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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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70 嵐の中でⅢ

 王城ウル・エピテス。迎賓館(げいひんかん)


 ファン・ミリアに用意された部屋の窓から、明かりが後庭へと差し伸びている。光は雨粒をちらちらと銀糸(ぎんし)のごとく見せるも、闇は広く、そして深い。


 けれども時折、闇に沈む庭の全景(ぜんけい)が、ふるえるように白く浮かび上がる瞬間があった。


 重い雨雲に閉ざされた夜空に、稲光(いなびかり)が走る。


 その光は白く天の怒号(どごう)を打ち(ひび)かせながら、庭を挟んで向かい合う右棟の二階──厚いカーテンの引かれた室内をも白く()めた。


 壁に、飛び上がるように上半身を起こした女の影が映る。


 寝台の上で、女は不安そうに窓を見た。


「──これまた、すげぇ雷だな」


 女の下から、感心するような声が聞こえた。


 見ると、仰向けになった男もまた、窓の外を眺めている。怖がる女とは反対に、男の口調は陽気だった。口元に、ふてぶてしいまでの笑みが張りついている。


「おじさんは、怖くないの?」


 まだ若い娘である。この迎賓館(げいひんかん)女中(メイド)だった。


「おいおい」


 男は苦笑する。


「こんないい男をつかまえて、おじさんはねぇだろう。まだ二十のいいところだぜ、俺は」

「でも、おじさんに見えるもの」


 男の陽気さにつられて、ふふ、と娘も笑顔を見せた。着崩(きくず)れた衣装のまま、再び男にしなだれかかってくる。


「不思議な銀のお(ひげ)ね」


 くすくすと笑いながら、娘は男の無精髭(ぶしょうひげ)をなでた。暗い部屋のなか、硬い毛がうすく光るようだった。


 男は無言で笑っている。


「なんで、私に声をかけたの?」


 娘が、うっとりとした顔を近づけてくる。男は言った。


「俺は、女の笑顔が好きなんだ。特に、明るい顔で笑う女に弱くてな」

「私みたいな?」


 娘がはにかむように尋ねる。


「そういうことだな」


 長く、唇を重ねた。


 瞳を閉じた娘の顔を、男はまばたきもせず、じっと見つめている。


 ──明るく笑う女は、いいもんだ。


 男の手が、おさげに結んだ娘の髪をほどこうとする。娘はそれを嫌がって、「んん……」と小刻(こきざ)みに首を振った。


「ダメよ。もし誰かが探しに来たら──」

「つれないこった」

「あなただって、仕事をさぼって来たんでしょう?」


 娘が悪戯(いたずら)っぽく言うと、「それを言われると弱いな」と、男はあけすけに笑う。


 娘の指が、男の顔に刻まれた無数の切創(きりきず)をなぞった。


「すごい傷、こんなにたくさん……どうして?」


 娘に訊かれ、男は数秒、押し黙ったものの、


「俺は、つい最近まで宿屋を営んでいたんだが」


 と、ゆったりとした声音で話しはじめた。


「というのも、元々は親父が開いた店でな。山に囲まれた何もない村だったから、たいそう重宝がられたもんだ」


 そこで、男はすこしだけ声の調子を落とした。


「おふくろは、妹を産んですぐ死んだ」

「そうなの……」


 娘は申し訳なさそうな顔を作る。


「珍しい話じゃないさ。誰だっていつかは死ぬ」


 冗談めかして言うと、娘が困ったように微笑(わら)った。男の厚い胸元に、より深く身体を預ける。


「おふくろが死んでも、親父は宿を続けた。俺はまだ子供だったが、できることは手伝った。──こう見えて割とまじめな性格でね」

「仕事中にこんな場所にいる人が?」

「たまには息抜きも必要だからな」


 悪びれもせず笑う。


「だが、親父のほうも中風(ちゅうふう)にかかっちまってな。たしか……俺がまだ十五の頃だった。俺が継ぐしかなかった。妹を食わせていかにゃならんからな」

「……そうね」

「妹が成長して、俺たちはふたりで宿屋を切り盛りするようになった。──そんなある日、俺と妹は、山菜(さんさい)()りに山に出かけた」


 娘は、息を押し殺すように男の話に聞き入っている。


「そこに、狼が現れた。これまで見たことがないほどの大きい奴だった。いや、あれは狼の形をした、別の何かだったのかもしれん。妖獣(ようじゅう)とか、怪物とか、そういった(たぐい)のな」


