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カホカの目が据わっている。
「なんで?」
いたたまれない雰囲気のなか、「実は」とバディスが話しはじめた。
「ちょっと前に……その、寝てる時に、ですね。夢の中でティアさんに呼ばれたんです。声が聞こえたというか、そんな気がしたというか‥…自分でもよくわからないんですけど」
「夢は夢だろ? それが現実だってどうしてわかるんだ?」
カホカが何かを言う前にディータが訊いてやると、
「それは……なんとなく、としか。前にも一度、王城でお頭とカホカさんを逃がすよう頭のなかに声が聞こえたんだ。でも、今度のはそれよりずっと遠くて……でも、たしかに呼ばれた気がして……」
尻すぼみしていく返答に、ディータはレイニーを見た。寝椅子のレイニーはお手上げいった様子で両の手のひらを広げている。かわりにサスが口を開いた。
「お前とティアとの間のことにゃ、俺たちにはわからねぇ。そうだと言われりゃ、そうですかと信じるだけだ。──ああ、別にお前が嘘をついていると思ってるわけじゃねぇからな」
念押しするように言って、
「ただ、なんでレム島なんだ? それも『なんとなく』なのか?」
「そうとしか……」
やはり、バディスは声を落としてうなだれた。
「結局、そうなっちまうんだ。レム島ってはっきりわかるわけじゃなくて──、だいたいこっちの方角で、これくらいの距離だろう。で、そのあたりにはレム島ぐらいしかないから、レム島だろう……って」
「なんで?」
カホカがもう一度訊くと、
「いや、だからティアさんが──」
答えようとしたバディスに、「そうじゃなくって」と、溜息を吐いた。
「なんで知ってたの、じゃなくて、なんでアタシに言わなかったの、ってこと」
「それは……」
バディスはためらいがちに、
「カホカさんは怪我してたから……」
その言葉を聞くや、カホカは顔をうつむかせた。はぁぁぁ、と怒りを吐きだすように、さらに深く息を吐く。
「すいません……」
身を縮こませるバディスに、「謝らなくていいよ」と、カホカは応える。
「アンタに怒ってるわけじゃなくて、アンタにそんな心配をかけさせる自分が嫌になっただけ」
バディスを見ずに、言った。
「アンタが考えたことは、たぶん間違いじゃない。居場所を聞いていたら、すぐにでも飛び出していったと思うから……」
「殊勝じゃないか」
レイニーが気さくな口調でカホカに話しかける。
「心境の変化かい?」
「怪我を押して無茶しても、何もできなかったし……」
守りたいものを守れなかった。その思いが強くあった。たまたまシエラザードたちに助けられはしたが、それは運がよかったからだ。自分の実力ではない。完調であれば、怒りに我を忘れていたとしても、遅れを取る連中ではなかった。それ以前に、もっと早く異常に気づくことができたかもしれない。
──『月の雫亭』のおじいさんとおばあさんに、痛い思いをさせずに済んだかもしれない。
カホカは黙って目線を床に落とした。この悔しさを、顔に出したくなかった。
ファン・ミリア戦、イグナス戦、と激戦を重ねてきた。怪我を負ったこと自体は仕方なかったとは思う。思うけれど、悔しいものは悔しい。
この気持ちはとても大事だ。
仕方なかった、という言葉だけでこの悔しさを片付けてしまえば、自分はもう強くなれない。強くなる資格がない。
「まぁ、いいじゃないか」
レイニーが取りなして、言った。
「そんなに思い詰めなくても。結果的に誰も不幸にならなかったんだからさ」
「わかってる」
終わったことをくよくよ考えたところで仕方がない。反省するなら今後に活かすしかないし、そう思うならバディスを怒れない。
「言わなかったのはいいよ。アタシのせいでもある」
最後に、ふ、と息を吐いてから「でも」とカホカはバディスに顔を向ける。
「ちょっとした問題が起こるかもしれない」
「問題……ですか?」
そお、とカホカはうなずき、
「アンタさ、もしかしてなんだけどさ、ルクレツィアを屋敷に送っていく途中で、誘われなかった? 屋敷でお話しませんか? とか」
「……え? どうしたんです、突然」
バディスの目が泳いでいる。
「図星か」
カホカは苦笑した。
「だから機嫌よかったんでしょ? シエラザードにやられても」
