36 エクリⅦ
エクリはルルゥに掌を向けると、赤い光を放つ。一度ではなく、二度、三度と掌が明滅を繰り返した。
「見えない衝撃か、器用なこった」
でもよ、とルルゥを中心に颶風が巻き起こった。すぐにエクリが回避の動きを見せる。避けた背後の壁に、次々と大穴が空いた。
「やはり視えているようだね」
「おれに子供だましは通用しねえ」
キィィィン、と。
耳をつんざくような金切り音とともに、ルルゥの前に光が集束する。数は三つ。赤と青と緑と。
それぞれが光線となってエクリに向けて放たれた。
「──炎の盾」
エクリの前に、燃える炎の盾が展開する。
着弾したルルゥの光線のうち、緑の光は掻き消され、赤の光は盾を弱めるに留め、最後の青い光のみが盾を突き破った。
素早くエクリが横に跳び、床に転がった。転がりつつ、ヘインズに斬られた自分の腕を拾う。肩口の断面に、腕を押しつけた。エクリが何事かを唱えると、腕と肩とが元通りに接合された。
へーぇ、とルルゥは感心した様子で笑う。
「怪我を負った時間と損耗……いい腕してるぜ。けどな」
ルルゥもまた、次の魔法の発動を終えている。
「おれのほうが早ぇ」
腰布だけを巻いたエクリの胸の中央に、黒い刻印が浮かび上がった。船内で蜘蛛の群れを一網打尽にした際、その胴体に結びつけた刻印と同じ図像である。
「これは……」
不思議そうに自分の身体を見下ろすエクリに、
「盲目の神だ」
すでにルルゥの前には三つの光が浮かんでいる。
「追尾弾!」
三つの光線が再びエクリへと放たれた。
エクリもまた横に跳ぶ。
「馬鹿が! 今度のは避けられねーぜ!」
勝ち誇ってルルゥは腕組みをした、ものの──。
エクリを追いかけるはずの光線は曲がることなく、そのまま直進して壁を突き抜けてしまう。
「……あれ?」
腕組みをしたまま、思いがけない現象にルルゥは首を伸ばし、傾げた。
「なんで追尾しねーんだ?」
エクリはただ薄く笑う。
「もしかして、お前──」
ルルゥの顔に驚きが浮かんだ。
「敵意がないのか?」
盲目の神は、敵意によって対象を認識する。逆に言えば、敵意のない者を対象とは認識しない。いや、できない。
「キモチわりぃ野郎だ」
ルルゥは顔をしかめて吐き捨てる。敵意なく攻撃することが可能なのか。
しかしエクリは答えない。すでに問題なくつながった腕、その手の五指と、もう片方の五指を触れ合わせた
『白刃の結界』
言葉とともに、ルルゥを格子状の光の壁が包み込んだ。エクリが両手を握り合わせると、ルルゥを閉じ込める光の牢獄が、研ぎ澄まされた刃となって迫ってくる。
「やっべ……!」
あわててルルゥは腕を払った。ちらちらと、結界内に粉雪のような火花を撒く。その炎が瞬時に極大化し、連鎖するように爆発が起こった。
「──えっふ! うぇっふ! あー、くそ!」
立ち上る黒煙から、ルルゥが咳き込みながら躍り出てくる。もともとの癖毛がさらに縮んでボサボサになってはいるものの、大きなダメージはない。
「爆圧で結界を吹き飛ばしたのか。いささか荒っぽいが、悪くない判断だね」
感心するエクリに、「コノヤロー!」と、ルルゥが怒声を吐いた。
「このおれが、ちょっとビビっちまったじゃねーか!」
杖を床に突き立てる。
「引導を渡してやらぁ!」
ルルゥが大きく右手を振りかざした。手のひらに緑球が浮かぶ。凝縮された光を、杖の宝形に叩きつけるように注ぎ込んだ。
杖の効果によって無数に分散した緑の光線が襲いかかる。
エクリもまた炎の盾を展開する。
緑は『風』。定石通り、風を打ち消す炎の力を用いて掻き消す。
だが──
緑の光線を防いだのも束の間、今度は青の光線が炎の盾に着弾し、エクリの身体もろとも貫いた。
「……やるじゃないか」
