表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
141/239

98 呼び合うものⅤ

 壁にかけられた灯が、正面に座る男を浮かび上がらせている。


「こいつは……」


 つぶやいたサスのかすれ声に、相手からの返事はなかった。


 一階の書斎である。


 屋敷の内部は一本の廊下がぐるりと通してある。キーファと別れた食堂から見て、書斎は中庭を挟んだ斜向かい──南東の角部屋に位置していた。


 風が窓ガラスを叩き、カタカタと神経質そうな音を立てる。


 サスは我に返り、


「ハズク……」


 声に出してみる。間違いないと思った。


 男は、ハズクだ。


 蛇のギルドに捕らえられたサスが、軍港で見た男。


 人身売買に深く関わっているであろう人物。


 そのハズクが死んでいた。椅子に深く腰かけた姿勢で、両手をひじ掛けの外側にだらりと落とし、虚ろな視線を宙へと投げかけている。


「こいつの屋敷だったのか」


 書斎机には呼び鈴が伏せて置かれていた。死体に近づいていくと、腹あたりに短剣が突き刺さっているのが見えた。


「誰が……」


 衣服に染み出した血は、いまだ(ぬめ)った輝きを残している。


 争った形跡はない。


 ──犯人は顔見知りか。


 もしくは顔見知りに見せかけた偽装(ぎそう)工作か。


 サスは死体を乗せた椅子を足で押し出すと、机の抽斗(ひきだし)を開けた。壁の灯を手燭(てしょく)がわりにして、紙や羊皮紙(ようひし)(たば)に目を通し、他にも本棚を(あさ)ってみたが、めぼしい書類を見つけることはできなかった。


 ──死人に口なし、か。


 ハズクが人身売買に関わっていた証拠──蛇のギルドとの取引を示す書類を期待したが、甘い目算だったらしい。


 シィルの居場所もわからないままだ。


 最後の本を戻し、サスは息を吐く。日に灼けた顔に苛立(いらだ)ちを(にじ)ませながら、それでも、このタイミングでハズクが暗殺されるのは、何かしらの意図を感じずにはいられない。


 ウル・エピテスを(おお)う闇。


 サスが秘密を暴こうと近づけば近づくほど、その闇はいよいよ深く、邪悪な意思によってすべてを覆い隠そうとする。


 ──まったく、俺の手には余るぜ。


 冷たい予感に、サスはかすかに身を震わせた。と、その時、サスの服の下で、何かがもぞもぞと動きはじめた。外套(がいとう)(すそ)がめくれ、白緑の光が宙へと舞い上がってくる。


