27 出港
武器工房『ガルタ』。
まだ開店したばかりの店内にカホカが入っていくと、徒弟の少年が目に入った。こちらを背に掃き掃除をしている。
「うはよー」
と、気軽に声をかけて、カホカは目を丸くした。振り返った少年の姿を見て、
「あは……」
笑い声が漏れる。
「あはははは!! どうしたの、それ?」
笑いながら、少年の頭をなでた。つるりとした手触りが返ってくる。
少年は、頭を剃っていた。それはもうきれいに、髪一本残っていない。
「いや、だって」
少年は怒ったように視線をそらし、言った。
「カホカさんの髪、俺のせいで切らせちゃったわけだし」
お、とカホカの笑い声が止まった。
「詫びを入れたってこと?」
「まぁ……」
そっぽを向く少年を、碧眼が興味深そうに見つめる。
「アンタが髪切ったって、アタシの髪が伸びるわけじゃないんだよ?」
「知ってるけど……」
少年はためらいがちに「髪は女の命だって言うから」
「命なら、男のアンタが髪切ったところで割に合わないじゃん」
「……そうだよな」
ごめん、と少年が深々と頭を下げてくる。
──からかいすぎたかな。
カホカは頭を一掻きすると、少年の視界に入るように、後ろ手に持っていた『物』を差し出した。
鍛冶用の金槌だった。持ち手の部分にはリボンが巻かれている。
「これは?」
驚いた表情でこちらを見上げてくる少年に、今度はカホカが視線をそらした。
「トンカチ。リボンはかわいいかなと思って巻いてみた。──アンタにあげる」
言って、金槌を少年に手渡す。
「良さそうなのを買ったつもりだけど、無理して使わなくていいからね」
「なんで……俺に?」
意味がわからないといった様子の少年に、カホカは苦笑する。
「だって助けてくれたじゃん。お礼だよ」
「助けた?」
「守ってくれたじゃん」
「いや、俺は何も……」
「してないって? そう思うなら、この前のブリキ人形のお礼ってことにでもしておいて」
その時、「おう」と奥からボーシュが出てきた。冬眠から覚めた熊のように眠そうな目をしている。
カホカはあきれて、
「職人たるもの太陽とともに起きなければならない」
「お前の言葉か?」
言いつつ、「この前はすまなかったな」と、ボーシュまでもが謝ってくる。
「こいつが迷惑かけたってな」
「いや、ぜんぜん」
首を振ると、ボーシュがカホカの髪を指さした。カホカはさして気にする素振りも見せず、短くなった髪先を指ではじく。
「これは不覚傷みたいなもんだよ」
「だがな」
歯切れが悪いボーシュに、「そんなことよりさ」とカホカ。
「アタシ、しばらくゲーケルンを離れるから。その挨拶に来たんだよ」
「え?」
と、驚いた声を上げたのは徒弟の少年である。
「いつ戻って来るの?」
「さぁ、そんなにかかんないとは思うけど。知り合いがレム島にいるみたいだから、見つけて、また王都に戻って来る予定」
「そっか……」
明らかに意気消沈した少年の頭を、ボーシュの大きな手がぴしゃりと叩いた。「痛ぇっすよ!」と拗ねたように唇を尖らせる少年に、「さっさと掃除をしてこい」と店先へ追いやる。
不承不承、掃除をはじめる少年を窓越しに眺めながら、
「身内びいきかもしれんが、あいつは悪くない鍛冶師になる。助けてもらって礼を言う」
ありがとよ、とボーシュがちいさく頭を下げた。
「愛されちゃってさ」
窓の外は、いっぱいの光にあふれている。こちらに背を向けている少年を眺めていると、
「あいつ、どういうわけか、小遣いを全部つかってドワーフ語の本なんていうのを買ってきやがった。まったく、何を考えてんだか」
「ふーん……」
カホカは、ボーシュを見上げた。
「出かける間、篭手は借りてくよ?」
「好きにしろ」
「んじゃ、また」
「元気でな」
「おっさんも」
ごくごく簡単な別れの挨拶をして、カホカは店を出た。
掃除をしている少年が、背中を向けている。自分が出てきたのに気づいているくせに、何も言わない。そのくせ、カホカが話しかけるのを待っている。
