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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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90 春宵一擲Ⅹ

 ──どうにも具合がよくないな。


 ジルドレッドの巨剣をかわしながら、イグナスはティアへと意識を向けている。


 ──馴染(なじ)むまで、まだ時間がかかるか。


 けれども成果としては上々だろう。


 そもそもが横やりなのだ。魂を強奪するような荒業(あらわざ)は、それこそ事前に印をつけておかなければできない芸当だった。


 ……その脇腹(わきばら)に。


 ティアは──ティアであったものの魂は、非常に魅力的だ。


 玻璃(ガラス)のように繊細(せんさい)で、もろい。


 それでいて、玻璃(ガラス)のように硬い。


 その価値に黒狼は気づいている。


 気づいているからこそ、ティアとして(よみがえ)らせたのだろう。


 ──ここで、退散しておくのも手か。


 大幅に計画が狂うことにはなるが、ティアが手に入ると思えば、些末(さまつ)な問題にすぎない。長い目で見れば、差し引きで釣りが来る。


 ──時間をかけすぎるのも具合が悪い。


 本来、イグナスが今夜の舞踏会に現れたのは、レイニー暗殺のためだ。救出に来るであろうその仲間もこの地下墓所(カタコンベ)に誘い込んで殺し、さらに言えば捕らえていたはずのサーシバルをも殺し、一晩で(わし)のギルドを壊滅へと追い込むつもりだった。


 それが、どういうわけか聖騎士団を相手にするはめになっている。


 顔を見られた以上、仕事がやりにくくはなるものの、


 ──聖騎士団は、残しておく価値がないわけでもない。


 イグナスが算段をつけていると、


「注意がそれているな」


 蜃気楼(ディリバブ)虚空(こくう)を斬った。人とは思えぬ速度でかわしたジルドレッドが、逆から斬り込んでくる。一際甲高(かんだか)い音が辺りに鳴り響いた。


 巨剣を、イグナスの腕が受け止めている。黒い(うろこ)がざらりと輝いた。


 しかし、ジルドレッドはさして驚いた様子も見せず、そのうえ、


「悪だくみを、俺が許すと思うか?」


 まるでイグナスの心を見透(みす)かしたように、言った。


「──まったく」


 イグナスは溜息をつく。やはり、この男はただ者ではない。


 何よりイグナスが警戒していたのは、この男の用心深さだった。休暇を与えられたはずのジルドレッドがこの場にいること自体、その証明になっている。


 単純な戦闘力だけなら、ファン・ミリアのほうが上回っているのかもしれない。だが、そのファン・ミリアを旗下(きか)に置き、飼い殺しにするでもなく自由に近い権限を与えるのは、並の人間にできることではない。


 なぜなら──ファン・ミリアという英雄が名を上げれば上げるほど、ジルドレッド自身の地位を(おびや)かす存在となり得るからだ。


 不撓(ふとう)と呼ばれる由縁(ゆえん)は、己を(りっ)する克己心(こっきしん)にあるのだろう。


 それは戦闘においても同様だった。


 自分の部下を失ったにもかかわらず、イグナスへの集中が途切れない。


 (すき)が、作れない。


 考えるまでもなく、最善の手ではある。いまジルドレッドが部下のもとへ走ればイグナスの手が空く。次の行動に移ることができるだろう。


 ──不撓とは、これほどの男か。


 イグナスが思った時だった。


 ジルドレッドの剣筋(けんすじ)が、にわかに止まった。


 ──お。


 不意に訪れた勝機に、イグナスのほうが驚いたほどだ。


 翠眼(すいがん)が、ティアへと向く。だけでなく、ジルドレッドは顔を振って周囲を見回している。


 ──しょせんは人の子か……。


 一抹(いちまつ)の失望を得たものの、この勝機こそ、他ならないイグナスの作為(さくい)()るところが大きい。


 イグナスは蜃気楼(ディリバブ)を握り直した。


 しかし──。


 そのイグナスでさえ、はたと動きを止めてしまう。


「──なんだ?」


 それは何の前触れもなく訪れた。


 イグナスの全身を緊張が走り抜ける。雷、ではない。依然(いぜん)として雨が降り続けるなか、気がつくと、地下墓所内に得体の知れない力が充満している。


 何者かの視線を感じた。


「なんだ!」


 ティアを見た。 ──ちがう。


 ファン・ミリアを見た。 ──これも、ちがう。


 黒狼を見た。 ──ちがう!


 イグナスのこめかみを、冷たい汗がつたい落ちていく。笑みが、完全に消え去っていた。


 ──なんだ、この馬鹿々々しい力は!


