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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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85 春宵一擲Ⅴ

 雨に濡れている、青よりも深い青。


 しなやかな肢体(したい)に、ドレスが張りついている。


 (ガード)が長い十字架型の剣、そしてスピアを両端に携えた神器──星槍(せいそう)ギュロレットをファン・ミリアは軽々と回した。


 星槍の軌跡(きせき)が、虚空(こくう)に青光の車輪を描く。


「いったいどうなっている?」


 前方を注視していたファン・ミリアは、カホカに視線を落とした。


 隣のレイニーが、カホカを押しのけて立ち上がってくる。


「ムカつく顔だねぇ」

「ちょっと!」


 カホカが制止するよりも早く、レイニーが(こん)を繰り出してくる。


 ファン・ミリアは星槍でもって簡単に(さば)くと、


「レイニー=テスビア、脱獄したのか」


 いくぶん驚いたものの、ここにカホカがいる以上、推量は難しくない。


「……二度も負けるのはゴメンだよ」


 レイニーが続けざまに棍を振ってくる。


 ──(うら)まれているようだ。


 しかし、それも無理のない話なのだろう。彼女を打ち負かし、捕縛(ほばく)したのは他でもないファン・ミリアだ。


「レイニー、待ってってば!」


 カホカがレイニーの足首を掴んだ──ものの、


「ぐへ」


 振りほどこうとするレイニーの足が、カホカの顔面を蹴った。


「あ、悪い」

「……しんどいんだから……動かせんなよ……」


 謝るレイニーに、カホカはぐったりと顔を伏せた。


 ファン・ミリアはふたりのやりとりを眺めつつ、レイニーが戦える身体ではないと分析を終えている。カホカも同じか、あるいはそれ以上の深手(ふかで)だろう。


 冷静に見定め、視線を転じた。


 黒狼と、最後のひとり……。


 しかし、どちらも脅威には感じられなかった。特に、黒狼は以前の姿からは想像もつかないほど威勢(いせい)を落としている。


 神力がまるで感じられない。


 ──これら全員が(わし)のギルドの関係者だとすると……。


 かなり危機的な状況に(おちい)っていると見てまちがいない。


「サティ……」


 カホカに呼ばれ、ファン・ミリアは再び足元へと視線を戻した。


「あいつ……イグナスは?」

「おそらくは、まだ生きている」


 ファン・ミリアが答えると、カホカは黙り込んだ。それからしばらくして、


「……サティにお願いがあるんだ」


 まるで絨毯(じゅうたん)に話しかけているようだ。


「助けて」


 ごくちいさな声で、カホカが言った。


 ──まったく……。


 その(てら)いのなさに、ファン・ミリアは内心で苦笑した。


 ──可愛げがある。


 感動を覚えたといってもいい。つい先日の襲撃事件を思い返せば、「どの口が!」と面罵(めんば)できる立場のファン・ミリアだからこそ、カホカの物言いが、いっそ(いさぎよ)清々(すがすが)しかった。