──アタシは。
彼に対して、親しみなら持っている……とは思う。
でも、恋心ではないのだろう。
『好きな人は選べない』
レイニーの言葉は本当だ。好きになってくれた人を好きになれるなら、世界中の悩みの九割は解決するのに。
「……頑張ってね」
少年に聞こえないぐらいの小声で言って、カホカは踵を返した。
店から遠ざかっていく背後で、
「待ってるからな!」
少年が、大声を張り上げた。
「俺、世界一の鍛冶家になるから! 待ってるからな!」
カホカは、振り返らない。
かわりに、
「いや、迎えにこいよ」
と、ちいさくつぶやいた。
◇
ゲーケルン発、レム島往きの中型客船。
人混みでにぎわう甲板の上で、行儀よく手を組んだルクレツィアがひとり、群青の波間を見つめている。
旅装姿である。全身を包む外套から、編み上げのブーツだけがのぞいている。
「──青マントが恋しいかい?」
声に顔を上げると、レイニーが近づいてくる。
「青マント、ね」
ルクレツィアは唇を笑みの形にして、海へと目線を戻した。
「王都の人たちから見れば、ファン・ミリアは群青の人……海の彼方から来た青。けれど、私にとっては彼女がたまさか着た服の色でしかないの」
「あんた、奴とは昔馴染みなんだってね」
「ええ」
陽光をはじく水面のまぶしさに、ルクレツィアは瞳を細くさせた。
「物覚えつく頃には、私の側にはサティが──ファン・ミリアがいた。どちらから友達になりたいと思うよりも早く、気がつけば一緒にいたの」
瞳を細めたまま、レイニーを見やる。
「レイニー=テスビア、あなたは農民というものをご存知?」
「ご存知も何も、あたしも農家の出さね」
「そうなの」
ルクレツィアは表情をそのままに、
「農民って、色がないのよね。服は何度も洗って色落ちしてしまっているし、新品の服だってあっという間に土埃をかぶってしまう」
「そうかもしれないね」
「服だけでなく、髪も、瞳も、日々の疲れのなかで色褪せてしまうのね」
潮風に、ルクレツィアの髪が揺れる。
「私にとってのファン・ミリアも、あの頃のまま、まだ何色も身にまとってはいないの」
無言でこちらを見つめるレイニーに、「つまらないことを言ったみたい」と、ルクレツィアは苦笑する。
「忘れてください。これは愚痴なの」
「あんた、青マントが心配なんだね?」
そうね、とルクレツィアはうなずく。
「夜、眠れなくなる程度には心配ね」
「その必要がある相手とは思えないけどね」
「するわよ。彼女が私の目の届く範囲にいない時は、いつも心配」
「赤子じゃあるまいし」
レイニーが嘆息すると、「そうね」とルクレツィアは同意して、
「赤ちゃんなら揺りかごに寝かしておけるけど、あの人は自分で出て行ってしまうから余計に厄介ね」
その言葉に、レイニーがきょとんした顔を作る。が、次の瞬間、噴き出した。
「言うじゃないか」
ルクレツィアも、くすくすと口元を隠して笑っている。
ふたりの笑い声に、鐘の音がかぶさるように鳴り響いた。周囲のざわめきも大きくなる。出港の時間だった。
「おいおい、船が出ちまうじゃないか」
笑いを消してレイニーが顔を向けると、水主が渡し板をはずしにかかっている。
「カホカは──まだみたいね」
言ってすぐ、ルクレツィアが「あら」と桟橋を指さした。
「やっと来たみたい」
「おやおや」
レイニーは手で庇を作る。カホカが、何やら大声で喚きながら走ってくる。
「ダメだね。もう艫綱が解かれちまってるじゃないか」
全走力だが、船はすでに陸を離れている。人が飛び越えられる距離ではなくなっていた。
しかし──
「待てコラ!」
まるで距離を無視するように、カホカが桟橋から海へと向かって飛び出した。
「そりゃ、さすがに無理だ」
レイニーも肝が据わっている。どうにもできない以上、他人事の気分で見守っていると、空中で、カホカが背負いかばんから篭手を取り出した。
「なるほどね」
カホカの狙いを理解したレイニーの前で、篭手のワイヤーが発射された。鉤つきのワイヤーが後部帆柱に巻きつく。水しぶきが派手に舞い上がった。
