28 月とアメジストⅡ (表)
レム島。
領主の館、客室にて。
椅子が、ゆらゆらと揺れている。
ティアが座っている。物思いにふけりながら、その身体が揺れている。傾いた椅子は一本の脚だけで支えられ、ティアはバランスを取り続けていた。
「妙な遊びをしているな」
顔を上げると、戸口にヘインズが立っていた。黄褐色の瞳に灰がかったブロンドを持つ、正体不明のノールスヴェリア人。
「考えごとだ」
ティアが無表情で応えると、
「それは邪魔をしたな」
まったく悪びれない態度で、ヘインズは居間の長椅子に腰を下ろした。
一日目の夜に用意された高級旅館は、仮面をかぶった闖入者によって爆破されている。もう襲撃はないだろうというヘインズの読みに対し、ファン・ミリアは万が一のことを考え、襲撃に備えやすく、かつ、民間人に迷惑をかけない場所を、ということで用意されたのがこの室だった。
旅館ほどではなないが、寝室と居間が別れており、掃除も行き届いている。領主が質朴なのか、無駄な装飾がないのもかえってティアには過ごしやすかった。これでバルコニーがあれば言うことはないが、小窓を開ければ外気を吸えるのでよしとする。
襲撃の聴き取りのため、すでにヘインズは何度もこの室に訪れている。
「ヘインズは閑職なのか?」
ティアはバランスを取り続けている。ヘインズはこちらを興味なさそうに見流し、
「椅子で遊ぶほどではない」
言い返され、ティアは口をへの字にした。
「私が暇なのは、そっちに付き合っているからだ」
蛇のギルドの情報が出てくるまでは、レム島にいてもらいたいというノールスヴェリア側の要請を請けてのことだった。
「そんなことはわかっている。お前のそのダレた格好はどうかと言っているのだ。俺がこの室に訪れるたび、お前の姿がぞんざいになっていくぞ。年頃の娘が」
ティアはさらに唇を曲げた。
「……それは私ではなく、普通の娘に言え」
言ったものの、たしかに寝起きのままろくに着替えもしておらず、裸足だった。これが男だったとしても、客人を迎える格好ではない。
とはいえ、である。
暇すぎたため、ティアは髪の毛を編み込む練習をしていた。髪質のせいか、指がすべってなかなかうまく編み込めなかったのが、今回は自信作である。
ティアは首を振った。ふふん、と得意げに髪を見せつけてやると、
「──だから何だ?」
ヘインズにはまったく伝わらなかった。
「……」
ティアは何事もなかったかのように髪をほどきながら、
「私は女心など知らないし、持っていないし、わかって欲しいとも思わないが、ヘインズは女心がまったくわからないらしいな。モテないだろう?」
「言っている意味がさっぱりわからん」
言下に切って、ヘインズは寝室のドアに顔を向けた。
「聖女殿はもうご就寝か?」
「知らない」
硬い口調で答えると、ヘインズは苦笑した。
「お前たち、まだ喧嘩をしているのか」
「喧嘩などしていない」
「同じ空間にいる時もお互いに目を合わせず、口も利かず……これが喧嘩ではないと?」
「そうだ」
「はじめてお前たちに会った時、かなり親密に見えたのだがな」
ティアが答えずにいると、ヘインズはこちらの反応を楽しむように、ゆったりとした姿勢でティアを見つめてくる。
「……何だ?」
居心地の悪さをごまかすようににらむと、「いや」と、ヘインズは軽く笑う。
「お前は、聖女殿の友人なのか」
訊かれ、どうだろう、とティアは考えてみる。
タオ時代、ファン・ミリアは雲の上の存在だった。憧れである聖騎士団長ジルドレッドと同列にいる人だと見なしていたし、間違っても気安く話ができる相手ではなかった。
では自分としては……?
