19 ブリキ人形と月の雫Ⅰ
王都ゲーケルン、職人街。武器工房『ガルタ』。
「さっそく使ったようだな」
「わかるの?」
カホカが驚いて訊くと、『熊』とあだ名される親方のボーシュが「当たり前だ」とやや苦い表情を作っている。
「道具だからな。使ってもらう分には文句はないが、お前、この篭手を誰かに貸したろう?」
「へぇ、──わかるの?」
「ワイヤーの減り具合でな」
「貸したっていっても、ほんのちょっとだよ?」
「それもわかる」
ボーシュはうなずいた。
「お前が傷を負うくらいだ。やむを得ない状況だったんだろう」
「そうそう。しょうがなかったんだよ」
カホカは応接用の椅子に胡坐をかいた。
「下手したら死んでたからね」
「……だが、知っておいてもらいたいこともある」
ボーシュは預かった篭手を矯めつ眇めつしながら、
「篭手には、俺が培った技術のすべてが込められている。機工が複雑な分、どうしても耐久性が劣る。お前の体格だけでなく、癖や特性に合わせた正真正銘、お前専用の武器だ。別の人間が使えば、あっという間に壊われる──その可能性があることは覚えておけ」
「了解」
カホカがうなずき返すと、
「しかし、これは試作品だからな。結果的には良い資料が採れた」
「喜んでんじゃん」
「怪我の功名というやつだ」
「やっぱり喜んでるんじゃん」
「ふん」と、ボーシュは鼻を鳴らし、篭手を持って奥へと引っ込んでいく。
退屈まぎれに椅子の上で柔軟体操をしていると、視線を感じた。見ると、売り場の陳列棚を少年が掃除している。チラチラとこちらに視線を送ってくる。
「なに?」
身体をほぐしながら尋ねると、少年は「いえ」と視線をそらした。年齢はカホカと同じか、すこし下くらいか。
彼がこの工房で働いている徒弟の少年──ということはカホカは知っていた。けれど、それ以外は名前も、話したこともない。
「あ、あの……」
と、少年は意を決したように、
「お客さんて、身体が柔らかいんですね!」
よくわからないことを言ってくる。
──なんだコイツ?
とカホカは思いながら、
「……どっちかって言うと」
ぶっきらぼうに答えると、少年の顔が明るくなった。
なんで明るくなるんだ? と珍獣を見る気持ちでカホカが眺めていると、少年が、「ちょっと待ってて!」と、あわてた様子で部屋を出ていく。
バタバタと足音がして、すぐに少年が戻ってきた。
「これ──、これを」
と、息をはずませて渡してくる。
「なにこれ?」
受け取ると、手のひらに乗るサイズの小箱だった。宝箱を模しており、ガラス玉で細かく飾り立てられている。
「俺が作ったんだ」
少年は照れた笑みを浮かべる。
「開けていいの?」
訊くと、こくこくと何度もうなずいている。小箱には、ちゃんと留め具がついていた。外すと蓋がいきおいよく開き、中で折りたたまれていたブリキの人形が立ち上がった。くるくると回転しながら、踊っている。
「……『お前、ちょっとは落ち着けよ』ってこと?」
カホカが尋ねると、
「えぇ? そんな馬鹿な!」
少年は「ちがうって!」と、両手を振りまくっている。
「冗談だって」
カホカは軽く笑う。
「ふーん、すごいね。まだ若いのに、こんなの造れちゃうんだ。さすが熊のおっさんの弟子って感じだね」