エクリが顔を上げると、ルルゥが矢継ぎ早にさまざまな色の光球を生み出しては、狂ったように杖の宝玉に叩き込んでいる。
「オラオラァ! 祭りだ祭りだー、つって」
その都度、幾条もの光線が放たれた。それぞれ尾を引く光がからみ合い、エクリの盾を乱打していく。
「流星群!」
光の集中砲火を浴び、盾を破壊されると、被弾したエクリが威力に押されて吹き飛んでいく。
エクリの背が、壁を突き破った。
「右の頬を殴られたら左の頬も差し出しなさい、ってか!」
ルルゥの魔法はさらに勢いを増していく。まばゆい光の乱舞に、エクリが上空へと突き上げられていく。
「あーばよー! 立派なお星さまになって、こーいーよぉー!」
エクリの姿が完全に見えなくなると、ようやく光の連打が止まった。同時に、杖の宝玉が耐久値を超え、もろくも砕け散った。
が、ルルゥはまったく気にせず、
「勝者、おれ!」
自分に親指を向け、胸を大きく張って高笑いした。
◇
壮絶な魔法の応酬を、囚人たちが離れた位置から眺めていた。
「すげーなぁ、魔法ってのは」
ひとりの囚人が呆けたように言うと、
「いやいや、あんなの俺にだってできるぜ」
別の囚人が言った。一同の視線が集まる。
「魔法なんざ、要するに気合みたいなもんだろ。だったら気合出しゃいいってこった。な、簡単だろ?」
おお~、と囚人たちからどよめきの声が上がる。
「……お前、マジで頭いいな?」
まぁな、と案を出した囚人が得意げに鼻の下をこする。また別の囚人が、
「それで? 気合ってのはどこから出せばいいんだ?」
「どこからってお前……」
囚人全員が考え込む。すると、誰かが言った。
「出すつったら尻の穴だろ?」
「そりゃ逆だろうが。尻の穴はしっかり締めとかねーと」
うわっはっは、と囚人たちから陽気な笑い声が上がる。
「尻の反対つったら、口だな。てことはだな」
はじめに案を出した囚人が、
「声だな、声。大声出しときゃいいんだよ。気合いなんだからよ」
おお~、と囚人たちからどよめきの声が上がる。
「……お前、マジで天才か?」
などと、会話をしているこの囚人たち──
彼らを核とした戦闘集団が、以降、ティア直属の女王近衛隊を形成していくことになる。四六時中、命を惜しまず主を守り、また友として戦場を駆け、大陸中にその勇名を轟かせるほどに成長するのだが、それはまだすこし先の話……。
「真性の阿保どもが!」
イスラが憎々しげに吐き捨てた。
「……楽しいだろう?」
ようやく気をゆるめ、ティアはその場に両膝をついた。
「イスラが、私にくれたものだ」
黒い泥と汗にまみれながら、ティアが笑った。イスラが呆気に取られたように口を半開きにした。すぐに、ふん、と鼻を鳴らして、
「たわけが……こんなもののためにお前が死んでどうする?」
「こんなものだからこそ価値がある。この世界から捨てられたものを、私が拾った。……イスラがそうしてくれたように。だから……きっと価値がある」
「罪人じゃ」
「私もだ。命をかけて償ってもらう」
「……それだけ話す余裕があるなら、さっさと回復に専念せよ」
「もうしてる……だが……」
どろりと、ティアの残った手の指先が、黒い液体となって崩れた。
──ダメか。
顔を伏せ、かすかに笑う。すると、
「ティア!」
その声を聞いたとき、我知らず安堵の息が漏れた。
視界に、ファン・ミリアが駆け寄ってくる。
「サティ……」
ティアと同じ目線の高さに、ファン・ミリアが屈んだ。
「また……」
と、ティアは苦笑する。
「サティには、いつもこんな姿を見られる。情けない」
安心しきって、ティアは全身から力を抜いた。
「情けないものか」
倒れ込んでくる身体を、ファン・ミリアが抱き止めた。
「ティアは、いつも私の心を震えさせる」
ファン・ミリアの押し殺した声。
