100 呼び合うものⅦ
「めちゃくちゃしやがって」
階段を上りながら、サスは後ろに続くシィルに毒づいた。
「爆発に巻き込まれたらどうするつもりだ?」
「心外ですわ」
シィルも負けじと言い返してくる。
「ちゃんと計算しております。爆発は最小限に留めましたし、おふたりとも無傷ですわ」
「……首の裏がチリチリするんだが?」
「無傷ですわ」
言い合いながらサスが前を向くと、キーファは周囲を警戒しつつ、黙々と階段を上っていく。その背中が、エルフには関わらないと無言で伝えていた。
あえてキーファには声をかけず、ハズクの死体をそのままに書斎を出た。
「──で、ここからだが」
通路を玄関へ歩きながら、サスはシィルに顔を向けた。
「約束つーか、助けに来てやったんだから、後はお前の好きにしな」
「どういう意味ですの?」
立ち止まったシィルが、こちらを見上げてくる。
「言っただろう? 俺は忙しいんだ。いつまでもお前に関わってる暇はねえ」
「……私も暇ではありません」
「そりゃよかった」
「ですが、受けた恩は返すのが礼儀ですわ」
「いらねぇよ」
サスはにべもなく断った。
「さっき、死体があっただろう? 俺はあの死体と関わっている」
シィルが瞳を大きくさせた。
「ま、因果な商売ってヤツだ」
サスは口元に冷たい笑みを浮かべ、
「俺とエルフの皇女サマとじゃ、住む世界がちがうってこった」
あばよ、と再び歩きはじめた。
「……」
その横を、無言でシィルがついてくる。
「……」
それでもサスが無視して歩いていると、真横を、シィルがまったく同じ速度でついてくる。
「……」
ぴったりとついてくる。
「なんっなんだよ、おめぇはよ!」
我慢できず、サスが叫んだ。
「ついてくんじゃねぇって言ってんだろうが!」
「私の好きにしろと言ったのは、サス、あなたですわ」
シィルは腰に手を当てた。胸を張り、
「私が恩を感じることに、あなたがどういう人間かは関係ありません」
毅然とした物言いに、サスは口ごもった。すると。
「……わからずや」
キーファが、シィルを冷たくにらんでいる。
「サーシバルさんは、エルフなんかと一緒にいたくないって言ってるんだ」
その言葉に、シィルが無言でサスを見上げた。濃緑の瞳がそうなのかとサスに問いかけてくる。
胸に、ためらいがあった。けれどもサスは心に決め、
「間違っちゃいねぇな」
はっきりとシィルに告げた。
「キーファの言う通りだ。俺はエルフとつるむつもりはねぇ」
「……よくわかりました」
シィルは真剣な表情でうなずく。
「では、私はエルフの皇女として、あなた方の偏見に対して全力で立ち向かわなければなりません」
「はぁぁぁぁ?」
呆気に取られるサスから、シィルはキーファへと視線を移す。
「キーファと申しましたね、あなたもです」
ぐっと言葉に詰まるキーファ、そしてサスに対し、
「あなた方が、私、シィル=アージュに対して嫌悪を抱くのであれば、それは仕方のないこと。ですが、エルフだからと一括りに嫌悪するのは容認できませんわ」
「なら、それでいい」
さらにサスが割って入る。
「俺は、お前が気に入らねぇ。馬鹿なお前とツルむなんざ──」
「てい!」
シィルが身体を振った。背負ったシィルの弓が、サスの尻を打擲する。
ぐは、とサスは顔面から玄関扉にぶつかった。
「なにしやがる!」
「コロコロと意見を変えるのも容認できませんわ。私は人間族の小噺を知っております。そういった者を『狼少年』と呼ぶのですわ」
「──それ、ちがう」
思わず、といった様子でキーファが口を挟むのを、
「だまれ小童!」
くわっと、シィルが一喝した。
「あなた方、いい加減になさい! 聞いておりましたら、あることないことを吹聴して。そのような妄言、私が見抜けないとでも思っているのですか?」
言い放ち、サスを睨み上げる。
「エルフなぞどうでもいい、そう思う者が、なぜ私を助けに来たのですか!」
「それは──」
サスが言いかけると、「しょうもない人間族が!」と、シィルが吐き捨てた。
「そもそも、人間族の分際で私に意見しようなどと、百年早いですわ!」
「……お前、偏見って言葉の意味、ほんとに知ってんのか?」
