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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
156/239

10 扉の記憶Ⅲ(修正版)

 屋敷の裏庭に、トネリコの木が生えている。


 新鮮な土の匂い。


 ティアはその幹に背をもたせて座り、太陽が上る様を眺め続けていた。


「お兄様……」


 呼ばれて顔を向けると、プリネイアが庭先に立っていた。直射日光がまぶしいのか、手で(ひさし)を作っている。ティアを探していたらしい。


「こんなところで何をしているんです?」

「日光浴」


 答えると、「お爺さんみたい」とプリネイアが笑う。


「できるだけ長く太陽の光を浴びていたいんだ」 


 さすがに意味がわからなかったのだろう、プリネイアは肩をすくめると、ティアのすぐ近くに、すとん、と座り込んだ。


「お父様から、お兄様はこれからずっと、屋敷にいてくださると聞きました」

「そうだな」


 話を合わせてうなずくと、プリネイアは芝生のうち、土がむき出しになっている部分に両手をついた。こちらに身を乗り出して、


「では、これからずっと一緒にいられるのですね!」


 顔こそ影になって見えないものの、言葉の端々(はしばし)に爆発するような嬉しさがあふれている。ティアはそっと自分の胸に手を当てた。


 ――きっと、私もそう。


 自分ではない、別の誰か。


 ようやく手に入れた、平穏の場所、そんな想いが伝わってくる。


 胸に、陽だまりのような幸福感が溜まっている。


 自然と、ティアの手が動いた。プリネイアの頬あたりをつまみ、横に引っ張る。


「うう~」


 と、恨めしそうなプリネイアの声に、ティアは笑っている。


 ――これは、夢。


 この夢は、まさしく何者かにとっての夢だったのだろう。


 だからこそ、ティアは感じずにはいられない。


 幸福であればあるほど感じる、夢の終わり。


 なぜなら、この夢はタオの十六歳の記憶を()り所にしているはずだから……。


 思いながら空を見上げると、灰色の雲が、巨大な手となって太陽を包み込もうとしていた。


「プリネイアに頼みがあるんだ」


 ティアが視線を落とすと、頼まれることさえ嬉しそうに「はい」とプリネイアが返事をする。


「今日、一日だけでいい。父上と母上とプリネイアで、この街を離れてくれないか? もし知人がいれば、その家に泊まってほしいんだ」

「街を、ですか?」

「ああ」

「なぜ、でしょうか」

「皆を守るため。それと――」

「それと?」


 小首を傾げるプリネイア。ティアはその影の顔と向かい合い、言った。


「明日、プリネイアがこの屋敷に戻ったら、その時は指輪を買いに行こう」


 ◇


 雨が降る、灰色の世界。


 ──いったい、これは誰の夢なのか。


 その答えはまだ出せないでいる。


 ティアは門から屋敷へと続く石畳の上で、微動(びどう)だにせず待ち続けた。


「あの時も、私がここにいればよかった」


 過去を悔いても仕方がない。わかっていながら、二度と戻らない過去を想う。


 いま、屋敷に残っているのはティアひとりだけだ。


 使用人を含め、住人のすべてを屋敷から出していた。父親も母親もはじめは冗談と思って()け合わなかったが、ティアが辛抱強く説き続けるうち、納得せずとも「そこまで言うのなら」としぶしぶ家を空けることに協力してもらった。


 待ち続けるうちに、雨は小降りになっていく。やがて完全に止むと、雲間から射し込む光に、葉先の雫が宝石のように輝いた。


 雨上がりの匂いのなか、遠くから地響きのような音が聞こえた。それが馬の立てる(ひづめ)の音だとわかった時には庭木の枝々が震えはじめていた。


「来たか……」


 馬蹄(ばてい)の響きが、屋敷の前でピタリと止まった。


 階段を武装した兵士たちが上ってくる。兵士たちは顔面を覆う兜を身につけているが、その中で、先頭を歩く者だけが(かぶと)ではなく、仮面をつけていた。


道化師(クラウン)……」 


 異様といえば異様だった。重々しい甲冑をまとった兵士たち、その殺伐(さつばつ)とした一群のなかに、ひとりだけおどけ役が混じっている。とはいえ、首から下はしっかりと武装しており、大剣を背負っていた。


 鞘には見覚えのある蔓草(つるくさ)の模様が刻まれている。


 ――ウラスロではない?


