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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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94 呼び合うものⅠ

 地下墓所(カタコンベ)内に訪れた力が消え去り、背中に当たる石床の感触とともに、ティアはゆっくりと目を開いた。


 視界に、イグナスが立っている。全身を黒鉄(くろがね)のような鱗でびっしりと覆い、鎧のようにまとっている。はっきりした意識であらためて見ると、邪悪な蛇の化身そのものといった姿だ。


 イグナスは辺りを見回し、消えた力を確認してから、ティアを見下ろしてくる。


「お目覚めかい?」


 イグナスの顔に、余裕の笑みが広がる。


 ティアは無言のまま立ち上がった。じっとイグナスを見つめる。


 イグナスはやや眉を寄せたものの、ティアの様子に満足したらしく、


「仲直りでもしようや」


 蛇の瞳が銀光を発した。握手を求めるように手を差し出してくる。


 その光に誘われるように、ティアはイグナスの手を取った。


「かわいいものだ」


 会心の笑みを浮かべるイグナスの口から、ぞろりと長い舌が伸びてくる。


 その舌がティアの(ほほ)に触れる寸前、


「──イグナス」

「ああん?」


 イグナスの舌が止まった。怪訝(けげん)そうにこちらを見下ろしてくる。


「お前に、言っておかねばならないことがある」


 ティアの瞳が赤い色へと変わり、イグナスの瞳同様、人ならざらぬあやしい輝きをまとう。その顔に付着した血が、じわじわと白い肌の下に染み込んでいく。


 自分の支配が解けていることに、ようやくイグナスは気がついたようだった。


試用(しよう)期間は終わりだ。お前とは契約をしないことに決めた」


 ティアの華奢(きゃしゃ)な手が、イグナスの手を強く──骨が(きし)むほどに握りしめていく。


「私は──」


 言いながら、ティアはイスラを見た。こちらを見返してくる黒狼に、ティアはふっと笑みを浮かべ、


「すでにイスラと契約している。お前は、お呼びじゃないんだ」

「ほぉぉぉう……」


 イグナスがにやりと(わら)う。


「言いたいことはそれだけか?」

「いや」


 ティアは笑みを消し、イグナスを見上げた。


 赤と銀の瞳がぶつかる。


「いつまで私の前に立っているつもりだ? 邪魔だぞ、イグナス」


 瞬間、お互いに手を掴んだまま、ティアとイグナスが身構えた。


 先に動いたのはイグナスだった。蜃気楼(ディリバブ)で斬りかかってくる。


 ティアが掴んだ手を引っ張った。イグナスが体勢を崩し、剣が地を打つ。ティアは後ろに倒れつつ、掴んだ腕を巻き込み、両足でイグナスの首を挟んだ。


 上下逆さまになって締め上げる。


「……苦しいか」


 ティアが言うと、イグナスは顔を鬱血(うっけつ)させながら、「いいや」と嗤い、


「女の股で死ねるほど、幸せなことはないぜ」

「なら、死ね」


 密着させた足から、ズボンを裂き、黒い刃がイグナスを刈った。首が転々と地面に転がるも、胴体が握るイグナスの蜃気楼(ディリバブ)がティアめがけて振り下ろされた。