サスは軽いめまいを覚えた。
「……付き合ってられないや」
キーファもシィルの性格がわかってきたらしい。あきらめたように玄関扉の取っ手を掴み──
「離れてください!」
弾かれたように後ろに飛び退った。その扉から、幾本もの槍が突き出てくる。
「何だ?」
あわててサスも身を引いた。
「外に大勢の人がいます」
気がつくと、扉越しに複数の声が聞こえてくる。
「嗅ぎつけられたか」
「──裏から出ましょう!」
キーファの小声に、サスはうなずいた。通路を駆け戻ると、
「あちらにも人の気配がしますわ」
サスの隣で、シィルの長い耳がくるくると回るように動いている。
「囲まれたか」
立ち止まり、先行するキーファを呼び止めた。進む先から窓ガラスが割れる音が響いてくる。
ほどなくして、鎧兜に身を包んだ兵士たちが通路へとなだれ込んできた。
「あいつら、蛇じゃねぇ」
サスは驚きつつも言った。
「軍の兵士どもだ」
どうなってやがる、とサスは頭をめぐらし、
──はめられたのか。
置かれた状況から、すぐにその結論に至る。急いで外套を脱ぎ、「かぶってろ」と、シィルの頭にひっかけた。
「なんですの、これは?」
「いいからかぶってろ!」
有無を言わさずシィルの顔を隠す。
あっという間に、三人は兵士たちに囲まれた。兵士たちはそれぞれ槍を携え、こちらに突きつけてくる。
「怪しい者ども、連行するゆえ大人しく従え!」
兵士のひとりが声を張り上げた。
「やべえな」
逃げ場を求めて首を振るも、兵士たちは続々と増え続け、二重、三重と包囲を厚くしていく。
「……しょうがない」
目深にフードをかぶったキーファが、ぽつりとこぼした。
「いまから、飛びます。そうしたら僕の身体を掴んでください」
なに、とサスが聞き返す暇もなく、
「行きます!」
一度、深く膝を落としてから、キーファが跳躍した。
「おい!」
あわててサスも跳び、精一杯、腕を伸ばしてキーファの足を掴む。と、ふわりと身体が浮き上がる感覚があり──
「掴まれ!」
とっさに逆の手を伸ばすと、素早い反射神経でシィルが掴み返してくる。
サスは息を呑んだ。
──地面に、落ちない。
それどころか、みるみるうちに床が遠ざかっていく。兵士たちが一様に呆然とした表情でこちらを見上げていた。
サスが驚いていると、窓ガラスの破片が降り落ちてきた。キーファが中庭の天窓を突き抜けたのだ。
「こりゃあ……」
サスは言葉を失った。同時に、
「有翼族……」
シィルもまた、驚いた表情でキーファを見上げている。
褐色の少年の外套から、巨大な紅翼が広がっていた。
◇
夜空に焔の尾を引くように、キーファが翼を羽ばたかせている。
「お……も……い……!」
苦しそうではあるものの、人間らしさを感じさせるキーファの口調に、サスは緊張をゆるめた。
「お前、鳥だったのか?」
「鳥と言えば……鳥ですけど……」
ばっさばっさと翼を打ち振るいながら、
「サーシバルさん、もっと……上のほうを、掴んで」
片足だけをサスに掴まれ、キーファはひどく飛びにくそうだ。
「いや、だけどな……」
サスがためらっていると、
「早く……落ちちゃう……!」
切羽詰まったキーファの声に押され、「わ、わかった!」と、サスはまずシィルを引っ張り上げて背負うと、キーファの足をよじ登るように腰に両腕を回した。
これでいいのか、と聞くまでもなく、姿勢が安定したようだった。
眼下に、ゲーケルンの明かりが散らばっている。
いつしか雨は小降りになっていた。が、風は依然として強く、
「うぅ……流される」
風下へとキーファの身体が流されていく。小柄なキーファにとって、サスとシィルの体重は根本的に重量制限を超えているらしい。
必死に翼を羽ばたかせるキーファに対し、
「キレイですわ。いい眺めですわ」
などと、シィルは楽しそうに王都の街並みに見入っている。
「む……ムカつく……!」
ぜぇはぁ呼吸を乱しながら、キーファの声が漏れ聞こえてくる。
わかるぜ、とサスは同意しながら、
「おいキーファ、この馬鹿、振り落としてやろうか?」
訊くと、「お願いします」とキーファが迷わずうなずいた。
「……聞こえておりましてよ」