 ──得な性格をしている。


 ファン・ミリアはどうにも、(かざ)らない性格のこの娘が嫌いになれない。


 きっと、と思う。


 ──私は、カホカのことが(うらや)ましいのだろう。


 つらい時、素直に「助けて欲しい」と言える彼女の性格が。


 そして、カホカを羨ましいと思える自分が、すこしだけ嬉しい。


「……あの黒き狼は、敵ではないのか?」


 念のために訊くと、すぐにカホカから「味方」と返ってきた。


 黒狼は、離れた壁際の近くで、手負いらしい娘の傍らに座っている。彼女が蝙蝠(こうもり)の女であり、ユーセイドであることは間違いないだろう。


 ファン・ミリアは棍を構えたままのレイニーを一瞥(いちべつ)した。


「お前たちからは多くを聴かせてもらう必要がある。が、まずはカホカの手当てをしてやれ」

「あんたの指示を受けるつもりはないね」


 レイニーが不機嫌顔で返してくる。


「……いや、しろよ。手当て……」


 うつ伏せたカホカの抗議に、ファン・ミリアはちらりと微笑みをのぞかせた。そして、大股(おおまた)で黒狼に歩み寄っていく。


 琥珀(こはく)の瞳が、無言のままじっとこちらを見上げていた。


 ファン・ミリアはひるむことなく黒狼を見つめ返したまま、両膝を落とした。


 娘に手を伸ばしかけると、


「触らぬ方が良い」


 黒狼から告げられ、一瞬、ファン・ミリアの手が止まるも、構わず娘を抱き起こした。


 破られた服の腹あたりに、黒い蛇の刺青(いれずみ)がのぞいている。抱き起されたにもかかわらず、娘の瞳が、ファン・ミリアに向いていない。虚空(こくう)を見つめながら、瞳の色が赤くなり、灰色になりを繰り返しながら、大量の脂汗(あぶらあせ)をかいていた。


「なぜ放っておく。この者はお前の仲間ではないのか?」


 ファン・ミリアが、責めるように黒狼を見つめた。


 黒狼はしばらくの間、ただファン・ミリアを見つめ返していたが、やがてあきらめたように、


「これは、我が巫女(みこ)である。半身と言ってもよい。だが、手の(ほどこ)しようがない」

「詳しく話せ」

「こやつ自身が、負けを認めておる」


 淡々(たんたん)とした口調が、かえって絶望を感じさせた。


「この程度の異物、本来であれば拒絶できぬわけがない。私がこの娘──ティアに与えた力は、それほど脆弱(ぜいじゃく)なものではない」

「ティア……」


 それが娘の名前か、とファン・ミリアは思う。いつかカホカから聞いた通り、たしかに自分の名に似ている。


 そして。


 ──この黒狼は、自分の力のほとんどを彼女に譲ったのか。


 黒狼の話を聞くにつれ、ファン・ミリアはティアが何者であるかの確信を強めていく。


「私は──」


 ファン・ミリアは、瞳の力をゆるめた。汗に濡れるティアの額を、手のひらで優しく(ぬぐ)う。


「この者を、救いたい」


 紫水晶(アメジスト)の瞳を持ち上げる。


「助かる手段はないのか?」

「問題は、ふたつ」


 黒狼がファン・ミリアを見た。


「ひとつは、私がこの娘に目をつけるよりも早く、あのイグナスという男に、すでに目をつけられていたこと」

「どういう意味だ?」

「わからぬが、私とティアの関係に瑕疵(きず)があったらしい。この腹の紋……これが呪詛(じょそ)のようなものだとして、事前に印をつけられていた、ということじゃ」


 ファン・ミリアは黒狼の話に耳を傾ける。


「もうひとつは、この娘の心の(すき)を突かれたこと。むしろ、こちらの方が深刻とも言える」


 その言葉の意味を探り、ファン・ミリアが黒狼をうかがうと、


「天敵じゃ」

「……天敵?」

「ティアとあの男との関係が、まさしくそれに当てはまる。蝙蝠と蛇では、相性が悪すぎる。いまこれが感じている怯えは、健全な本能に根差しておる。むしろ、あの男がいるこの場に来たこと自体、生物の行動としてはおかしい」