「カジャか?」


 あわててサスが呼びかけると、光はサスの鼻先で止まった。


 ちんまりとした少女の風精(イーヘ・セーレン)が、むすりと唇を(とが)らせている。一目でそれとわかる不機嫌顔だった。


「──なんだ?」


 目を寄せ、サスが(いぶか)しんで訊くと、


「遅い……」


 第一声がこれである。


「おいこら」


 たまらずサスは言い返した。


「これでも急いだつもりだぜ」

「……うるさい」


 カジャはつんと(あご)を持ち上げた。風精は小人のような大きさだが、顔立ちは整っている。巻き毛の髪に円らな瞳は可憐(かれん)と言ってもいい。


 だからこそ、いちいちの態度が(しゃく)に障って仕方がない。


 サスはこめかみに青筋(あおすじ)を浮き立たせながら、


「まぁいい──」


 自制心を総動員して、言った。


「しかしな、カジャさんよ。肝心(かんじん)のシィルがどこにもいねぇんだ。あんたが言うにゃ、この屋敷にいるってことだったが?」


 カジャは、コクリとうなずいた。


「……いる」

「なに?」

「……ここ」


 カジャは目の前の本棚を指さした。じっと本棚に顔を向けたまま、


「早く行け……馬鹿サス」

「待てコラァ!」


 ダメ押しの罵声(ばせい)に、サスの堪忍袋(かんにんぶくろ)()が切れた。


 しめてやる、そのとんぼみたいな羽をむしってやる、とばかりにカジャを掴みかけるも、透明の身体はサスの手をすり抜け、逆に鼻面に蹴りを入れられた。


 思わぬ反撃を喰らい、


「くそ! 卑怯(ひきょう)じゃねえか」


 地味な痛みにサスが鼻を押さえていると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。


 顔を上げると、目の前に浮かぶカジャが笑っていた。おかしくて我慢できないといった様子で、


「……馬鹿サス、馬鹿サス」


 手を叩き、繰り返しては喜んでいる。その笑顔は無邪気そのものだ。人間の子供がはしゃぐのとまったく変わらない。


 サスは舌打ちをして、


「サスさん、だろうが」


 乱暴に頭を()いた。憎々(にくにく)しいが、それ以上の怒りが()いてこない。子供に対して本気で腹を立てる自分はどうなのか、という引け目もあった。


 そうしているうちに、カジャは笑い声を残してさっさと消えていく。


「だから、待てっつってんだろうが……」


 仏頂面(ぶっちょうづら)で文句を()れながら、サスは本棚を見上げた。


「ここにシィルがいるって?」


 まさか本に挟まっているわけではないだろう。あの非常識なエルフならあり得なくもないが、すでに本は調べ終えている。


 だとすれば……。


 サスは本棚の側板を掴むと、試しに左右に揺すってみた。それほどの力を込めたわけでもないのに、思った以上に大きく揺れた。


 ──なるほどな。


 しゃがみ、床の隙間(すきま)に顔をのぞかせた。本棚を支える脚に車輪が取り付けられている。その車輪を受ける床側には前後に動かすためのレールが敷かれていた。


 納得して立ち上がる。本棚を手前に引くと、車輪がスルスルと回り、簡単に半分ほどをズラすことができた。


 本棚の裏に回り込み、サスはひとりうなずく。


 壁に、穴が開けられていた。燭を手に取って照らすと、地下へと下りる階段が続いている。


 (かび)臭い冷気が、穴の奥から流れ出てくる。


「シィルはここか」


 サスはためらうことなく秘密の階段へと身を(すべ)らせた。


 ◇


 灯がなければ自分の身体さえ見えない闇のなかを、サスは地下へと下りていく。


 二十段ほど下ったところで、底に足がついた。振り返って入口を見上げると、ちょうど一階分ほどの高さがあった。


 十歩ほどで扉にぶつかった。重厚な木の扉は鉄で補強がされており、のぞき穴が取り付けられている。穴のむこうに光はなく、洞々(とうとう)と闇が広がっていた。


 (かんぬき)は外されている。


「不用心なこった」


 意を決して入ると、広間ほどの大きさがあるようだった。扉から通路が真っ直ぐに伸びており、ちょうど室の中央で横の通路と十字路を作っている。四つに区切られた空間は、それぞれが鉄格子を張り巡らせた牢屋(ろうや)になっていた。


 (あかり)(かか)げ、注意深く暗闇に目を凝らしていると、


「誰です?」


 聞き覚えのある声に、サスは目を見開いた。


「シィルか!」


 あわてて声を返すと、「サス?」とやや離れた位置からシィルの声が響いてくる。


 まだ暗がりに慣れていない眼で、サスは通路を進んでいく。灯を消さぬよう、一歩一歩、ゆっくりと歩かなければならないのがもどかしかった。


 それでも、通路を進むうち、闇のなかにぼんやりと人影が浮かぶのが見えた。近づくにつれ、影が色を帯びはじめる。


 闇の中できらめく白金の髪と、光に当たって白々と透き通るような肌は、間違いなくシィルだ。


 鉄格子を掴んだシィルが、こちらに濃緑の瞳を向けている。


「よぉ」


 なんとなく気恥ずかしさを感じ、サスが手を挙げるも、シィルは何も言わない。じっとサスを見上げてくる。


「その、なんつーか、待たせたな」


 下手(したて)に言ってみたが、やはり反応はない。


 シィルの身なりは、人買い船で見たものと同じである。首で留めた(そで)のない上衣は、下裳(スカート)とひとつなぎになっており、足には()み上げのサンダルを履いている。羽織っていた半マントは近くの鉄格子に結び付けられていた。


