表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
128/239

83 春宵一擲Ⅲ

「アタシはカホカ。アンタがお頭のレイニーだね」


 イスラから降りたカホカが、レイニーに声をかけた。カホカはおもむろにドレスのスカートに手を入れると、金属の棒を取り出した。篭手(こて)とは別に、革ひもで結びつけておいたものだった。


「これ、ディータから。レイニーに渡してくれって」

「助かるねぇ」 

「あと、サスから伝言」

「なんて?」

「アンタが死んだらギルドは俺のモンだ。だから戻ってこなくてもいいぞ──だってさ」

「……あのバカ」


 レイニーは嬉しそうに舌打ちをする。


「相変わらず女の喜ばせ方を知らない男だね。あのトウヘンボクは」


 言いながら、レイニーが手首を返して棒を振った。いくつもの節ごとに折りたたまれていた棒が、一本の長い(こん)になる。


 レイニーの武器──多節棍(たせつこん)である。


 棍の感触をたしかめながらレイニーは顔を上げた。


「そっちは? みんな仲間なのかい?」


 訊くと、カホカは「まあね」とうなずき、


「この黒い塊みたいなのがイスラ。で、こっちがティア」


 紹介しながら、金髪の貴公子を示す。


「ティア?」


 レイニーが、おや、という顔つきをして、それから「ああ」と気がついた声を出した。


「あんた、ティアなのかい。変装してるんだね」


 疲労の色が濃いレイニーの顔に、明るい笑みが浮かぶ。


「ずいぶん似合ってるじゃないか」


 ()めると、ティアがレイニーを見た。化粧をして男に見えるよう仕上げているが、間違いない。ティア本人だ。


「美人は美男にも通じるもんかね」


 感心するレイニーに対し、「そう……」と、ティアはまるで上の空だった。他事に気を取られているのはわかるが、思い詰めているというか、張り詰めているというか、とにかく緊張した面持ちを作っている。


 そのティアが、


「イスラ……」


 と、黒狼の名を呼んだ。


「イスラは、見えているのか?」

「見えておる」


 即答したイスラは、琥珀(こはく)の瞳をイグナスへと向けている。その瞳は厳しく、イグナスに対する一切の警戒を解いてはいなかった。


「あの者、お前の連れであった男であろう」

「知っていたのか?」

「いや、知らなかった、と言った方が正しい。私でも見抜くことができなかった」

「あれは……いったいなんなんだ……」


 ティアの疑問は、この一言に尽きる。


 全身から汗が噴き出るようだった。


 倒れたイグナスの身体から、黒い何かが発散されている。実際の瞳に映り込む類のものではない。


 それでも、見えるのだ。


 暗く、黒く……イグナスがまとう暗黒の霧が。


 なぜ、これほどの闇をタオ=シフルは見抜けなかったのだろう。


 ティアはしたたる額の汗を乱暴に拭った。


 足が震えている。


 いや、足だけではない。全身が(おこり)のように震えはじめていた。止めようと手で腕をつかんでみたが、まったく意味をなさなかった。


「オレは……恐れているのか」


 これが(おのの)きだと気づくのに大した時間はかからなかった。


 震える手に視線を落とした。そのまま、


「──カホカ」


 呼ぶと、イスラの尻尾を握っていたカホカが、「ん?」と顔を上げた。


「レイニーを連れて逃げられるか?」


 ティアが訊くと、「逃げるつもりはないよ」と、レイニーが口を挟んだ。


「あいつは、蛇のギルドの頭さ。向こうから出てくるなんて、もう二度とないかもしれない。千載一遇のチャンスなんだ。獲物を前に逃げることはできないよ」

「……イグナスが、蛇のギルドの頭?」


 聞き捨てならない言葉に、ティアは眉根を寄せた。


 信じられなかった。


 ──こんな偶然が、あり得るのか?


