である。相応の探索術を持っている。
ふたりの会話の間で、カホカは黙々と肉を食べ続ける。
まずは腹いっぱいになること。
満腹になって気分を浮上させること。
自分をコントロールすること。
「カホカ?」
一心不乱に肉を食べ続けるカホカに、ルクレツィアが気づいた。
カホカは返事もせず、ふんふんと肉と食べ続けている。
「食べすぎじゃないの、大丈夫?」
「大丈夫です」
応えたのはバディスだ。
「カホカさんはもっと食べます」
その言葉通り、皿の上に羊骨の山ができるころ、ようやくカホカは満足して腹を叩いた。
「んで──」
努めていつもの口調で、言った。
「ティアとサティの足取りが掴めなかったら、どうする?」
「そうですねぇ」
対するバディスもごく自然に返す。
「このまま王都ゲーケルンに帰っても鷲のギルドは休止中ですからね」
「んじゃ、オボロ港に行く?」
カホカの提案に、バディスは驚く。
「いいんですか?」
「だって、他に行くところもないし」
「すれ違いでティアさんが王都に戻る可能性もありますよ?」
「どうかな」
カホカは椅子の上で身体の向きを変え、通りに目をやった。夜が更けるにつれ、かえって人の数は増えている。
レイニーとサスの話し合いの結果、鷲のギルドは一時的に活動を休止することになった。
レイニーは妹を探してノールスヴェリアに向かっているはずだ。
サスとディータはギルド全体の恩人であるティアのため、王城ウル・エピテスの情報収集と蛇のギルドの動きを追っている。
またそれ以外として、ギルド員の一部を王都から出した。
目的地は、カホカの師匠の住む庵である。
手練を揃えたい、というサスの意向を受けて、カホカが紹介してやったのだ。
現在、師匠の下にはカホカの弟分であるシダが修行中のはずだ。
本当に大丈夫なのか? というサスの心配をよそに、
「いいんじゃない? 賑にぎやかになるし」
という、きわめて適当な判断によってギルド員たちは送り出されることになったのである(紹介状はカホカが書いてやった)。
話を戻して──オボロ港。
ここは、ウラスロ王子に対してすくなからず恨みのある者たちが向かったとされる、いわくのある港だった。
管轄は貴族であるブルーム家だが、実質的に支配しているのはペシミシュターク家といわれている。
この港を探る。
何が出てくるかはわからないが、王都でまんじりともせずティアの帰りを待つより、はるかに前向きだと思えた。
それに……。
「ティアは、王都には来ないと思う」
「どうしてそう思うんです」
不思議そうに尋ねてくるバディスに、「勘」とカホカは答えた。
「や、いつかは戻るんだろうけどさ」
多くの人々が行き交う通りを眺めながら、カホカには自信があった。
「アタシは、ティアを追いかける」
そうでなくては、ティアに会えない気がする。
ティアはどこかへ向かっている。待っているばかりでは、距離は縮むどころか、より離れていくだけだ。
待っているだけの女には絶対になりたくない。
そんなことを考えていた時だった。
「……あれ?」
カホカの瞳に、通りを歩くひとりの男が映った。
いや、ひとりではない。
男を先頭に、一列縦隊を作っている。
十人ほどだろうか。
どの男も、簡素ながら身なりを整えている。全員が剃髪していたが、完全に剃り上げているのではなく、青くなっている。
腕前はそれほどでもなさそうだ。
が、目の光が強い。
カホカの経験上、修羅場を乗り越えた者がする目つきである。
胸に秘める激しさがある。
それを抑える静けさもある。
全員が、人にぶつからぬよう気を配って歩いているのがわかる。
見れば、バディスも彼らを追っていた。ルクレツィアは一瞥したものの、特に気にしていない様子だ。
「アイツら……」
カホカがつぶやくと、
「はい」
バディスがうなずき返してくる。
自分とバディスは反応した。けれど、ルクレツィアは反応しなかった。
カホカは確信する。
ふたりで一行を見守っていると、道端から出てきた酔客らしき別の集団のひとりが、先頭の男とぶつかった。
「何しやがる!」
ぶつかられた方ではなく、ぶつかってきた酔客の方がいきりたっている。にも関わらず、先頭の男は怒るどころか、
「悪かったな」
と、頭を下げたのである。後ろに続く男たちも、それが当然といわんばかりに沈黙している。
カホカは、ますます目が離せなくなった。
たしかに髪を剃った男たちは、さほどの腕前でもないだろう。かといって、酔客の恫喝にひるむほど気概のない連中にも見えなかった。
理由があるのか、思惑があるのか。
「ふざけんなよ。俺にぶつかって、詫びも入れずに済むと思ってんのかぁ?」
ほとんど呂律が回っていない。泥酔しているらしかった。
というか、先頭の男はすでに詫びを入れている。
相手が下手に出たことで、酔客たちは調子づいたらしい。ぶつかった男だけでなく、後ろに並ぶ男たちにも聞くに堪えないような罵詈雑言を浴びせかけている。
それでも男たちは冷静だった。
ただ静かに酔客たちを見据え、謝り、通り過ぎようと歩き出した。だが──
「待てよ!」
何が気に入らないのか、酔客のひとりが先頭の男の肩を掴んだ。立ち止まり、振り返った男の頬をぴしゃり、ぴしゃりと手の甲で打つ。
「臆病者どもが。俺らがそんなに怖いかよ」
「……そうだな」
男はまるで相手にしていない。
また別の酔客が、他の男を捕まえ、小突く。
衆目に晒されるなかで、酔客たちに嘲弄され、それでも男たちは耐えている。
──いいな、アイツら。
カホカは自分の口元がゆるむのを感じた。
他人に馬鹿にされてやり返すより、黙して守るべきものがあるのだろう。
──アイツらは強くなる。
たとえいまは弱くても、心に期するものがあるのなら、きっと強くなる。
「けっ、つまんねぇ連中だ」
酔客が、先頭の男の服に唾を吐いた。これには一瞬、男の顔を怒りがかすめたものの、やはり堪えたようだった。
「──バディス」
こきりと指を鳴らし、カホカが立ち上がった。
「はい」
同じくバディスも立ち上がる。
「ふたりとも何をするつもり?」
ルクレツィアが立ち上がろうとするのを、カホカは「待ってていいよ」と軽く声をかけた。
「あそこで酔っ払いに絡まれてる奴ら」
「ええ、お知り合い?」
「や、まったく知らない。はじめて見た」
それでも、まちがいない、とカホカは思う。
「アイツら仲間なんだ。助けてやらないと」