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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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81 春宵一擲Ⅰ

 ウル・エピテス城内にて。


 ──身体が重い。


 足は()え、踏み出すごとに倒れ込みそうになる。


 視界がぐるりと回った。立ちくらみが起こり、レイニーは床に膝をつく。


「くそっ!」


 膝だけでは支えきれず、両手をついた。絨毯(じゅうたん)を握りしめる。


「キツそうだな」


 前を歩く男が、こちらに引き返してきた。


「ちょっとだけ待っておくれ」


 言って、レイニーは顔を落とした。ゆっくりと息を吸い、吐く。


 深呼吸のたび、大きく肩が上下する。ノールスヴェリア出身のレイニーは、東ムラビアの平均的な女性よりも背が高い。ほとんど襤褸(ぼろ)に近い囚人服はあちこちが破れ、ダークブロンドの髪が胸元まで落ちかかっている。


 男が、隣にしゃがみ込んでくる気配があった。


「無理をさせて悪いが、すこしだけ急がせてもらう」

「いや、悪いのはこっちさ。手間をかけちまってすまないね」


 男に支えられ、レイニーは立ち上がった。


 もつれる足で歩きはじめる。


 レイニーはまばたきを繰り返した。気を抜くと視界が白くぼやけてくる。


 意識の糸を見失わぬよう、必死になって手繰(たぐ)った。


 ──この男。


 レイニーを支える腕から、男のたくましい力が伝わってくる。


 ──だけど……。


 男は何者なのか。


 凄腕(すごうで)ではあるのだろう。レイニーが幽閉(ゆうへい)されていた塔に忍び込み、守衛(しゅえい)が声を発する間もなく斬り捨てたのだから。


 男は散歩にでも出かけるような軽装だが、武器に関しては二振りの剣を持っていた。一本はこれといって特徴のない、市販されているような剣で、腰に()いている。もう一本は、背中に背負っていた。かなり大振りである。ツーハンデッドソードと呼ばれる両手剣の一種だった。相当な値打ちものらしく、鞘には蔓草(つるくさ)の模様に、宝石がいたるところに()め込まれている。


「あんた、ティアの仲間かい?」


 乱れる呼吸で、レイニーは尋ねた。


「そうだ」


 男はいくつもの角を曲がって廊下を進む。はじめは方角を気にしていたレイニーだったが、疲労の色が濃く、途中で考えることができなくなった。


「名前は?」

「イグナスだ。仲間ってより、部下ってところかもな」


 銀髪の男──イグナスは名乗り、口の端を上げて笑った。


(わし)(かしら)を助けてくれと命令を受けて来た」


 そうかい、と、レイニーは前を向き、歩を進めた。薄緑の瞳が、弱々しいまばたきを繰り返している。


「……これだけゆっくり歩いてるのに、誰にも会わないもんだねぇ」

「バレないよう、道を選んでいるつもりだからな」


 イグナスはごくあっさりと告げてくる。


 そうかい、とレイニーはもつれる足でうなずくと、


「ティアは元気かい?」


「ああ、ピンピンしてる。あんたが戻るのを待っている」

「──旅」

「ん?」


 イグナスが怪訝(けげん)そうな表情を浮かべた。


 次の瞬間、立っていることさえつらいほど消耗していたレイニーが、電光石火の動きを見せた。


 腕をふりほどき、素早くイグナスの背後に回り込むと、


(かた)ってんじゃないよ!」


 怒鳴り、股間を蹴り上げた。


「う、ご……」と、イグナスの両膝が落ちかける。さらにレイニーは跳び上がり、その後頭部に両足を叩き込んだ。


 全力の飛び蹴りに、イグナスが前のめりに吹っ飛んでいく。


 背中で受け身を取ったレイニーは、荒い息をつきながら身体を起こした。


「誰だい、お前は?」


 立ち上がり、よろめきながらもにらみ()える。


 うつ伏せに倒れたイグナスが、くつくつと笑うのが聞こえた。


「なぁんでバレたかねぇ」


 イグナスが、片手で逆立ちをした。にやにやと笑みを浮かべている。


 さてね、とレイニーも冷笑を浴びせ返す。


「ティアは、助けに来ると言った。あの娘と会ったのは一度きりだけど、自分だけ安全な場所に()もる性格には見えなかったのさ」


 それに、とレイニーは内心で思う。


 イグナスを信用するしないにかかわらず、合言葉を試すつもりだった。


 ──用心深くなけりゃ、この王都じゃ生き残れないからね。


 レイニーは、足腰に力を込めた。


「なるほどなぁ」


 イグナスは片腕の力だけで身体を浮かせると、両足で着地した。


 こきり、と首を左右に倒す。


「男のアソコを蹴り上げるなんざ、人とも思えぬ所業だな。さすが鷲の頭はやることがちがう」


 イグナスは平然と軽口を叩く。まるでダメージがないようだった。


「……アタシをどうするつもりだい」


 明らかに、この男は尋常の者ではない。早くもレイニーは感じ取っていた。弱っている身体とはいえ、レイニーは手加減しなかった。当たりどころが悪ければ死んでいてもおかしくないのだ。


