表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
175/239

29 月とアメジストⅡ(裏)

 ムズムズする。


 ファン・ミリアは、寝台の端に座っていた。


 両手を膝に置き、はぁ、と溜息をついて……それから、下唇(したくちびる)を噛んだ。


 キスをしてしまったので、ムズムズする。


 唇が。


「なぜ……」


 背中から寝台に倒れ込んだ。「なぜ……」と、右に転がり、「なぜ……」と左に転がる。また仰向けになって、両腕で唇を隠した。


「なぜ、私はあんな大それたことを……」


 してしまったのか。


 ちがうんだ、とファン・ミリアは誰にともなく言い訳する。


 ──キスなんて、するつもりはなかった。


 こう……なんと言えばいいか。


 ティアがタオに見えたのだ。


 膝枕(ひざまくら)をされて、はげましてもらった。


 ……恥ずかしかった。


 けれど、嬉しかったのだ。


 神託の乙女だ、救国の聖女だと言われながら、他人を傷つけてばかりだった自分が、誰かを救うことができるのだと認めてもらえた気がして。


 嬉しいから、色々な顔が見たくなって、からかいたくなって。


 すぐムキになるのが、かわいくて。


 そうしたら、とても愛しく思えて。


 かっと、ファン・ミリアが紫水晶(アメジスト)の瞳を見開く。


 ──キスが、したくなった! 


 というか、気がつくとしてしまっていた。断りも入れずに。


 ティアが怒るのも当然だ、と思う。


 そもそも、キスとは男子からするものであって、女子から率先(そっせん)してするものではない。


 ──神託の乙女たるこの私が、相手に不意打ちを喰らわせるなど。


 恥じらいが大事なのだ、恥じらいが。


 ひとりの女として、そこまではちゃんとわかるのに……。


 不意打ちしたくせに負けたのでは話にならない。


 あるまじき失態である。


「いや、勝つか負けるとか……」


 ファン・ミリアは自嘲(じちょう)する。


 ──この期に及んで、私は何を言っているのか。


 身体を起こした。


 キスをして以来、ティアとはぎこちない日々が続いている。こうなったのは自分に非があるし、それを認めるなら謝らなければならない。


 ファン・ミリアは立ち上がった。


 敢然(かんぜん)とドアまで歩き──急速にターン。


 寝台の端に座る。


 ふぅ、と大きく息を吐いて、再び立ち上がった。


 今度はドアではなく、鏡に向かう。


 鏡に映る自分の顔はひどく緊張して強張っていた。


 ──戦場に赴く戦士のようだ。


 鏡に映る自分が苦笑する。


 謝らなければいけない。でも、謝るだけではいけないのだ。


 今後もティアと良好な関係を続けるなら、相応の努力(・・・・・)をしなければならない。


「……いくぞ、ファン・ミリア」


 自分に言い聞かせ、唇の両端に指先を当てた。にぃ、と横に引っ張る。無理やり笑顔を作ってから、指を離し、表情を消した。顔中の筋肉を動かした。怒った顔をして、表情を消して、またにっこりと笑う。


 ほら、できる。


 ──私とて、それなりに笑えるのだ。


 笑顔のまま、鏡に顔を寄せていく。


 よくよく見れば、捨てたものではない……のではなかろうか。


「よし」 


 つぶやき、背筋(せすじ)を伸ばした。手早く服装の乱れを直し、髪も整えた。


 鏡に、顏の左側を映し、右側を映し、正面を向く。


 両手を腰に当て、ポーズを取る。


「よし……!」


 かわいい、けっこうかわいい……かもしれない。ちゃんと鍛えているし、無駄な肉はないし、プロポーションだって悪くない……かもしれない。


 すくなくとも過去、ルクレツィアに褒められたことがあったから。大丈夫。


「よし──」


 いざ、とばかりに立ち上がり、ドアの前に立つ。その時、


『妙な遊びをしているな』


 今夜もヘインズが訪ねにきたらしい。居間から話し声が聞こえてくる。


 ──ええい、間が悪い!


