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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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82 春宵一擲Ⅱ

 窓側の絨毯(じゅうたん)が早くも濡れはじめている。


 割れた廊下の窓から、高い尖塔群の一部が見えた。それらを超えたむこうに、水嵩(みずかさ)を増したヌールヴ河が暗く広がっている。


 ──つまり、王城の北側か。


 レイニーは自分の居場所の見当をつけた。どうやらこの建物は北の崖に寄った位置に建っているらしい。


 一際大きな唸り声に視線を転じると、狼のまとう陽炎が、黒い球体を作りはじめていた。


 狼が鼻先を上向かせた。琥珀(こはく)の瞳にレイニーを映し、


「──女、早くこの場から立ち去るがよい」


 レイニーに話しかけてくる声音は、恐ろしいものではなかった。


「できない相談だね。こっちもあいつには貸しがあるんだ」


 身構えたレイニーが返すと、黒狼は息を吐いた。嘆息(たんそく)したらしい。


「巻き込まれて死んでも責任は持たぬ」

「頼んじゃいないよ」


 レイニーが言うと、狼の周囲に浮かんだ球体が、水中の気泡のように、ぽこり、ぽこり、と細かい分離をはじめた。球体は次々と分離を繰り返し、わずかな時間で廊下を埋めつくすほどに増殖(ぞうしょく)する。


 細かい無数の球体が、イグナスを囲みはじめる。


「で、この次は何を見せてくれるんだ?」


 異様な光景を目の当たりにしながら、イグナスは泰然(たいぜん)としたものだった。口元をゆるめた表情はまるで緊張感がなく、剣の平で軽く肩を打っている。


 狼が頭を低く構えた。獣が、獲物に襲い掛かる直前に取る姿勢。大型の獣特有の、しなるような動きだ。


 ──はじまる。


 レイニーが思った時、宙に浮いた黒い球体が、鋭い刃物の形状に変化した。イグナスに向かって間断なく放たれる。


「怖ぇな、おい」


 イグナスの間合いに入った黒刃が、甲高い金属音とともに弾かれた。見ると、いつの間にか剣を握るイグナスの腕が振り抜かれている。その場から一歩も動かず、片腕のみで剣を振り回しはじめた。


 あまりにも速く、その剣筋はレイニーですら追いことが難しい。一見すると大雑把(おおざっぱ)に剣を振っているかと思いきや、よくよく見れば動きに無駄がなく、最小限の動きでもって次々と叩き落としているのがわかる。


 単なる力任せではなく、技術に裏打ちされた剣さばきであることは明らかだ。


 (ごう)を煮やしたのか、黒狼が動いた。


 地を蹴り、イグナスの喉笛(のどぶえ)めがけて牙を()く。イグナスは剣を振りながら上半身だけを反らして牙をかわすと、空いた手で狼の首根っこを掴んだ。


「行儀が悪いな」


 片腕だけで狼の巨体を軽々と持ち上げ、飛んでくる黒刃からの盾にする。


 自滅するかと思いきや、ばしゃり、と黒狼の体躯(からだ)が一瞬で水となり、弾けた。


 遮蔽物(しゃへいぶつ)を失い、飛来する刃がイグナスの肩口に突き刺さった。


「お?」


 それをきっかけに、一群の黒刃が殺到した。


 イグナスは口元を緩めたまま、迫り来る刃を剣で落とし続ける。肩を傷つけられたにもかかわらず、剣速は衰えるどころかさらに加速していくようだった。どういうわけか出血さえしていない。


