25 アブシューム・ペシミシュターク
「頼まれてた調査って、なんだっけ?」
髪を切り終え、カホカはディータの隣に腰をおろした。ディータの持っている羊皮紙をのぞきこむ。何やら人名らしき文字が並んでいた。
「おいおい、忘れちまったのかよ」
うん、と答えようとしたカホカを遮って、
「いいや、覚えてるぜ。頼んだのは俺だからな」
サスがちらりとレイニーを見て、言った。
「レイニーを助けるために、ティアとカホカが変装して王城に潜り込む話をした時だった。ティアの身の上話を聞く流れで、ウラスロ王子の話が出たんだ。そこで俺がディータに頼んだ──『奴が異教退治の名目で暴れまわった地域の出身で、このゲーケルンに来た人間がいるか? いるなら今どうしているか?』ってな」
「……そんな話したっけ?」
カホカが欠伸まじりに訊くと、「したんだよ」と、ディータがムキになって羊皮紙を叩く。
「どうせみんな死んでたんでしょ?」
カホカの問いに、ディータは首を横に振った。
「たしかに一部は行方不明になっていたが、それ以外のほとんど全員が王都にはいなかった」
「ヌールヴ河にでも浮かんでたの?」
「ちがう。連中は秘密裡に港から船で運ばれたらしい」
「──船?」
不可解そうに顔を上げたサスに、「ああ」とディータはうなずいた。
「船の行先はレム島、そこを経由して、オボロ港へ向かったらしい」
「オボロといえば、北の玄関口だねぇ」
レイニーが口を開いた。カホカは受け取って、
「たしか、ブルーム家が取り仕切ってるんじゃないっけ?」
「さすが、元貴族はよく知ってるな」
感心するディータに、「まぁね」とカホカは切ったばかりの髪先をつまらなさそうにいじっている。後ろ髪が首筋にかかるくらいの、かなり少年っぽい長さになっていた。
「カホカの言う通り、オボロ港を仕切っているのはブルーム家という貴族だ。というか、オボロの街を含めたここら一帯はブルーム領ではあるんだが……」
「実際はちがうの?」
「ブルーム家は治安や荷の検査、検疫などの安全や衛生に関する部分を任されているだけだ」
「じゃ、任せてるのは誰?」
「ペシミシュターク公爵家だ」
「ペシミシュターク……北部の貴族衆を統括する親玉だな」
サスのつぶやきに、ディータはうなずく。
「ブルーム家もその貴族衆を構成する一家で、代々、ペシミシュタークに仕える古参だ。オボロ港の貿易に関する権益は、すべてペシミシュタークの手中にある」
「港は商取引が糸玉みてぇに集中してるからな。場所代だけでもウハウハ、さぞかしうめぇだろうな」
「いや、こんなのはまだ序の口なんだ」
ディータの表情は苦い。
「凄まじいことに、ペシミシュタークはノールスヴェリアとの独占交易権さえ国から与えられている」
「独占交易権って?」
カホカの問いに、
「東ムラビアの貴族は、ペシミシュタークに話を通さなきゃ、ノールスヴェリアと商売ができねぇ」
「……ほえー」
「異常なんだ。だからこその三公爵家なんだろうが」
「だけどさ」とレイニー。
「国はそんな大それた権利をよくペシミシュタークに与えたもんだねぇ」
「そこだな」
ディータは束から一枚の羊皮紙を取り出した。
「そのあたりの手管が異常に上手いんだ、この家は」
「どういう意味だい?」
レイニーの質問に、「その前に──」と、ディータは部屋の三人を見回した。
「お頭たちは、ペシミシュタークの歴史を知ってるか?」
「商売で儲けて大きくなったんでしょ? お酒でしょ?」
カホカが思い出しながら答えると、「その通りだ」とディータは羊皮紙に目線を落とした。
「もともと、ペシミシュタークは沼沢地帯を治める弱小貴族に過ぎなかった。収入らしい収入といえば、すくない人口から年貢を取るだけの貧しい家だったそうだ」
「珍しい話でもないねぇ」
レイニーの相槌に、カホカもサスもうんうんとうなずく。
「この家に転機をもたらしたのは、アルテンシア・アブシュームと呼ばれた男だった。これは通り名で、本名はいまだに公開されていない。ついでに言うと、この男はペシミシュターク家の者でさえなかった」
