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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
186/239

40 エクリⅪ(前)

 黒い水に変じたティアが、クラーケンの口から体内へと流れていく。


 ファン・ミリアが中空を見上げると、腕組みをしたルルゥが降りてくる。ファン・ミリア同様、状況が把握(はあく)できていない様子だった。まばたきをしている。


「クラーケンを助けるっつったのか、ティアは?」

「エクリに(じゅ)をかけられているらしい。会話をしたと言っていたが」

「クラーケンとか?」


 そうらしい、としか答えようがない。


「化け物同士の会話ねぇ……」


 ルルゥが腕組みをした。「北方()ヒデグの言葉か」


「知っているのか?」 

「化け物にも人間と同じぐらいに頭の回る種族がいる。てことは、そいつらが使う言葉があっても不思議じゃないはずだ、っつー仮定の上に置いてる言語だ。俺も詳しくは知らねー」


 言いながらクラーケンを見上げる。


 すでに巨体を焼く炎はいきおいを弱めている。(あし)の動きも活発になってきた。


「おい聖女、いいのか。このままじゃ振り出しに戻っちまうぞ?」


 ファン・ミリアは黙っている。彼女自身、ルルゥと同意見なのだ。()れるルルゥの気持ちはよくわかる。


 まだティアからの合図はない。


「……仕方ない」


 決断は早いほうがいい。


「いまのうちに、ルルゥの魔法で弱らせてくれ」

「だよな」


 ルルゥがうなずく。


 その時だった。ファン・ミリアとルルゥ、ふたりともが弾かれるように左右に跳んだ。するどく背後を振り返る。


 ファン・ミリアが星槍(せいそう)ギュロレットを構える。ルルゥがやれやれと腕組みをほどき、言った。


「ま、あの程度の火力じゃ、大人しくはならねーよな」


 その青年の笑みは、すでに見慣れたものになっていた。にも関わらず、その異様(いよう)さはいや増していく。身体には傷ひとつ残っておらず、余力を(ただよ)わせている。


 エクリが立っていた。


 警戒するファン・ミリアとルルゥを前に、緊張さえしていない。自然体である。


 青年は一度、クラーケンを見上げてから、


「クラーケンが、ティアーナを信じるに値する者と認めたようだ。知恵ある化け物同士が交感するのは非常に珍しい」


 むしろ機嫌よさげに笑いかけてくる。


「彼女は縁もゆかりもない、むしろ己を害そうとする囚人たちを味方につけ、そればかりが人外のクラーケンをも()き込もうとしている。まったく大したものだね」


 けっ、とルルゥが吐き捨てた。 


「ただ単にてめーの策が裏目に出ただけじゃねーか」 

「耳が痛いな」


 エクリは苦笑して、右手を持ち上げた。


「けれどもルガーシュ、君の言う通りだ。僕もやられてばかりではいられない」


 その手に黒い力が集まっていく。とたん、クラーケンの鳴き声が響きわたった。耳をふさぎたくなるほどの異常な高音だった。すべての肢が海から突き上がり、胴体を中心に、抱え込むように船を(おお)いはじめる。


「聖女!」


 素早くルルゥが両腕を大きく広げた。見えない障壁がクラーケンの肢と船とを(さかい)する。


「さすがに重いぜ」 


 舌打ちしつつ、クラーケンの肢を寄せ付けない。


 その間にファン・ミリアが距離を詰めようと飛び出しかけるも、エクリは手に光を宿したまま、大きく間合いを取っている。


 とっさに星槍を構え直し、かざした。青白く輝く破邪の光が奔流となってエクリめがけて放たれる。


「水精──ラクシャ」


 エクリの()びかけに応じ、水精が姿を現した。全身が水で構成された小人のような少女が、けらけらと無邪気な笑い声を上げている。


 少女が両手を伸ばすと、激しい水流がファン・ミリアの光と激突した。しばらくの押し合いの後、互いに別角度に逸れて離れていく。それを見送ることなく水精が消えた。


 驚いたのはファン・ミリアである。


 星神(シィン・ラ・ディケー)の加護によって放たれる光は、神力を源にしている。神力は魔法の制約を受けないはずだった。


「おや」 


 その表情を見て取って、エクリがおかしそうに笑う。


「知らなかったのかい? 精霊魔法は魔法の一種に類別されてはいるが、実際のところ術手が行うのは精霊を()び出す召喚魔法であって、力の行使そのものは精霊が行う。そして、精霊の生み出す力は万物を構成する太古の力を持っている。質的に神の力に近いんだ。すべての神が、というわけではないけどね」


