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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
178/239

32 エクリⅢ

 霧が蜘蛛(くも)へと変じていく。


 節のある長い脚に、いくつもの瞳が無機質に輝いている。反り上がる胴体の背には人の顔のような模様が浮かび、苦悶(くもん)するようにも、あるいは怨讐(えんしゅう)するようにも見えた。


 全長は子供の──ルルゥの背丈ほどはあるだろうか。


 蜘蛛は宙を蹴るようにして帆柱(マスト)に取りつくと、口から白く細い光を吐き出した。


「糸──!」


 ティアをはじめ、甲板(かんぱん)に立つ者たちが素早く四散(しさん)する。床の木板に糸が触れると、ジュウ、と焼ける音とともに煙が立ち上った。


「これが、死体を焼いた酸か」


 糸は、対象を捕獲すると同時に痛ませる効果があるらしい。


 ティアは帆柱(マスト)を見上げた。蜘蛛は二本の牙をのぞかせながら、すでに次の糸を吐こうと口を開いている。と──


「へぇ、さすがだなぁ」


 ルルゥが感嘆の声を上げた。


「ああ、さすがに速い」


 離れた場所でヘインズもまた同意する。


 ふたりともティアと同じように帆柱(マスト)を見上げている。が、視線は蜘蛛よりもさらに上──


 大上段に剣を構えたファン・ミリアが、落ちてくる。


「オォ!」


 迷いのない剣筋が、蜘蛛を真っ二つに両断した。斬り別れた胴体から黒緑色の体液が噴き上がる。


 ティアが、とっさに腕を伸ばした。


城へと続く深い森バール・オズ・ミィ・エルドゥ……』


 生み出した黒い霧が、瞬時に蜘蛛を包み込んだ。蜘蛛が甲板に落ちると、ティアの霧も夜に溶けて見え

なくなる。


 甲板には黒い液体だけが残っている。


「おい、いまのは吸血鬼の力だろ? 何したんだ? ダメ押しか?」


 好奇心旺盛(おうせい)らしく、ルルゥが寄ってくる。


「別に、何も」


 ティアはすげなく答え、ちらりとファン・ミリアを盗み見た。甲板に降り立ったファン・ミリアはすでに剣を(さや)に収めている。


「どういう心境(しんきょう)の変化かは知らぬが、やはり聖女殿の力は頼りになる」


 ヘインズが声をかけると、ファン・ミリアは髪を()き上げた。


「人外の脅威(きょうい)(はら)うは私本来の任務だ。お前たちを助けたわけではない」

「なるほど」


 ちいさく笑い、ヘインズは蓋の開いた昇降口(ハッチ)を指さした。


「では行くか。聖女殿が本来の任務を果たしてくれれば、我々の仕事も早く終わりそうだ」

「もはや隠密(おんみつ)でも何でもねーけどな」


 やれやれといった様子のルルゥに、ファン・ミリアは何も言わず、先頭に立って昇降口(ハッチ)の梯子を降りようとする。そこへ、


「私が先に行く」


 ティアは有無を言わさずファン・ミリアの前に割って入ると、船内へとその身を滑らせた。横目に抗議するようなファン・ミリアの視線を感じたものの、あえて気づかないフリをした。


