41 エクリⅪ(後)
ヘインズの他にもティアが選んだ囚人たちのまとめ役──ホゴイをはじめとした十人の囚人たちの姿があった。
「遅ぇーぞ」
ルルゥが文句を言うと、
「いや悪い。なかなかに石の数が多くてな。化蜘蛛の生き残りにも遭遇して、これでもずいぶん難渋したのだ」
正体不明のノールスヴェリア人は剣を肩に背負い、呵々と笑う。
「怪我人は?」
ファン・ミリアが訊くと、
「全員無事だ。俺の服以外はな」
答えながら、袖や裾の焦げ穴を示す。
作戦だった。ファン・ミリアとルルゥがエクリに対応し、その間、ヘインズはホゴイたちとともに魔法石を探す。エクリに悟られぬよう、他の囚人たちは船底の広間にまとめて残しておく。
その囚人たちもまた、魔法石の爆発を合図に続々と甲板に上がってきていた。
沈黙したクラーケンを背後に、ファン・ミリア、ルルゥ、ヘインズ、ホゴイをはじめとしたすべての囚人たちが甲板に集結した。
「さて、首魁よ」
ヘインズが、剣を担いだままエクリを見据える。
「ゲームをまだ続けるか?」
「いや」
ふっと、エクリが脱力して左手をおろした。
「認めるよ。どうやら僕の負けらしい」
言いながら、その顔には笑みを浮かべている。
「でも勘違いしないでほしいな。僕はこのゲームの負けは認めたけど、全面降伏ってわけにはいかない」
「だろうな」
もっともらしくヘインズがうなずく。
「そこで俺からの提案だが、首魁よ。一対一で勝負をしないか?」
「おい馬鹿、突然何を言い出しやがる!」
あわてて止めに入ったルルゥをヘインズは手で制し、「どうだ?」と、エクリに向けて白い歯をのぞかせた。
「俺に勝てば無罪放免だ。今後、我が国はお前を追わぬ」
「僕が負けたら?」
「これまでにお前が関与した人身売買についてを洗いざらい話してもらう。その上で罪に問うことになろう。まぁ、どうあっても死罪は免れまいな」
「君も面白いことを考えつくね」
エクリもまたおかしそうに笑う。
「でもそれって、実は僕のほうに利の大きい話じゃないかな。君が生命の危機に晒されること、それだけでもノールスヴェリアにとっては大損害になってしまうのでは?」
「ゆえに乗らぬ手はなかろう?」
「豪胆だね。さすがはノールスヴェリアの大英雄だ」
エクリはしばらく腕組みをしてから、
「でも──ダメだね。考えてみたけれど、僕には君を殺す理由がない。まだ君の死は僕の計画に入っていない」
「船を沈めようとした者が口にする台詞ではないな」
「それは君の天命の問題だ。君が僕の計画に巻き込まれて死ぬのは、君の勝手だ」
「殺人者の屁理屈とは言わんか?」
「解釈はお好きにどうぞ。ただ、念のために言っておくけれど、僕は快楽殺人者ではないよ」
「寝言は寝てほざけ」
ヘインズは肩に担いだ剣を下ろした。
「とはいえ、俺も戦る気のない者を相手に本気にはなれぬ」
「お目こぼしをくれるのかな?」
「馬鹿を言え。役回りを変えるだけだ。お前には俺よりふさわしい相手がいるのだろう?」
「……相手?」
つぶやくにように聞き返してから、ぴくりとエクリが反応した。なるほど、と苦い笑みを浮かべる。それはこの青年がはじめて見せた、本当に困ったような笑い方だった。
「この僕が、まんまと君の話術に乗せられたみたいだ」
クラーケンの胴体に空いた穴から、一塊の黒い霧が立ち上った。
「まいったな。こうなってしまうと、僕も非常に逃げづらい」
沈黙していたクラーケンも身体の修復をはじめる。差し出された肢の一本に、黒い髪を海風に流し、旗を携えたティアが姿を現した。
「ティアーナよ」
ヘインズが気さくな口調で呼びかけた。
「お前とエクリの決闘だ。乗るか?」
「乗る」
「しかし……!」
思わず口を挟んだファン・ミリアを、「止めるな」とヘインズが制した。
「彼女でなくてはならんのだ。そういう戦いもある」
「満身創痍だぜ、いまのティアは」
ルルゥまでもが口添えするのを、「ならん」とヘインズは一蹴する。
「ここで退けば終わりなのだ。何も成さぬ」
そしてティアは甲板に降り立った。
「ティア、いけるのか?」
硬い表情を浮かべるファン・ミリアに、ティアは口元をゆるめた。
「心配はいらない」
うなずき、ファン・ミリアの前を通り過ぎると、囚人たちの群れにゆっくりと歩いていく。
ホゴイの前で立ち止まった。
見上げると、すでに囚人たちのリーダーとなった男が、何か言いたげにこちらを見下ろしてくる。
「おい、ティア」