 言いながら、エクリが再び右手を上げた。クラーケンの肢の力がさらに強まっていく。


「んぎぎ……」


 ルルゥが歯をくいしばって障壁(しょうへき)を支える。


「コイツはてめぇの味方じゃねーのかよ」


 (しぼ)り出すような声音でにらむ。


 クラーケンの肢のいたるところから、その身が裂けて断裂(だんれつ)する音が聞こえた。明らかに、限界以上の力を引き出されている。


「治るさ」


 涼しい顔で言って、エクリが右手に力を込める。瞬間、クラーケンの口から(すみ)が吐かれた。墨は黒い濃霧となって周囲に()かれ、()み込まれたルルゥと、そしてファン・ミリアの視界を奪っていく。


 わずかに粘性(ねんせい)のある墨が、ファン・ミリアの全身を濡らしていく。


 耳に、ルルゥの声が聞こえた。


「墨には害はなさそうだ。周りに気をつけろ。何か仕掛けてくるぞ」


 すでに少年の姿は見えない。


 ファン・ミリアは静かに目を閉じた。


 精神を集中させて、周囲の気配を探る。


 左後方の気配がある──これはルルゥだ。


 エクリは……気配を殺している。だが、動きさえすればすぐに察知する自信がファン・ミリアにはあった。


 その気配を、目の前の空間から突如(とつじょ)として感じた。


 霧の奥から拳が突き出てくる。ひるむことなくファン・ミリアはかわし、同時に星槍を()いだ。 


 手応えはあった。


 肉を切り裂いたその感覚とともに、どさりと霧のむこうで身体が崩れ落ちる。


 警戒を残しつつ、星槍を構えの位置に戻す。


 ふと、ファン・ミリアは気がついた。


 自分の手元に返り血がついている。


 ──血を受ける間合いではなかったが……。


 周囲への警戒を残しつつ、ファン・ミリアは倒れている人影に視線を落とした。


 その紫水晶(アメジスト)の瞳が大きく見開かれた。


「馬鹿な……」


 愕然(がくぜん)とする。


 倒れていたのは、ティアだった。


 大量の血が腹部を濡らし、その漆黒の瞳が虚空を見つめている。口から糸のように細い血を流しながら。


 二歩、三歩とファン・ミリアは後ずさった。


 ──ありえない……!


 こめかみを冷たい汗がつたい落ちていく。動揺のまま、濡れて重くなった髪を乱暴に()き上げ、後ろに流した。


 ティアはクラーケンの体内なのだ。ここにいるはずがない。


 そう思ううちに、ティアの身体が黒い泥へと変じ、溶けていく。その時、変化が起こった。原型をとどめないほどに崩れていくその顔が、再構築され、人型を造っていく。


 ストロベリーブロンドの髪。見慣れた顔立ち。その閉じた瞳がゆっくりと開く。


 自分だった。


 傷ついた自分自身が、倒れている。


『ひどいことをするのね』


 自分が、こちらを見上げて言った。


『こんなふうに自分を傷つけることに、何の意味があるの?』


 責めるような口調だった。


『聖騎士としての本分を見失えば、苦しむことは目に見えているのに』


 女の瞳孔が開いていく。


『答えなさい、貴女を支えるものを。なぜ、貴女は神託を与えられたのかを?』

「それは……」


 ファン・ミリアは呆然(ぼうぜん)としてつぶやく。


「理想のため」


 同じ色の瞳。けれど、いまファン・ミリアの髪は黒々と濡れている。不吉な(カラス)のように。偽物であるはずの女の髪の色は変わらず、ストロベリーブロンドの輝きを宿している。


 ──いったい本物はどちらか。


 思いながら、つぶやく。


「争いの絶えぬこの世界で、人々の悲しみを減らすため……」


 そしてファン・ミリアは気づく。


 いま倒れている女の瞳孔、この瞳孔を自分は知っている。つい先ほど目にしたばかりだ。


『人と化け物が結ばれることはない』


 そう(うそぶ)いたエクリとまったく同じの。


 ──詐術(さじゅつ)