 まさか、と驚く一方で、もしかして、とも思わずにはいられない。


 それほどの禍々(まがまが)しさがイグナスから感じられたからだった。


 疑念が(つの)っていく。


「……安心しろ」


 廊下に、イグナスの声が響いた。その場にいる者たちの視線が集まる。


「イグナス」


 戸惑い、ティアは呆然(ぼうぜん)とつぶやいた。


 ──あれは、本当にイグナスなのか。


 顔は、まったく同じだ。


 あの気さくな傭兵(ようへい)が、なぜ蛇のギルドの頭で、闇をまとう者であるのか。


 同時に、いま目の当たりにしている男への恐怖。


 いくつもの事実が頭の中でまとまらず、ぐるぐると回っている。ひとつひとつがバラバラの状態で、一向につながらず、腑に落ちてこない。


 考えがまとまらないうちに、イグナスが起き上がってきた。


「はじめから、逃げるつもりはないぜ。──逃がすつもりもな」


 噛みちぎられた(のど)から、黒い霧状の気体が噴出(ふんしゅつ)し、傷口が目に見えてちいさくなっていく。


 やがて傷口が完全に塞がると、その霧の噴出も止まった。


 イグナスは破れて穴だらけになった自分の服を見下ろすと、


「ひでえもんだ」


 愚痴(ぐち)っぽく言い、着ている上衣を引き裂いた。あっさり捨て去ると、剣を背負いなおす。筋骨隆々としてたくましい肉体が(あら)わになった。傭兵として(きた)え抜かれたものか、それとも人外の者として生来のものか、一分の贅肉(ぜいにく)さえ見当たらない。


「さて、行ってみるとするか」


 イグナスが、剣を肩に当てたまま、脱力した。


 口の(はし)を上げたまま、ゆらり、と前傾(ぜんけい)に踏み込む姿勢を取る。


「気をつけなよ」


 レイニーが、棍を構えた。


「あのイグナスという男、尋常じゃなく(はや)い」


 言った直後、イグナスが床を蹴った。長い距離を一瞬で詰めてくる。


 イスラとカホカ、そしてレイニーはそれぞれ後ろに跳んで間合いを取った。


 その中で、ティアだけが動けずに立っていた。足が震えている。


「待て、イグナス!」


 叫んだ直後、ティアは目を見張った。


「おいおい、ぼうっとしている場合じゃないだろう」


 目に前に、イグナスが立っている。


「イグナス……」


 ティアは動揺を隠せぬまま、


「オレは……」


 胸に去来(きょらい)する想いに、なぜか言葉が詰まった。


 ──恐怖。


 それもある。


 でも、それだけではなかった。


 ティアは、タオ=シフルとしての短い生涯(しょうがい)の最後に、イグナスと故郷への旅をした。ともに過ごした時間はけっして長くはなかったが、不安で押しつぶされそうだった自分を、ずいぶんと救ってもらった。


 その想いは今もティアの胸に残り続けている。


「オレが、わからないか?」


 震える声でイグナスを見上げた。


 いま感じている恐怖が半分。かつてのイグナスに対する親しみが半分。


「オレを、よく見てくれ」 


 だが、このイグナスという男に、どう伝えればいいのだろう。


 自分が元タオ=シフルであることを伝えるべきか、否か。


「ティア、あんた……」


 レイニーが、ふたりのやり取りを唖然(あぜん)として見つめる。


「そいつは、化け物だよ! 蛇の頭だと言ったろう!」


 声を荒らげるレイニーを、ティアは見返した。


「……化け物なら、オレも化け物かもしれない」


 ぽつりとこぼすと、「ティアか」と、イグナスの声が聞こえた。


 名を呼ばれ、ティアがゆっくりと顔を上げた。すると。


「……わかるさ。お前さんが誰かくらいな。しばらく見ないうちにずいぶん変わったじゃないか──雇い主さんよ」


 剣を肩に乗せたまま、イグナスが答えた。人懐(ひとなつ )っこい笑みだった。そうやって笑いながら無精髭(ぶしょうひげ)をなでさする仕草を、ティアは何度も目にしていた。