「ん?」
と、カホカが反応する。
「ネーン・カーテシー(カーテシーしない女)で有名なアルテンシアも、アルテンシア・アブシュームじゃなかったっけ?」
「そっちは三世のほうだな。アルテンシア三世。で、いま話している男のほうがアルテンシア一世」
んん? とカホカは眉をひそめる。
「アルテンシア三世は本名でしょ? もともと通り名だったのが、本名になったんだ? てか、アルテンシア一世はペシミシュタークの婿に入ったってこと?」
「ぜんぶ正解だ。はじめ、アルテンシア一世は貴族ではなく行商人だったらしい。扱っていた商品は薬っつうことだから、薬師でもあったんだろう」
ふうん、と一同がうなずく。
「このアルテンシア一世が、ニガヨモギから酒を製造する技法を開発した。『魔酒』と呼ばれる幻覚を引き起こす作用がある酒で、人間に飲ませても効くし、化け物に対しても有効らしい。現在でも、化物討伐でよく用いられる『聖水』はこの『魔酒』を改良したものとか」
「ボロ儲けじゃねぇか」とサス。
「そうなんだが、ボロ儲けするためには、あと一手、魔酒を大量生産する必要があった。アルテンシア一世はその設備を作るために、適当な『庇護者』を求めた」
「ああ、それがペシミシュタークってわけかい?」
「そう、これによって魔酒を大量生産し、自分だけじゃなくペシミシュタークにも莫大な富をもたらしたアルテンシア一世は、その功績によって入婿として迎えられることになった。──幸運なことに、当時、ペシミシュタークには男児がいなかった。いたのはたいそう綺麗な娘だけだった。幸運なことにな」
なるほどね、とレイニーが笑う。
「賢い男だね。アルテンシア一世は自分が貴族になるために、庇護者選びの時から跡取りのいないペシミシュタークを狙ったわけだね?」
「ここのお家芸でもある手練手管は、アルテンシア一世からはじまったってことだな。もっとも、当時のペシミシュタークにしても渡りに船だったにちがいないだろうが」
「半端じゃない額の持参金が転がりこんできた上に、家を存続させることができたんだからね」
「あー、貴族貴族。貴族っすなぁ」
不快感をのぞかせるカホカに、ディータは苦笑しつつ、
「まんまと貴族の家に入ることに成功したアルテンシア一世は、晴れて『アルテンシア・アブシューム=ペシミシュターク』を名乗るようになった。このアルテンシア一世以降のペシミシュターク家を『アブシューム・ペシミシュターク』とも呼ぶことがあるらしいが、それはこのアルテンシア一世を家祖のように扱っていることが由来らしい。さらに言うと、『アルテンシア・アブシューム』は『苦艾』、つまり『ニガヨモギ』の意味で、このニガヨモギの図像化したものが、現在の家紋にも使われているってことだ」
「家に歴史あり、ってやつだ」
レイニーはしみじみと息を吐く。
「ここから『アブシューム・ペシミシュターク』家の躍進がはじまる。──いや、歴史がはじまったといったほうがいいか。領主でありながら魔酒を主力とした商売を手広く広げ、そこで得た資金でブルーム家をはじめとした武闘派の家系を次々と恭順させることに成功、北部一帯に威を張るようになった。その後、中央とも積極的に人脈をつなぎ、最終的にはムラビア王家の血を引く子女との婚姻も果たしている」
「盤石な地固めをして、公爵家になったわけだね?」
「どうにも資料を見る限り、この家は定期的に先見の明のある人間が出てくるようなんだ。本当に強い家ってのはこういう家をいうんだろうなとつくづく思うぜ」
「というと?」
「直近としては……現当主クドゥンから遡ること二代、つまりクドゥンの祖父に当たる人物で、フリタクトという名政治家を輩出してる。この男がやばい」
「やばい……ねぇ」
「知者を集める求心性があったらしい。このフリタクトが『知の系譜』と呼ばれる私設の教育機関を持っていた。実際にこの機関を運営していたのはキアスレディ=オムと呼ばれる才女で、フリタクトは後見人のような位置にいた」
