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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第一章 棺の中編
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6 月と狼

 体内で、何かが引っかかるような手応えを感じた。


 ……来たか!


 教会の屋根の上で影が瞬時に狼を形作り、イスラが顕現(けんげん)する。


「まったく、冷や冷やさせおって」


 深く安堵の息を吐く。まるで(せき)を切ったかのように、イスラの加護の力がティアへと流れ込んでいくのがわかった。


 雲ひとつない夜空に完全な月が上っている。


 まばたきひとつせず、イスラは月に鋭い視線を投げやった。


 その白銀の月に異変が起こった。


 (しろ)い光を湛える月が、徐々に輝きを失っていく。


「良い目が出てくれよ」


 これで全てが決まる。


 夜の女神たるイースラス・グレマリーは月へと祈りの力を注ぐ。


 やがて、月が完全に光を失い、新月のように夜に隠れて見えなくなった。


「赤じゃ! 赤を出せ、……出さぬなら貴様を千々(ちじ)に喰いちぎってくれようぞ」


 月に脅しをかけるように、イスラが猛々(たけだけ)しく命じる。


 風が巻き起こった。


 まだ春先にもかかわらず、風は真夏のような熱と湿気を(はら)んでいる。教会を包む森の樹冠が大きく傾ぎ、木の葉を舞い上がらせた。夜啼(よな)きがぴたりと止み、辺りに濃厚な緑の匂いが充満する。


 一転して風が止み、静寂が世界を支配する。


 その時、どこからか羽音がした。はじめは虫の音かとも思われた羽音は、森全体に波紋を描くように、いたるところから聞こえはじめる。


 一匹の蝙蝠(こうもり)が夜空をめがけて飛び立っていく。それを(くさび)として、大量の蝙蝠が森から一斉に飛び立ちはじめた。


 大量の蝙蝠の群れが、夜空の中天を目指して次々と飛び立っていく。


 その先には、赤い、紅玉(ルビー)のような月が浮かび上がっている。


 ◇


 堂内に、絶叫が響き渡った。


「こいつ、クソッ! 指を噛み切りやがった!」


 別の男が叫ぶ。両手が離され、ティアは頭から床に落下した。


 抗う術もなく脳天を打ちつけ、うつ伏せになる。血が髪を濡らし、顔をつたって流れ落ちていく。


「ふざけやがって」


 指を噛み切られた男が激高し、ティアの腹を蹴り上げた。宙に飛ばされ、床をはずみ、ティアは信者席につっこんでいく。


「……ぅ……」 


 ごろりと仰向けになったティアの口から、こぼれるように親指が吐き出された。唇が、口紅を塗ったように赤い。


 盗賊たちのうち、禿頭の頭領が歩いてきて、ティアを見下ろしてくる。


「……ざまぁ……みろ……」


 負けじと見返し、ティアは笑ってやる。


 ──どうだ、タオ=シフル。


 もうひとりの自分に話しかける。


 ただで死んでなんかやるものか。お前がそうしたように。ボロボロになったとしても、オレは負けやしない。


「女の割にはいい根性してやがる。だが、もう容赦しねぇ」


 両膝をつき、頭領がティアに覆いかぶさってくる。


 中央を縦に切り裂かれた服に頭領の手がかかった。


 その時、突如としてティアの身体が大きく跳ねた。


「なんだぁ?」


 たじろぎ、男があとずさった。ティアは二度、三度と痙攣(けいれん)を繰り返す。


「……ァ」


 焦点の合わない瞳が、不気味に縦横に揺れた。


「アァァァァァァァァ……ッ!!──」


 闇が、迫ってくる。ティアという重力に引かれ、闇が隕石(いんせき)となって落ちてくる。


 隕石同士がぶつかり合い、脳内で激しい明滅を繰り返す。


 自分の手足が伸び、どこまでも遠ざかっていくような感覚があった。熱病にうなされた時のように、自分の周囲の空間が膨張を続けていく。足の下が、底の見えない深い井戸のようにぽっかりと黒い口を開けている。


 その暗い井戸から、どろりとした軟質の黒い液体がゆっくりと上ってくる。


 襲来する敵。

 乙女の祈り。

 守るべき領民。

 貴族の務め。

 串刺しの人々。

 黒い夜。

 朽ちた教会。

 開かれた棺。

 血を(すす)る者。

 

 それは言葉となり、明滅とともにティアの意識の底に刻み込まれていく。その度に耐えがたい頭痛が襲ってきて、気を失いそうになる。


 逃げることもできず、ティアは叫び続けた。


「なんだってんだ……」


 盗賊のうち、指をなくした男が顔を蒼白にして、苦悶の表情でのたうつティアを見下ろしていた。


「おい」


 と、別の男が、さらに別の男に話しかける。


「なんかやばそうだ。逃げた方がいいんじゃねぇか?」


 男が、禿頭の頭領に言った。けれども話しかけられた頭領は、ぼんやりとした表情でティアを見下ろしたまま、何も答えない。


「おい!」


 肩を叩かれ、頭領ははっと気づいたように振り返った。


「あぁ、そうだな。よし、お前らは先に行っていいぞ」

「残るのか?」

「……何か文句があるのか?」


 腰に佩いた剣を抜き、仲間の首元につきつける。


「な、何すんだよ!」

「さっさと行きやがれってんだ!」


 怒鳴りつけられ、頭領をのぞいた四人が足早に教会を出ていく。


 禿頭の頭領はひとりティアを見下ろす。


 何もせず、ただじっと見下ろしている。


 もっと早く気づくべきだった、と男は思う。


 こんな山奥の森にある教会に、血だらけの服を着た娘が棺の中に入っている。


 明らかに異常なことなのだ。だが、男はそれに気づかなかった。いや、気づいてはいたがこの娘の美しさに欲望がうずき、頭の片隅へと追いやってしまった。


 足が、動かない。


 もう、眼をそらすことさえできなくなっている。いますぐにでも逃げなければならないのがわかっているのに、それができない。まるで全身を見えない縄で縛り上げられたように、動くことができない。


 視線の先の娘から発せられる叫びが、唐突に止まった。

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