 ◇


 船内は香水の香りが充満している。


 いま降りてきた梯子を中心に、前後に長い廊下が通してある。香水は人の臭い──糞尿(ふんにょう)の臭いを隠すためにちがいなかった。


「まだ下があるらしい」

「そこに人がいると?」


 ヘインズの問いにティアはうなずき、廊下を見渡した。


「人の臭気はもっと下からだが、この階にも気配はある。無数に」

「それって……やべーんじゃねーか?」 


 おそるおそる、といった様子でルルゥが前方を指さした。──船首のほうから、無数の影が、床を這ってこちらに向かってくる。


 蜘蛛だった。


 大量の蜘蛛の群れが、狭い通路を押し合い、洪水のように迫ってくる。


「ルルゥ!」


 ヘインズが叫んだ。「おう、まかせろ!」と、ルルゥは力強くうなずき返し、


「逃げるぞ、お前ぇら!」


 通路を逆に──船尾へと走りはじめる。


「……逃げるのか?」


 ティアとファン・ミリアの声が重なった。


「多勢に無勢だろ、やってられねーよ」

「お前たちも、早く走れ! ()み込まれるぞ!」


 当たり前のようにヘインズも続く。一瞬、顔を見合わせたティアとファン・ミリアのうち、


「追い返す」


 ファン・ミリアが蜘蛛の群れへと進み出ようとする。そのファン・ミリアの手首を、ティアが掴んだ。


「いや、だめだ。逃げよう」

「しかし──」

「早く」


 急かされ、しぶしぶファン・ミリアも走りはじめた。


「ルルゥ、どこまで逃げる?」


 ティアが声を投げると、


「知らねー! あの世までだ!」


 けけけ、とまったく頼りにならないルルゥの声が返ってくる。


「やはり──私が」


 ファン・ミリアが立ち止まり、振り返った。


「おー、やれやれ、やっちまってくれ」


 走りながらルルゥがやんやと喝采を送るのを、


「いや、サティではダメだ」


 ティアはファン・ミリアの肩を掴み、強引に身体を入れ変えた。自らの身体を蜘蛛の前にさらす。


 瞳を赤く光らせた。


串刺し刑(ナーシュラ・フゥゾ)!』


 十本の指が消失する。船内の床だけでなく、壁から、天井から、十本の黒い槍が突き出し、蜘蛛を次々と串刺しにしていく。


 蜘蛛から黒緑色の体液が飛び散るのを、ティアは素手で受け止めた。体液に触れた手から、肌を焼く痛みとともに黒い霧が立ち上る。


「ティア!」


 背後からファン・ミリアの声が響く。


「すぐ治る」


 串刺しになった蜘蛛を踏み越え、別の蜘蛛が続々と襲いかかってくる。


『──城へと続く深い森バール・オズ・ミィ・エルドゥ!』


 ティアは通路の全面に黒い霧を張った。霧のなかへと入っていった蜘蛛が、逆方向に戻るように出てきては別の蜘蛛と正面衝突をはじめる。


「いまのうちに……」


 言いながらティアが振り返ると、すぐ目の前で、ファン・ミリアが険しい表情を作っていた。今度はファン・ミリアがティアの手首を掴み、持ち上げる。


王城(ウル・エピテス)のときよりも、傷の治りが遅い」


 傷口から、くすぶったような細く黒い煙が上がっている。


「海上だからな」

「それなのに、なぜ吸血鬼の力を連発する? 弱っているのだろう?」

「弱っているのはサティも同じはずだ」

「答えになっていない」


 紫水晶(アメジスト)の瞳が強まった。


「力を使わずとも、もっと効率よく戦う(すべ)があるのではないか? なければ私が直接に手を下したほうが早い」

「ダメだ」

「……なぜ、私がティアの指示に従わなければならない?」

「危険だからだ」

「あの蜘蛛が(たば)になろうと、私の戦闘力のほうが優っている」

「それは知ってる」

「では──」

「でもダメだ。危険だ。──ぐずぐずしていると私の霧が消える」


 ティアはファン・ミリアの手を掴み返すと、ルルゥを追いかけて駆け出した。が、ファン・ミリアは踏みとどまってその場に残ろうとする。


 聖女の顔立ちに、苛立(いらだ)ちが浮かんでいた。


「納得のいく説明がなければ、従えない」

「説明はした」


 対するティアの表情にも苛立ちが浮かびはじめている。


「サティは駄々をこねている。子供みたいだ」

「その呼び方でその言い方はずるいぞ!」


 さっとファン・ミリアの(ほほ)に朱がさした。


「私は常に聖騎士団としての任を帯びている。無意味な敵前逃亡はできない」


 挑むようなファン・ミリアの瞳に、ティアはあきらめたように溜息をついた。逃げるように視線をはずし、


「危険だからだ……」

 先ほどと同じ言葉に、ファン・ミリアが言葉を発しかけた、その前に、

「……体液が」

「体液?」


 ファン・ミリアが眉根を寄せる。


「体液とは、蜘蛛のか?」

「そうだ」


 視線をそらしたままうなずくティアに、ファン・ミリアは呆れた。


「あんなもの、避ければいいだけの話だ」

「そうだな」


 不自然なほどあっさりとティアが認める。


「何だ? 何が言いたい?」


 ファン・ミリアは意味がわからない。すると、


「もし避けれなかったらどうする?」

「いや、避けれる」

「もしの話だ。もし避けれなかったらどうする?」

「ティア、くどいぞ。避けれるものは避けれる。戦士に二言はない」

「だから、もし、の話だ。可能性の話だ」


 今夜に限って、ティアが異常にしつこい。ファン・ミリアは根負けして、


「それは私が未熟のせいだ」

「じゃあ、ダメだ。危険だ」


 頭ごなしに言われ、さすがのファン・ミリアも怒りが込み上げてきた。


「ティアは私を侮辱(ぶじょく)しているのか」


 険悪な空気に、ティアがようやく、


「もし、蜘蛛の体液が……」


 と、説明をはじめた。ファン・ミリアはにらみつけるように、その続きを待つ。


「飛んで……」


 むすりとファン・ミリアはうなずき、続きを(うなが)す。


「貴女にかかると……」


 仕方なくファン・ミリアがうなずくと、


「大変だから……だ」

「……は?」


 ほとんど情報量が増えていない。


「いや、私は避けると──」

「だから……貴女の……」


 ティアは弱々しくもファン・ミリアを(さえぎ)る。


「美しい肌が……万が一にも……汚れてはいけないから……」

「な──」


 口を開いたまま、ファン・ミリアの動きが停止した。


 ティアはファン・ミリアの腕を掴み、駆け出した。


 ◇


「おーい、ここだここ!」


 通路奥で、ルルゥとヘインズが手を振っていた。ふたりの足元には、さらに下の階へと続く梯子がかかっていた。


「なんだお前たち、顔が真っ赤だぞ」


 ヘインズから指摘され、ティアがファン・ミリアの腕を離した。それぞれが顔をそらす。


 ふたりの様子を見て、ヘインズは声をあげて笑う。


「何があったのかは知らんが、仲が良いのはいいことだ」


 ヘインズとルルゥが先に降りる。ティアとファン・ミリアもふたりに続いた。ほとんど飛び降りるように下の階に着地した。が、落ち着く間もなく後続の蜘蛛も八本の脚をたたむように飛び降りてくる。


