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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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95 呼び合うものⅡ

 さかのぼること一刻半ほど。


 王都ゲーケルン。貴族街。


「ここか……」


 外套(がいとう)のフードの下で、サスはつぶやいた。


 さして大きくもない屋敷だった。


 すぐ北はヌールヴ川に接しており、視線を東南東の方角に転じれば、光をまとうウル・エピテスを望むことができた。


 雨の下にたたずむサスからは、なぜか守衛のいない門のむこう、短い通路の先に、車寄せと玄関扉が見えた。


 ──本当にこの屋敷にシィルがいるのか?


 疑わしい表情を浮かべていると、


「もう寝てるのかな」


 サスの横から、同じようにフードをかぶったキーファが顔を出した。


「そう思うよな」


 サスがうなずくと、「明かりがすくないですね」と、キーファが不思議そうな表情を作る。屋敷は二階建てになっており、光がうすく漏れていた。


「人の姿も見えません──どうしますか?」


 オレンジに近い茶の瞳をこちらに向けてくるキーファに、「行ってみるしかない」とサスは格子(こうし)を掴んだ。


 ──風精(イーヘ・セーレン)のカジャが嘘をつくとも思えねえしな。


 サスが門をよじ上っていると、その隣をキーファが軽々と飛び越えていった。ひらりと反対側の敷地へと着地し、


「落ちないように気をつけてくださいね」


 笑顔でこちらに手を伸ばしてくる。


「お、おう。…‥悪いな」


 戸惑(とまど)いつつ、サスはキーファの手を借りて敷地に降り立った。サスが周囲に注意を払う暇もなく、キーファがさっさと建物へと近づいていく。


 あわててその後を追いかけながら、


「ついてこなくてもいいんだぞ」


 何度目かの言葉を口にしたものの、


「気にしないでください。先生から行けと言われたら、行くんです」


 キーファの返事も同じだった。


 彼女にとって、ユーリィという男の命令は絶対らしい。


 トナーの家を出てからこの屋敷に辿り着くまで、すでにかなりの時間が過ぎてしまっていた。晩餐会(ばんさんかい)の特別警護のため、内門の守衛に賄賂(わいろ)が通じず、迂回路(うかいろ)である秘密の地下道を使わざるをえなかったのだ。


 余計に雨に打たれるはめになったが、キーファは一言も文句を言わなかった。


 なぜキーファがサスと一緒に行動をするのか、サスにはわからない。キーファ自身、わかっていないようだった。


 というのも……。


 ◆


 トナーにエルフ語を解読してもらい、サスが腰を上げかけた時だった。


 それまで黙っていたユーリィがキーファを呼び、


「この御仁(ごじん)の手伝いをしてこい」


 と、何の前置きもなく言ったのだ。


 キーファも慣れたものらしく、「はい!」と、胸がすくような返事をすると、


「ちょっとだけお時間くださいね。すぐに着替えてきますから」


 笑顔でサスに言い、奥の部屋へと引っ込んでいってしまった。


「そこまでしてもらうつもりはないぜ」


 当然、サスは断った。


「これから俺が行くこの屋敷は、危険な場所だ」

「でしょうね」


 うなずいたのは、トナーだ。


「彼は、すべて承知だと思いますよ」


 そう言って、ユーリィへと視線を向けた。


 ユーリィは、ただ腕を組んで椅子に座っている。


「だったら、なおさら連れては行けねぇな」


 サスが重ねて断わると、「まあまあ」とトナーが穏やかに笑う。


「キーファ君が、サーシバルさんの足を引っ張ることはないでしょう。連れていくに越したことはない。むしろ危険だと自覚しているなら、なおさらキーファ君を連れていくべきだ」


「どういう意味だ?」

「……先生の言った通り」


 不承不承といった様子でユーリィが口を開いた。


「キバルジャナは、役に立つ。気に入らなければ捨て置けばいい。万が一の時は、勝手に御身(おんみ)を守るだろう」


 それだけ言い、話は終わりとばかりに目を閉じてしまう。


「いや、だがな……」


 どうすればいいかとサスが迷っていると、


「本当ですか!」


 勢いよく奥のドアが開き、顔中いっぱいの笑顔を浮かべたキーファが部屋から出てきた。下には薄く透けるような長い布帛(ひれ)を重ね、スカート状に巻いている。が、まだ着替えている途中だったらしく、


 ──うぉっ!


