表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
154/239

8 扉の記憶Ⅰ(修正版)

 まず目に飛び込んできたのは、奥壁の窓越しに見える中庭だった。外のまぶしさのせいで、室内がずいぶん暗く感じる。


「これは……太陽の光か」


 瞳を小針でつつかれるような痛みに、ティアは何度も目を(しばた)かせた。


 白くぼやけた視界のなか、(へや)の内装には見覚えがある。


 対流する(ほこり)


 窓の前に置かれた机から、逆光になった人影が立ち上がった。


「――帰ったか」


 抑揚(よくよう)にとぼしい声音、それでいて愛情のこもった響きに、どくり、とティアの心臓が大きく跳ねた。(あわ)い光に縁取(ふちど)られた人影を前に、凝然(ぎょうぜん)と立ちつくす。


「……父上?」


 漏れ出た言葉とともに、灰褐色の瞳が揺れた。


 懐かしい、見覚えのある家具たち。


 羊皮紙(ようひし)とインクの匂いに、胸が詰まりそうになる。


「どうした?」


 逆光のなか、父親らしき影が(いぶか)しむように机を回ってくる。ティアはまぶしさに顔をしかめながら、さらなる驚きに身を固くした。


「父上……」

「何だ?」


 と、やや首を傾げたような素振りを見せる影は、その影によって顔を失っていた。


 頭はある。髪も、(ほほ)から顎先(あごさき)にかけての輪郭(りんかく)もある。


 なのに、そこに収まるべき瞳や、鼻や、口などの顔に関わる部位のすべてが、ぽっかりとした影に()み込まれている。


 異様だった。


 ティアはごくりと(つば)を飲み、気取られぬよう、そっと後ろ手を持ち上げた。


 ――黒雷フェケテ・メーンドルゲーシュ


 ティアの背に隠された右手が、バチリと黒い光を()びはじめる。


 ――(あやかし)の見せる夢ならば、白日(はくじつ)の下に(さら)す……。


 影の顔をにらみつけようとした時だった。


「どうした?」


 顔の見えない、それでも父親であるはずの手が、無造作にティアの頭の上に置かれた。


「あ……」


 その瞬間、ティアの右手の黒雷が、しぼむように霧散(むさん)してしまう。


「体調でも悪いのか?」


 頭に置かれた手が、ティアの額へと移った。


「熱があるのか」


 つぶやくような、たしかめるような口調に、ティアは食い入るように父親の顔を見上げた。だが、どれだけ見つめようとも影は影のまま、底なし井戸のような闇が広がっているばかり。


「いえ……」


 ようやっと、ティアは首を振った。


「平気……です……」


 (しぼ)り出すように言って、深くうつむく。


 いったい、どんな表情をすればいいのか。


 胸を()めつけられるような懐かしさは、ある。あるのに……顔が見えないせいか、どうしても父親だという確信が持てない。


 なつかしさと、確信の持てない違和感。


 逃げるように視線をさまよわせた時、ティアは壁にかけられた鏡に気づき、目を見張った。


 鏡に自分の顔が映っていない。


 ――私も、なのか。


 ティアは自分の顔に指を()わせた。指先が、ちゃんと目に触れる感覚があった。鼻があり、口もある。


 それなのに、鏡に映る自分の顔は影になっている。


 ――何が起こっている?


「何が……」


 動揺するティアを、父親がじっと見下ろしている。言葉もなく、ただ見つめられる不気味さに、ティアは一歩、足を退けた。


 ――わからない。


 目の前に立っているのは父親なのか、父親ではないのか。


 その時だった。


「お兄様!」


 ドアがいきおいよく開き、誰かが部屋のなかに飛び込んできた。


「ずぅっとお待ちしていました。もう、お兄様ったら! 帰ったのならそう言ってくださればいいのに」


 溌剌(はつらつ)とした少女の声に、室の空気まで軽くなる。


「……ナナ?」


 思わずティアの口をついて出た、タオの妹の名。だが、こちらはすぐに妹ではないと知れた。声と口調がまったくちがう。


「静かにしないか、プリネイア」

「いやです。お父様はお話が長すぎます」

「積もる話があるのだ」

「私にだってあります」


 話を聞くにつけ、どうやらふたりは父娘らしい。はじめて聞くプリネイアという名前に、やはり、という思いが強かった。


 ――やはり、この影は父上ではない。


 安堵(あんど)する心と、寂しく思う心が半々。


 とはいえ、そうなると別の問題が持ち上がってくる。


 ――自分は誰なのか?