 空気が帯電(たいでん)したように張り詰めている。


 ただ、見られているだけ。にもかかわらず、息が詰まるようだった。


 これほどの力の偏在(へんざい)を、イグナスは体験したことがない。見れば、手に持った蜃気楼(ディリバブ)の剣身が弱々しい光を洩らしている。


 剣が(おび)えていた。


「ありえないぞ!」


 動揺が口を()いて出る。


 こんな馬鹿なことは、ありえない。


「誰が見ている!」


 苛立(いらだ)つ声で叫ぶ。


「誰が見ていると言ったァ!」


 応える声はない。


 ◇


「──おお……!」


 石の床に着地したイスラもまた、この地下墓所に訪れた力を感じ取っていた。


「おお、……おお!」


 イスラは感極まった声を上げた。


 極大(きょくだい)の力でありながら、冬の湖面のような静謐(せいひつ)さを感じさせる。


 発せられる力と、それを収める力とが同居し、奇跡のように安定している。


 ──真実の美しさ。


 神であるイスラでさえ、いや、神であるイスラだからこそ感じる、光と闇の(たえ)なる均衡。死霊使い(ネクロマンサー)骸骨(スケルトン)でさえ、その異常な力に動きを止めてしまっていた。


「この感覚……」


 イスラはこの感覚を知っている。知ってはいるものの、思い出すことができない。


 それなのに、懐かしさがこみ上げてくる。


「この御方(おかた)は……」


 わからない。


 わからないが、この視線は、とてつもなく懐かしい。

 

──そう。


 この視線のために、ただ生きてきた。永い時のなかを、力を失い、自分を失ってもなお、待ち続けていた。


 その琥珀(こはく)の瞳から、一粒の涙が落ちた。


「……(あるじ)よ」


 我知らず、イスラはつぶやいていた。


 ◇


 ──何が……。


 すべてが静止した地下墓所にあって、グスタフを抱いたファン・ミリアは視線を左右に走らせた。


「グゥ……オォオオオオ!」


 はっとしてティアを見上げた。


 ティアの身体がわなないている。ぶるぶると震える手が、仮面のように浮き出る蛇を掴んだ。


 引っ張り、あるいは、左右にふるう。全身に力を入れるように、ティアの身体が前後に倒れては起き上がる。


 掴まれた蛇の瞳が、忙しなく動き回っている。黒い影の蛇は、明らかに狼狽しているようだった。点滅するように瞳が銀に輝く。瞳の銀光が強くなるとティアの動きが弱まり、銀光が弱まるとティアの動きがまた強まる。


 ──せめぎあっている?


 その内部で、激しい戦いが繰り広げられている。ひとつの身体の支配権をめぐって、ふたつの力が押し引きを繰り返しているようだった。


「ティア……負けないでくれ!」


 見守ることしかできず、ファン・ミリアはただティアを励ました。


 ティアの食いしばった歯の隙間から、血の糸がたれ落ちていく。


 涙にも、赤い色が混ざりはじめていた。


「オォォォ!」


 黒髪が舞い、(おびただ)しい量の血が噴き上がる。断裂する肉の音とともに、ティアが蛇を引きずり出し、床に叩きつけた。叩けつけられた蛇はしばらくの間のたうち回っていたが、やがて黒く泡立ちながら、泥のように形を失い、溶けていく。


「やった……のか」


 快哉(かいさい)を上げかけたファン・ミリアだったが、再びティアの顔に蛇が浮かんでくるのを見て、それがぬか喜びであることを思い知らされた。


 ──それほどに深く、ティアの魂に食い込んでいるのか。


 絶望しかけたファン・ミリアに対し、ティアはまだ抵抗を諦めてはいないようだった。


「ぐぁぁぁ!」


 苦しみながら、ティアは両の人差し指を立てた。指先から、どろりと黒い水がつたう。その指先を、自分の耳に差し込んだ。深く、血が出るほどに差し込む。


 体内に注がれた黒い水が、血管を流れはじめた。白い肌の下を不気味な黒い光となって駆け巡っていく。やがて光はティアの腹部へと集まり、明滅(めいめつ)をはじめた。そこに、異常なものが潜んでいると告げているようだった。


 ティアの爪が、鋭く伸びた。


 まさか、とファン・ミリアが思う暇もなく、ティアが自分の腹を裂いた。なんのためらいもなく、裂いた腹に手を突っ込む。光の中心部を探るような手の動きとともに、ぐちゃぐちゃと血と臓物を()ねる音は、ファン・ミリアでさえ顔色を失うほどだった。