 話しながら、ふと、黒狼が視線を落とした。


「……筆頭……?」


 意識の混濁(こんだく)から覚めたのか、ティアの瞳が、ファン・ミリアを映している。


「そうだ。私がわかるか?」


 抱き上げる腕に、我知らず力が込められた。


 けれど、ティアは弱々しく顔を()らした。おぼつかない手の動きで、ファン・ミリアを押し返してくる。


「ぅ……」


 声を出さぬよう、きつく口を閉じ、手を突っ張ってファン・ミリアから逃れようとする。


「……離れ、て」

「なに?」


 既視感(きしかん)を覚えた。前も、同じようにこの手を(こば)まれた。


「オレから……離れ……て……早く」


 腹の蛇が、にわかに(うごめ)きはじめた。歯を食いしばり、耐えていたティアの口が開いた。うめき声がしだいに大きく、悲鳴へと変わっていく。


「これは……!」


 刺青だったはずの蛇が、現実のものとなって鎌首をもたげてくる。牙をのぞかせ、ファン・ミリアに噛みつこうとするのを、ラズドリアの盾が即座に反応し、弾いた。


 蛇特有の(きし)むような威嚇(いかく)音を発しながら、その長い胴が太くなっていく。


「くっ!」


 星槍を手に、ファン・ミリアは蛇を根元から両断した。だが──


「無駄じゃ」


 黒狼の言葉を証明するように、再び刺青から蛇が浮き出てくる。


「恐怖の隙を突いて、ティアの魂に食い込みはじめておる。宿主から力を得ておるゆえ、どれだけ潰そうと意味がない。かえってティアを弱らせるだけじゃ」

「あのイグナスという男を滅ぼすことができれば、ティアは助かるのか?」

「わからぬ。私自身、奴と向かい合ったが、まったく底が知れぬ。滔々(とうとう)と湧き出る泉のようなものじゃ。その無尽蔵(むじんぞう)とも思える力が、奴を不死に仕立てておる」


 黒狼はティアに視線を落としている。そのまなざしは、ファン・ミリアが知る獰猛(どうもう)な狼とは似ても似つかない。


「──私は、この娘にすべてを賭けておる。この娘が使えぬであれば、是非(ぜひ)もない。私の命脈も長くは()つまい。であれば、せめて我が信民(たみ)のために一矢(いっし)報いてやるくらいか」

信民(たみ)?」

「とうの昔に力を失った私を、飽きもせず信奉(しんぽう)し続ける愚かな者たちがおる」

「それは──」


 訊きかけた時、黒狼が鼻に(しわ)を寄せた。耳を立て、警戒を示す。


 ファン・ミリアもまた、背後に立つ気配を感じ取っていた。


「……隠れているつもりか?」


 振り返ることなく、ファン・ミリアが言った。


「さすが神託の乙女だ」


 声とともに、何もないはずの空間が波打つように(ゆが)んだ。鏡のように周囲の景色を映したかと思うと、イグナスが姿を現す。


 ファン・ミリアが放った光の奔流に呑み込まれ、焼け(ただ)れた皮膚が、再生をはじめていた。古い肌を(うろこ)のように()ぎ落としながら、新たな肌がその隙間を覆う。


「こう見えて蒸風呂(むしぶろ)が好きでね。あの程度の光じゃ、俺を殺すことはできんぜ」

「不死者か……」


 ファン・ミリアは(いた)わるようにティアを寝かせ、


「だが、時間稼ぎには十分だったようだ」


 意味ありげにイグナスに告げた。さらに、「どうした?」とファン・ミリアにしては珍しく挑発するように笑う。


「私はいま背を向けている。隙だらけの状態だぞ?」

「……」


 薄い笑みだけを残し、イグナスが剣を構えた。


 ファン・ミリアは、ゆっくりと顔を持ち上げていく。


「お前は、許さん」


 柳眉(りゅうび)を逆立てる。


「これより、我ら聖騎士団がお前を打ち滅ぼす」


 その言葉とともに、横の壁に亀裂(きれつ)が走った。体当たりする恰好(かっこう)で、聖騎士グスタフが廊下に飛び込んでくる。手持ちの剣が(ひらめ)き、イグナスの身体を袈裟(けさ)に斬った。さらに逆の手を高く(かか)げる。手のひらから放たれた無数の光弾(こうだん)が、イグナスの身体を乱れ撃った。


「ぬ、ぐッ──」


 押し込まれつつ、しかし、イグナスはにたりと(わら)う。


「こいつが切り札か?」


 難なく持ち応えた時だった。


「──いいや、ちがうな」


 ()に響くほどの低い声が、上から聞こえた。天井が抜け、巨体が瓦礫(がれき)とともに落ちてくる。


「まさか……!」


 イグナスの蛇の瞳が、驚愕(きょうがく)に見開かれた。


 分厚い紫紺(しこん)のマントをはためかせ、その巨人とも呼べるほどの偉丈夫(いじょうぶ)が、剣を握るイグナスの拳を掴んだ。その手もまた、イグナスの拳を(おお)い、まるまる押さえつけるほどの大きさがあった。


「切り札は、俺だ」

「……英雄ジルドレッドか」


 はじめて、イグナスの表情から余裕が失せた。

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