「大学みたいなもの?」
カホカが尋ねると、「それより小規模だな」とディータは答え、
「フリタクトはかなり長命だった男で、統一ムラビア王国時代のヴァシリウス前期、いわゆる賢王時代に宰相を務めている。その後、ヴァシリウス後期の愚王時代から『父親殺し』のミドスラトス王へと続く内乱期に政界を引退。当時五十歳だったらしい」
「ちょっと若い引退だね?」
「ああ、ヴァシリウス王の変心に嫌気がさしたか、新興公爵家のコードウェルに宰相の座を追われたか。実際、フリタクト以降、ペシミシュターク家から宰相は出てこず、現在までコードウェル家の当主が務めている」
「権力争いに負けたってこと?」
「中央に関しては、そういう見方になってる」
ディータはカホカにうなずき返し、
「引退後、フリタクトは家督を息子に譲ると、九十五歳で他界するまで後進を育てることに生涯を費やしたが、その立役者と言われているのがキアスレディだ」
「キアスレディ……」
「フリタクトの秘書でもあり、一番弟子として名高い才女だな。いまはもう婆さんだが、彼から才能を見い出された時、キアスレディはまだ十代だった。たしか、このキアスレディって名前にも逸話があって──」
言いながら、別の羊皮紙を引き出してくる。
「もともとの本名を『キアージュ』といった。フリタクトを含めた身内からは『レディ』の愛称で呼ばれていたらしい。若い頃はそれでよかったんだが、いい歳になっても周りが面白がって『レディ、レディ』と呼ぶもんだから、いい加減、本人がキレた。上等だ、っつーことで、愛称をそのまま本名の一部にしちまったんだと。『キアージュ』に『レディ』を足して『キアスレディ』」
「剛腕だな」
サスが苦笑した。
「……ペシミシュタークって、通り名とか愛称とかを本名にしちゃう文化なの?」
カホカの質問に「かもな」とディータも苦笑する。
「このフリタクトの『知の系譜』機関は彼の死とともに閉鎖されたが、そこで育った知恵者たちが、今でもあちこちの国で顕職についている。そのうちの最後の直弟子が、フリタクトの曾孫でもあるアルテンシア三世ってわけだ。いまでこそ社交界の鼻つまみ者だが、昔は絵に描いたようなお姫様で、頭の回転も速く、姉弟子のココ=ロシュフォールと合わせてキアスレディのお気に入りだった」
「ココ=ロシュフォール……こっちは聞かねぇな」
「活躍する前に夭逝しちまったらしい。享年27歳」
言いながら、ディータは羊皮紙をめくる。
「ロシュフォールは理論家……学者肌だったらしい。ユーリィ=オルロフっつー弟子がひとりいたらしいが、こっちも大した活躍はしてないみてぇだな。まぁ、専門が歴史学になってるから活躍のしようもねぇか。所在不明になってる」
「なにぃ?」
その名前にサスが反応した。
「ユーリィ=オルロフって言ったか、いま?」
「ああ、それが? 兄貴の知り合いなのか?」
「知り合いつーか」
サスは口ごもる。
「ちょっと前に世話なったんだ。たまたま王都にいてな」
「ユーリィ=オルロフが、か?」
「ああ、トゥーダス=トナーって物知りな男の家にいたんだ」
「トゥーダス=トナー……そういえば」
ディータはまた羊皮紙をめくる。「あった、あった」とつぶやきながら、
「トゥーダス=トナーも『知の系譜』の一員だったらしいな。欲のない男で有名だったらしい。──なんで兄貴はそんな男の家に行ったんだ」
「なんでつーか、人探しの用があってよ……」
そこで、サスは軽く手を振った。この話は終わりだといった感じで、
「ごく個人的な用件なんだ、気にしなくていい」
「わかった」と、ディータは素直にうなずいた。サスは口調も仕草も普通を装ってはいるのもの、顔から異常な量の汗をかいている。が、本人は触れてほしくなさそうなので触れないでおく。隣のカホカからは、「サスどうしたの? 汗がだらぴちゃだけど大丈夫? キモイよ?」と直截的すぎるツッコミを受けているが、ディータはあえて触れない。上司だから。
