17 苦艾の公女Ⅱ(後)
聖騎士団支部、ビストリツェ砦内廊下。
「──ったく」
むかっ腹を立てながら、聖騎士ラヴィン=エッジ・ハズは自室に戻って着替えを済ましたあと、勢いよくドアを開けて部屋を出た(もともと着ていた服は酒で濡れまくっていた)。
「あいつのせいで送別会が台無しじゃねぇか」
まぁ、たしかに酒に飲まれてやりすぎた感がないとも言い切れないが……。
しかし、そうはいってもやはり一年に一夜限りのことなのだ。男だけの宴会で下品になるなと言うほうが無理がある。
「いつか風呂をのぞいてやる」
そして克明に記憶して絵描きに書かせてやる、と聖騎士らしからぬ邪な算段をつけながら、ラヴィンが支部長室の前に立った時だった。
「お?」
ちょうど隣の応接室からアルテンシアが従者のプラムを引き連れて出てきた。
「なんだ、お前。もう帰んのか?」
声をかけると、アルテンシアはやや驚いた表情を作った。視線をラヴィンの上から下へと移し、
「あら、どうしたの服なんて着て。まるで人間みたいじゃない」
「……元から人間だっつの」
私服である。チュニックにズボンというごく一般的な恰好だった。
「──で?」とラヴィンは頭を掻く。
「ほんとお前、何の用で来たんだよ」
「特に用はないって言ったじゃない。でも──」
口元に手を当て、くすくすと思い出し笑いをする。
「聖騎士の酒宴ってのを、一度でいいから見てみたかったのよねぇ」
「てめぇ、やっぱり知ってやがったのか」
「あら、たまたまって可能性もあるんじゃないかしら?」
「お前に限ってはねぇよ」
「それ、褒め言葉よねぇ」
笑って煙管をくわえたアルテンシアが、別れの挨拶もなくラヴィンの横を通り過ぎていく。代わりに、なのかはわからないが、プラムが深々と頭を下げて通り過ぎていった。
「おい、アルテンシア」
ラヴィンが声をかけると、ふたりがピタリと立ち止まった。
アルテンシアが肩越しにゆっくりと振り返る。あご先を持ち上げ、ハシバミ色の瞳をラヴィンへと注ぐ。
「お前、また痩せたんじゃねーか? 酒ばっか飲んでねーで、肉とかも食えよ」
言うと、アルテンシアがくすりと笑った。が、笑っただけで何も言わず、プラムとともに通路を去っていく。
「相変わらず可愛げのないやつだ」
ぼやくようにつぶやき、支部長室のドアをノックした。
「ラヴィン=エッジ・ハズっす。あなたの大事なラヴィンっすよー」
言いながら室内へと入っていく。
「いつも返事を待ってから入れと言っとるだろうが」
ちょうど、応接室の連絡ドアから、支部長が執務室へと戻ってきたところだった。室内は、整理戦頓が行き届いている。
「入られるのが嫌だったら鍵をかけとかなきゃ。母親はノックなんぞしちゃくれませんぜ」
「阿呆」
苦笑しつつ、支部長からあごで示され、ラヴィンは手前の椅子に腰かけた。机を挟んで支部長が座っている。中年である。男の名はケルトといった。猪首のがっしりとした体格の男だが、武芸だけでなく書類仕事にも長けており、その器用さを買われて支部長を任されている人物だった。
「で、なんです、話って。尻は貸しませんからね」
ラヴィンが茶化して訊くと、
「頼まれても借りんわ」
苦々しく言い、それからふとケルトは重い顔を作った。
「本部から、お前を呼び戻すよう依頼があった」
「はぁ?」
ラヴィンはきょとんと目を丸くした。
「そうは言っても、俺、まだ一年しかここにいませんぜ」
明言されているわけではないが、通常、このビストリツェ砦での任務は二年から三年が通例になっている。
「わかってる、だが、これは団長直々の要請だ」
「はぁ? 副団長からじゃなくて、ですか?」
こういった人事に関しては副団長のベイカーの名において告げられることが通例だった。
「副団長は亡くなられた。暗殺されたらしい」
「な──」
「グスタフ隊長も殉職したらしい」
ラヴィンは絶句した。と同時に、その表情が厳しく引き締まった。戦士の顔つきになる。
「それ、確かなんです?」
「ああ、残念ながらな」
「……なんで副団長が殺されにゃいかんのです?」
「わからんが、怨恨とは思えん。うらまれる立場にいる人ではなかったからな。だが、団に関しての多くを知る人でもあった。そちらの線での犯行かもしれん」
「そちらの線って……うちの副団長が何を知ってたっていうんです?」
「わからん」
ケルトは深く溜息を吐いた。
「おまけに筆頭は行方不明らしい」
「はぁ?」
思わず椅子を蹴って立ち上がったラヴィンを、ケルトが「落ち着け」となだめて座らせる。
