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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
147/239

1 月とアメジストⅠ(前)

 雲ひとつない夜空は、海とつながって見えた。


 水を切る船の舳先(へさき)から、白波が舷側(げんそく)をつたって(とも)へと流れてくる。


 船窓から外をのぞくファン・ミリアの目元を、いくつもの微細(びさい)な光が照らしていた。水粒(みつぼ)のうちに舞い上がる夜光虫(やこうちゅう)の光と、天から注ぎ落ちる星々の光が、青となり、緑となり、ファン・ミリアの瞳を輝かせている。


 月のない、ひそやかな夜。


 かすかに響く波音の底に、規則正しい寝息が聞こえる。


 ファン・ミリアも(なら)って目を閉じてはみたものの、


「眠れない……」


 溜息まじりにつぶやいた。


 自分が、自分でもわからない。


 ファン・ミリアは青いドレス姿のまま、長椅子に腰かけていた。


 疲労が濃い。いまは見えないラズドリアの盾が、全身に圧し掛かるようにファン・ミリアを億劫(おっくう)にさせていた。


 それなのに、ひどく神経が(たかぶ)っている。深く眠ることができなかった。


 理由はわかっている。


 ──私は、会えたのだろうか。

 

 かつて、ファン・ミリアはひとりの少年の最期を看取(みと)った。


 タオ=シフルという名の、聖騎士見習いの少年を。


 聖騎士団筆頭として、ファン・ミリアは現場の責任を負う者ではあるものの、タオとは立場において大きな(へだ)たりがある。報告書によって名前は知っていたが、面識はなかった。


 取り立てて特筆すべき能力があるわけでもなかった。そもそも、ファン・ミリアがシフルに向かったのも、タオ個人に対する意識というより、見習いとはいえ彼も団に属する者にちがいなく、それゆえに見届けてやらなければ、という仲間意識に()るところが大きい。


 そのタオが、これほど自分の心に深く食い込んでくるなど、想像さえしていなかった、だけでなく、無断で団を離れるという愚挙さえ起こさせている。


 なにより、この特異な状況がファン・ミリアを混乱させていた。


 タオ=シフルだった少年は、ティアという名の少女に生まれ変わった。生まれ変わった、という言葉が正しいかどうかはわからないが、ティアがタオだった、という事実は間違いのないことで、そうしてみると。


 ──私はこの者に対して、どう接し、どう振る舞えばいいのだろう?