ティアの頬に、柔らかな髪の感触があった。
「サティに伝えたいことがあると……」
「ああ、言っていたな」
「貴女のことばかり考えている」
見栄や体裁もなく、するりと口から出た言葉に、ファン・ミリアが全身を硬くするのがわかった。
「貴女が眠りについてから、夜が終わるまで。ずっと……」
言い終わらぬうちに、ティアの肉体が崩れはじめた。身体中に泥が黒い班のように浮かび、霧となって消えていく。
「ここまでらしい……」
ティアがつぶやくと、はっと、ファン・ミリアが身体を引いた。ティアの顔と、身体を交互に見やる。
「力を回すのが遅すぎたようだ。私の意思とは関係なく、身体が壊れていく」
「そんな……嘘だ……」
聖騎士であるファン・ミリアであればこそ、人外であるティアの状態が理解できてしまうのだろう。
指は動かない。手の甲で、ファン・ミリアの頬に触れた。
「温かいな。不思議と、死ぬのは怖くない。サティがいてくれるからだな」
ファン・ミリアは一度、唇を噛み、
「死なせるものか……!」
決然とそう言った。
「──不愉快極まりないが、貴様と同意見じゃ」
ティアが視線を落とすと、イスラが見上げてくる。
「このままお前を見殺しにすることはできぬ」
ふと、黒狼の躰が空間に歪んだ。すぐにティアは気づいた。戻っている。
「……力が、戻っている?」
驚いてつぶやく。イスラの躰がさらに大きく歪んだ。
「私に力を与えてくれているのか?」
ティアがそう訊くと、「眠る」とイスラの答えが返ってきた。
「が、今度の眠りは深い。私自身、いつ目覚めるかはわからぬゆえ、二度とは助けてやれぬかもしれぬ。ともすれば今生の別れとなろう」
「イスラ……?」
「ティアよ、聞くがいい」
琥珀の瞳はおだやかだった。
「お前はすでに吸血鬼の、真祖としての才能を開花させはじめておる」
「真祖の」
ティアがイスラを見返すと、
「私の目に狂いはなかった、ということじゃ」
黒狼の姿が薄くなっている。紫の魔女が消えた時のように。
「イスラ、私のせいで……」
「謝るな」
ぴしゃりと言われた。
「お前は己に恥じぬ選択をした。そう信じるのであれば、見苦しいさまを見せるな。でなければ、お前の後に続く者たちが迷う。救われぬ」
「……イスラは厳しい」
ティアが唇を噛むと、
「お前が甘すぎるからじゃ」
言葉とは裏腹に、くつくつと、イスラが愉快そうな笑い声を響かせる。それからファン・ミリアを向いた。
「神託の乙女よ、お前には王城での借りがある。星神について私が知っていることを教えてやる」
ファン・ミリアが緊張した面持ちでうなずいた。
「シィンは私と姉妹の関係にある。いつぞやティアにも話したが、神と神の関係を決めるのは我々神ではなく、人じゃ。人こそが神と神をつなげ、生かし、殺す」
だが、とイスラは続けた。
「シィンは、お前が思う以上に近く、私とともに在る。まさに今、私の隣にいるような感覚じゃ。それは私とシィンとの関係を別に信ずる者がいるということかもしれぬし、そうでないかもしれぬ」
「我が神は……」
言いかけたファン・ミリアが口をつぐんだ。その様子を見てイスラが告げる。
「残念ながらいまの私には、シィンを感じることはできても声を聞くことはできぬ。姿も見えぬ」
「……そう、か」
ファン・ミリアはちいさくうなずいた。うなずくことで、無理やり自分を納得させるようだった。
「では、眠る」
その言葉の通り、イスラの姿が消えていく。
「イスラ──」
呼びかけたティアに、イスラの琥珀の瞳が見上げた。
「ありがとう」
万感を込めてティアが告げると、
「私を失望させぬよう、せいぜい励め」
あくまでイスラらしい言葉とともに、その姿が完全に消えた。
そのすぐ後だった、船が大きく揺れた。