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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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97 呼び合うものⅣ

 二階の窓ガラスを蹴破って飛び込むと、そこはどうやら寝室らしかった。


 誰もいない。


 一階で感じた気配は消え去っていた。


 キーファは(けわ)しい顔つきのまま、外套(がいとう)の下、腰に()げた曲刀を滑らせた。刃渡(はわたり)こそ長くはないものの、奇妙なほど反り返った形状で、深く弧を描いている。


「いやな感じ……いやな感じ……」


 つぶやき、室内を見回してから廊下に出た。出る間際、曲刀の()でこつりとドアを叩く。大きい音では、わざとらしい。すぐに囮とバレてしまうため、不注意に当たってしまった、という程度のちいさな音を立てた。


 二階は寝室が多かった。


 部屋を回るうち、上掛けがめくられたままの寝台もあった。


「呼ばれて、起きて、出ていった……でも、戻ってこられなかった」


 そう考えるのが妥当(だとう)だろう。


 曲刀を握りしめながら、廊下を進む。不審(ふしん)な影は見当たらない。


 屋敷ぜんたいは、ごく狭い中庭を囲んだ矩形(くけい)になっている。廊下は中庭に張り出した回廊になっており、吹き抜けの天井には、雨に汚れた天窓が張られている。


「なんだろう、この感じ……」


 部屋の前で、キーファは首を傾げた。


 ドアの向こう側から、先ほど感じたものとは別の気配が伝わってくる。


 嫌な感覚ではない──ないのだが、何かとても大きな物、とても大きな生き物が深く眠っているような、キーファがはじめて体験する力の片鱗を感じた。


 ……開けない方がいいかな。


 思ったものの、好奇心には()てず、


「誰かいますかぁ……?」


 声をかけながら、おそるおそるドアを開いた。隙間(すきま)から部屋の中をのぞき──


「あれ?」


 想像していなかった室内の様子に、キーファはつい声を漏らした。


 部屋は物置きになっていた。


 戸口から注意深くうかがうも、やはり人の気配はない。


「気のせいだったのかな」


 室内には背の高い木棚が立ち並び、日用品などが貯蔵されている。


 ──たしかに力を感じたんだけど。


 釈然(しゃくぜん)としない面持ちで入っていく。木板を張った床が、きしきしと(こす)れる音を立てた。


「誰か、いませんかぁ?」


 言いながら、死角になっている棚の間に顔を出すと、キーファの目が留まった。


「これって……」


 つきあたりの壁際に(たる)が置かれている。


 剣や槍などの武器や掃除道具がまとめて入れられた木樽のなかに、場違いなほど見事な装飾を()らした長弓が立てかけられていた。


「すごい弓」


 中央の握りの部分をのぞく弓幹(ゆがら)は、装飾ではなく装甲と呼ぶ方が近いのかもしれない。(たて)のように幅広で、材質は金属のような触感だが、驚くほど軽量である。それが複雑な形の各部位(パーツ)ごとに分かれ、花が開くように、あるいは、翼が波打つように連なっている。


「なんでこんな弓が?」


 口を閉じるのを忘れ、キーファはその弓に触れた。触れると、微風(びふう)がキーファの長髪をさらさらと撫でていく。


「力が漏れてるんだ……」


 言ってからキーファは気づく。


 白い装甲に()め込まれた宝石が、力を封じるために用いられていることに。


 ある種の宝石や金属は、力を宿している。魔法を使用する際の触媒や、それ自体を起爆させることで魔法と同様の効果を発揮することが多いが、これはまったく逆の発想で使われていた。


 この弓は、力が強すぎるのだ。


 その力の漏出(ろうしゅつ)を抑えるため、宝石という迂回路(バイパス)を通しているのだ。


「それにしても、この数」


 いったい、いくつの宝石が使われているのか。よくよく見れば、数個の宝石には霜が降りるように膜がかかっている。


 力の放出が間に合わず、結露(けつろ)のような現象が起こっているらしい。


 ──なんて贅沢(ぜいたく)な弓なんだろう。


 おそらく、弓の形を維持するためには定期的に使ってやるか、宝石を交換してやらなければならないのだろう。


「こんなの……普通の人には扱えない」


 弓の裏側には製作者らしき(めい)と、細かい文言が彫り込まれている。キーファが見たこともない文字だった。


 こんな危険すぎる武器を、誰が、何のために作ったのか。


 おそろしい、とばかりにキーファは弓を戻した。商人や武器収集家(コレクター)ならともかく、間違っても持ち帰ろうとは思わない。盗む盗まないの以前に、持ち主以外の者が手にしたところで、いらぬ災難を招き寄せそうな気がする。