 ファン・ミリアは、タオ=シフルに恋をした。


 同時に、人外の存在を滅ぼさなければならない聖騎士でもあった。


 私人の自分として接すればいいのか、公人の自分として接すればいいのか……。


 ピクピクと、目を閉じたファン・ミリアのまつげが震えはじめた。


 感じはじめた視線に、自分でも緊張しているのがわかる。


 視線はじっとファン・ミリアに留まり、無視することができない。


 あきらめ、ファン・ミリアは薄目を開いた。


「……何を見ている?」


 やや硬い口調で訊くと、


「ファン・ミリア=プラーティカ」


 返事があり、瞳があった。


 開かれた灰褐色の瞳が、まっすぐにファン・ミリアを見つめていた。


 ファン・ミリアが着ているドレスのスカートはところどころが破れ、白い脚が見え隠れしている。


 そのファン・ミリアの膝を枕にして、ティアが長椅子に横になっていた。身体には粗末な毛布がかけられている。


「目覚めたのか」

「……身体の動きがにぶい」

「どこか痛むか?」


 自分の疲労をよそに、ファン・ミリアはうつむいてティアを見下ろした。寝起き直後のぼんやりした表情はうかがえるが、体調の良し悪しまではわからない。


「いや」


 と、ティアは瞳を窓の外へと向けた。ファン・ミリアに膝枕(ひざまくら)をされているのを驚く様子もなければ、警戒する様子もない。


「海……ここは船の中か。しかも、新月」

「海の上では、動けない?」


 ファン・ミリアが訊くと、


「さぁ」


 ティアはひとしきり船室の様子を見回した後、こちらへ視線を戻し、


「──だが、私を仕留(しと)める気があるなら、いまが好機にちがいない」


 その言葉に、ファン・ミリアは不快そうに眉をひそめた。


「私が寝首を()くような者に見えるのか?」

「見えない。貴女(あなた)が本気になれば、私が勝てるとも思えないし」

「そういう意味で言っているんじゃない」


 ファン・ミリアは苛立(いらだ)つようにティアをにらむ。


「滅ぼすつもりなら、はじめから助けたりしないと言ってるんだ」

「うん……知ってる」


 間近に向かい合うティアが相好(そうごう)を崩した。


「ファン・ミリアという人は、そういう人だ」


 はっと、ファン・ミリアは言葉を()み込んだ。罪悪感を覚えたからだった。場合によっては、助けた者を殺めなければならない。


 ──ずっと話してみたいと思っていた。


 どんな笑顔で笑う人なのだろうと、想い続けていた。


「……ありがとう。私が目を覚ますまで側にいてくれて」


 それに、とティアは付け加えた。


「私が蛇に操られていた時も、貴女の声が聞こえていたように思う」


 ティアが、ぎこちない動きで両手を伸ばしてくる。ファン・ミリアの顔に触れ、その輪郭(りんかく)をたしかめるように指でなぞっていく。


「なぜ、いつも私の顔に触れる?」

「美しい彫像を見れば触れたくなるのは、私だけじゃない」

「他人が気軽に触れていいものではない」

「もっともだ」


 投げ出すように、ティアは両手を毛布の上におろした。ちいさく|(のど)を鳴らして、


「はじめて貴女を見たのは、聖騎士団の本部で仮採用を受け、見習いになった日だった」


 と、静かな口調で話しはじめた。


「貴女は部下の聖騎士たちを従え、ちょうど本部に入ってきたところだった。──あれは、訓練か何かの帰りだったのだろうか」

「……かもしれない」

「私が一階の部屋を出て、廊下を玄関ホールに向かって歩いていたその先を、貴女が横切り、階段を上っていった。ほとんど一瞬の出来事だった」

「呼ばれれば、振り返るくらいはしただろう」


 ファン・ミリアが口を挟むと、「そんなことはできなかったし、考えもしなかった」とティアは笑った。


「ファン・ミリアというひとりの英雄を見て、ここが聖騎士団なんだ、と思った。そして、タオとしての私が貴女を見たのは、あの時が最初で最後だった」

「タオ=シフル……」


 思わずつぶやいたその名に、「そう」と、ティアはうなずいた。


「その名は、かつて私であった者の名だ」

「いまはちがうと?」

「ちがうと思う。ティアーナ=フィール、それがいまの私の名だから。ウル・エピテスの地下墓所(カタコンベ)目醒(めざ)める前に、私は、タオが(ひつぎ)の中に納められているのを見た。夢だったのかもしれないが……あの棺は、きっとどこかにあるのだろう」

「棺……」


 ファン・ミリアはタオが納められているというその棺を想像してみた。冷たい場所にあるのか、温かい場所にあるのか。明るい場所か、暗い場所か……。


「しかし──」と、ファン・ミリアは()に落ちない。


「前に私を筆頭と呼んだのも、過去を語るのも、タオ=シフルの記憶があるからだろう?」

「それも、そう。でも、いまの私は、タオができないことができるし、タオが考えもしなかったことを考えている。逆に──タオができたことができなくなってもいる」


 そこでふと、ティアは冗談めかして言った。


「もし私がタオなら、きっと貴女には触れられなかった。見習い程度では、筆頭に触れることは許されないだろうから」

「見習いでなかったとしても触れさせはしない。人外の者にも」


 ファン・ミリアが真顔で告げると、ティアは気づいたように、


「貴女の目に、私は人外の者に見えない?」

「……見えないでほしいとは思っている」


「うん」と、ティアはゆるく長い息を吐いた。


「私も、できればそうありたかった。私自身、化け物ではなく、人でありたいと望んだのは、私のなかでタオの心が息づいているからだと思う。だが……私は確かにタオから大切なものを託されたが、託されたものをどうするかはティアである私が決めることだ。そうでなくては、私がタオではなく、ティアとしてこの世界に戻った意味がなくなってしまう」