人外の化け物たる吸血鬼としてなら、ファン・ミリアはまちがいなく敵対すべき存在なのだろう。
だが、彼女は自分を吸血鬼としては見ていない、いや、見ないようにしてくれている。本人がそう言っていた。
「友人……」
ティアが友人としてすぐに思いつくのはカホカだが、ファン・ミリアとの関係はカホカほど単純ではない(と、ティアは思っている)。
──それ以上に……。
ティアはしばらく考え込んでから、
「サティは……友人ではないのかもしれない」
声を落として言った。敵対しているからではない。自分が吸血鬼で彼女が聖騎士だからという意味でもない。
もっと別の理由からだった。
ちょうどその時、寝室のドアが開いた。ファン・ミリアが出てくる。まだ起きていたのか髪型に乱れもなく、服装もきちんとしている。顔を強張らせたティアにちらりと視線を走らせ、すぐに身体ごとヘインズを向いた。
「……ヘインズか。何かわかったのか?」
ファン・ミリアは席につかず、ドア横の壁に背中を預ける。ヘインズは何かを訴えるようにティアを見るも、ティアはティアで反対の壁を向いている。
「お前たち、ずっとそんな調子で飽きないのか?」
しかし、ふたりとも黙り込んで答えない。ヘインズはやれやれと首を振った。
「喧嘩はほどほどにしておけ」
「喧嘩などしていない」
ふたりの声が重なった。
「気が合うのか、合わないのか」
苦笑しつつ、まぁいい、とヘインズは言って、
「収穫はあった」
ふたりの視線がヘインズへと集まる。
「ティアーナに捕まえてもらった蛇の一員が白状した。明日の真夜中に、レム島沖で取引する予定だったらしい」
「取引?」
ティアが訊くと、
「人を買い、人を売る」
「ノールスヴェリアで買って、東ムラビアで売る?」
いや、とヘインズはちいさく頭を振って、
「語弊があったな。蛇とは別に人を売る集団がある、という意味だ」
「蛇とは別組織ということか。名前は?」
「──エクリ」
不吉なものを口にするように、その表情は苦い。
「エクリ? 何者だ?」
「何者だろうな。存在している何者か、ということしか」
「個人か? 集団か?」
ティアが重ねて訊くも、ヘインズは「わからん」と、この男らしからぬ深い溜息をついた。
「便宜上の呼称と思ってもらえばいい。過去の情報から、蛇と取引をするのは『エクリ』ということになっている。だが、蛇の一員でさえエクリについては知らぬ者も多い」
「そもそも蛇と同一の集団という可能性は?」
「実体さえ把握できていない状態だからな。否定はできん。が、蛇がノールスヴェリアと東ムラビアで活動しているのに対し、エクリの活動範囲はさらに広く、別の国にも出没している。出没といってもエクリと書かれた文書を見つけた、という程度の情報だが」
「……書かれたもの、か」
ティアがつぶやく。椅子の四本の脚すべてが、カタリと床に接地した。
「明日の真夜中に、そのエクリの正体がわかるのか?」
「それを我々は期待している。が、過度な期待はできまい。空振りに終わることもあり得るし、仮に出てきたとしてもエクリは蛇以上に謎が多く、危険だ。──そこで、お前たちに助力を願いたいのだが?」
ヘインズは壁際のファン・ミリアを見た。
「こちらも相応の手練れを揃えているが、戦力は多いに越したことはない」
ファン・ミリアは腕組みをしたまま答えない。
「相応の対価は払う。ノールスヴェリアと東ムラビアの共同戦線ということだ」
「その言い方では彼女は動けない」
ティアが口を挟むと、
「たしかに」
ヘインズもすぐに理解したらしい。
「失言だった。協力してもらう以上、この話を公にするつもりはない」
ファン・ミリアは、首を横に振った。
「心遣いには感謝するが、やはり私の一存では動けない」
正式には、ファン・ミリアが動くには聖騎士団長の命が要る。
「そうか」
ヘインズはうなずく。さして落胆するようにも見えなかった。
話の区切りがつくと、ファン・ミリアは腕組みを解いてさっさと寝室に戻っていってしまう。
ティアはその背中を見送ってから、
「断った場合、私たちはどうなる?」
「どうもならん」
きっぱりとヘインズが言った。
「明日の状況次第だが、お前たちは解放されることになるだろう。どこへなりとも行くがいい」
「本当に私たちを滞在させることだけが目的だったのか」
やや拍子抜けした気分のティアに、ヘインズがうなずいた。
「他にも理由がないわけではないが、おおむね目的は果たされている」
「他の理由とは?」
期待せずに訊くと、案の定、「さて」とヘインズはとぼけてみせる。
ティアはすこし考え、
「私でいいなら、明日の取引に同行しよう」
自ら申し出ると、ヘインズはかすかに眉を持ち上げた。ティアは笑い、
「私では不服か?」
「いや、助かる」
しかし、とヘインズ。
「なぜ手伝う気になった? 金か?」
「私はまだ、ヘインズが何者かを知らない」