 このプリネイアという少女が自分を『兄』と呼んだ以上、自分がこの見知らぬ家族の一員であることはわかるが、ではなぜその『誰か』に自分がなっているのか。


 不可解なのはそれだけではない。


 ――なぜ自分は、この部屋に懐かしさを覚えるのか。


 はっきりとは思い出せないが、この室が、シフルの屋敷にあるタオの父親の書斎に酷似(こくじ)している。それどころか、まったく同じものだという気さえする。


 わからないうちに、プリネイアと呼ばれた少女が、ティアの手を取った。


「お父様とのお話はそれぐらいにして、ほら、お兄様、行きましょう!」

「行くって、どこに?」


 腕を引っ張られながら、ティアがあわてて尋ねると、


「デートに決まっています」


 嬉々(きき)とした答えが返ってきた。 


 ◇


 その街は、村と呼ぶほうが適当なほど、ちいさく、貧しい集落だった。周囲をなだらかな牧草地がひろがり、遠目にぽつり、ぽつりと林が点在している。


「落ち着く眺めだ」


 どこか寂しい景色ではあるが、心が(やわ)らいだ。


 シフルではない、ように思える。だが、本当にちがうのかと問われると、どうにも頭に靄がかかったように、ちがうと言い切る自信がもてない。


 ――私は夢を見ている。


 それは間違いないことらしい。だが……。


 ちらりと横を見ると、気づいたプリネイアがこちらを見返してくる。


「プリネイアはよく馬を操る」


 それぞれが馬に乗り、川辺の土手道を登った。


「最近、私が馬に乗ると、お父様が嫌そうな顔をするんです」


 プリネイアが溜息まじりに首を振った。


「もっとおしとやかにしろと?」

「暗にそう伝えてくるのです」

「父上らしいな」


 ティアは適当な相槌(あいづち)を打っておいて、


「プリネイアは、何歳になった?」

「15歳です。――お兄様、私の年齢を忘れてしまったのですか?」

「そういうわけじゃない」


 さらりと言ったものの、プリネイアの影の顔が、じっとこちらを向いている。悪意がないのはわかるが、影に無言で見つめられるのはどうしても慣れない。


「だから私はお兄様の山籠(やまご)もりには反対だったのです」


 プリネイアが、声を荒げて言った。


「山籠もり?」

「お兄様はずっと、『師匠』とかいう人の(いおり)に住んでいらっしゃったのでしょう? 殿方として、強くあるべきとは私も思いますが、妹の年齢を忘れるほど家を離れるなんて、やりすぎです」

「師匠……」


 気になって訊いてみたところ、タオの師匠で間違いなかった。


 どうやら自分は師匠の元での修行を終え、故郷に帰ってきた、ということになっているらしい。


 ――この夢は、私の夢でもあるらしい。


 ティアが考えていると、


「お兄様、見てください!」


 呼ばれて見ると、プリネイアが馬上に立っていた。両手を横に広げ、ふらふらと危なげにバランスを取っている。


「何を――?」


 ティアが呆気(あっけ)に取られていると、ためらうことなくプリネイアが馬の背を蹴った。こちらめがけて飛び上がってくる。


「馬鹿!」


 あわててプリネイアを受け止めたティアだったが、勢いに負けて落馬し、土手の坂をすべり落ちていった。


 妹に傷がつかぬよう、強く抱きしめながら、なんとか坂の途中で身体を止める。


「なんてことをする」


 怒気(どき)をあらわに言うと、押し殺した笑い声が聞こえた。


「昔は軽く受け止めてくださったのに。お兄様、修業して弱くなってしまっては元の子もありませんわ」

「……プリネイアが大きくなったんだ」

「まぁ、ひどい。私はすこしも太っていません」

「身長の話だ」

「変わっておりません」


 黙り込んだティアの腕のなかで、プリネイアが笑う。坂の途中で頭を下に向けながら、ふたりで落ちていくような態勢だった。


 聞こえるのは野草をわたる風の音と、川のせせらぎ。


 その静寂に、ティアは気詰(きづ)まりを感じた。


「……そろそろどいてくれ」

「どきません」


 プリネイアの声音は落ち着いている。むしろ落ち着きすぎていた。これはよくないと思い、ティアはあわててプリネイアを横に置き、立ち上がった。


「父上の言うことは正しい。プリネイアはおしとやかさが足りない」

「おしとやかにした結果、お兄様の修行が終わるまで、私は何年も待たされることになったんです」


 ()ねた口調ではあるが、どこか嬉しそうでもある。


 プリネイアの表情は、やはり影に隠れて見えなかった。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