「……そ……えぇ?」
あからさまな動揺が、事実であることを伝えていた。カホカはやや意地の悪い笑みを浮かべ、説明してやる。
「なんでわかるかっていうとさ、アンタがティアの居場所が知ってることを、アタシとルクレツィアが知ったのは同時だから。『月の雫亭』で、ルクレツィアがアタシに『ティアの居場所を知ってるか』って訊いたでしょ? その時、アンタは寝台で寝転がってたけど、まだ起きてたんだね。ルクレツィアの質問を聞いた時、アンタの寝息がぴたっと止まったんだよ」
「それは……」
何かを言いかけたバディスが、観念したように息を落とした。
「……気づいてたんですね」
もう認めるしかないといった様子だった。まぁね、とカホカは笑う。
「その時は、もしかして、くらいの感じだったけど……いまアンタの話を聞いて、やっぱり気のせいじゃなかったんだなって」
「すいません……」
平謝りしてくるバディスに「だから怒ってないってば」と繰り返し、
「問題はさ──」
カホカが言いかけた時だった。部屋のドアを叩く音がした。ディータが返事をすると、ギルド員らしき男が駆け込んでくる。
「お頭、いま上の階に変な客がきた。『カホカに会いたい』と伝えてくれと言っている」
「カホカに?」
レイニーをはじめ、部屋の視線がいっせいにカホカに注がれる。
対するカホカは驚くどころか、
「んね」
と、そうなることがわかっていたと言わんばかりに眉を上げてみせた。意味がわからないバディスは、返答に困って視線をさ迷わせている。
そして、ギルド員が告げた。
「そいつは、ルクレツィアと名乗ってる」
◇
「ここが暗殺ギルドのアジトだったなんてね」
給仕服姿のルクレツィアは興味深そうに頭を動かしている。
「ルクレツィアの特技が尾行だってこと、完全に忘れてたよ」
やや疲れた面持ちのカホカに、「あら、ご挨拶ね」とルクレツィアは笑顔を崩さない。
「必要だからするだけで、別に特技じゃないわよ」
「はいはい」
と、ギルド長の部屋に通す。カホカの後を、ルクレツィアが軽く一礼をして続く。いつも通り背筋を伸ばし、手を組む姿勢はいかにも堂に入っていた。
レイニー、サス、ディータ、そして部屋の隅にはバディスが居心地悪そうに座っている。ルクレツィアはすぐにバディスに気づくと、目元を柔らかくさせた。
「──余裕があるじゃないか」
寝椅子に座るレイニーが、ルクレツィアに声をかけた。カホカに話しかける時のような親しみがまったく感じられない、攻撃的な声音だった。
「余裕なんて」
ルクレツィアは肩をすくめてみせる。その様子を、サスが細大漏らさず見つめている。眼光の鋭さを隠すことさえしない。
義賊とはいえ、暗殺ギルドのナンバー1とナンバー2である。長年、蛇と渡り合ってきた度胸と警戒心は伊達ではない。
「用件を聞く前にひとつ言っておくけどね」
レイニーが薄い笑みを浮かべる。自分の身体に巻いた包帯を示し、
「あたしは、青マントにはうらみが身に沁みてる。せいぜい言葉には気をつけておくれね」
「覚えておきます」
姿勢をそのままにルクレツィアが答える。レイニーは「それじゃ」と、
「まずは隠し持ってる武器をお出し」
「あら、武器なんて」
心外といった顔つきのルクレツィアに、カホカが横から口を挟んだ。
「この前はスカートの下にダガーを隠してたよね」
「カホカ、あなたね」
ルクレツィアが文句ありげに見下ろしてくる。カホカは平然と見返した。
「悪いけど、ルクレツィアと鷲のギルドなら、アタシは鷲のギルドを取るよ?」
「お菓子作ってあげたじゃない」
「あれは情報とチャラでしょ? アンタが勝手に尾行してきたんだから、アタシに期待されても困るからね」
カホカが言ってやると、やれやれ、と言わんばかりにルクレツィアはスカートの中に手を入れた。あわててバディスが視線をそらすのも気に留めず、両腿に巻いた革帯をほどく。革帯には何本もの投擲用ナイフと、彼女の得物らしい長めの短剣が一本ずつ差し込まれていた。
「物騒な女だねぇ」
レイニーが合図すると、ディータが無言で革帯を受け取り、外に待機させているギルド員に預け、すぐに戻って来る。
「とりあえず小指一本だね」
「どういう意味かしら?」
ルクレツィアが再び立ち姿勢になって、小首を傾げた。