 そう思う一方で、兵士たちの身にまとう鎧兜は、どことなくウラスロの特務部隊を髣髴(ほうふつ)とさせる意匠(デザイン)だった。


 ――どこまでが自分の夢の影響で、どこからが別の者の夢か。


 判然(はんぜん)としないうちに、道化師がひょいと人差し指をティアに向けてくる。それを合図に、左右の茂みから兵士たちが飛び出してきた。


「挨拶もなしか」


 事前に回り込ませていたのだろう。左右の兵士はともに槍を構え、こちらめがけて突っ込んでくる。ティアは避けず、身体を貫かれるままに両手を伸ばした。それぞれの頭を掴み、互いにぶつけあわせる。


 石畳に崩れ落ちていく兵士たち。その兜が割れ砕け、下から顔がのぞく。


 ――こいつらの顔は見えるのか。


 はじめて見る顔だが、どういうわけか影にはなっていなかった。


 道化師がさらに指を動かすと、今度は斧槍(ハルバード)を振り上げた兵士が迫ってくる。ティアは手首を回した。その動作だけで、手には黒刃が握られている。


 刃を横に、振り下ろされた斧槍を受ける。ずしりと重い体重がかかり、靴が石畳にめりこんだ。


 下から、力任せに斧槍を弾く。ひるんだ兵士の首と鎧の隙間(すきま)を狙って黒刃を突き刺した。


「……!」


 無言の絶叫。


 ティアは刺した黒刃を左右に振った。(のこぎり)で削るように、手に、肉の筋がぶちぶちと断裂する感触が伝わってくる。


 そこからひょいと剣を引けば、兜をかぶったままの首が飛んだ。


 首を掴み、杯を(かか)げるように高く持ち上げる。首の断面からとめどなく血が(したた)り落ちるのを、ティアは舌を伸ばして受け止めた。


 ごくり、ごくり、と。ひとしきり飲み終えてから、


「味がしないな」


 力を消費しない夢であれば、血を補給する意味もないらしい。


 ティアは、道化師めがけて生首を放り投げた。


 道化師は首を横に倒し、飛んでくる生首を軽くかわす。


 ティアは笑い、


「人違いなら悪いが、私の八つ当たりに付き合ってもらう」


 その場にしゃがみ、地に手をついた。その触れた部分から亀裂が走り、黒い筋となって兵士たち一団に向かっていく。


 最初に反応したのは道化師だった。足元に亀裂(きれつ)が届く前に地を蹴り、高く飛び上がる。それに(なら)って続々と周囲の兵士たちも飛びはじめた。


「逃がさない」


 ティアの赤い瞳がぎらりと光る。


 亀裂を起点として、無数の黒槍が突き上がった。黒い花が咲くように、一瞬で針山と化した黒槍が、逃げ遅れた兵士たちを次々と串刺しにしていく。


 そのうちの一本が道化師へと狙いを定めて伸びる。


「……」


 道化師は、近くを飛ぶ部下の兵士を掴むと、ぐいと自分の身体の前に引き寄せた。身代わりとなった兵士の胸元に槍が突き刺さる。


 ティアの攻勢はそれだけでは終わらない。直後、道化師の背後で魔法陣が描き出されたかと思うと、中からティアが飛び出してくる。


 道化師の首を斬り落とそうと黒刃を振る。


 しかし――


 ティアの手に、硬い金属を打つ(しび)れが走った。


「やはりな」


 ティアは冷静につぶやく。


「その剣は、蜃気楼(ディリバブ)


 青白い剣身は、まぎれもなく東ムラビア王国に伝わる宝剣だった。


 黒槍に突き刺された兵士を踏み台に、蜃気楼(ディリバブ)を振りざま、道化師がこちらに向き直った。


 ティアは仮面を見据(みす)え、


「お前は、イグナスでいいんだな?」


 問うも、道化師からの返答はない。かわりに蜃気楼(ディリバブ)を振ってくる。


 対するティアは黒刃を消した。蜃気楼(ディリバブ)に斬られるにまかせ、ティアは両手を持ち上げる。人差し指の先に、黒い液体が溜まっている。


 ――いけるか?


 指先を道化師の仮面の裏、耳の穴に突き入れた。躊躇(ちゅうちょ)なく黒い水を注ぎこむ。嫌がってか、道化師がティアの腹を蹴った。


 地に落下し、倒れ伏したティアの身体が即座に再生をはじめる。


 そこへ好機とばかりに生き残った兵士たちが群れ集ってきた。ティアは霧へと変じ、いったん距離を取った。


 屋敷を背にティアが姿を現した時、すでに傷は癒えている。


 一方の道化師は、どうやら苦しんでいるようだった。


「グ……グ……グ……」


 切れ切れにうめき声を漏らしながら、身体を震わせている。


 がくがくと震える道化師の動きに合わせ、蜃気楼(ディリバブ)がうすく明滅をはじめた。


 ティアは前面に魔法陣に描き、飛び込んだ。視界が転換し、目の前に道化師の仮面が迫っている。


「いい加減に正体を(さら)せ」


 爪を硬質化させ、引っ掻くように腕を振った。半瞬遅れて道化師が後方に跳ぶ。


 仮面が、カツリと石畳の上を転がった。


 男は手で素顔を隠そうとするも、ティアははっきりと見た。


 思ったとおり男はイグナスだった。ただ、ティアが知る顔立よりもかなり若く、髪の色も銀ではなく暗い茶の色をしている。


「のうのうと……」


 暗く、負の感情をのぞかせる声音だった。


「お前だけが、のうのうと……」


 言葉は、ティアにむかって吐き出されている。


「許さん!」


 突風のような憎悪に、握りしめた蜃気楼(ディリバブ)が応えて輝く。その力によってティアの支配を跳ねのけたのか、イグナスがこちらめがけて斬りかかってきた。人の顔でありながら、獣相(じゅうそう)を宿している。鬼気迫る形相だった。


 荒々しい剣筋(けんすじ)だが大振りのため、ティアは軽々とかわす。


 ――怒りで我を忘れている?