「いぃやぁっほぉぉぉ!」
海面を切るように滑りながらカホカが絶叫している。
「……すごく楽しそうね」
あきれてルクレツィアがつぶやいた時、篭手のワイヤーが巻き戻され、追いついたカホカが船上へと引っ張り上げられてきた。
「レイニー!」
カホカに呼ばれ、「あいよ」と、レイニーが手すりから腕を差し伸ばしてやる。
ふたりの手がしっかりと握り合った時、
「ごめんね」
にひ、とカホカが笑顔を浮かべる。レイニーを、手すりの外側から引っ張った。
「──なに?」
レイニーは前のめりになるも、すぐに踏みとどまった。
「どういうつもりだい?」
さすがに不機嫌顔になって、ぎろりとカホカをにらむ。と──
「こういうつもりよ」
応えたのはカホカではなく、ルクレツィアだった。背後からレイニーの足を刈るように払う。
「く──っ!」
足をすくわれ、つんのめったレイニーが今度こそ手すりの外側へと放り出された。
「ばいばーい!」
レイニーの身体と入れ替わるように、カホカが甲板の上に着地する。直後、レイニーが海に落下する音が聞こえた。
「てめぇら! どういう了見だ!」
怒声を発するレイニーに、カホカは笑い返し、
「アタシとティアに恩返しする前に、やらなきゃいけないことがあるんじゃない?」
大声で言い、桟橋を指さした。
「……何の話だい?」
レイニーは海面に出した顔を、桟橋へと向ける。そこに、見覚えのある男がふたり──サスとディータが立っていた。
すでに船は遠ざかっている。仕方なく、レイニーは桟橋へと泳いで戻った。
「水も滴る、ってところだな」
サスが口の端を上げ、レイニーを引き上げた。
「……あんたたちもグルだったとはね」
低い声。怒りを隠すことなく、レイニーがサスをにらみ、ディータをにらんだ。どちらもレイニーの眼光にひるむことなく見返してくる。
「覚悟はあるようだね。──理由は?」
びしょ濡れになった服を絞りながら訊くと、
「レイニー、あんたの妹、エルベゼーテ=テスビアはノールスヴェリアにいる」
サスの言葉に、服を絞る手が止まった。レイニーの瞳が見開かれる。
「エルベが?」
「あくまで最後の消息が、という意味だが。本来であればここに売られるはずが、道中で別の買い手がついたらしい」
一瞬の沈黙のあと、「だから?」と、レイニーがサスに詰め寄った。有無を言わさずその顔面を殴りつける。サスが吹き飛ばされ、海に落ちていった。さらに視線を走らせ、直立するディータの腹に蹴りを見舞った。サス同様、巨体が海に落ちていく。
「それが、あたしが恩を忘れていい理由になるのかい?」
水面から顔を出したふたりの男を、レイニーが冷たく見下ろす。
「いや。あんたなら、まず先にティアとカホカを取るだろう」
早くも頬に痣を浮かべ、サスがレイニーを見上げた。
「よくわかってるじゃないか」
「だが、あんたにとっては妹がすべてだ。俺はそれを知ってるし、カホカには理解してもらった。あんたのために、ノールスヴェリアのキール港往きの直行便を取ってある」
かっと、レイニーが目を見開いた。
「誰が頼んだっていうんだい! ぶっ殺されたいのか!」
怒鳴りつけられてもサスは視線をそらさない。
「俺たちは俺たちで、あんたに恩を返したい」
はっと、レイニーが息を呑んだ。
「根無し草のチンピラに過ぎなかった俺たちが、居場所をもらった。アジトは放棄したし、ギルドは一時的に休止させたが、俺たちが居場所を失うことはもうねぇだろう」
「……」
「ティアがギルドの力を必要とするまで、あんたには妹を探してもらいてぇ」
「……」
「その時は、必ず帰ってきてもらう」
「……ディータも同じ気持ちなのかい?」
サスからディータへと顔を向ける。禿頭の大男は何も言わず、ただこちらを見返してくる。
しばらく黙っていたレイニーが、ふん、と鼻を鳴らし、
「手は貸さないよ。上がりたきゃ、勝手に上がってきな」
ふたりに背を向け、桟橋を戻りはじめた。