 そうして(きびす)を返した時。


 さきほどよりも強い風が、背後からキーファの髪を持ち上げた。


「え?」


 あわてて弓を見直すと、嵌め込まれた宝石が輝きはじめた。


 ──連れていけ。


 弓が、そう言っているようだった。


「……嘘でしょ」


 キーファは引きつった笑みを浮かべる。


「ご──」


 ごくりと(つば)を飲み込み、


「ごめんね、弓は苦手なんだよ」


 人に話すように言い訳をして、キーファはそそくさと(きびす)を返した。


 ──連れていけ。


 弓が力の波動を示し、さらに強い風が吹いた。窓ガラスがガタガタと振動し、棚のあちこちから物が落ちてくる。


「ひぃぃ……!」


 キーファは泣き顔を浮かべた。


「だから僕は弓が苦手、って──ぅあん!」


 落ちてきた蔵本(ぞうほん)の角が、キーファの脳天に直撃した。


「あー! うー!」


 あまりの痛みに身悶(みもだ)えしてしゃがみ込むと、その上から次々と本が落ちてくる。


「わかったよ! わかったから!」


 頭を守りながら、必死に叫んだ。すると、弓の風がたちどころに収まっていく。


「うぅ……ひどい」


 キーファは恐々と樽から弓を引き抜くと、首に弦を通して斜めに背負う。


「……これでいいんでしょ?」


 訊くと、背負った弓から怒ったような風が吹きはじめる。


「なんでまた──!」


 キーファが悲鳴を上げると、離れた場所の棚から、矢筒が落ちてきた。中にはぎっしりと矢が詰められている。これも持っていけ、ということらしい。


「……弓に命令される僕って」


 本当に半泣きになって、落ちた矢筒を拾い上げる。筒はベルトと一体型になっていた。


 仕方なくベルトを腰に巻き、


「──これでいい? 他には?」


 キーファが念を押して訊くと、弓の風がぴたりと止まった。


 どうやら満足したらしい。


 ──なんて横暴な弓なんだ。


 言葉に出して言ってやりたかったが、また本を落とされそうなので黙っておく。


 物置きを出た。


 情けなさとやるせなさでキーファの足取りは重い。


 しかし、いつまでもクヨクヨしているわけにはいかない。肝心の、あの嫌な気配にはまだ遭遇していないのだ。


 キーファは両手で(ほほ)を叩き、気持ちを引き締めた。


 弓を背負って二階の探索を再開し、部屋を回る。


 奥のドアに近づいた時だった。


 この部屋だけ、ドアが完全には閉められず、わずかに隙間ができている。


 その隙間から漂ってくる臭気に、キーファは表情を(くも)らせた。


「……血の臭い」


 生ぬるく()びた鉄の臭い。


 キーファは壁に背を当てながら、(かかと)でゆっくりとドアを押し開いていく。


 濃厚な臭いが針となって鼻腔(びこう)を刺した。


「ひどい……」


 室内の光景に、キーファは震える声でつぶやいた。


 強い不快感に、呼吸が苦しくなった。(のど)を隠すため首に巻いた黒布に指を挟み、空気を求めながら、部屋へと入っていく。


 部屋は、会議室のようだった。中央に長い机が四脚、正方形を作って置かれている。右手側の壁には暖炉(だんろ)が切ってあるものの、差し火をしていないせいだろう、炭化した薪が弱い赤熱の光を残している程度だった。


 そして、左手側には地獄絵図が拡がっていた。


 ()せそうになる臭いの元へと近づいていく。


 死体は、ひとつやふたつではなかった。


 折り重なり、山のように積まれている。


 キーファは、足を止めた。人山のそこかしこから、川が、肌色の斜面を流れ落ち、床に赤い海を作っている。暖炉からの薄ぼんやりとした光を受け、てらてらと(つや)めくような血溜まりに、キーファは口を押さえた。


「こんなことって……」


 死体は若い女がほとんどだった。女中らしい服と、汚れた服とが半々ほど。そのなかに守衛らしき身なりをした男がひとり、何か恐ろしいものでも見たような表情を浮かべている。


 屋敷の全住人がいるのだろうか。


「うぅ……」


 キーファは吐き気を覚え、後ずさった。


 死体の山から離れようとすると、机の下に、かすかに動く影があった。


「誰だ!」


 素早く曲刀を構える。


 濃い(かげ)に目を凝らして見ると、人の影がうずくまっていた。


 全身が小刻みに震えている。


 キーファが様子をうかがっていると、ひっ……ひっ……と、ひきつけを起こしたような泣き声が聞こえてきた。


「あの──」


 キーファは屈み、声をかけた。


 うずくまった影が、身をよじらせ、こちらに顔を向けた。


 若い女だった。


 一糸まとわぬ姿で、両手で膝を抱えている。キーファが握る曲刀を見ると、泣き声が大きくなった。


「ああ、心配しないで。僕は敵じゃない」


 キーファは曲刀を鞘に収めると、両手を開いてみせた。


「大丈夫、僕は敵じゃない」


 女の表情は恐怖でこわばり、目尻(めじり)が裂けるほどに目を見開いている。


「──もう大丈夫」


 キーファはにっこりと笑う。


「僕は、あなたを助けにきたんです」


 嘘も方便だ。キーファは外套を脱ぐと、机の下の女に差し出した。


「これを着てください」


 女はひたすら脅えきった様子で震えている。


「そんな恰好(かっこう)じゃ、風邪を引いちゃう」


 ね、とキーファが優しく笑いかけた時だった。


 恐怖に見開かれた女の瞳、その視線が、キーファの背後──死体の山の方へと移っていく。


 山が崩れる気配に、キーファは宙に飛び上がった。


 驚異的な跳躍でとんぼ返りを打ったキーファが、天井に両足をつける。その視界に、銀光が閃いた。一直線にこちらに向かってくる。キーファは抜いた曲刀で牽制しつつ、天井を蹴って距離を取った。