 さながら狂戦士(バーサーカー)のように。ティアは両手から黒雷を放つと、イグナスを兵士もろともはじき飛ばした。


 仰向(あおむ)けに床に倒れたイグナスを、ティアは冷たい瞳で見下ろした。


「なぜ、私を恨む?」


 しかし、イグナスはティアの声にまったく反応を示さない。ただにらみつけてくるばかりだ。


「なぜ、この屋敷を訪れた?」


 重ねて訊いたティアの鼻先を、煙の臭いがかすめた。


「まさか――」


 顔を上げると、屋敷の塀のむこうのあちこちから、幾筋(いくすじ)もの黒煙が上りはじめている。


「……街に火を放ったか」


 構えたティアの手に、黒刃が握りしめられている。その時だった。


「お兄様!」


 ありえない声が耳に届いた。はっと息を()み、ティアは屋敷を振り返った。


 扉の前に、プリネイアが立っている。


「馬鹿な! なぜ……!」


 プリネイアは、両親と一緒に屋敷から出したのだ。この街にいるはずがない。


 その疑問は、ティアだけではなかった。


 プリネイア自身が、いま自分が出てきた扉と、ティアを交互に見ている。


「どうして……私はお屋敷にいるの?」


 意味がわからない、といった様子が、その仕草からありありと伝わってくる。


 ティアも驚きながら、イグナスの殺気を読み取った。


 イグナスがティアを見、プリネイアを見て(わら)う。蜃気楼(ディリバブ)を持ち変え、投げるような姿勢を取る。


 ――外道!


 ティアはイグナスの前に立ちふさがった。


 蜃気楼(ディリバブ)が放たれた。その剣尖(けんさき)がティアの胸に触れた、瞬間、ティアの胸にぽっかりと穴が空き、蜃気楼(ディリバブ)がすり抜けていく。


 ――これは……!


 驚愕(きょうがく)青褪(あおざ)めながら、ティアは飛び過ぎる蜃気楼(ディリバブ)に手を向けた。


城へと続く深い森バール・オズ・ミィ・エルドゥ!」


 蜃気楼(ディリバブ)とプリネイアの間に黒い霧が発生する。霧に呑み込ませ、逆にイグナスに反撃するつもりだった。


 しかし――


『無駄じゃ』


 残酷なほどに冷静なイスラの声が、頭に響いた。


『過去は誰にも変えられぬ』


 その言葉を証明するように、蜃気楼(ディリバブ)はティアの霧を掻き消し、


「プリネイア!」


 手を伸ばしたティアの口から、自分のものではない声が発せられた。同時に、雷撃を受けたような激しい感情の衝撃が走り、身体の(しん)が揺さぶられる感覚が起こった。これまで、ぴったりと重なっていた自分の精神と肉体が半分だけズラされ、その空いた領域に別の精神が入ってくる。


「プリネイア!」


 ティアではない声でもう一度叫び、少女へと駆け寄った。


「お兄様……」


 痛みに顔を(ゆが)める、プリネイアと呼ばれた少女。その少女の胸に、蜃気楼(ディリバブ)が深々と突き刺さっていた。


 ティアではない何者かが、弱々しく持ち上げられた少女の手を掴む。


「しっかりしろ、プリネイア!」


 何度も呼びかける、ティアではない男の声。しかし、男の言葉を待たず、少女の全身から力が抜け落ちた。事切れると、少女の顔の影に、光のヒビが入った。


 影が音もなく粉々に砕け、その素顔が明らかになる。


 ティアがはじめて見るプリネイアの顔は、死に顔になってしまった。


 怒りと悲しみ。


 内より、男の絶望が、ティアの肉体を動かしはじめた。


 ――これは……。


 ティアの意思ではなく、男の意思によって。


 プリネイアの胸から蜃気楼(ディリバブ)が引き抜かれていく。


 男は、視線を石畳の先へと向けた。


 そこに、イグナスが立っている。満足げに口の端を持ち上げ、(わら)う。


「お前が悪いのだ」


 イグナスが、嗤い声を上げはじめた。


「先に奪ったのは、お前だ。すべての原因はお前なのだ」


 嗤い狂うイグナスに、男は蜃気楼(ディリバブ)を突きつけた。


「……黙れ」


 そしてティアは悟る。続く男の言葉に、自分が思い違いをしていたことに。


錯乱(さくらん)したか、ミドスラトス。それほど死にたいなら殺してやる」

参考:ミドスラトス→第三章『40 王都後景』

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