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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
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31 エクリⅡ

「あれか……」


 ティアの瞳が、ごくかすかに赤色を()びる。まだちいさいが、波の上の一点に影が濃い。


停泊(ていはく)している」


 ティアが告げると、「まちがいなさそうだな」とヘインズの(オール)を漕ぐ間隔が間遠(まどお)になった。音を立てず、一掻(ひとか)きを大きくする。


 船影(ふなかげ)がみるみる近づいてくる。


 巨大なガレー船だった。


 明かりは(とも)っていない。


「物見の兵は見当たらないが──」


 瞳を灰褐色に戻しながら、ティアは船尾(せんび)を指さした。縄梯子(はしご)が下ろしてある。


 ふぅん、とルルゥが楽しげに笑う。


「歓迎してやる、ってか」


 そこで、ファン・ミリアが口を開いた。


「私たちが来ることを予想していたらしい。罠が仕掛けてあると見るべきだ」

「かといって、ここで退散というわけにはな」


 悩むでもなく、ヘインズの口調は軽い。ティアを見て、


「どうする?」


 訊かれ、ティアは肩をすくめた。


「どちらでも。ヘインズが決めればいい。個人的には、エクリが何者かは気になっている」

「では──行くか」


 ヘインズは迷わず決断する。


 小船を寄せ、ティア、ルルゥ、ファン・ミリア、ヘインズの順に縄梯子を上っていく。


 甲板(かんぱん)に降り立ったティアは、素早くあたりを見回した。


 やはり人影はない。だが、


「人は、いる」


 空気を吸い込み、その臭いを嗅ぐ。ティアは大きく顔をしかめた。


「糞尿の臭いが強い。ひとりやふたりではない」


 床を見つめた。臭いは下甲板から流れてくるようだった。


「これだけの規模のガレー船だからな。人がいてしかるべきだが」


 ヘインズも甲板を歩きながら、異常がないかを確認している。同じように歩いていたファン・ミリアがピクリと反応し、立ち止まった。


「サ──」


 呼びかけたティアもすぐに気づいた。船外から、波音に混じってかすかな物音がする。


「こっちだ」


 ファン・ミリアが足早に船尾へと戻りはじめる。短い階段を上り、操舵室(そうだしつ)を抜けると、そこにはティアたちが上ってきた縄梯子がかけられている。


 その下には……。


 ティアたちの小舟が漂っている。


 ファン・ミリアの表情は(けわ)しく、瞳は(まばた)きもせずその光景を凝視(ぎょうし)していた。

 

 小舟には四人、いずれも見知らぬ男たちが乗せられていた。

 

 動かない。


 すべてが死体だった。


 無理やり押し詰められたように、足や腕が船縁(ふなべり)からはみ出し、ドロリとした粘液(ねんえき)が付着している。損傷(そんしょう)がはげしく、酸で溶かされたようにあちこちが黒く焼け(ただ)れ、欠損している部位もあった。服装から判断して、どうやら漁師らしい。