シィルが、サスの耳元で囁いてくる。
「落ちる時は諸共ですわ」
「やめろ! シャレになってねぇ!」
首を絞めようとするシィルに、サスが身体を振って抵抗すると、
「……暴れ……ないで!」
支えきれず、ガクンと高度が落ちた。一瞬、サスの手がキーファから離れ、
「危ねぇ!」
あわててキーファの腰を掴み直す。と、その手が何かに触れた。
「やふっ──!」
キーファが、変な叫び声を上げた。さらに高度が落ちる。
「あ?」
サスは不可思議に思いつつ、
「なんだこりゃ」
スカートの上からそれを掴んだ。
「ひゃ──やぁ!」
キーファの叫び声とともに、ガクン、ガクンと高度が落ちていく。
「キーファ、お前──!」
ようやく、サスは気づいた。
「男だったのか!」
「男……です」
キーファは顔を真っ赤に染めている。
「だから、触らないで」
「わ、わりぃ!」
はっとしてサスは手を離したものの、
「もう、お婿に行けない……」
泣きそうな声で、キーファが言った。その時、
「前! 前を!」
シィルが指さし、叫ぶ。目の前に大木が迫っていた。
かわす余裕もなく、三人は葉の生い茂る梢のなかへと突っ込んでいく。
「うおぉぉ!」
無数のすり傷を作りながら、サスは木の幹に弾かれ、近くの屋根の上──先にうつ伏せに倒れたキーファの上──に尻もちをついた。きゅわ、と小鳥がするような悲鳴を上げ、下敷きになったキーファが動かなくなる。
「キーファ! おい、キーファ!」
抱き起こして呼びかけるも、キーファからの返答はない。気を失ったらしい。
一方のシィルは慣れたものらしく、巧みに木の枝を掴んで跳び移り、優雅に屋根の上へと着地してくる。
「とても良い体験でした」
満足そうに言って、キーファの腰から矢筒と一緒になったベルトを外すと、自分の腰に巻いた。
「神経が図太いっつーか、面の皮が厚いっつーか……お前、人生を満喫してんな」
サスは、もはや怒る気力さえ湧いてこない。ここまでマイペースな馬鹿は、大物と言えるのかもしれない。
「失礼な」
シィルは弓を屋根の上に立て、弓幹の裏側に指をさし入れた。
「こう見えて高貴なる使命を帯びております」
慣れた手つきで弦の張りを強め、それから、ちらりとサスを見やった。
「位置が悪いですわ」
「なんのこった?」
「射線に入っております。そのまま、すこしだけ身を反らしてください」
シィルは手の甲で払うように指示してくる。ふざけているわけではなさそうだ。
キーファを抱えたまま、サスが上半身だけを反らせると、
「それで結構です」
シィルがうなずいた。瞬間──
視界の端に影が起こり、サスは振り向いた。ぎょっと身をすくませる。
──あいつは……!
銀髪の化物が、屋根の下から跳び上がってくる。
「追いかけてきやがったのか!」
サスが身構えるよりも早く、視界に驚くべき光景が飛び込んできた。
気がつくと、化物の額に一本の矢が突き刺さっている。
「グ、ガャァァァァァア!」
化物はまなじりが裂けるほどに銀の瞳を見開き、断末魔の叫び声を上げる。額の矢口より光が放射し、逆流するように風が爆ぜた。
頭部を失った化物が、屋根から真っ逆さまに落下していく。地に着くまでのわずかな間に、全身が溶けるように黒い液体へと変じ、残った衣服だけが風に流されていった。
「今の、お前がやったのか……?」
瞬殺だった。サスは自分の眼が信じられない。あまりに呆気ない幕切れに、唖然としてシィルを見ると、
「他に誰がおりまして?」
シルヴィハールをゆっくり下ろしながら、「そんなことよりも」と夜空を仰ぐように、東へと顔を向けた。
「気になります」
遠くを見るまなざしで、シィルは表情を険しく作っている。
貴族街の屋根を越えた先に、王城ウル・エピテスがそびえている。本来であれば南へ帰るはずが、キーファが風に流されたため、東の方角へ進んでしまっていた。
「蝙蝠だけならまだしも、蛇までもが宙を舞っておりますわ」
「なに?」
予期せぬ言葉に、サスもウル・エピテスを見つめる。とは言え、さすがに距離があった。巨大な王城を臨むことができても、細かい対象を視認することはできない。
が、それは人間の目に限った話であり、
「あそこです」