「だが、団長が言うには、こちらの心配はいらんだろうとのことだった。筆頭は、あくまで一時的に団を離れただけという見方をされているようだ」
「しっかし、おだやかじゃなさ過ぎでしょう? いったいゲーケルンで何が起こってるんです?」
「それをいまから説明してやる」
そしてケルトから受けた説明によると──
蛇と鷲、ふたつの暗殺者ギルドの抗争。半人半蛇イグナスの消滅とレイニー=テスビアの脱獄。
副団長ベイカー=バームラーシュの死
聖騎士隊長グスタフ=レイフォードの死
筆頭聖騎士ファン・ミリア=プラーティカが吸血鬼ティアーナとともにヌールヴ河に落ちて行方不明。
また、軍関係者であるハズクという男の不審死。及び彼の所有する館内で発生した大量殺人事件。
「……申し訳ないんすけど」
すべての話を聞き終わったあと、ラヴィンはげっそりとした顔で言った。
「話が壮大すぎてついていけねーんすけど……」
「俺もだ」
「ていうかこれ、全部が全部、繋がってるんです?」
「そこまでは知らん。これ以上の詳しい情報は団長から直接訊いてくれ」
「はぁ」
と、ラヴィンは釈然としない面持ちでうなずき、
「その、イグナスってのが今回の事件の首謀者なんでしょ? だったら、もう敵討ちできないじゃないっすか」
今回のなかで、ラヴィン個人と親交らしきものがあったのはグスタフである。
──寡黙で笑わないジーサマ。
というのがラヴィンの彼に対する印象だった。気難しそうに見える男だったが、実はなかなか話がわかる好々爺なのではと思っていた。
「もっと話をしときゃぁよかったなぁ……」
ぽつりとこぼした言葉が、むなしく室内を漂う。
「とにかく、急なことで悪いが、明日の皆の出立に合わせて王都に向かってくれ」
「明日ぁ~? ちょっと待ってくださいよ、そりゃいくらなんでも急すぎってもんでしょう」
「荷物は後でまとめて王都の寮に送ってやる」
口調からしてどうやら本気らしい。
「え~、まじかぁ~……」
と、しばらく顔面を両手でこすりこすりしていたラヴィンだったが、
「わかりましたよ!」
ヤケクソな気分で叫んだ。
「行きゃいいんでしょ、行きゃ!」
「悪いが頼む。俺も副団長には世話になった。できれば変わってやりたいぐらいだが……」
「俺は支部長の仕事なんかやりたかないっす」
「そうか」と、ケルトは苦笑し、
「団長がわざわざお前を指名したということは、何か相応の思惑があるんだろう」
不機嫌そうに黙り込むラヴィンに、はげますような口調で告げる。
「書類には、この事件は解決されたとは書かれていない。まだ調査が必要ということだ」
「……仇が他にいるってことすか?」
「わからんが、その時は──」
「ええ、わかってますって」と、ラヴィンはうなずき、立ち上がった。
「俺が半殺しにした後で、ぶっ殺してやりますよ」
◇
「恐れながら、アル様──」
箱馬車内にて。
「アル様はなぜ、アービシュラル家の殿方をご存知なのですか?」
馬車がビストリツェ砦の門を出しな、アルテンシアを寝衣に着替えさせてやりながら、プラムは意を決して訊いてみた。
「あら、同じ公爵家同士、顔を知っていても不思議じゃないでしょぉ?」
「いえ、そういう意味ではなくてですね」
馬車は六頭立てで、戦場で使用していたものよりも小振りだった。
砦を出た後、アルテンシアは視察のため領内を巡回することになっていた。時には悪路を通る必要から、大きすぎる馬車では立往生の恐れがあるためだった。
とはいえ、車内はアルテンシアどころか、プラムが入っても十分すぎる広さが確保されている。
ぷは、と襟から首を出したアルテンシアは、身体を温める火酒を飲みながら、
「あの粗──」
「エッジ・ハズ家の御子息ですね」
すかさずプラムが口を挟むと、そうそう、とアルテンシアはうなずき、
「ラヴィンね。あれとは、ウル・エピテスにいた時に同じ職場でね」
「王城ですか」
「私たち、どっちもニネヴェ様に付いていたのよ」
「ニネヴェ様……」
プラムは東ムラビア出身ではなく、東方からの移民だが、その名前は何度となく耳にしていた。
「王姫ニネヴェ……」
『姫』という敬称がつく女性のうち、東ムラビアにおいてもっとも地位が高い人物。ニネヴェ・ナミ・エルテーシュ=ディーネ=ムラビア。現王デナトリウスの長女であり、継嗣であるウラスロ王子の姉に当たる女性である。
ちなみに、王姫は『ディーネ』という称号でも表され、これに対して『公女』あるいは『公姫』ともいうべきアルテンシアの称号は『ヘルツェーネ』となる。(アルテンシアの正式名はアルテンシア・アブシューム=ヘルツェーネ=ペシミシュターク)。