「しっつけーなぁ」


 後退しつつ、ルルゥが懐から小瓶(こびん)を取り出した。それを床に叩きつけて割ると、なかの液体が飛び散り、蜘蛛の動きがわずかに(にぶ)った。と同時に、ティアも顔をしかめた。


「聖水か……」

「お、ティアにも効いちまったか?」


 悪い悪い、と、ルルゥは笑いながら、


「せいぜい時間稼ぎ程度だな。──行こうぜ」 


 四人が、今度は船首に向かって走っていく。


「逃げるのはいいが、当てはあるのか?」


 ティアが訊くと、


「あるんじゃねーかな」


 適当な調子でルルゥが返してくる。そうして通路の突き当りの壁が見えた時、


「あったぜ」


 後ろの三人に立ち止まるよう指示する。


「結界だな」


 壁際の床には、さらに下の階に降りる梯子がかかっている。その手前、よくよく目を凝らして見ると、通路の天井から床まで、黒い光が格子状(こうしじょう)に張られていた。


「行き止まりか」


 ヘインズがしげしげと光の格子を眺める。


「ティア以外のな」


 言い、ルルゥは振り返ってティアを見上げた。


「こりゃ、退人処理ってやつだ。俺たち人間が気づかずに通れば光の刃に切り刻まれるが、ティアが通っても何も起らない」

「本当にか?」


 ファン・ミリアの問いに、「じゃ、試してやるよ」と、ルルゥが人差し指を光に触れさせ、それをファン・ミリアに示す。


 指の腹に、ごくちいさな切り傷ができていた。細い糸のような血が流れる。

「んで、次はティアな」


 ルルゥに促され、同じように指で触れてみるも、たしかに傷はつかなかった。


「ティアーナだけ先に進め、ということか?」


 ヘインズの質問に、ルルゥは「どうだろうなぁ」と腕組みをする。


「ちがうのか?」


 ティアが重ねて訊くと、


「ここには、おれがいるんだぜ?」


 言いながら、ルルゥは右手を結界にかざした。何事かをつぶやくと、その言葉に応じ、黒い光が徐々に弱まり、やがて完全に消えた。


「はい、終わり。こんなチンケな結界、おれが解けないわけねーんだよ」

「つまり、どういうことだ?」


 再びヘインズが訊くと、「うーんとな」とルルゥ。


「船内に入る前に、示威(デモンストレーション)があっただろ? おれたち四人を死人に見立てて、海に沈めるやつ。てことは、ここに来る面子(メンツ)も知ってるはずだよな?」

「たしかに」


 ヘインズがうなずく。「な」と、ルルゥは笑い、


「おれがいるのがわかってて、仕掛ける(わな)じゃねーんだ」

「しかし、さっき上甲板の昇降口(ハッチ)では私に対する退魔(たいま)処理があった」


 ティアが訊くと、「ありゃ、目的がちがう」とルルゥは断言する。


「あれの目的は、同士討ちだ。ティアが吸血鬼であることを明らかにさせて、おれたちに不信を芽生(めば)えさせるのが目的だったんだ。陰険(いんけん)な野郎だな、エクリは」

「……では、今回は?」


 ファン・ミリアの表情が不快をあらわにしている。


「普通なら、ティアひとりに行かせるのが目的なんだろうけどな。これがひっかけだとすると、おれたち全員が行ったほうがいい──ぐらいのことはエクリだって考えるだろうから、実は全員に行かせるのが狙いで、まとめて罠にかける、ってところじゃねーかな」

「では、私ひとりで行くのがいいのか?」


 ティアが一歩、前に出ると、


「待て待て」と、ルルゥがティアの服を掴んだ。


「もしおれがエクリなら、ぶっちゃけ、どっちでもいいんだ。罠ってのは無視されるのが一番つらいからな。ティアだけでも罠にかかれば成功だし、全員が罠にかかれば大成功だ」

「それは、つまり……俺たちにとっての行き止まりということではないのか?」


 ヘインズの質問に「そういうこった」とルルゥ。


「どうするつもりだ?」

「行き止まりなら、戻るしかねーだろ?」


 ルルゥが(きびす)を返した。


「しかし──」


 ファン・ミリアが瞳を鋭くさせる、後方から、蜘蛛の群れが再びこちらに迫っていた。


 それでもルルゥは笑みを崩さない。


「上じゃ、聖女のお手並みを拝見させてもらったからな。今度はこっち側(ノールスヴェリア)が見せてやるよ」


 言いながら、ルルゥはベルトの腰裏に挟んだ一本の(ロッド)を取り出した。


「最新の魔導(まどう)をな」

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