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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
145/239

102 王都近景、それぞれ。

 王城ウル・エピテス、東端。


 最高層の空中側廊(そくろう)より、これまでの一部始終を見つめていた人影があった。


「イグナス……しくじったか」


 抑揚(よくよう)のない声音でつぶやく。


 明けはじめた東の空とは対照的に、西に面した側廊は暗い。しかしながら、青く染まりはじめた世界のなかで、その人影もまた、人影のままではいられない。


 見下ろす灰緑色の瞳は、やや細い。上品に整えられた口髭に、若々しくひきしまった身体つき。着ている最高級の正装ともあいまって、見る者に地位の高さをうかがわせた。


 軍部における最高位、『元帥』をあらわす記章を胸につけた男の名は、ネオン=アービシュラル。


 ネオンは、増水したルールヴ川を一瞥すると、側廊を進みはじめた。


 ──イグナスは、時間をかけすぎた。


 その挙句(あげく)(わし)のギルドを仕留(しと)め損なったとあっては笑い話にもならない。 


 容易に想像される膨大な事後処理に頭を巡らせながら、ネオンは廊下の終着で立ち止まった。

 

 海峡に突き出た崖に造成されたウル・エピテスにあって、東端、その最奥部。

 

 扉にはムラビア王家の紋章(もんしょう)が刻み込まれている。


 限られた者しか立ち入ること許されない、完全なる王の私的空間(プライベート・ルーム)


 その両開きの扉を、ネオンは自らの手でゆっくりと開いていく。


 召使いの者は、誰もいない。


 いくつもの部屋を抜け、ネオンは王の寝室へとたどり着いた。


 開け放たれた大窓からは、潮風が流れ込んでくる。


 嵐が去り、静けさを取り戻した海面には、黄金色に濡れ光る太陽が、こちらの断崖にまで光の道を投げかけている。


 天蓋(てんがい)つき寝台の、薄い更紗(さらさ)柄のレースが風にめくり上げられるたび、細く、皺だらけの腕がのぞく。


「……この国はもう、終わっている」


 ネオンはしばらくの間、その枯れ木のような老人の腕を、感情の読めない瞳で見つめていた。


 ◇


 王城ウル・エピテス、聖騎士団本部。


 ジルドレッドが本部に戻ったのは、ファン・ミリアがティアを助けるためにヌールヴ川へ飛び込んでからさほどの時間も経ってはいなかった。


 ようやく集まってきた軍の指揮者に簡単な事情を伝えたうえで、詳しい話は後日、調査の者がジルドレッドのもとへ訪れる手はずになっている。


 聖騎士団は聖騎士団で、しばらくは事後処理に忙殺(ぼうさつ)される日々が続くだろう。


 グスタフの戦死。


 万が一、川に流されたファン・ミリアが帰らぬ人となった場合。


 イグナスという男と、ウル・エピテスにおける関係。


 考えなければならないことが山積(さんせき)している。


 それでも、彼は不撓(ふとう)の英雄ジルドレッド=イェガーその人である。


 諸人(しょにん)にはその懊悩(おうのう)微塵(みじん)も感じさせない。


 だが──


 本部の正面扉を開き、二階に続く階段の手すりに手を置いた時だった。


「まさか……!」


 この男にしてはありえぬほどの動揺が、その顔によぎった。


 翠眼を見開き、顔を振り上げた。階段を駆け昇り、三階の廊下を一直線にその部屋へと向かう。


 そして……。


 ドアを開けたジルドレッドは、


「やられた……か」


 苦しい声音でつぶやいた数秒後、込み上げる怒りのままに咆哮(ほうこう)を上げた。


 巨大な拳を壁に叩きつけた衝撃で、ドアプレートが外れ、足元に転がった。


 そこに書かれた、『副団長室』の文字。


 机越しの椅子に、腹部に短剣を突き立てられ、冷たい躯となったベイカー=バームラーシュが座っていた。


 ◇


 王都ゲーケルン、貴族街。


 やや遅めの朝、ベッドの上で目覚めた少年は、深い息を落とした。


 ──今日も会えなかった。


 起き出し、壁一面に下げられたカーテンを開くと、窓ガラスのむこうに手入れの行き届いた庭が広がっている。降り続いた雨はようやく上がり、葉裏に露を滴らせていた。


 ──あの女性(ひと)は……。


 やはり夢だったのだろうか。


 嵐のはじまりの夜。


 降り出した雨と、鳴りはじめた雷。


 あの夜、少年は雷の音が気になって、外に出た。


 しかし、よくよく考えてみれば、おかしな話だ。


 少年は、雷が好きではなかった。


 ──ううん。


 ひとりの時の素直さで、少年は頭を何度も振った。


 恥ずかしいので人には言いたくなかったが、少年は雷が苦手だった。もっと本当のことを言えば、怖かった。


 そんな自分が、雷の音に誘われて外に出るだろうか。


 やはり、自分は夢を見ていたのだ。


 でも……と。


 あきらめきれず、少年は思う。


 夜のなかで輝く黒髪と、紅玉ルビーのような赤い瞳。


 彼女から何かを話しかけられた気がするが、どんな内容だったかまでは覚えていない。


 ただ、少年は、その女性(ひと)に優しく抱きしめられたことだけは覚えていた。


 例えようもなく甘い香りに包まれ、頭の(しん)(しび)れるような幸福に……。


 何より不思議なことに、あの夜、少年は庭先で眠っているところを(じい)やに見つけられたのだ。


 少年に夢遊病の(へき)はない。


 おまけに、なぜ爺やがその夜に限って都合よく庭に出てきたかと言うと、ちょうどその時、外から物音が聞こえたらしい。


 そのすぐ後、白い甲冑(かちゅう)を身につけた聖騎士たちが屋敷を訪れ、不審(ふしん)な者を見なかったかと問われたが、少年はもちろん「見なかった」と答えた。


 ──あの女性(ひと)が悪い人間のわけがない。


 それだけでなく、


 ──あの女性(ひと)を守るのは、僕の役目だ。


 子供らしい正義感に(はげ)まされ、少年はそう信じて疑わない。


 寝巻姿のまま、少年は庭先に出た。


 自分が発見された場所に立ち、春の訪れとともに次々と新緑が芽吹きはじめた朝の庭を見つめる。


 風が、やわらかな少年の髪を揺らした。


 少年の名はソムル。


 ソムル・ソーシャ=ディル=ムラビア。


 現王デナトリウスの次子(じし)である。


 そのソムルが陶然(とうぜん)と、うっとりした瞳で見つめ続けている。


 現実(うつつ)よりも淡く、夢よりも鮮やかなあの女性(ひと)を……。


 【第三章・完】


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