──でも、とプラムは思う。
ニネヴェはその地位に比して、存在が地味な人物でもあった。
ほとんど表舞台には出て来ず、内々の社交界にのみ姿を現すことがあるとか。
ある意味幻のような王姫らしい──という情報をプラムができるだけまろやかな表現で主に訊いてみたところ。
「幻ねぇ」
アルテンシアは杯をプラムに持たせ、煙管を吸いながら、
「たしかにねぇ、下々の者が拝顔の栄に浴することは稀かもしれないけど、いるところにはいらっしゃるわよ」
「そんな……動物みたいに」
「あら、動物なだけぜんぜんマシじゃない。王城にいる連中なんて、九割が羽虫みたいなものでしょう? 聞いた話じゃ、ウル・エピテスには誘蛾灯って別名があるみたいよ」
「……初耳です」
自分の主は口が悪すぎる、とプラムが思っていると、
「まぁ、でも」
アルテンシアは口から煙を吐いた。
「私、あの方が嫌いではないのよねぇ。ずいぶんと可愛がってもいただいたし」
「アル様を、ですか?」
プラムは意外だった。誰が、この毒舌すぎる主人と懇意にしたいと思うだろう。
「あの方、けっして優秀ではないけれど、無能でもないのよ」
「アル様……」
「だぁから褒め言葉だってばぁ。私、ちゃんと自分の分を弁えてる女性って、好きよ。下手に自分を着飾って大きく見せようとする女ほど痛々しいものはないもの」
「お言葉ながら──」
これにはさすがのプラムも思うところがあった。
「それは殿方にも言えることではありませんか?」
個人の主観でどう思うかは自由だが、それでも『女』と限定されるのがプラムには気に入らない。すると、
「いいのよ、男は」
アルテンシアはあっさり言った。
「自分が馬鹿って気づいたら、誰も戦場に行かなくなっちゃうじゃない」
「……」
もっと辛辣だった。
「それで、──なんの話だっけ……あぁ、そうそうラヴィンね。あれはエッジ・ハズっていうアビーシュラル系の傍流で、先代のころに家が別れてね。分家なんかに大した席が回ってくるわけもなくって、せいぜいが王族の近衛ぐらいって感じなのよ」
「それでニネヴェ様の近衛になられたのですね」
「そういうことね。私はニネヴェ様の話相手みたいなものだったわね。一応、教育係も任されていたけれど、その時にはもう、多くのことを学ばれていらっしゃったから、楽でよかったわ」
「教育係……家庭教師を、アル様が、ですか? アル様に、ですか?」
「なんで私が王姫から教育を受けなきゃいけないわけ?」
言ってすぐ、ああ、とアルテンシアは気づいた様子で、
「王姫と公女のいけない授業的なやつね。ええ、よくあったわ」
「いえ、そうではなく……って、えぇ?」
「ニネヴェ様って、性別に拘りのない方でね。その時、私はまだ十五とか十六で、ニネヴェ様は二十歳ぐらいだったから、お互い体力を持て余していたのね。私も最初は受け入れるに受け入れられなくって、身体もしんどかったけど、そのうちのめり込んでしまってね、最後は自分からしたくてしたくてしょうがなくって、でも、そういう時に限ってニネヴェ様は呼んではくださらないの。まるで私の身体を試すようなの」
「ええ? あの……いえ……ほ、ほう。それで……?」
「だから、お呼びのかかった時の私の燃えようったら、自分でも恥ずかしくなってしまうくらい……」
「あの……それで……?」
「楽しかったわねぇ、打毬は」
「……え……ポ……え?」
「打毬よ、打毬。馬に乗ってする球技じゃない」
そう言って、アルテンシアは煙管を振って球を打つ仕草を真似た。
プラムは顔を伏せた。
──チッ。
その眼鏡が怒りで曇っている。
「プラム、あなたいま舌打ちしたわね?」
「めっそうもございません。しておりません」
「聞こえた気がするんだけどぉ」
「しておりません」
とがった口調で答えると、主のアルテンシアがニヤニヤ笑みを浮かべている。
──本当に嫌な人だ!
自分が完全にからかわれていたことを知り、プラムが頭にくるやら恥ずかしいやらで眼鏡を白くさせたり透明にさせたりしていると、
「私のほうがニネヴェ様より年下だけど、教育係に年齢は関係ないわねぇ」
ふと、思い出したようなアルテンシアの言葉に、
──ちゃんと私の質問を知っていたくせに!
プラムの眼鏡が完全にホワイトアウトしたのは言うまでもない。
参考(すべて初登場話)ベイカー:第三章『41 夜陰』 ハズク:第三章『50 港にてⅢ』 グスタフ:第三章『46 内と外』 ニネヴェ:第三章『76 嵐の中でⅧ』