『……お前たちの成れの果てだ』


 言葉なき死体がそう伝えてくる。


 常人であれば取り乱してしかるべき状況である。にも関わらず、


「こえーこえー」


 その言葉とは裏腹に、恐怖や悲壮感がまったく感じられない声。


 ティアのすぐ隣、柵の上に、いつの間にかルルゥが腰かけていた。さらにその隣では、ヘインズが身を乗り出して小舟に視線を落としている。


「殺されてから数刻は経っているな」

「だな」

腐蝕(ふしょく)の理由が気になる。調べてみるか」


 縄梯子を降りようとするヘインズに、ティアが声をかけた。


「やめたほうがいい」


 なぜだ、という表情を向けてくるヘインズに、


「あれは、人の仕業じゃない」

「わかるのか?」

「たぶん」


 ティアは瞳の動きで小舟を示す。


「ヘインズは、梯子に()(つな)を結んでいたな」


 ああ、とヘインズがうなずく。


「間違いなく俺が結んだ。そう、外されているな。切られたか」


 鋭利(えいり)な刃物で切られたように、縄が、海面に頼りなく浮かんでいる。よすがを失った小舟は波に揺れながら離れていき、やがて、音もなくゆっくり沈んでいく。


 四つのあわれな死体を乗せたまま……。


 波音だけが残った。


 ファン・ミリアが、ルルゥを見た。


「これは詐術か?」

「どうだろうなぁ」


 ルルゥはうなって首を傾けるも、表情はニヤついている。


「魔術の力はあんま感じなかったけどなぁ」


 ファン・ミリアはしばらくルルゥを見つめていたが、あきらめたように甲板へと視線を映した。


「いずれにせよ。私たちは帰りの足を失った」

「その問題もあるけどな」


 ついてこいよ、と今度はルルゥが先頭に立ち、甲板を進んでいく。


 中央あたりでルルゥが屈み込んだ。肩越しティアが覗くと、床に取りつけられた四角い木の(ふた)に、真鍮(しんちゅう)の取っ手がついている。


「下へ降りる階段か」

「まだ触るんじゃねーぞ」


 こちらに横顔を見せるルルゥが、意味ありげに笑う。


「こりゃ、ティア用の罠だ」

「私の?」

「退魔処理ってやつだ。ティアが触ると腕が吹っ飛ぶ仕掛けだ」


 言いながら、ルルゥが蓋に手のひらを押しあてた。すると、触れた部分から青白く輝く紋様(もんよう)が浮かび上がってきた。


「解呪するぜ」


 ルルゥの言葉をきっかけに、光が弱まった。じき、光とともに紋様(もんよう)も消えて見えなくなる。


「できたぞー」


 腰を叩きながら身を起こし、ルルゥが振り返ってくる。それを待ち受けるように、ティアの赤い瞳が輝いている。


「──おろ?」


 ルルゥの瞳が、()き込まれるようにティアの瞳に釘付(くぎづ)けになった。


「どうした、ルルゥ?」


 異変を感じ取ったヘインズの髪を、風が(あお)った。


「……なるほどな」


 ヘインズは瞳だけを下に向けた。首元に、ファン・ミリアの剣が突きつけられている。


「良い連携(れんけい)だが──理由は?」


 ファン・ミリアは答えず、ティアを示した。ティアは瞳を見開いたまま、


「ルルゥ、お前はなぜ私を知っている?」


 まずティアが違和感を覚えたのが、


『照れてるんだな。おれにチチを()まれて女に目覚めたんだな』


 という言葉だった。単純に考えれば『大人の女として目覚めた』という意味に取れるが、もうひとつ、ティアに限っては『男から女に目覚めた』という意味にも取れる。


 とはいえ、これだけで判断することはできない。しかし、つい今しがたの『退魔処理』の罠について、ルルゥは『ティア用の罠』と明言した。


 ルルゥは、ティアが人外であることを知っている。


 であれば、ティアが吸血鬼となった経緯(いきさつ)を知っていてもおかしくはない。


「おれは……」


 ルルゥは、魂が抜かれたようにティアに見入っている。


「お前を……」


 口が、見えない力に操られたように動く。


「東ムラビアの……」


 核心に触れようとした、その時、見開いたティアの瞳に動揺が走った。


 ──なんだ?


 ティアは(まばた)きを繰り返す。


 視界に映るルルゥの像が、揺れている。前に近づき、うしろに遠ざかり、天地がぐるりと一周する。


 揺れるルルゥが、けけ、と甲高(かんだか)い笑い声を上げた。


「自分の力を自分で喰らうと、めちゃ気持ち悪いだろ? 特に精神系はな」

「貴様……」


 立っていられなくなり、ティアはその場に膝を落とした。 


 こちらを見下ろしてくるルルゥの笑い顔が、何重にも浮かんでいる。


「おいおい、仕掛(しか)けてきたのはそっちだろ? つーかよ、そんなチンケな力で俺を操ろうなんて、ガッカリしちゃうぜ」

「ティア──!」


 ファン・ミリアが足を踏み出しかけると、


「いいのか、俺から目を離しても?」


 剣を突きつけられながら、ヘインズには余裕がある。ファン・ミリアが横目でにらむと、ヘインズは嘆息(たんそく)しつつ、笑う。


「そう目くじらを立てるな。俺たちに敵意はないと言ったはずだ。──すくなくともいまのところはな」


 それでもファン・ミリアがにらみ続けると、


「こう見えて感謝しているのだぞ」


 ヘインズは笑顔を返しつつ、「ルルゥ」と声をかけた。「へーへー」とルルゥが指を鳴らす。それを合図に、ティアの視界が回復した。


「俺にちょっかい出すにゃ、まだレベル不足だな」


 言って、こちらに手を差し出してくる。ちいさな、子供の手だ。ティアはその手を取らず、自力で立ち上がった。逆に見下ろすと、「お」と、ルルゥは一瞬、不意(ふい)をつかれた表情を作り、すぐに笑みを浮かべる。


「負けず嫌いだなぁ、ティアは」

「……私が吸血鬼だと知っている。その上で近づいてきたのか?」

「それはあっちに聞きな」


 ルルゥはヘインズに視線を送る。すると、


「吸血鬼だからではない」


 ヘインズがきっぱりと答えた。


「吸血鬼だからではない?」


 疑問が、ティアの顔にありありと浮かぶ。


「では聞くが、ティアーナよ。吸血鬼がお前の本質なのか?」


 問い返され、ティアが息を()んだ。ヘインズはにやりと微笑(わら)い、


「ただの吸血鬼であれば興味など持たぬ。お前は、お前が考える以上に異質な存在であることを自覚すべきだ」


 それにな、と付け加える。


「吸血鬼であれば無条件に悪で、人であれば正義が担保されるというわけでもあるまい」


 ティアは言葉を失った。ティアだけでなく、ファン・ミリアまでもが驚いた表情を作っている。


「すべては心底(しんてい)が決める。そうでなくては……いや、そう思わねばこの世は退屈に過ぎ去っていくだろう」


 ふたりからの視線に、ノールスヴェリアの男は胸を張った。


「俺は、熱くたぎるものが欲しいのだ。この命さえも燃やしてな」


 自信に満ちた瞳でもってティアを見つめ返してくる。ルルゥは「あー、むさ苦しい」とうんざりした様子で、


「どうでもいいけど、呑気(のんき)にお話してる時間はなさそうだぞ」


 腕を振り、ヘインズにむかって『退がれ』の合図を送る。解呪したばかりの蓋の取っ手を掴み、開いた。


 瞬間、黒い霧が噴き上がるように空中へと舞い上がった。


「さてさて、玩具(おもちゃ)箱から玩具が飛び出してきやがった」


 頭上を振り(あお)ぎながら、ルルゥが嬉々(きき)として両手をこすり合わせる。


「人外か」


 ティアもまた宙空を見上げた。


蜘蛛(くも)……」

 

 霧が、八本の脚をつくりはじめていた。

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