 服装自体に乱れはない。が、よくよく見てみると、腿や腕のあちこちに(すす)っぽい汚れが付着していた。


 よほど怖い思いをしたのだろうか。


 ──もしか。


 やはり間に合わなかったのだろうか。


 サスの脳裏(のうり)に不吉な想像がよぎった時──


「遅い!」


 突然、シィルの怒声が地下牢に響き渡った。


「今まで何をしていたのですか、あなたは!」 


 これまでの無反応が嘘のように、猛然(もうぜん)と食って掛かってくる。


「いや──」


「なぜ私がこんなところに閉じ込められなければならないのですか! まったくもって意味がわかりませんわ。ええ、意味がわかりませんとも! サス、いいですかサス!」

「いや、だから──」

「サスサスサス! その貧相な小耳をかっぽじってよくお聞きなさい、サス!」


 そこで、すぅぅ、とシィルは息を吸い込み、


「遅い! ですわ!」

「だぁ、うるせぇ!」


 あまりの理不尽(りふじん)さに、今日二本目の堪忍袋の緒が切れた。


「俺ぁ、忙しいんだ! テメェみたいな間抜けエルフはな、助けに来てもらっただけでもありがたく思いやがれってんだ!」


 怒鳴り返してやると、シィルは数秒間、目を白黒させた後、「んまぁ!」と、全身を震わせはじめた。


「信じられませんわ! この男、逆切れしましたわ!」

「逆じゃねぇ! まっとうにキレてんだ、俺は!」


 きぃぃ、と怪鳥がするような叫び声を上げ、シィルが詰め寄ってくる。が、ふたりの間を仕切る鉄格子の存在を忘れていたらしく、思いっきり額を打ちつけ、


「ああ!」


 ばいーん、といきおいよく弾き返され、シィルは盛大に尻持ちをついた。


「痛ったぁ……」


 両手で額を()でさすりながら、「なんですの、もう!」と、恨めしく鉄格子を蹴りまくっている。


「ぶはっ!」と、たまらずサスは噴き出した。


「ぶははははは! おい、誰か見てくれ! 馬鹿だ、ここに馬鹿がいるぞ!」

「ぬぅぅぅぅ!」


 笑いながら、サスは中腰になってシィルを見下ろした。


「おい、思い知ったかエルフの皇女さんよ。これが天罰ってやつだ」


 清々しい気持ちで言ってやると、シィルの全身がいっそう激しく震えはじめた。あまりの怒りで物も言えないらしく、ひたすら足をばたつかせている。


 ──ちと言い過ぎたか。


 思いかけたサスだったが、実際、助けに来てやったのだ。これぐらいの憎まれ口を叩いたとしてそれこそ罰は当たるまい。


「ほれ、立ちな」


 サスが鉄格子の隙間から手を差し出してやると、シィルは無言のままサスの手を掴み──


「おがぁ!」


 サスの絶叫が響き渡った。


 シィルが、サスの手に噛みついている。


「痛ってええええ! ふざけんな馬鹿! 信じられねぇ!」


 サスは暴れて手を引こうとするも、シィルの怒りは収まらない。逆にサスの手を引っ張り返し、


「ふまぁみろでふわ!」


 これでもかと歯を立ててくる。


「離せ、馬鹿! こんなことしている場合じゃねえだろうが!」

「ひっはこっははりまへんは!」

「何言ってるかわかんねえんだよ、馬鹿!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、サスが「わかった、俺が悪かった! だから離せ!」と、ようやく折れて謝ると、ぴたりとシィルの動きが止まった。


 ほっとしかけたものの、サスはすぐに気づく。


 シィルの瞳が、なぜかサスではなく、部屋の入口へと向けられている。


 ひどく嫌な予感がした。


 サスはおそるおそるシィルの視線を追い、


「……言わんこっちゃねぇ」


 (のど)の奥でうめく。


 そこに、銀髪の化物が立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