 床に着地したキーファは緊張の息を吐く。


 見上げた天井には、深々と拳が突き刺さっている。


 執事の身なりをした、上背(うわぜい)のある老人がぶら下がっていた。


 ──人間じゃない!


 一見してわかるほど、男の顔は異形だった。老人でありながら、双眸(そうぼう)には銀の光が宿り、裂けた口には、鋭く尖った牙がぞろりと並んでいる。


 全身から返り血を滴らせ、人外の老執事が、音もなく床に着地した。


 キーファの瞳に動揺が走った。


「いや! やめて!」


 女の悲鳴が室内に響く。


五月蠅(うるさ)いぞ」


 机の下に隠れていた女を、化物が引きずり出した。片手で首を掴み、軽々と持ち上げる。女の足が床から離れた。


「役に立たぬ女だ」


 化物の声音は、どこまでも冷たい。


「……かっ……‥かハッ……!」


 女の両足が虚しく宙を蹴る。なんとか男の手を引き離そうとするが、化物の爪が女の首に食い込んでいく。爪の先からじわりと赤い血が染み出し、指をつたい落ちていった。


「その人を離せ!」


 怒りの声とともに、キーファが地を蹴った。が、間に合わず、ごきり、という不吉な音とともに、女の首が直角に折れ曲がった。


「皆殺しだ」


 化物が、死体となった女を投げつけてくる。


「お前……!」


 唇を噛み、キーファは床に手をついて横に跳んだ。そこへ、化物が襲い掛かってくる。


「くそっ!」


 とっさに振ったキーファの曲刀が、化物の肩を(えぐ)った。にもかかわらず、化物の手が伸びてくる。


 キーファは首を掴まれた。


「あ、ぐ……」


 先ほどの女と同じように、キーファは宙に持ち上げられた。逃れようと曲刀を持ち上げるも、その手首を掴まれた。


「恐いか?」


 銀の瞳が、残酷な光を宿している。


 掴まれた首を締め上げられ、無理やり引き伸ばされる感覚があった。


「ぜんぜん……」


 顔を(ゆが)めながら、べぇ、とキーファが舌を出した。


 化物の手に、さらに力が込められた。


「くぅ……!」


 曲刀が、キーファの手から落ちていく。


 苦悶(くもん)の表情を浮かべるキーファに、化物が勝ち誇った笑い声を漏らす。


 だが──


 床に落ちるはずの曲刀が、その直前、不可思議な動きを見せた。


 曲刀はそれ自体がまるで生き物のように跳ね上がると、化物の腕を両断した。勢いそのままに宙を舞い、男の胴体に次々と斬り(きず)を刻んでいく。


 たまらず化物が飛び退った。


 解放され、キーファは床に膝をついた。激しく()せながら、首をさする。


「貴様──!」


 ひるんだ化物が、うらみがましくーファをにらんでくる。


「……お前なんか……ぜんっぜん恐くないんだ」


 げほげほと目に涙を()め、キーファは立ち上がった。


 曲刀が、風切り音を発しながら周囲を踊っている。


「お前は、人を殺した。殺されたって文句は言えないんだ」


 キーファの怒りに呼応するように、宙を舞う曲刀が高速で回転をはじめた。


「くらえ!」


 曲刀が円月輪(チャクラム)となって放たれた。同時にキーファも跳ぶ。化物が屈んで曲刀をやり過ごしたところへ、別角度からキーファが蹴りを見舞った。男が壁に叩きつけられる。


 キーファはむん、と構えた。その頭上では、再び曲刀が回転をはじめている。


「負けるもんか!」


 己を鼓舞するように言い放った。


 さらに曲刀を放つと、化物がくぐって突進してくる。曲刀が壁に突き刺さった。キーファは動じず、向かってくる化物の顔面を蹴り飛ばした。


 吹っ飛んだ化物が、身をひねって着地した。


「あ!」


 キーファは声を上げた。化物が、あらぬ方向へ──ドアへと走っていく。


「待て!」


 壁に刺さった曲刀を抜き、化物を追いかけようとしたキーファだったが、


「ああ!」


 途中で気づき、駆け戻って机の下の外套を拾い上げた。


「忘れるところだった」


 外套はユーリィに買ってもらった一張羅(いっちょうら)だった。宝物である。


 キーファは頭から外套をかぶり、急いで室を出たものの、


「あああああ……!」


 すでに化物の姿はなかった。

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