 そして、ティアが取り出したのは、小指の第一関節ほどのちいさな卵だった。


 黒や(だいだい)や緑といった毒々しい(まだら)模様の卵を、ティアが握り潰す。


 殻の欠片(かけら)と、黒ずんだ赤い血のような液体が、握りしめた手の隙間から滴り落ちていく。さらにもう一度、蛇を顔から引きずり出し、床に叩きつけた。


 髪の隙間(すきま)からのぞくティアの瞳が、赤と灰の色を交互に繰り返している。


 言葉にならないうめきを発したティアが、顔を持ち上げた。


「奴は、どこだ……」


 喘鳴(ぜんめい)を縫って聞こえたその声は、まぎれもなくティア自身の声だった。


 その瞳が、イグナスを探し当てた。


 裂いた腹に手を入れたまま、ティアが、ずるり、と地に足をこすってイグナスへと歩きはじめた。


「その身体では……!」


 言いかけたファン・ミリアを、ティアが見た。そしてグスタフへと視線を移す。


 その時だった。


 ──止めてはいけない。


 ふと、声が聞こえた。


 ファン・ミリアはあわてて顔を(めぐ)らせたものの、声の主らしき者はどこにも見当たらない。


 だが、たしかに聞こえたのだ。


 聞こえたのは、ファン・ミリアだけではないようだった。


 その証拠に、ジルドレッドも、黒狼も、ただティアへと視線を向けている。


 すべてが動きを止めてしまった地下墓所のなかで、ティアだけが、イグナスへと向かっていく。


 血涙を流しながら、ティアは歯を食いしばり、一歩、また一歩とイグナスに近づいていく。


 ◇


 視線の先に、驚いた表情を作るイグナスが立っている。


 全身の感覚が麻痺(まひ)していた。


 ──長い夢を見ていた。


 裂いた腹から引き出した手には、取り出したはずの卵が掴まれている。


 気を抜けば、すぐまた蛇に支配されてしまいそうになる。


 ──なぜ、オレは……。


 卵を潰し、床に放った。それだけで足元がふらつく。


 その様子に、驚いていたイグナスの表情が愉しげに歪み、(わら)った。


 銀の蛇の瞳がぎらりと光る。ティアの脳裏に、得体の知れない恐怖が湧き起こり、足が止まった。


 心が萎え、身体がすくむ。


 噛みしめた奥歯が、ガチガチと音を立てはじめる。


 ──怖い。


 腹に、自分のものではない黒い塊が形を成しはじめる。


 耐えきれず、ティアはその場に崩れ落ちた。


 見上げたイグナスが、牙を剥くように嗤っている。


「何が……おかしい?」


 イグナスが嗤っている。馬鹿にしたように嘲り笑う。


『お前は、そんなもんだ』


 蛇の瞳がそう告げている。


 ティアはこの瞳を知っている。


 他者を傷つけ、見下す瞳だ。


 ──お前、か。


 ティアは、床に手をついた。


 力を込めると、全身のあちこちから血が流れ出る感覚があった。


 ──また、お前なのか。


 もがくように、ティアは身体を起こす。


 ……一撃。


 せめて、一撃。


 かつての自分が、届かなかったもの。


 己の成すべきことを。


 心を閉じ込めようとする恐怖という名の殻を、秘めたる想いが打ち壊した。


 すべての気力を込め、拳を握りしめる。


 立ち上がり、拳を振り上げた。


「う、あぁぁ!」 


 (おど)りかかるように、泣きながら放たれた拳がイグナスの顔面を打つ。が、イグナスにとっては撫でられたようなものなのだろう。二股に分かれた舌が、ぺろりとティアの拳を()めた。


 イグナスの腕が動いた、そう思った時にはもう、ティアは吹き飛ばされていた。


 視界が反転し、厚く閉ざされた夜空が映った。


 雨が顔をうつ。


 ──また。


 まぶたが落ち、すべてが黒く()まりはじめる。


 ──あの時と、同じ。


 何もできず、何も果たせず……。


「──いいえ」


 声が聞こえた。まぶたの裏で、ばちり、と紫電(しでん)(はし)った。


 ばちり、ばちり、と。


「同じなんかじゃない」


 放射(ほうしゃ)する紫電が波打ち、重なり合い、ひとつの像を結びはじめる。


「よく立ったわね、ティアーナ」


 それは、舞い降りた。

『93 ティアの道Ⅴ‐月下』に続きます。91・92は欠番です。

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