「出せと言ってすぐに出さなかった。あとで小指の一本を折らせてもらう。それが嫌なら次の会話で挽回するんだね。あたし達が満足するようにね」
「善処しましょう」
それでも不安をおくびに出さないのは、さすがはファン・ミリアと従者といったところだろう。この部屋にカホカとレイニーがいる以上、ルクレツィアに勝ち目はない。
「正直に言うと、私はここが暗殺ギルドのアジトだなんて知らなかった。私はただカホカと、そこの彼がどこにいるのか把握しておきたかっただけ」
言って、ルクレツィアがバディスを見た。気まずそうに顔をそらすバディスに、ルクレツィアはかすかに笑みをこぼした。レイニーを向いて、
「彼は私の主の居場所を知っている。そう思ったから尾行しました」
「それは本当だと思うよ」
カホカが口添えしてやると、「ありがとうね」と、ルクレツィアが嬉しそうに手を振ってきたので、「いー」と歯を剥き出しにしてやった。
「で、尾行に飽き足らず、わざわざ訪ねにきたのはどういう了見だい?」
「お願いをしようと思って」
「お願い?」
「そちらは、ティアに会いに行くんじゃなくて? 私も主人のファン・ミリアに会いに行きたいと思っているの」
「同行を申し出たい、と?」
「そう」
「断るといったら?」
「あきらめるしかないわね。尾行もずっとはできないし」
冗談めかして言い、ルクレツィアはくすりと笑う。
「大人しく帰すと思うかい?」
「私が、いかにも怪しそうなこの場所に、誰にも伝えずに来ると思う?」
「脅しかい?」
「敵意があるように持っていかないでもらいたいわね。自衛の手段です」
「ふうん」と、レイニーが軽く鼻を鳴らした。
「じゃあ、あんたは自分の主人に会いたい一心でここに乗り込んできたわけかい?」
「乗り込んできたんじゃなくて、ちゃんと「カホカに会いに来た」って訪いを入れたし、お願いをしに来ただけ……って、最初からそう言ってるつもりなんだけど」
「あんたを連れていって、何か得があるのかい?」
「それは答えに詰まるところだけど、足手まといにはならないつもり」
答えた瞬間、レイニーが虎の毛皮の下から多節棍を取り出した。いくつもの節ごとに別かれた状態から、手首の動きに合わせて一本の棍になる。
突き出された棍に、ルクレツィアは身を捻ると同時に鋭く腕を振り上げた。
「やるじゃないか」
レイニーの顔の真横──寝椅子の背もたれに、ごく小振りの投げナイフが刺さっている。
「こちらもね、早々に後れを取って、主人の顔に泥を塗るわけにはいかないの」
ルクレツィアが、レイニーにむかって不敵に笑いかける。
「これで小指はチャラよね?」
「なんだって?」
「ナイフはわざと外したのよ」
「その前に、まだ武器を隠し持っていたことについての釈明はあるのかい?」
「あら……」
うーん、とルクレツィアが困ったように舌を出した。
「特にありません」
その返答に、「まぁいいさ」と、むしろ機嫌よさげなレイニーを見て取って、サスがルクレツィアに告げた。
「あんたを連れていくかは、こちらの話が終わってからだ。それまで別の部屋で待っていてもらう」
「ええ、従います」
ルクレツィアが笑顔で応じる。先導しようとドアを開けたディータを制し、「いや、俺が連れていく」とサスが立ち上がった。カホカに顔を向け、
「すまねぇが、カホカもついてきてくれ。途中で暴れられたらどうしようもねぇからな」
そんなことはしません、と心外そうな顔を作るルクレツィアをよそに、カホカは自分を指さした。
「アタシ?」
「ああ、頼むぜ」
「いいけど」とカホカも立ち上がった。それから何事もなくルクレツィアを案内し、外側から鍵をかけた後、サスが振り返った。
「話がある」
「だと思った。──何?」
「カホカとバディスは、ティアを探しに行くんだよな?」
「アタシはそのつもり。バディスも、そりゃ来るだろうね」
カホカが答えると、サスはひとつうなずいて、
「そうなったら、十中八九、レイニーはお前たちに同行したいと言い出すだろう。すこしでも恩を返したいと思っているからな。そこで聞きたいんだが、ティアを探すのにレイニーは必要か?」
「別に必要ない、かな。バディスがいれば早く見つけられそうだし」
どうして? とカホカが訊くと、
「昨日、レイニーと話し合ったんだが……」
間を置いてから、サスが言った。
「俺たちはこのアジトを捨てようと思ってる」