 素早く自分の手元を見やる。


「返り血が……」


 ついていない。


 気を奪われた。まばたきひとつ分、反応が遅れた。


「おい聖女! ボケっとしてんじゃねぇ!」


 ルルゥの声に、はっとして顔を上げた。


 エクリが迫っている。その腕がこちらに伸びていた。


 今度は拳ではない。手刀を作っている。その指先が、身を引いたファン・ミリアの鎖骨と胸の間あたりに届いた。突くでもなく、押すでもない。ただ、ぎりぎり触れたといった程度の。


 すぐさま槍で応酬(おうしゅう)を試みるも、はじめからそれが目的だったかのように、エクリは後方に跳び、甲板中央付近まで退いた。


「おい、平気か」


 血相(けっそう)を変えてルルゥが寄ってきた。風を起こし、霧を完全に払う。


「大丈夫だ」


 ファン・ミリアは軽くうなずいた。「異常はない」


「おまえが怪我をしたんなら、援護をしているおれの落ち度だ。すまねー」


殊勝(しゅしょう)である。バツが悪そうな少年に、ファン・ミリアはちいさく笑う。


「無傷だ。かすり傷ひとつ負っていない」

「自分の目で見るまでは安心できねー。相手がエクリの野郎だからな」


 ルルゥは言い、


「どれ、見せてみろ」


 つま先立ちになって、ファン・ミリアの胸元をのぞきこもうとする。


「大丈夫だと言っている」

「わかるもんかよ」


 胸元を凝視(ぎょうし)するルルゥの両手が、わさわさと閉じたり開いたりしている。


「遠慮すんなって。見せてみろ。な、別に怖ぇーこたぁねー。痛いのは最初だけだ。ティアには内緒(ないしょ)にしといてやっから、な、な?」


 ルルゥの脳天(のうてん)拳骨(げんこつ)をくらわせ、ファン・ミリアは視線を転じた。


「やれやれ──」


 と、軽く手を振って、エクリが息を吐く。


「やはり、神託の乙女を相手に慣れないことをするものではないね。潮時(しおどき)かな。ティアーナも動きはじめたみたいだ」


 エクリの言った通り、クラーケンの長い胴体に一点、光が(とも)っている。


 それ見た瞬間、ファン・ミリアは理解した。


「ウル・エピテスの時と同じ」


 光は点滅を繰り返している。そこに異常があるのだと知らせているのだ。ウル・エピテスでティアが蛇の支配から解き放たれたように。


 ──その時、ティアはどうした?


 ファン・ミリアは自問する。


「己に巣食った呪詛(じゅそ)をえぐり出した……」


 すぐに反転しかけたファン・ミリアを、エクリの言葉が押しとどめた。


「悪いけど、君たちの思い通りにさせるほど僕も甘くはないよ」


 左手を持ち上げる。手のひらに緑の光が宿った。


「忘れてはいないか。この船に魔法石が仕掛けられていることを。沈没(ちんぼつ)させるのに十分な量の魔法石がね」


 緑の輝きが増していく。


「君がクラーケンを攻撃すれば、僕は船を爆破する」


 しかし、ファン・ミリアは動じない。


「好きにするがいい」


 星槍に光を()めた。クラーケンに照準(しょうじゅん)を合わせる。


「へぇ」


 エクリが瞳を大きくさせた。


「クラーケンのために、乗員の命を見捨てるのかい? 聖女であるはずの君が」

「好きにすればいいと言っている」


 ファン・ミリアが瞳を細めた。後ろに流した髪は黒い。


 エクリの手に宿る緑光と、ファン・ミリアの星槍に宿る青光がともに限界まで高まっていく。


 先に動いたのはファン・ミリアだった。


 星槍から放たれた破邪(はじゃ)の光が、クラーケンの胴体の一部を消し飛ばした。


 クラーケンが沈黙する。


「やるじゃないか、すこしだけ君を見直したよ」


 星槍を(わき)に収め、ファン・ミリアは冷たくエクリをにらむ。


「早く船を沈めないのか?」

「何?」

「早く魔法石を爆発させなくていいのか?」


 エクリは数秒、ファン・ミリアを見返してから、


「……そうさせてもらうさ」


 緑に輝くその手のひらを握りしめる。


「──貴様こそ存外(ぞんがい)、忘れっぽい性格のようだ」


 低い声音とともに、宙に、多量の輝く光が舞った。魔法石だ。


 緑石が、甲板から海へ次々と放り投げられていく。水中で爆発した魔法石が帆柱(マスト)に届くほどの高い水柱を上げた。


「間に合ったようだな」


 ファン・ミリアが見ると、そこにヘインズが立っていた。

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