 ティアは黒霧となってイグナスの横に移動すると、腕を掴んだまま、イグナスを宙へと高く放り上げた。同時に、転がった生首を(すく)うように蹴り上げる。


 無表情に見上げるティアの右手が、ばちり、と黒い雷をまとった。


「──黒雷フェケテ・メーンドルゲーシュ


 放たれた黒雷が、イグナスの首と胴体をさらに押し上げた。地下墓所を抜け、イグナスが夜の空へと飲み込まれていく。


耐魔(レジスト)……闇と闇、か。力が伝わりにくいな」


 ティアは舌打ちし、背から蝙蝠(こうもり)の翼を広げた。


 飛び立つ直前、


「ティア!」


 ファン・ミリアに呼び止められた。見ると、動きはじめた墓所内で、ファン・ミリアとジルドレッドが骸骨(スケルトン)と戦闘をはじめている。


「もう、大丈夫なのか?」


 星槍(せいそう)を操るファン・ミリアが、心配そうにこちらを見ている。


「……ファン・ミリア」


 ティアはつぶやき、


「もう大丈夫だ。──貴女と、その勇敢(ゆうかん)で高潔な聖騎士のおかげで」


 床に寝かせられた白い聖騎士に、視線を向ける。


「あなたの心は、私のなかで永遠に生き続けるだろう」


 失われた聖騎士に弔意(ちょうい)を込め、


「ありがとう」


 言い、ティアは夜へと飛び立っていく。


「……また、行ってしまうのか」


 ファン・ミリアがティアを見上げていると、


「借りがひとつできた」


 振り返ると、黒狼が立っていた。


「神託の乙女よ、私からも礼を言おう。人の心とは、かくも強きものかと思い知らされた。──まったく、大したものだ」

「お前のためにしたことではない」


 返答に悩んだものの、ファン・ミリアがそう返すと、黒狼はかすかに笑ったようだった。地を蹴り、ティアを追いかけていく。


「ティア……」


 ファン・ミリアの声は、喧噪(けんそう)にかき消された。


 ◇

 

 ティアはウル・エピテスの尖塔の先に着地した。爪先立ちにイグナスの気配を探っていると、イスラが宙を駆け上ってきた。


「どうやら、己の性分(しょうぶん)を知ったらしいの」

「ああ」


 ティアはうなずき、


「紫の魔女に会った」

「なに?」

「イスラをよく知っているようだった」


 ティアが告げると、「そうか」と、イスラはつぶやいた。


「素晴らしい人だった……」

「さもありなん」


 誇るような言葉とともに、イスラの身体が溶けるように黒い水と化した。


『門出じゃ。いま私の使えるすべての力を、お前に回してやる』


 ティアの破れた服の胸元から入ってくる。ティアの全身を包み、膨れ上がっていく。ぼろぼろになった服を破裂させると、今度は収縮(しゅうしゅく)し、ティアの首の下から手首、そして足先にかけて貼りついた。


 水が服に──漆黒(しっこく)のドレスへと形を変えていく。


「これは?」

「奴の闇を侵食(しんしょく)し、お前の力を伝わりやすくした。が、注意せよ。向こうへの力が通じるということは、お前にも奴の力が通じるということでもある」

「それはいいが……」


 ティアは何とも言えない気分でドレスを見下ろした。


 ドレスからは、イスラが変化(へんげ)したとは思えないほどしっかりとした布の感触が伝わってくる。繻子(しゅす)のような光沢のある素材が、雨に濡れ、より輝くようだった。(えり)は高く、(そで)は折り返しがついている。(すそ)は長く、大きく広がっていた。


