33 エクリⅣ
通路から、大量の蜘蛛が迫ってくる。
「さぁ~てと!」
ルルゥは両手で杖を回すと、石突きを床に突きたてた。両手を離しても杖は倒れず、そのまま自立している。
「神器か……?」
強張った表情でつぶやいたティアに、「そんな大それたもんじゃねー」とルルゥは楽しそうに否定して、
「ただの魔法道具なんだが、年代物ではあるな。面白い力を持ってる」
装飾とともに杖に取りつけられた宝玉を示す。
「杖の効果は、分散だ」
「分散?」
「まぁ見てろって」
ルルゥは舌なめずりしてから右手を掲げた。その開いた手の上に、緑色の光球が浮かぶ。さらに同じ仕草で左手を上げると、今度は黒色の光球が浮かんだ。
杖を前に立ち、両手を掲げた態勢。
右が緑の光に、左は黒の光。
そのうち、
「我に力を貸せ、盲目の神──バグ・シャグよ」
深い、少年とは思えない低い声音で祈りの言葉を紡ぎ、ふっと、黒い光球に息を吹きかけた。光は蒲公英の綿毛のように細かく別かれ、すべての蜘蛛に取りついたかと思うと、それぞれの頭部に集約して刻印をつけた。
「準備完了だ」
右腕を大きく振りかぶった。残った光球が通路内を緑に染める。
「オラ、行ってこい!」
緑球を、杖の宝玉に重ねた。瞬間、宝玉から無数の緑光が奔った。光はすべての蜘蛛に取りつくと、鋭いかまいたちの風となって切り刻みはじめる。風は意思を宿したかのように、躱そうとする蜘蛛をも追いかけ、容赦なくその刃の餌食とした。
「……敵意に反応しているのか?」
ファン・ミリアの言葉に、ルルゥは「さすが聖女だ」と嬉しそうに笑った。
「盲目の神の特性を使って狙いをつけた後、この杖で魔法を分散させれば、御覧の通り『追尾弾』の完成ってわけだ。ノールスヴェリアの最新の流行は『魔法の組み合わせ』だ」
「組み合わせ……」
ファン・ミリアは考え込むようにはつぶやき、
「──追尾弾はともかく、魔法道具を使わなくても多弾の攻撃魔法があるのではないか?」
たとえば複数の光弾を同時に乱れ撃つ魔法など。
「そういう魔法はな、消耗する魔力に対して威力が弱いんだよ。この杖を使えば効率的な魔力で強い魔法を無駄なく分散できるわけだ」
「それほど消耗にちがいがあるのか」
「うんにゃ、この魔法に限って言えば消費量はほぼ変わらねーな」
「では、なぜ?」
「そりゃお前──」
ルルゥは両手で杖を綴じるように消しながら、質問したファン・ミリアではなくティアを振り返ってくる。
「聖女への礼だ。今度はこっちが見せる番っつたろ?」
「……なんで私に言うんだ?」
ティアが首を傾げると、ふん、とルルゥは顔を正面に戻した。
少年のちいさな身体のむこうでは、すでに蜘蛛の群れが黒い液体となって床に溜まっている。じきに霧となって消えていった。
「大した腕前だが……」
やっぱり子供なんだな、とティアは顔をほころばせた。
生意気さ、言葉の達者さに隠れてわからなかったが、意外に人見知りなのかもしれない。
ティアがそんなことを考えているとは露知らず、
「すげーだろ、誉めたきゃ誉めてもいいんだぜ」
ルルゥは得意げに胸を張っている。そこへ、「ああ、すごいな」と、その癖毛の頭をわしゃわしゃと撫で回し、ヘインズが通り過ぎていった。
「いや、お前に言ったんじゃないんだけどよ……つーか、おい!」
ルルゥは小走りにヘインズを追いかけていく。
「おれより先を歩くんじゃねー」
「ああ、すまんな」
苦笑するヘインズに、ルルゥは苛立つ口調で、
「ったく、すこしはてめーの立場を理解しろっての」
「理解したから謝ったのではないか」
「まったく反省の色が見えねーんだよ」
「暗いからだな」
などといった会話を聞きながら、
「あのふたりの関係性こそ見えないな」
ルルゥがヘインズを護っているようにも見える。年齢差で考えれば逆だろう。
不思議に思いながら歩きはじめたティアだったが、すぐに立ち止まった。
「だめだ、戻れない」
前のふたりに声をかけた。
「だな」
ルルゥも気づいたらしい。
一行の眼前、通路の空間に格子状の結界が張られていた。それぞれ白と黒の光で編み込まれた結界が、交互に。幾重にも。