この男は、ティアとファン・ミリアがレム島にいつ到着したかを知っていた。この不可解さに加え、ヘインズという人物を、ティアは依然として測りかねていた。
堂々としている。
それが様になってる。
何よりティアが不思議に思うのは、この男に頼みごとをされると、力になってもいいか、と思えることだった。
まちがっても礼節を重ねた頼み方ではない。下手に出るわけではなく、どちらかといえば居丈高に感じる物言いが、この男の口から発せられるに限って、嫌な気がしない。
──妙な男だ。
腕は立つのだろう。流水を思わせる動きを身につけている。
しかし、傭兵にしては自己を売り込む気概に乏しい。
軍人にしては武張ったところがない。
──つまり貴族か。
レム島の領主との関係を見ても、それがもっともらしい推測に思える。思えるのだが、やはり何かがちがう。
改めて探るようにヘインズをうかがうと、目が合った。
「俺が何者か、気になるか?」
「気になる」
「わかる者にはすぐわかる」
「私にはわからない」
「それはお前が未熟ということだ」
正面切って言われ、ティアはむっとした。
「私が未熟なのは私が一番よくわかっている」
「それでいい」
ヘインズが口の端を上げた。
「この世に未熟でない者はいない。お前も、俺も」
「ヘインズも?」
「当然だろう。が、各々の持つ『器』には違いがあろうな」
「器?」
「器には形があり、大小がある。形は質か。気質のようなものだから、幼年期までにはある程度の形が決まってしまう」
ティアはうなずいた。
「一方、大小は変わる。人との出会いや経験によって器は大きくなったり──これが面白いところだが──小さくもなる。俺が学んだところによれば、器を大きくしたいなら、常に中身をいっぱいにしておくことだ」
「何を入れればいい?」
「人に決まっている」
「入れすぎて割れたらどうする?」
「割れん」
くっくとヘインズが笑う。
「入れすぎだろうが、入っている状態には変わらん。器のほうが追いついて大きくなる。が、入っていたものが勝手に出ていくことはある。器に蓋をすることもできぬではないが、蓋をした途端に器は小さくなり、中に入っていた者は圧死する。あるいは、中に入っていた者もまた小さくなってしまう」
「出ていく者には、どうすればいい?」
「何も。勝手に出ていった以上、居心地がよければまた勝手に戻ってくる」
「自信があるんだな」
「仕方のないことだからな。『来る者拒まず、去る者追わず』だ」
ふうん、と熱心に話を聞くティアに、ヘインズの瞳が和らいだ。
「面白いか、この話は?」
「面白い」
「お前は人に興味があるらしい」
「これまで、私は人を見なかった」
「それが旅をする理由か?」
「一度、故郷に帰る」
「場所は?」
ティアは一瞬ためらったものの、「シフル」と答えた。これは直観に近い。
「聞かぬ土地だ」
「東ムラビアの、村に毛が生えたようなちいさな街だ。知らないだろうな」
「美しい場所か?」
「私の目には」
「領主の娘か?」
ティアは無言のまま、けれども否定をしない。ヘインズはどこか納得したような顔をした。
「お前の器の形は、悪くないのだろう」
「わかるのか?」
「素直な人間の器は、素直にできている」
「曲がった人間の器は曲がっている?」
「無論だ。曲がった器に入る人間もまた曲がっている。道理だろう?」
「ヘインズが何者かを、私は知らない」
「言わぬのではなく、言えぬのだ。俺が何者かを知りたければ、お前自身に問いかけるのが早い」
「私自身に……」
つぶやいたティアに、ヘインズは含み笑いを漏らす。
「だが、俺は俺でお前の正直さに応えねばな」
ヘインズは言って、
「俺は、お前と聖女殿がレム島に上陸したことを知っていた。花街で会ったのは偶然ではなかったということだ」
「だろうな」
ティアの薄い反応に、ヘインズもさして驚いた様子を見せない。こちらが疑っているのはすでに承知の上なのだろう。そして、
「俺が見ておきたかったのは、ティアーナ、お前だ」
「私を?」
さすがに意表をつかれ、ティアは自分を指さした。
「サティではなく?」
「名にし負うファン・ミリア=プラーティカは、評判通りといったところだな。お前のことは人伝に聞いた」
「……私をどう見た?」
「言ったはずだ。未熟だが、器の形は悪くない」
「ヘインズは敵なのか、味方なのか?」
「その質問は前にも訊かれたが」
「その時、ヘインズは『私とサティ次第』と答えた」
「では、お前次第、という答えに変えておくか。お前の器が大きければ味方、小さければ敵だ」
「逆ではなく?」
「つまらん味方など欲しいとは思わぬ。──いかんな、興に乗って話しすぎた」
ヘインズはそう言って長椅子から立ち上がった。
「なんにせよ、お前とは明日の夜までの付き合いになろう。しばしの別れとなるか、今生の別れとなるか」
ティアにむかって手を差し出してくる。
「何が起こるかわからぬゆえ、先に言っておく。助力の礼と、旅の無事を祈ろう」
「ああ」
ティアも立ち上がり、互いに握手をした。