エルフであるシィルには何かが見えているらしい。
「どこだ?」
サスがシィルの指さした先を見つめていると、北の崖に寄った尖塔群あたりで、光が弾けた。
ウル・エピテスがまとう無数の篝火のなかで、光は意思を感じさせる動きを見せながら、時折、星のようにまたたく。
「四肢ある蝙蝠……吸血鬼と、蛇は……何でしょうか、人間族のようにも見えますが、よくわかりません。その両者が相争っています」
「ティアか……!」
人界であるゲーケルンの、しかも今宵のウル・エピテスに限って、ティア以外の吸血鬼がいるとは思えない。
「お知り合いですの?」
怪訝顔のシィルに尋ねられ、「恩人だ」とサスは答えた。
「まさに今、世話になってる。その吸血鬼が──ティアが城にいるのは、俺の仲間を助けるためだ」
よくよく考えてみれば、サスがシィルを救出できたのも、ティアがカホカを伴い、鷲のアジトに訪れたことに端を発している。
ギリギリのタイミングだったのだろう。もしティアたちの到着が遅れていたら、鷲のギルドは壊滅していたはずだ。サスだけでなく、ディータも、バディスも、蛇の奸計によって殺されていただろう。
──これでもし、レイニーが助かったら……。
サスは信心深い性質ではないが、それでも神懸った力を感じずにはいられない。
取るに足りない自分がエルフと出会い、化物から命を狙われ、空を飛び……そして今、貴族街の屋敷からウル・エピテスを眺めている。
他人に話せば正気を疑われそうだ。
巻き込まれたサス自身が奇妙な心地を抱きながら、支障のない程度の事情──蛇のギルドがサスとシィルを人買い船に乗せた組織であること──を伝えたうえで、
「お前が見えてる蛇ってのは、何者なんだ。詳しく教えてくれ」
「詳しくと言われましても……」
頼むと、シィルは困惑するように目を瞬かせた。
「男性です。先ほどお伝えした通り、人間族とも思えますが、鱗で身を固めております。髪は銀で、禍々しい気をまとう大剣を振っておりますわ」
「……知らねぇな」
サスが考えていると、
「──ティアと呼ばれる吸血鬼があなたを救い、それによって私が今ここにいるのであれば、助太刀はやぶさかではありません」
シィルは手早く髪を結い上げ、屋根の棟をまたいで立った。
「ですが、さすがにこの距離での手加減は難しいですわ」
「……どういうことだ?」
「蛇の者が、私の見立てよりも頑健であることを期待します」
そう言って、シィルは矢筒からすらりと一本の矢を取り出した。指先で遊ぶように矢を回転させながら、番え、シルヴィハールを構える。
サスは、はじめてシィルの弓構えを目にした。流れるような所作の、すべてが堂に入っている。
「──カジャはおりますか?」
「いる……」
宙空への呼びかけに、返事があった。白緑の輝きをまとい、風精のカジャが姿を現す。
「とりあえず一矢、射込んで様子を見ます」
「大丈夫? シィル、疲れてる……」
心配そうなカジャに、シィルは弓を構えたまま、くすりと笑みをこぼした。
「ありがとう、カジャ。でも大丈夫。すぐに終わりますわ」
「……凪は来ない。風が、強すぎる」
「カッ」と、シィルは応える。「ならば援護をお願いします」
すると、カジャがエルフ語らしき言葉で話しはじめた。カジャに話しかけられるたび、シィルは「カッ」と相槌を打ち、矢の角度を微妙に変える。
矢を射るために狙いを絞っている、というのはサスにもわかる。だが、
──どう考えても距離が遠すぎる。
標的が夜陰に紛れているのはもちろん、米粒の大きさすらないのだ。
にもかかわらず、シィルもカジャも真剣そのものだ。緊張こそ伝わってくるが、やぶれかぶれに挑む様子には見えない。
何より、そのたたずまい。
まとめた白金の髪を風になびかせ、集中力を研ぎ澄ましたシィルの表情が、まるで別人のように感じられたからだった。
──こいつは、やる。
その神々しいまでの横顔を見た時、サスの全身に慄えが走った。
──矢は、必ず命中する。
命中しないわけがない、とさえ思えた。
じき嵐は終わるだろう。
そして、レイニーは救出される。
きっと状況は好転する。
シィルの横顔には、見る者にそう信じさせる力があった。