「できれば、女物より男物のほうがよかった」


 ティアが本音を漏らすと、


『では、素っ裸で戦うがよい』


 あっさりとイスラが言い、服が黒い水に戻りはじめる。


「嘘だ。とてもいい服だ。最高に気に入った」


 なかば(おど)しである。ティアがあわてて言うと、イスラは鼻で笑い、


『おそらく──、かつての私はこれを身にまとっていた』


 思い出すような口調で言った。


「……意外と女性らしい趣味なんだな」


 そういえば、とティアは思い出す。紫の魔女は、イスラのことを『いつもにこにこしていた』と言っていた。


 ティアの知らないイスラは、どんな神だったのだろう。


 気にはなったものの、いまはそれを考える時ではない。


「イグナスは、どこだ?」


 漠然(ばくぜん)と近くにいる気配を感じるものの、はっきりとした位置が掴めない。


 どこかで息を潜めているのか。


『奴は姿を隠す術を持っておる。お前の(すき)を狙っておるのだろう』

小賢(こざか)しい男だな」

『どうするつもりじゃ?』


 訊かれ、ティアは周囲を見回した。尖塔からは、ウル・エピテスの灯と、闇夜の底に輝く王都の明かりが浮かんでいる。


 風はまだ強く吹いているものの、いつしか雨は小降りになっていた。王都から逆に目を向けると、増水したヌールヴ川が、荒れ狂うネブ海峡に流れ込んでいく様が一望できた。


「もうすぐ嵐が終わる」


 ティアは言った。


「夜明けまでに決着(ケリ)をつけなければ」 


 身体に、疲労が()まっていた。まるで何日も徹夜をしたよう感覚がある。


 紫の魔女が『ティアに負担をかける』と言ったのは、このことなのだろう。


 その一方で、頭の中は()んでいる。


 ──今なら、できることもある。


 これもまた、魔女と触れ合った余韻(よいん)だろうか。それとも、吸血鬼である己を認めたからだろうか。


 ティアは身体から数匹の蝙蝠を分離させた。散り散りに飛び立っていく。


 鼓膜(こまく)に、人間の耳では(とら)えることのできない極小の信号が届きはじめた。


 蝙蝠が発する超音波──反響定位(エコロケーション)によって、(ひそ)んだ敵を探しはじめる。


『音の結界か』

「見つけてくれたようだ」


 視線を定め、ティアが別の尖塔の中層を目指して滑空(かっくう)する。


 広げた翼をたたみ、流線形に身体を包んだ。速度を上げ、そのまま尖塔に突っ込んでいく。


「グ、ハァ!」


 壁とティアとの間に挟まれ、イグナスが姿を現した。ちょうど腹あたりにティアの翼が食い込み、その口から、霧ではない赤い血が(あふ)れた。


「それが人の痛みだ、イグナス」


 勢いそのままに、尖塔を貫通する。


 折れ倒れていく尖塔を(かえり)みることなく、ティアは翼を広げた。腕を振ると、ドレスの袖下から長く黒い刃が滑り出てくる。握りしめ、イグナスに斬りかかる。


「痛ぇだろうが!」


 イグナスが蜃気楼(ディリバブ)で応戦してくる。黒い刃と交錯(こうさく)した。切り結んだままティアが指を伸ばすと、蝙蝠が放たれた。イグナスの首元に食いつき、狂ったような獰猛(どうもう)さで肉を噛みちぎっていく。


「痛ぇぇぇ!」


 イグナスがわめく。剣を握る別の手が、巨大な蛇へと変じた。蝙蝠を丸呑(まるの)みし、ティアへと向かってくる。


『逃げるな、ティア!』

「わかっている!」


 イスラの声に返し、ティアが自らの腕を蛇の口に突き込んだ。自分の腕もろとも、黒い刃で蛇を斬り落とす。


 ギャァアア! というイグナスの絶叫が周囲に響き渡った。ティアもまた、激しい痛みによる悲鳴を押し殺した。


『それで良い』


 イスラが言った。


『心を強く持て。化け物には化け物の戦い方がある』

「ああ」


 イグナスの腕と、ティアの腕が再生をはじめる。ドレスも元通りになった。


「イスラは平気か?」

『無論』


 平然とした口調ではあるが、イスラの力が弱まるのをティアは感じた。


糞餓鬼(クソガキ)がぁ!」 


 怒りの形相(ぎょうそう)でイグナスが蜃気楼(ディリバブ)を振ってくる。それを黒い刃で受け止めながら、


 ──私より、イスラがもたない。


 何か手はないか、と考えた時、ティアの脳裏(のうり)に、ある映像が映り込んできた。


「…‥呼んでいるのか」


 素早く見下ろした。


 夜目(よめ)()く瞳が捉えた、眼下の地下墓所……。


 ティアが、顔を上げた。イグナスを見て嫣然(えんぜん)と笑みをこぼす。


「お前は、馬鹿だ」

「なぁにぃぃぃ!」


 怒りを含んだ蛇の瞳に、ティアは蜃気楼(ディリバブ)を身を翻してかわすと、そのまま急降下していく。


 取り残されたイグナスは尖塔(せんとう)に着地した。


「なんだァ?」


 呆気(あっけ)に取られつつ、落ちていくティアと、その先の地下墓所を見やる。


 すでに地下墓所はジルドレッドとファン・ミリアによって制圧されはじめている。粉々(こなごな)になった骸骨(スケルトン)が雪原のように床を埋め、死霊使い(ネクロマンサー)を追い詰めていた。


 ふたりの英雄を相手にするには、死霊使い(ネクロマンサー)では荷が重すぎる。


 そしてイグナスは気づく。


 ティアはその死霊使い(ネクロマンサー)めがけて落ちていくようだった。


 ──なぜ死霊使い(ネクロマンサー)に……。


 そう思ったイグナスの瞳に、黒い輝きを残したままの魔法陣が映った。


 ──まずい!


 ティアの狙いを悟り、イグナスもあわてて尖塔から飛び降りた。


 ──まずいぞ!