「……」

「私はどうしようもなく人外の化け物で、吸血鬼なんだ。それでも……」


 続く言葉を押し留め、ティアは身体をよじり、ファン・ミリアの視線から逃げるように顔を横に向けた。


「……私のせいで、貴女は仲間を失った」


 言って、ティアは目を閉じた。痛みをこらえるように、強く。


 ──グスタフを(いた)んでいるのか……。


 ファン・ミリアは思いつつ、ティアに毛布をかけ直してやりながら、


「死の間際、『気にするな』とグスタフは言ったはずだ。彼の死には、彼の意思があった。私はそう信じている」

「……強い人だな」

「強く、正しい人だった。我々が誇るべき戦士だ」

「私は、聖騎士団の記章を受け取ることができなかった。タオは──かつてタオであった私は、聖騎士団になる夢を叶えることができなかった。彼の助けを借りてもだめだったんだ」

「……」 

「私は、私の夢を叶えてはやれなかった……それが、やはり悲しい……」

「……私も悲しい」


 ファン・ミリアは、そっとティアの髪を指で()いた。癖のない、ファン・ミリアの指の隙間(すきま)をすべり抜けていくような黒髪は、タオ=シフルの栗色の髪とは似ても似つかない。


「私の手は、タオ=シフルが冷たくなっていく感覚を覚えている。とても悲しかった。彼と話してみたいと、ずっと思っていたんだ」


 ティアが目を開いた。驚いた表情でこちらを見上げてくる。


「どんな笑顔を見せてくれる人だったのだろうか、と」


 微笑み、ファン・ミリアがティアの顔を覗き込もうとすると、ティアはあわてた様子で顔をそらし、再び横向きになった。おや、と思ってファン・ミリアが見ていると、


「……タオは、貴女が気にかけるほどの者ではなかった」


 小声でぼそぼそと言ってくる。


「死んだ者を悪く言うのはよせ」


 真面目ぶってファン・ミリアが告げると、


「自分のことだから……」

「ついさっき、自分はタオではないと言ったばかりだ」

「でも、この世で一番タオに近いのは私だ」

「だから、そのつもりで見ている」


 膝をゆすると、ティアがチラリとこちらを見た。


 ん? と、ファン・ミリアが目を細めて笑いかけると、ティアは上目遣いにそろそろと毛布で顔を隠そうとする。


「人が嫌がることをするのは、よくない」


 その言葉に、ファン・ミリアはくすくすと笑い声を漏らしながら、


「私こそ、ティアにはさんざん嫌なことをされた。覚えているだろう? 人前に連れ出された挙句、ダンスまで踊らされてしまった」

「……覚えていない。あれはユーセイドのしたことで、私がしたことではない」


 とうとう、頭の上まですっぽりと毛布にかぶってしまった。


「まさか見習い団員に口答えされるとは思わなかった」


 ファン・ミリアはわざとらしく目を丸くさせた。むくむくと、胸にいたずら心が起こっていた。


「おまけに、ティアは十六歳なのだろう? 私は十七歳だ。年上だ」


 すると、引きこもった毛布の下から、ティアの声がくぐもって聞こえてきた。


「一歳くらい……ぜんぜん年上には見えない」

「なんだと?」

「聖女とか言って」

「待て、いま私にケチをつけたのか?」

「つけてない」

「私の膝を借りておいて、よく言った」

「……貸してくれとは言ってない」

「なら返せ」

「返さない」


 そんなやり取りを繰り返すうちに、どちらともなく寝入ってしまった。


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[一言] ティアとファン・ミリアの語らいに心が浄化されそう… 尊いです
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