 ──どっちも化物だね。


 遠巻(とおま)きに、レイニーはその様子を見守ることしかできない。この一匹と一人の戦いは、常識の(たが)が外れている。


 ──どうしたもんかね。


 レイニーは考える。


 自分は、狼に助けられたことになるのだろうか。


 ──単に巡り合わせの問題か。


 だが、レイニーにとっては助けられて終わり、というわけにはいかない。狼に対する義理人情の前に、蛇は自分の手で潰してやらなければ気が済まない。


 かといって、得物(えもの)もない。


 今の自分では大した役には立たない。むしろ足を引っ張るのが関の山だろう。


 それでも、逃げようとは思わない。


 何かできることはないか、と様子をうかがっていると、床に飛び散った黒い液体がイグナスの背後に集まり、隆起(りゅうき)して狼を形作った。


 イグナスは、黒刃を打ち落とすことに集中している。飛び上がった狼が大口を開いた瞬間──


「なんだい、あれは?」


 レイニーは自分の目を疑った。


 それまで前を向いていたイグナスが、突如、上半身だけをぐるりと回し、背後を向いた。その勢いを利用して剣を振り払う。


 黒狼もすぐに反応し、身体を持ち上げるように宙返りを打つと、剣撃を空振りさせた。『声』で衝撃波を放つ。


 イグナスは両腕を交差させ衝撃から身を守る。短衣が破れ、太い腕に血管が浮き上がった。しかし背後の防御には間に合わず、その背中に次々と黒刃が突き刺さっていく。


「ったく。服が穴だらけになっちまうぜ」


 服どころか、自分の背中さえもが針鼠(ハリネズミ)と化したにもかかわらず、痛がる素振りさえ見せない。


「目くらましが多いな」


 うすら笑いを浮かべ、イグナスが黒狼に話しかけた。


「力が足りてないんじゃあないのか?」


 眼孔のなかで目玉がぎょろりと一周した。人の瞳から、蛇の瞳へと切り替わる。上半身に遅れて下半身までもが振り返り、イグナスのねじれが解消した。


「この(すき)に、逃げたきゃ逃げてもいいんだぜ、レイニー=テスビア」


 こちらに背を向け、イグナスが言った。肩越しに、蛇の瞳がレイニーを捉える。


「……安い挑発だ」


 レイニーが(つば)を吐くと、


「もっとも、逃がすつもりはないがね」


 にやり、とイグナスが口の(はし)を上げた。


 ──なんだ?


 黒刃が刺さったイグナスの背中が、内側に凹みはじめる。


 直感で、レイニーは危険を感じた。黒狼がこちらに走りかける素振りを見せるも、イグナスの剣光が閃き、逆に間合いを取らざるをえない。


「……蛇めが」


 獰猛な黒狼が、忌々しい口調で吐き捨てる。


「避けよ、女!」


 狼の声にレイニーが後方に跳ぶのと、イグナスの背中から黒刃が発射されるのは同時だった。


「くっ!」


 跳びながら身体を丸めた時、


 ──あれは……。


 レイニーは気づく。


 視界の横──黒狼が破壊して侵入した窓枠に、いつの間にか(かぎ)が掛かっていた。


『それ』は嵐の空から、吹き荒れる風とともに現れた。


 回転しながら着地し、そのまま濡れた絨毯をすべって逆の壁に裸足をつく。


「じゃじゃーん!」


 威勢(いせい)よく叫んだのは赤いドレスを身にまとい、黒髪を豪華に結い上げた碧眼の少女だった。


「──秘儀、絨毯返し!」


 少女は足の指で絨毯を掴み、蹴るように持ち上げた。すべりながら、左の篭手(こて)に見え隠れする暗器で絨毯を切っていたらしい。


 黒い刃のうち、一部が絨毯を貫通してきたものの、勢いを弱めている。レイニーはいくつかをかわし、手刀(しゅとう)で払い落し、残りを掴み取った。


 一方、少女はイグナスめがけて走りはじめている。


「勝負!」


 碧く、勝気そうな瞳がぎらりと輝いた。


「当たれば死ぬ! 喰らえ必殺──」


 走りながら右腕をぐるりと一回転させ、腕っぷしを示す。


「……ああん?」


 半信半疑な表情を作りながら、イグナスがつられて両腕で防御をした。


「カホカちゃんパーンチ!」


 防御の上から構わず拳を放ち──


「──と見せかけてキーック!」


 ぎりぎりで拳を止め、下からの爪先蹴りが見事にイグナスの(あご)(とら)えた。


「ぐ、ぉ……!」


 イグナスの顔が跳ね上がる。


 ぶぁーか、と少女は鼻で笑い、


「こいつぁ、ゲロ甘ァ!」


 などと叫びながら、軸足(じくあし)を入れ替え、後ろ回し蹴りを放つ。本気なのかふざけているのか、いまいち掴みかねるが、その身のこなしは極めて洗練されたものだ。


 少女の(かかと)がイグナスの顔面を狙う。


「──なるほど。嬢ちゃんが噂の邪魔者だな」


 すぐに体勢を立て直したイグナスが、その踵を掴みにかかる。


 だが──


「知らねーよ、誰だてめー」


 少女の足が残像となってイグナスの手をすり抜けた。と思いきや、もう一度下から同じ箇所(かしょ)──顎を蹴り上げる。一撃目よりも高く跳ね上がったイグナスの首元を、横から黒狼の顎がかすめて過ぎる。


「が……」


 イグナスの喉が噛みちぎられ、えぐられた。指が、首にぽっかりと空いた暗い穴を()き、そのまま後ろに倒れていく。


 少女は慣れた動きで狼の毛を掴み、ひらりと飛び乗った。


「イスラじゃん、こんなとこで何してんのさ?」

「……降りよ。それは私の台詞じゃ」


 少女は構わず、その背に顔をうずめる。


「相変わらず獣くさいねぇ」

「獣じゃ。何が悪い?」


 イスラと呼ばれた黒狼はつまらなそうに言うと、レイニーの前まで歩いてくる。


「お前たち、なぜここにいる」


 黒狼がレイニーを見上げてくる。


「あたしかい?」


 レイニーが自分を指さしたものの、黒狼の視線はそのさらに後ろに向けられている。と同時に、レイニーは背後の気配に気づいた。あわてて振り返ると、そこに金髪の貴公子が立っている。


 彼はこちらに気を()めるでもなく、また狼の声さえ耳に届いていないのか、


「……イグナス」


 ひどく驚いた声音でつぶやいた。

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