人と化け物を縛る結界が、通路の奥にまで続いている。
「これでもかって感じだな。蜘蛛は結界を張り直すための時間稼ぎだったわけだ」
ルルゥが振り返った。と、ティアとファン・ミリア越しに何かを見つけたらしく、「うげ」とその表情を引き攣らせる。誘われてティアたちも振り返ると、いま来たばかりの通路に、無数の結界が張られていた。ただ、こちらはすべて黒の結界――人間を傷つけ、人外を通す結界──だった。
つまり、とティアは理解する。
「どうしても私だけを先に行かせたいらしい」
ためしにティアは黒の結界に触れてみるも、やはり何も起らない。
「ルルゥ」
ヘインズが呼びかける。
「相手の企みは?」
いやまぁ、とルルゥはバツが悪そうに、
「ティアの言う通りなんだろ」
「待て」と、ファン・ミリア。
「ここでティアを行かせては、それこそ相手の狙い通りになってしまう」
ルルゥは「まあなぁ」と面倒そうにうなずいた。
「結界自体は複雑なもんじゃねーからな。さっきみたいにひとつひとつ消していけば、ティアだけに行かせる必要はないんだけどな……」
「問題が?」
ファン・ミリアが訊くと、
「俺がすべての解呪を終えるまで、敵さんが待ってくれると思うか?」
言って、ルルゥが壁を指さした。すると、にわかに壁が輝きはじめる。殴り書きのような筆跡で、文字が浮かび上がった。
『この船には魔石を仕掛けてある
ティアーナ=フィール
お前ひとりだけで最下層に来い』
三人の視線が、ティアへと注がれる。
「──と、いうことらしい」
それだけ言って歩き出したティアの肩を、あわててファン・ミリアが掴んだ。
「これでは相手の思うつぼだ」
「だが、すでに人質を取られている」
ティアはそっとファン・ミリアの手を掴み返し、優しくほどく。ファン・ミリアは言葉に詰まった様子で黙り込んだ。すでに彼女も理解しているのだろう。
人質は、ファン・ミリアではない。ヘインズでも、またルルゥでもない。
「できる限りのことはしてみるが、ルルゥも結界の解呪を頼む」
ティアが告げると、「おう」とルルゥは返事をして、
「しかしよ、思いっきりエクリの思い通りになってるのに、余裕があるな。なんでだ?」
「……さぁ」
ティア自身、わからずに首をひねる。ひねりつつ、ヘインズを見上げた。
「エクリが何者で、何が目的かは知らないが。私に会いたいと思うなら、私も会ってみたいと思う。──そうだろう?」
言うと、ヘインズは不意をつかれたように「そうだな」と笑みをこぼし、
「何かしら感じるところがあったか?」
「これまでの仕掛けに、エクリの邪悪さを感じた。一方で、無邪気さも感じているんだ。好奇心なようなもの。私に対してかはわからないが」
「ひょっとすると、奴も俺と同じ目的かもしれん」
「……行ってくる」
気負いのない動作で、ひとつ目の結界を越えた。なんの抵抗もなく、ティアの身体がするりと黒の結界を超える。
一度、振り返った。
ティアが視線を向ける。その先には、ファン・ミリアが立っている。
「戻ったら、サティに伝えたいことがある」
「私に?」
緊張する様子のファン・ミリアに、ティアはふわりと微笑う。
「貴女が喜んでくれるといいが」
「……わかった」
ファン・ミリアがうなずくと、ティアは満足して身体を奥へと向けた。
結界を渡っていく。
己からエクリの仕掛けた罠にはまっていく感覚はある。
――しかし。
なぜだろう。
ティアはかすかな昂揚を感じていた。
覚えのある感覚だった。
──あれは、そう。
王都に上る前の、リュニオスハートでのことだった。
土地の領主であり、カホカの実父でもあるミハイル=リュニオスハートの屋敷にて、その牢屋から脱獄する際の、衛兵と向かい合った時のような感覚。
あの時の感覚と酷似している。
通路の奥に突き当たった。
壁際の床に、四角く、ぽっかりと暗い穴が開けられている。下に降りる梯子が掛けられていたのだろうが、いまは外され、その跡が残っているだけだ。
──私は、試されている。
エクリにか。
それとも……。
ためらわず、ティアはその穴から飛び降りた。