 出鼻(でばな)をくじかれ、ファン・ミリアは苛立(いらだ)つ。そんな苛立(いらだ)つ自分に愕然(がくぜん)とした。


 自分の感情に振り回されている。


 冷静になれ、そう口のなかでつぶやく。


 ヘインズに応対して、その後でゆっくりとティアと話す。謝って、ぎこちない空気を払拭(ふっしょく)してしまおう。


 ──自然に、自然に。


 ファン・ミリアはドアノブを掴み、開く。


「……サティは、友人ではないのかもしれない」


 落ち着けた心のなかに、さざ波が()った。動悸(どうき)がして、ファン・ミリアは拳を握りしめた。


 平静な表情を作った。つい先ほどの百面相とは逆に、顔の筋肉を硬く……石膏(せっこう)のように硬くする。


 ファン・ミリアはティアをちらりと見た。そうしたほうが自然な動きに見えると思った。すると、ティアはどこか気まずいような、強張った表情で顔をそらした。


 ファン・ミリアはすぐにヘインズに身体を向けた。自分のせいでティアを気まずくさせているかと思うと、やるせなかった。


「……ヘインズか。何かわかったのか?」


 ファン・ミリアは席にはつかず、いますぐにでも寝室に戻りたい気持ちを無理やり封じ込め、なんとかドア横の壁に背中を預けた。


 ヘインズの話を追うことだけに集中した。それなのに……。


 明日の取引の話。


『エクリ』の話。


 ティアとヘインズが話を進めるうちに、言葉がファン・ミリアの耳を素通りしていくようだった。


 ──友人ではない。


 どれだけふたりの会話に集中しようとしても、その言葉ばかりが頭の中を回っている。


 (とげ)()み込んだように、胸が痛んだ。


 そして、ヘインズから助力を()われた時──


 ありえないことに、ファン・ミリアは自分の立場を考えていなかった。


「その言い方では彼女は動けない」


 ティアがヘインズに告げるのを、ファン・ミリアは内心でひやりとした。だから重ねて乞われた時、


「心(づか)いには感謝するが、やはり私の一存では動けない」


 ごまかすようにそう答えた。答えながら、いかにもしかつめらしい表情を装っている自分が、滑稽(こっけい)でならなかった。


 ファン・ミリアは逃げるように寝室へと戻った。


 ドアを閉じ、力のない足取りで寝台の端に座り、すぐに仰向けに転がった。


 もう、鏡を見る気にはなれなかった。


 ひどい顔にちがいない。


 ついさっき、笑顔などを作っていた自分はなんだったのか。あんなに浮かれた気分で、自分はティアに何を言うつもりだったのだろう。


 そのまま指一本動かさずに横になっていると、やがてヘインズが居間を出ていく気配がした。


 ファン・ミリアは動かない。すると、今度は寝室のドア越しに、気配を感じた。ファン・ミリアの上半身が()ね起きた。


「もう寝てしまったか?」


 ごく(ひか)え目に聞こえたティアの声に、数秒あけて「いや」と、ファン・ミリアは答えた。声がかすれないよう、気をつけながら。


「サティに頼みがあるんだが」


 ファン・ミリアが無言でいると、


「明日の取引にサティもついてきてもらいたい。ヘインズは悪人とは思えないし、学ぶところのある男だが、信用できるかどうかはわからない。相手が何かを企んでいた場合、二手に別れているのは避けたほうがいいと思う」


 ファン・ミリアが応えるよりも先に「もちろん──」と、ティアは続けて、


「ヘインズの要請(ようせい)を断った以上、サティは何もしなくていい。あくまで私を見張るという名目で、たまたまその場に居合わせた。何より私の監視を優先した。それでいい」

「……そう、だな」


 つぶやくようなファン・ミリアの返答が聞こえたのか、ティアがドアから離れていく。


 ふ、と。


 ファン・ミリアの唇から弱々しい笑いが漏れた。


 ──私は、ティアのどんな言葉を期待したのか。


 あの夜以来、ティアとまともに会話したのはこれがはじめてだった。


 いや、とファン・ミリアは思い直す。


 果たしてこれはまともな会話といえるのだろうか。扉を隔て、対面さえせず。


 寝台の端で両膝を抱える。ぼんやりと、正面の壁を見つめた。


『友人ではない』


 ティアの言葉が泡沫(あわ)のように浮かんでくる。


 心にさざ波が立つようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