 サスはとっさに視線をそらした。肝心な部分こそ腕で見えなかったものの、キーファは上半身が裸だった。


「いまの言葉、本当ですね? 僕、役に立ってますよね!」


 よほど嬉しかったのか、サスの耳に、へっへーん、と得意げなキーファの声が聞こえてくる。バサバサと衣擦れの音が聞こえるのは、どうやらユーリィの腕を取って振っているかららしい。


鬱陶(うっとう)しいぞ、キーファ。さっさと着替えを済ませてこい」


 うんざりするような口調のユーリィに「あ、ごめんなさい」とキーファは再び部屋へと引っ込んでいく。


 断るタイミングを失い、サスが視線を迷わせていると、トナーと目が合った。


「どうです? キーファ君はとても可愛らしいと思いませんか?」


 こちらに笑いかけてくる。


「サーシバルさんがまだ独り身なら、お嫁にもらってみてはどうです?」

「は?」

「私は否定しませんよ。キーファ君は家事も万能です。ねぇ、ユーリィ先生?」


 トナーから意味ありげに話しかけられるも、ユーリィは目を閉じたまま何も言わなかった……。


 ◇


 その後、着替えを済ませたキーファと一緒にトナーの家を出て、ようやくこの屋敷を見つけたのだった。サスがいま着ている外套も、キーファが気を()かせて持ち出してきたのだ。


 気に入らなければ捨て置けばいい──そうユーリィから言われていたものの、さすがに無視することはできず、はじめはしぶしぶキーファに話しかけていたサスだったが、すぐに、


 ──愛嬌(あいきょう)のある娘だ。


 そう思うようになった。


 キーファは打てば響く受け答えをする。言葉遣いも丁寧で嫌味がなく、太陽のように屈託(くったく)なく笑う。一見して南方の出であることはわかるが、顔の造りも品がよく、褐色の肌も健康そうだ。


 強いて短所を挙げるとすれば、幼すぎることくらいか。


 それにしたところであと五年、いや、二、三年もすれば、とびきりの美人になりそうだ。


 ──どこかの馬鹿エルフに爪の(あか)(せん)じて飲ませてやりてぇ。


 比べてみると、あのエルフがキーファに負けず劣らずなのは、見た目ぐらいなものだろう。


 シィルは馬鹿にはちがいないが、容姿に限って言えば、エルフ族の代名詞ともいえる白金(プラチナブロンド)の髪と、白い肌、深い森を思わせる濃緑の瞳を持っている。 


 だが、いずれにしても、


 ──俺には関係がない。


 サスはそう考えている。


 シィルにしろ、キーファにしろ、彼女たちは日向の道を歩くのだろう。


 日陰者の自分の側にいるべきではないし、いてほしいとも思わない。それぞれがサスの与り知らないところで幸福な人生を歩いてくれれば、言うことは何もない。


 シィルを助けてやりたいとは思う。


 思うが、それだけだ。助けて、別れて、終わり。二度と会うことはないだろう。


「……それ以上の義理はねぇんだ」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく。その先では、キーファが屋敷の玄関脇にある窓ガラスから中をうかがっていた。精一杯、つま先立ちになっている姿を見ると、やはりまだ子供なのだと思った。


「暗くてよく見えません。でも、やっぱり人はいないみたいです」


「わかった」


 サスはうなずき、(ふところ)に忍ばせてある短剣を取り出した。鋭い刃先をガラスと(さん)の隙間に差し込み、軽く揺すりながら押し込んでいくと、カタリ、という音とともにガラスが外れた。