小箱をカウンターに乗せて眺めていると、
「それ、あげるよ」
握りしめた少年の拳が赤くなっていた。
「いいよ、こんな大事なもの。それにアタシ、身軽なのが好きな性質なんだ」
すると、少年はぶんぶんと首を横に振った。
「飽きたら捨ててもらっていいんだ。お客さんのために作ったものだし」
「──アタシのために?」
「いや、別に……!」と少年は先ほどと同じように両手を振った。「ただ、お客さんの笑顔を見てたら、なんか……作りたくなったっていうか……」
「ふーん」
と、ここではじめて、カホカは相手の顔をしっかりと見た。というか、認識した。そばかすの浮いた頬に、茶の瞳。すこしだけ癖のある栗色の髪。
「知ってるかもだけど、アタシ、ルーシ人だよ?」
ムラビア人とのハーフだとは言わない。カホカは親指と人差し指をつかって自分の瞳を押し広げた。碧い瞳を見せつけると、
「すごくキレイな瞳だと思う!」
なぜか、ぶんぶんと頭を上下に振っている。
──キレイ、かぁ。
ぽりぽりと頭を掻く。
「わかった。じゃ、もらっとく」
ありがとね、とカホカが礼を言うと、少年は本当に嬉しそうな顔で「毎度あり」と、奥へと引っ込んでいった。
「買ってはないんだけどな」
つぶやく。人形の動きが止まったので、ゼンマイを巻き直した。
再び踊りはじめたブリキの人形を眺めながら、
──あー、なんかカユイ。
ぽりぽりと腿あたりを掻いていると、ボーシュが戻ってきた。
「どうしたんだ、それ?」
「おっさんのお弟子さんからもらった」
答えると、ボーシュは苦虫を噛み潰したような表情を作る。
「あいつ、そんなつまんねぇもんを作ってやがったのか」
「いいんじゃない?」
カホカは人形に目線を落としたまま、言った。
「面白くはないけど、もらって嫌な気もしないし」
「どうせ作るならもっと面白いモンを作れって話だ」
「そうは言うけど、意味のないことに全力を尽くしてこそ一人前の職人とも言うでしょ?」
「誰が言った?」
「アタシ。──で、修理は終わったの?」
「修理はな。ところで物は相談だが、篭手を一日だけ預からせてもらうことは可能か?」
「なんで?」
「もうすこしだけワイヤーの強度を上げられるか試してみたい」
「いいけど、それって試作品なんでしょ? そもそも」
「だからこそだ。試せることは試しておきたい」
そう言われれば、カホカに異論はない。
「借りてるのはこっちなんだから、好きにしてよ」
「悪いな。調整が終わり次第、届けさせる。住所を教えてくれ」
「住所……」
「旅館か寄宿先か」
「うーん……」
現在、カホカが寝起きしているのは鷲のギルドのアジトだが、さすがにおいそれと教えるわけにはいかない。
「じゃあ──」
ということで、カホカは『月の雫亭』の住所を教えることにした。鷲のアジトに行く前に泊まっていた宿である。自分がいなければルーシ人の店主夫妻に渡しておいてもらうよう伝えながら、
「あ……」
と、カホカは思い出した。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
あわててカホカは首を振りながら、
──客室にティアの棺を置いたままだった。
すっかり忘れていた。
──てことは、ティアはいまどうやって寝てるんだ?