「──イグナス」


 驚きとともに、ティアの顔にわずかな希望がよぎる。イグナスが機嫌よさげに、くんくんと鼻を嗅ぎ鳴らした。


「男みたいにしてるが、極上の女だな。匂いでわかる。新鮮な甘いミルクに薔薇(バラ)を散らしたような匂いだ」


 表情を強張らせるティアに、「クク」とイグナスは笑いかけ、


「おいおい、冗談だ。そんな怖い顔をするもんじゃないぜ」


 がっしりとして節くれ立つ手を、こちらに差し出してくる。ティアの頭を一掴みにできそうなほどの大きな手だった。同時に、銀の瞳の奥から、妖しい光が浮かび上がってくる。


 ティアを凌駕し、覆いつくすような闇が近づいてくる。


「ティア、離れな!」


 業を煮やしたレイニーが声高に叫んだ。だが、ティアは動けない。目の前の男が危険だとわかっているにもかかわらず、影を縫われたように、その場を離れることができなくなっていた。


「おびえているな。安心しろよ」


 イグナスが、せかすように手を振った。


「握手だ。できないのか?」

「……」


 ティアは(いざな)われるままにイグナスの手を取った。自らの意思というより、強制力のある力によって、むりやり握手をさせられていた。


「……お前は、イグナスなのか?」


 緊張し、かすれた声で尋ねる。


「多分な」

「なぜ、イグナスが蛇のギルドの頭領(とうりょう)などをしている?」

「さて、なぜかな」


 イグナスが、どこか遠くを見るようなまなざしを作った。


「人はすぐ己の闇に理由を求める。『これは己が生み出したものではない』と。そう思わないか?」

「……どういう意味だ?」

「お前さんは、どうやら闇をのぞき、魅入られた者らしいが」


 言ってから、イグナスは黒狼を見た。


 警戒するイスラを軽く笑い飛ばすように、


「出会いは神の御業(みわざ)だと人は言う。──であれば、引き寄せる力であるところの闇もまた、隠された神の奇跡と言えはしないか」


 自分自身に問いかけるように言うと、突然、イグナスは握手をしたティアの手を高く引き上げた。ティアは抵抗を試みるも、震える足に力は入らず、簡単に持ち上げられ、つま先立ちになった。


 身体の前後を回され、イグナスに寄せられる。


「黙って見てりゃ、何してんだ!」


 見かねたカホカが飛び出しかけたものの、その足がぴたりと止まった。


 いつの間にか、カホカの首筋にイグナスの剣が突きつけられている。


「まったく、()きのいい嬢ちゃんだ。後で遊んでやるから、大人しく見てな」


 イグナスが余裕たっぷりの笑みを浮かべる。


「てめぇ……!」


 歯を食いしばりながら、それでもカホカは動けずにいる。


「おいおい、嬢ちゃんまで怯えてちゃ世話ねえな」


 イグナスは剣を突きつけたまま、


「さて、話の続きだが」


 その双眸(そうぼう)が、蛇の瞳に変じた。


「……闇と闇は互いに引き寄せ合う。──こんな感じにな」


 剣の柄を握ったまま、イグナスの指がティアの(あご)を掴み取った。


「そして、重なった闇はどうなると思う?」


 カホカを、イスラを、そしてレイニーを睥睨(へいげい)しながら、イグナスのまとう闇が圧力を高めていく。


 ティアの首がぎりぎりと悲鳴を上げた。なんとかイグナスから逃れようとするも、恐怖に捉われた身体は思うように動いてはくれなかった。


「闇はより深く、濃くなっていく」


 自分の唇をティアの唇に重ねる。


 二股に分かれたイグナスの長い舌が、ティアの舌に巻きつき、顔を上向かせた。強引に喉をこじ開け、何か(・・)を体内へ流し込んでくる。


 蝙蝠(ティア)は絞り出すような声をあげ、腕を振り回すも、イグナスは意にも介さない。


 蛇と蝙蝠。


 捕食者と被食者。


 捕えた獲物を離さぬ、生物の本能がそこにはあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