「──よし」


 サスは短剣をくわえると、慎重(しんちょう)にガラスを取り外し、石壁に立てかけた。


安普請(やすぶしん)で助かったぜ」

「すごいですねぇ」


 キーファが目を丸くさせ、しきりに感心している。


 ──好奇心旺盛(おうせい)なのは結構なことだが。


 サスは内心で舌打ちをした。


「覚えるなよ。まっとうな人間が知っていいことじゃねぇからな」


 先に室内に入り、門でのお返しとばかりに手を差し出すと、


「でも、サーシバルさんはまっとうな人間に見えますよ」


 キーファが手を掴んでくる。


「馬鹿言っちゃいけねぇ」


 小柄な身体を室内に引き入れながら、サスは渋面(じゅうめん)を作った。


「まっとうじゃねえ人間は、まっとうに見える顔をするもんだ」

「じゃあ、僕は?」

「そりゃお前……」


 サスは口ごもったものの、キーファがくすくすと笑うのを見て、


「まっとうじゃねぇってこった」


 つい笑い返して言った。


 ──よくよくいい女になりそうだ。


 キーファは、子供とは思えないほど機転が利く。


「嬢ちゃんが結婚したら、旦那は尻に敷かれそうだな」


 サスは小声で言いながら、音を立てずにドアを開け、廊下に顔を出した。


「結婚かぁ……」


 キーファもその下からひょいと顔をのぞかせる。


「僕よりも、ユーリィ先生に早くしてもらいたいんですけどね」


 改めて誰もいないのを確認すると、ふたりは隣部屋に入った。


 次は食堂だった。中央には六人ほどで囲める長卓が置かれ、燭台(しょくだい)に立てられた蝋燭(ろうそく)細々(ほそぼそ)とした光を灯している。


 やはり、人影はない。


 室内を調べながら、


「近親とは結婚できねぇからな」


 屋敷までの途次(とじ)、サスはユーリィとキーファの関係を聞いていた。キーファから見て、ユーリィは伯父(おじ)に当たるらしい。


「別に、したければしちゃえばいいんですけどね」


 キーファの言葉に、おいおい、とサスはうめいた。


「過激なことを言う娘だな」

「その娘ってところが問題なんですよねぇ」

「なんだそりゃ?」


 意味がわからずサスは顔を上げた。キーファは腕組みをしてしみじみとうなずいている。こちらの視線に気づくと、


「それはともかく、です。サーシバルさんは何をお探しなんです?」

「──ああ、言ってなかったな、そういえば」


 これまで、キーファは自分のことは話しても、サスについてのことを尋ねようとはしなかった。何か事情があると感じているのだろう。


「人を捜してるんだ」

「人、ですか。でも……」


 キーファが言いたいことは、サスにもわかった。


 この屋敷には、人の気配がない。


「……いるはずなんだがな」


 あの風精が嘘をついていないなら、場所を移したのか。


「遅すぎたか」


 サスはひとりごちた。


 アジトで死にかけた時、サスの脳裏(のうり)に、シィルの顔が浮かび上がってきた。


 暗闇にひとり、不安そうな顔をしていた。


「手間をかけさせやがって……」


 毒づき、気がつくとサスは拳を作っていた。握り込んだ手のひらに、汗がにじんでいる。


「でも、変ですね」


 ふと、キーファが言った。


「この屋敷、何かありますよ」


 妙に確信的な口調だった。


「どうしてそう思う?」

「勘です。というか、この部屋以外からも明かりが見えましたよね。外から」

「それなのに人がいない、だろう?」


 サスも気にはなっていた。明かりがあるのに人の姿が見当たらないのはどう考えてもおかしい。蝋燭にしろ、油にしろ、無料(タダ)ではないのだ。相当な金持ちならともかく、この規模の屋敷であれば、寝る前にすべての灯を消してしかるべきだろう。