「うん?」
ティアが次を待つと、ホゴイは気まずそうに首裏を掻いた。
「言い忘れてたんだけどよ」
小声で言った。
「仲間になってやる、俺も」
その言葉にティアは驚いた表情を作り、それからすぐ半眼になった。
「……本当かな」
じいっと、ホゴイを見つめる。
「ここで嘘を言ってどうする?」
「あんなに拒否したくせに?」
そのまま顔を近づけていくと、ホゴイが顔をそらした。
「あの時、私はすごく傷ついたんだが?」
「知るか。顔が近いんだよ」
「信じられないな、そんなに簡単に仲間になると言われても」
チッ、とホゴイが舌打ちをした。
「……じゃ、どうすればいい?」
かわいげのある男だと思った。ティアの瞳が悪戯っぽく輝いた。
「ちゃんと目を見て言うべきだ。『仲間になりたい』と」
「さっき言っただろうが」
「いや、私の目を見ては言わなかった」
「見た」
「見てない。私はそういうことは覚えている。ちゃんと目を合わせなければ納得できないな」
ティアが待つと、ホゴイがちらりとこちらを見た。けれどもすぐに目をそらしてしまう。その背後では、囚人たちがふたりのやりとりをニヤつく顔で見守っている。それに気づいたホゴイの顔が、真っ赤になった。
「ふ、ふざけやがって! 誰がおまえの仲間になんかなるかよ」
あわてて声を荒げるホゴイの狼狽ぶりに、囚人たちからどっと笑いが起こった。
「ホゴイの説得はまた次だな」
ティアも同じように笑ってから、
「冗談はここまでにしておこう」
静かに笑顔を消すと、ほかの囚人たちの笑い声がぴたりと止まった。
「さぁ、行こうか」
ティアが告げると、ホゴイを含めた全員がうなずいた。
振り返り、その先に立つ青年に言った。
「エクリ、戦うのは私だ」
だが、と付け加える。
「勝つのは私たちだ」
「どういう意味かな。──ティアーナ、戦う前に言っておくけれど、決闘なんて僕の柄じゃないんだ。心底、馬鹿々々しいことだと思ってる。名誉なんてどうでもいい。ここで果たすべき僕の役目は終わった。いまこの瞬間、君たちに背を向けて逃げ出したって構わないんだ」
面倒そうに溜息を吐く。
「それでも、僕は受けた。あの男の話術のせいでもあるけれど、そのほとんど力を失った身体で、君に何ができるか興味があったからだ」
それだけなんだ、と念押しするように言って、
「君の健闘を祈るよ」
その身に蛍火をまとう。魔術師が臨戦態勢に入ったのだ。
「魔法か……」
ティアはぽつりとつぶやく。
『魔法なんざ、要するに気合みたいなもんだろ』
船内で、囚人のひとりが言っていた。
『だったら気合出しゃいいってこった。な、簡単だろ?』
その時の会話を思い出してひとり笑う。
「あながち間違っていないのかもな」
ティアは一歩、前へと進み出た。
旗を遠投するように肩に背負い、その槍のように鋭く尖る竿頭をエクリに向ける。が、向けただけで放たず、今度は旗を頭上で回転させ、石突で床を衝いた。
顎を引き、するどくエクリをにらむ。
「お前たち!」
背後の囚人たちを、大声で呼ばった。
「闘志を示せ!」
「おぉ──!」
これに囚人たちが雄叫びで応える。が、ティアは不満げに眉根を寄せた。旗を持ち上げ、もう一度床を衝いた。
「なめてるのか!」
振り返りもせず怒気を放つ。
「もっとだ! お前たちの声がまったく聞こえないぞ!」
ティアが怒鳴ると、昂奮が最高潮に達した。それでもティアは満足しない。
「赤子が泣いているのか!」
煽りに煽ると、囚人たちが目を血走らせはじめた。狂ったように叫び続ける。中には己の肉体を叩いて威嚇をする者もいた。
その音の圧を背中で感じながら、ティアの瞳が、ぎらつく赤へと変わった。
旗とは別の手を持ち上げ、親指を立てた。それを、下に向ける。首を掻っ切る仕草を取る。口の端を深く広げ、牙を剥き、挑発するようにベロリと舌を出した。
吸血鬼ティアーナを先頭に、全員が闘志と殺意に塗れた凶相を浮かべる。
出陣前の示威行為。
お前は邪魔だ、叩き潰してやる、という明確すぎる意思表示。
女王親衛隊が誇る、鬨の声の原型だった。覚悟なき者、戦場に臨む資格のない者を恐怖のどん底に陥れる、狂戦士たちの咆哮である。
「演出としては面白いけれど、それで何かが変わるのかい?」
エクリは涼しげな表情を崩さない。
「変わるさ」
ティアの身体から、数匹の蝙蝠が分離した。それぞれがティアの周囲を護衛するように飛ぶ。
「立ち上がり、戦う意思さえあれば、すべてが変わる」