「で、話を戻すが──」
ディータは仕切り直し、
「当時のペシミシュタークにはこういう文官の花形みたいな連中がそろいまくってた。そいつらが知恵を出し合った結果が、ノールスヴェリアとの独占交易権を国から認めさせることだった」
「どうやって?」
レイニーの問いに、
「ノールスヴェリアはペシミシュタークと地理的に接している上に、魔酒の得意先でもあった。ムラビアよりもノールスヴェリアのほうが北にあるからな」
「化け物が出やすいから魔酒がたくさん欲しい、ってことか。もともと縁があったんだね」
「ああ、当時のノールスヴェリアは弱小国だった。それが今じゃ、飛ぶ鳥を落とす勢いで大国の仲間入りを果たそうとしている。こういうところに早くから目をつけておく、だけじゃなく、唾もつけておくのがペシミシュタークのすごさなんだろうなぁ」
「投資ってやつかね」
「まさにそれだな。ペシミシュタークは、ノールスヴェリアに魔酒を国内と同じ値段か、場合によってはそれ以下で売ってやったらしい。それだけが理由じゃねぇだろうが、魔酒が魔物の驚異を取り除くのに一役買ったのは間違いないだろうし、結果、ノールスヴェリアは国内の発展に注力することができた」
「ノールスヴェリアは、ペシミシュタークに恩があるわけか」
「そうだ。ペ公とノ王が話を合わせ、ムラビア王家に独占交易権を認めさせたって形だな」
「なるほどねぇ」
「だが、この話には続きがある。さすがにいつまでもペシミシュタークに独占交易権を与えておくのはどうか、っつー問題が、最近、中央の宰相府で頻繁に出ているらしい」
「そりゃ、ひとつの家だけが儲けまくるってのも、他の御貴族どもは面白くないだろうからね」
「おまけに、ペシミシュタークはフリタクト以来、中央での発言を弱めている。批判の急先鋒は、コードウェル家とアービシュラル家。要するに他の二公爵家だな」
「ペシミシュタークとアービシュラルは昔から仲が悪いっていうしね」
ペシミシュタークは北に本拠を置く文官型の家柄である。それに対し、アービシュラルは南に本拠を置く武官型の家柄だった。家柄が根本的にちがうのだ。その対立に新興公爵家のコードウェルが加わって三すくみを形成しつつ、権謀術数を繰り返している。
「楽しそうで何よりじゃないか」
レイニーは皮肉っぽく笑い、
「こういう事情のなかで、ウラスロ王子に不満を持つ連中が、ペシミシュタークに流れてるってことか」
「ペシミシュタークとは決まってねぇ。わかってるのは、レム島を経由して、その後でオボロ港に向かった、ということだけだ」
「って言われてもねぇ」
渋い顔つきで腕組みをする。
「ウラスロ王子にどうこうってのは、私たちより、ティアの問題だからね。もちろん、私たちは協力を惜しむつもりはないけど、肝心のティアがいないんじゃ、方針の立てようがないねぇ」
レイニーはそう言ってカホカを見やる。カホカは、丸めた布きれでサスの顔の汗を拭きながら「キモイよ? キモイよ?」と話しかけている。
「カホカがティアの代理として考えがあるなら聞くけどさ」
「特にないよ」
カホカは顔を仰がせた。
「ウラスロをぶっ飛ばしてやりたい気持ちはあるけど、アタシ自身は鷲のギルドを巻き込んでまでやろうと思わないし。やるならアタシひとりでやるし」
「馬鹿言っちゃいけないよ。恩人なのはティアだけじゃないって言ったろう?」
カホカは、にへらと笑う。
「別に恩人と思わなくていいよ、タダ飯食わせてもらってるわけだし」
「タダ飯なもんか」
レイニーが言った時、控え目にドアが開いた。
「お、バディスじゃねぇか」
入れよ、とディータに促され、「ああ」とバディスも席につく。
「後にしようかとも思ったんだけど、レム島って言葉が聞こえたから」
そして、バディスはカホカを見た。
「実は、ティアさんの居場所を知ってるんです」
「……どこ?」
「レム島です」
【参考エピソード】頼まれた調査:第三章『64 鷲のギルドⅥ (後)』