「それに──これを見てください」


 言いながら、キーファは長卓の上から何かをつまみ取った。それをサスに見せてくる。


「パン屑です。最初に入った部屋は、(ほこり)ひとつ落ちていませんでした。廊下もです。この屋敷は毎日、ちゃんと掃除されているんだと思います。それなのに、パン(くず)は落ちている」

「夜食か」


 サスが言うと、キーファは「はい」とうなずいた。


「あと、このパンを食べたのは、住み込みの女中さんたち(・・)だと思います」

「なんでそこまでわかる?」

「僕も先生の夜食を作ったりするんですけど」


 キーファは前置きして、


「その時は、先生がいる部屋なり場所なりに持っていくからです。でも、ここで食べていたのは女中さんひとりじゃない。ひとりだけなら、厨房で食べればいいんです。わざわざこの部屋まで持ってくる必要がない。だから多分、数人でこっそりここに夜食を持ってきて、明かりを絞って、お話をしていたんじゃないかな。女の人ってそういうの、大好きですから」

「──てことは、だ」


 サスはキーファの言わんとすることを理解した。


「食べている時に誰かに呼ばれた、ってことか」

「そうなんだと思います。お皿がないのにパン屑が残っているのは、あわてて片づけたから。火がついたままなのは、また戻ってくるつもりだったからかもしれません。ぜんぶ消してしまうと、またつける時に面倒ですよね。新しく火を持ってこなくちゃいけないから。それに明かりだけなら、最悪、バレたとしても、掃除をしていたと言い訳することもできます」

「なるほどな」


 サスは舌を巻いた。大人顔負けの洞察力である。


「よくそこまでわかるもんだ」

「いえ、その……」


 サスが()めると、なぜか、キーファは口ごもって顔を赤くさせた。


「たまに僕も、同じようなことをするから……」


 キーファは恥ずかしそうにうつむいてしまう。言葉の意味がわかり、「そういうことか」と、サスは苦笑した。


「健康なら腹も減るだろうぜ」

「太ると、先生に怒られるんです。女の子に見えなくなるから、寝る前は食べるなって……」

「厳しいな」


 サスは意外な気がした。ユーリィという男の印象として、外見に拘泥(こうでい)するような性格には見えなかったのだ。


 ──まぁ、他人の性癖なんざ、俺の知ったこっちゃねぇ。


 サスはすぐに思い直し、


「だが、嬢ちゃんの話が本当だとすると、疑問が残るぜ」


 話を戻すと、はい、とキーファも顔を上げた。


「女中さんたちは、戻ってこられなかった……」


 言って、キーファは黙り込む。さすがに理由までは思いつかないようだ。


 どちらからというわけでもなく、ふたりは燭台の灯を見つめた。


 蝋燭はわずかしか残っておらず、弱々しい光が闇の訪れを予感させ……。


 その時、ピクリとキーファの身体が反応した。素早く天井を見上げる。サスが声をかけようとすると、指を唇に当てた。喋るな、ということらしい。


 キーファは厳しい顔つきを作り、にらむように天井を見つめる。


「誰か……いる」

「なんだって?」

「でも、多分……サーシバルさんが捜してる人じゃない」


 見上げるキーファの顔つきが、さらに厳しくなった。


「嫌な予感がする」


 鋭く言い、かぶっていたフードをめくり上げる。


「サーシバルさんは、急いで一階を調べてください。できる限り音を立てずに」

「嬢ちゃんはどうするつもりだ?」

「僕が(おとり)になって、二階を調べてきます──急いでください」


 キーファが窓に向けて駆け出した。サスが返事をする間もなく、足で窓ガラスを蹴破ると、上枠に両手をかけ、逆上がりをするように飛び上がっていく。


 上階から、窓の割れる音がサスの耳に届いた。


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