「どうすると思う?」

「なに?」

「どうされると思う? レイニー=テスビア」


 くく、と、イグナスが笑い声をもらしながら、両の手のひらを上にした。指の関節を鳴らしはじめる。コキコキと、いつまでも不快な音が鳴り続ける。


「想像してみろ、レイニー=テスビア。まずお前は、女に生まれた(よろこ)びを知ることになる。次に、女に生まれた悲しみを知るだろう。なぜ人が恐怖と痛覚を持つか、上手くすると真実にたどり着けるかもな」


 (わら)いながら、イグナスが指の動きを止めた。右手を持ち上げ、


「とにもかくにも、だ。レイニー=テスビア。俺に、『何者だ』と聞いたな?」


 その手が、一瞬だけ銀の瞳を覆い隠したかと思うと、


「お前は──」


 レイニーは驚き、そして喉の奥でうめいた。


 手を離した男の瞳孔(どうこう)が細長く、縦に伸びている。


 まるで、爬虫類(はちゅうるい)のように。


「蛇……」


 つぶやいてから、レイニーは自分の言葉の意味を理解した。


「まさか……お前が『蛇』のギルドの」


 くく、とイグナスは笑い、


仇敵(きゅうてき)同士、はじめまして、とでも言っておくか」


 今度は左手で瞳を隠し、開いた。蛇の瞳が人のそれに戻る。


 芝居がかった仕草は、こちらを(おど)かす意図からだろうか。だが──


「ようやく──」


 レイニーには逃げるつもりなど毛頭なかった。


 その場で身構える。怒りが、萎えた身体を(ふる)い立たせた。


「お前をぶっ殺して、蛇のギルドを叩き潰すことができそうだ!」 

「ククク──」


 イグナスが嗤いながら前のめりに姿勢を取る。


「その意気だ」


 言って、イグナスが踏み込んだ。


 ──(はや)い!


 レイニーがそう思った時にはもう、イグナスが目の前に迫っていた。右手で腰の剣を抜き去り、振り上げている。


「ちと、遅すぎるな」


 銀の瞳が、(たの)しげに細まる。


 避けられない、一瞬でそう判断したレイニーは、イグナスに突進した。


 武器も何もない。徒手空拳(としゅくうけん)である。


 わかっていながら、レイニーには退くことなどできない。


 ここで退けば、蛇との抗争で失われた仲間たちが浮かばれない。


 妹に、顔向けできない。


「ぶち殺す!」


 覚悟の言葉を吐いた時、近くの窓ガラスが割れ飛んだ。そこから、黒い影が飛び込んでくる。


「──見つけたぞ」


 影が女声で人語を発した。四本の(あし)を持った黒い獣だ。それが、イグナスに向かって吠える。


「ちっ」


 舌打ちとともにイグナスが飛び退った。黒い獣の放った『声』は衝撃波となり、イグナスの立っていた石壁に打ち当たって破片を飛ばす。


 影が、レイニーに背を向けて立つ。


「……狼?」


 イグナスと対峙(たいじ)した獣は、狼だった。


 黒狼は呆気(あっけ)に取られるレイニーを一顧(いっこ)だにすることもなく、鋭く大きな牙を()き出しにすると、


「その匂い、貴様じゃな?」


 聞くだけで肌が粟立(あわた)つほどのうなり声を上げる。


「我が信民(たみ)を害するだけでなく、その魂までをも愚弄(ぐろう)した罪、万死に値する」


 怒れる狼の体躯(からだ)から、陽炎(かげろう)のように闇が立ち上りはじめた。


「泣き別れじゃ。貴様の首を胴体から引きちぎり、墓前への手向(たむ)けにしてくれる」

「招かれざる者か──いいだろう」


 イグナスは怖がるどころか、ますます愉しげに白い歯をのぞかせた。


「ちょうど狼の剥製(はくせい)が欲しかったところだ」

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