一瞬、疑問が頭をよぎったものの、
──どうでもいいや、どーせ生きてるんだし。
やはり、ティアのことを考えると不機嫌になる自分がいた。
◇
そして、翌日。
──別に、生きてるんだからいいじゃん。
とは思う。
とは思うのだ。
「……でも、寝床がないと寂しいかもしれないし」
とも思ってしまうのだ。
昼過ぎに鷲のアジトを出たカホカは、バディスを伴って月の雫亭へ向かっていた。
快晴である。
光と影のコントラストが強い。石畳の道をくっきりと半分にわけている。
「カホカさん、お願いですからもうちょっと優しく起こしてください」
歩きながら、迷惑そうな視線を送ってくる。
「アタシに起こしてもらえるだけありがたいと思えっての」
「そりゃ、執拗な蹴りがなければ僕だって光栄に思いますよ……」
月の雫亭でティアの棺を運ぶのが面倒くさかったので、バディスにも手伝わせようと寝ているところを叩き起こしてやったのだ。はじめは蹴るつもりはなかったのだが、安らかな寝顔を眺めるうちに蹴らずにはいられなくなってしまった。ついでに言うと、首なし騎士のくせに枕を使っているのも気に入らなかった。
それを伝えると、
「普段は首、ついてますから」
「そうだったっけ?」
カホカはすっとぼけて、
「ていうか、美少女から蹴られて目覚めるとその日は最高って言葉、知らないの?」
「なんですか、最高って……誰の言葉です?」
「アタシ」
「……だと思いました」
バディスはがっくりと肩を落とした。歩きながら、目をこすりこすりしている。まだ眠気が抜けきらないらしく、目の回りには隈ができていた。
「ティアさんの眷属になって、夜行性になったみたいです」
闇に属する魔物──首なし騎士になった影響らしい。
「アタシは昼のほうが動きやすいけど? 夜は眠いし」
カホカが不機嫌顔で言うと、「そうなんですか」と眠そうなバディスの声が返ってくる。
「たしかに、カホカさんは眷属って感じはしないですね。──でも、間違いなく仲間だってことはわかります」
ふーん、とカホカは釈然としない面持ちで、
「眷属と仲間って、どうちがうの?」
「多分ですけど、カホカさんが人間で、人間を眷属とは言わないからじゃないかな。人は闇に属していませんからね。それでも、カホカさんがティアさんに血を飲まれた人っていうのはわかるし、『この人に逆らっちゃいけないんだな』っていうのもわかります」
「アタシに? なにそれ、どういう意味?」
日向の、白い道を歩きながら、カホカはまじまじとバディスを見た。対するバディスは日陰の暗い道を歩いていく。求める先は同じ、歩く道も同じ。けれど、存在の属性がちがう。
「ティアさんが、カホカさんには逆らうなって言ってるんです。ギルドの掟みたいなものです。──ああ、ギルドに例えるとわかりやすいですね」
バディスは思いついたように、
「鷲のギルドで言うと、ティアさんがレイニーで、カホカさんがサスの兄貴なんです。僕たちギルド員は、ギルド員である以上、絶対にこの掟には逆らえない」
「……もし逆らったらどうなるの?」
「ギルド員ではなくなりますね」
「それって……?」
「死ぬってことです」
カホカは絶句してバディスを見た。バディスは当たり前といった様子で、眠そうな表情を保っている。
「本当に強い掟なんです。ティアさんから直接命令されたわけじゃなくても、無意識に伝わってくる。──カホカさんに逆らう奴は仲間とは認めないぞ、って。それぐらい、カホカさんはティアさんにとって大切な存在なんですね」
「……」
カホカは、唇を噛んだ。早歩きになった。
「え、あ、ちょっと、カホカさん?」
背後からあわててバディスがついてくる。それを無視して、カホカはさらに速度を上げた。
──アイツ……くそ、なんなんだ!
鼻がツンとして、目頭が熱くなってくる。
──だったら置いてくなっていうんだ。
言いたいことや、文句は山ほどあるのに……。
掻きむしりたいような胸の苦しさがある。
込み上げるような嬉しさもある。
カホカは何も言えず、早歩きのまま月の雫亭に着いた。
ゴシゴシと腕で顔をぬぐい、扉を叩いて入る。
「おや、おかえりなさい」
カウンター越しに、店主のおじいさんが立っていた。カホカを見て優しい微笑みを浮かべる。いつか、イスラと話した『天敵』の笑みである。
「ごめんなさい。ずっと空けちゃってて」
カホカがペコリと頭を下げると、
「いやいや、私たちはいいんだよ。ただね、カホカさんのお友達という人が、すこし前からよく訪ねに来ていてね」
「……アタシの友達?」
カホカは首を傾げた。このゲーケルンで、わざわざ宿を訪ねてくるような友達は思いつかない。
すると、
「おかえりなさい。待ちかねたわよ」
女性の声がして、階段から『友達』が降りてくる。
「ルクレツィア!」
思いがけない訪問者に、カホカは目を丸くした。