 (あせ)りを感じながら、イグナスが蜃気楼(ディリバブ)を振り上げた。魔法陣めがけて剣を投げつけようとした時、顔面に横殴りの衝撃を受けた。


「グ‥…ォォ!」

「──知ってるかい?」


 吹き飛ばされたイグナスが見ると、そこに(こん)を持つレイニーの姿があった。もう一方の腕に巻いた篭手(こて)からワイヤーが伸び出て、振り子の力で遠ざかっていく。


「蛇の天敵は(わし)さね」


 ◇


 再び地下墓所に入ったティアは、着地とともに弱った死霊使い(ネクロマンサー)を地面に引きずり落とした。


 暴れる死霊使い(ネクロマンサー)の頭部を無理やり掴み、地を蹴る。


「──ティア?」


 一瞬、喜色を浮かべたファン・ミリアには気づかず、ティアは地に転がったグスタフの剣を取った。次に、魔法陣へと向かう。


 ──あなたの剣を我が血で汚す。お許しを。


 ティアは心の中でグスタフに詫びながら、自分の手首を噛んだ。動脈を傷つけ、噴き出る血でもって剣身に浴びせかける。


「イスラ」

『何じゃ』

「私に家名をよこせ」

『……よかろう』


 イスラもティアの思惑に気づいたらしい。わずかな沈黙の後、


『フィール』

「意味は?」

『半分』

「わかった」


 ティアはうなずく。まだ暴れる死霊使い(ネクロマンサー)に、


「大人しくしろ」


 掴んだ手に力を込めて言うと、頭部が割れた。ボロボロと崩れ落ちていく。


「あ……」


 破壊するつもりはなかった。死霊使い(ネクロマンサー)が想像以上に(もろ)かったのだ。それだけ弱っていたのだろう。


「まぁ、なんとかなるだろう」


 これも運命だ──そう思い込むことにして、ティアは死霊使い(ネクロマンサー)の頭部から下を魔法陣の中心に放った。


 その(むくろ)を挟み、容赦なく剣を突き立てる。


 赤い瞳が輝いた。


「……開かれた城門ニールト・ア・ヴァルカプゥ


 ティアの言葉に呼応して、魔法陣に描き込まれていた文字と紋様(もんよう)が形を変えはじめる。


 瞳を静かに閉じた。剣の上に、両手をかざす。


「──新名()を与える」


 舞うような手の動きとともに、魔法陣の輝きが強まっていく。


 漆黒のドレスを身にまとい、闇の巫女(みこ)が祈りを捧げる。


()は忠義なる者なり。我が身を守る盾なり」


 瞳を閉じたティアの脳裏に浮かぶ、何十枚もの手札(カード)


 意識の手を伸ばし、その中から一枚を選び取る。


 ──『鍵となる概念(キーワード)』は……。


『嵐の夜』

『首のない躯』

彷徨(さまよ)屍衣(しい)

『血塗られた騎士の剣』


 その者の姿と、手札に描かれた絵を重ね合わせた。


 魔法陣の光が限界まで高まり、風となって髪を、裳裾(もすそ)を揺らす。


「其が主、ティアーナ=フィールの名において命じる。バディス=ヨーク・ニー=ノウよ、此処(ここ)に来たれ」


 ◇


「あれは……?」


 ファン・ミリアは、その様子を離れた位置から見ていた。


「はじめて見る術だが、どうやら魔法陣を上書きしているらしいな」


 ジルドレッドが、隣に立っている。ティアが死霊使い(ネクロマンサー)を仕留めた結果、すべての骸骨(スケルトン)はただの骨に戻って地面に崩れ落ちた。


「このまま見ているだけでいいのでしょうか?」


 複雑な表情でファン・ミリアは質問した。ティアが自分を取り戻したことは嬉しい。だが、その後どうすべきか、ファン・ミリアは考えていなかった。


 考えたくなかった。


「放っておくわけにはいかぬが……あの娘がタオ=シフルである以上、その責任の一端は我々にもある」

「……はい」


 ファン・ミリアはうなずいた。


 ジルドレッドが、巨剣を投槍のように持つと、瞑目(めいもく)するティアの頭上あたりに投擲(とうてき)した。


 巨剣が、ティアめがけて投げられた蜃気楼(ディリバブ)を打ち落とす。


「どいつもこいつもォォォ!」


 イグナスが苛立(いらだ)ちを隠すことなく降りてくる。


「いまは奴を仕留(しと)めるのが優先事項だ。行くぞ」

「はっ!」


 走り出したジルドレッドに、ファン・ミリアも続いた。

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