 男の近くで、娘がごくりと(つば)を飲む音がした。


「狼は、まず俺の顔に嚙みついた。顔の傷はその時のものだ。俺は必死に暴れた。妹もそこらへんの棒切れを拾って、狼の体躯(からだ)を打った。俺は力を振り絞り、なんとか狼を引き()がした。そこまではよかったんだが……」


 男は、その時のことを思い出すように天井を見つめた。


「だが、次に狼が標的(ひょうてき)にしたのは俺ではなく、妹だった。妹は華奢(きゃしゃ)だったからな。胴回(どうまわ)りも俺の腕ぐらいしかなかった。そこを狼の牙にガブリとやられた。そこからはあっという間さ。狼は信じられない力で妹をくわえたまま、森の(しげ)みに入って見えなくなった。俺は血まみれの顔でなんとか狼を追いかけたが、獣の脚に追いつけるわけがなかった」

「……ひどい」 

「ああ、ひどい話さ。だが、妹が見つかったのは幸いだったのかもな。むごい状態だったが、(とむら)ってやることはできた」


 娘が、ちいさくうなずいた。うなずくことしかできないようだった。


「それから俺は、その狼を探す旅をしている。王都に来たのはそのためさ。いまは御覧の通り迎賓館(ここ)日雇(ひやと)いをしながら、休みは狼を探している」

「街に、狼がいるの?」


 ふと娘が思って訊くと、「どうだったかな」と、男も首を傾げた。


「街の外は、探し尽くしたからな。他に行く当てがないだけさ」


 俺の──と、男は間を置かずに話しはじめる。


「妹は明るくて、笑顔の似合う娘だった。そういう笑顔を見ると、守ってやらずにはいられなくなる」


 言い終わると、男は娘を横にずらし、起き上がった。


「やれやれ、せっかちなことだ」


 男はひとり、愚痴(ぐち)のような言葉をつぶやいている。


「どうしたの?」


 娘が怪訝(けげん)な表情で見上げると、


「お楽しみはこれからって時に悪いが、どうやら呼ばれちまったらしい」

「え?」


 誰に? という疑問が、娘の顔にありありと浮かぶ。男を呼ぶ声など、娘にはまったく聞こえなかった。聞こえるのはただ、激しい雨と風の音だけである。


 呆気(あっけ)に取られる娘を、男は白い歯をのぞかせて笑いかける。


「雇われの身っていうのは、辛いもんさ」


 すると、唐突(とうとつ)にドアが開け放たれた。廊下からの突然の光に眼がくらみ、娘は手をかざした。逆光(ぎゃっこう)に、男とは別の影が入ってくる。


「何? なんなの?」


 ようやく慣れた視界に立っていたのは、老人だった。背が高く、執事(しつじ)らしい身なりの良い恰好(かっこう)に、銀色の髪。その髪と同じ色の瞳が、娘に向けられている。


「力は使うなよ。近くにファン・ミリアがいるからな」


 男が話しかけるも、老人は返事をしなかった。かわりに、その口が横に大きく裂けた。ぞろりと並んだ牙が弧状(こじょう)に連なり、さも笑っているような形を作る。瞳孔(どうこう)が細く、縦の線のように伸びた。


「あ……あ……」


 あまりの恐怖に、娘は悲鳴を上げることさえ忘れているようだ。


 男はすでに部屋を出かかっている。ドアノブを(つか)むと、


「今さっき、俺は守ると言ったわけだが──」


 話しながら、ゆっくりとドアを閉じていく。


「いや! 待って、助けて!」


 寝台の上で娘がようやく声を上げた。けれどその時にはもう、光は弱々しく、わずかな隙間しか残されていない。


 最後に、隙間から男の瞳が覗いた。その瞳もまた、暗い銀の光を(たた)えている。


「嘘に決まってる」


 そうして、完全にドアが閉じられた。一度だけドアが身震いをするように揺れたが、それだけだった。娘の運命は決まった。娘は地上から消えたのだ。永遠に。


 明かりに照らされ、男の姿があらわになった。


 短く刈り込まれた銀髪。そのがっしりとした身体つきにより、やや小ぶりに見える頭。顔には無数の切創が刻まれてはいるものの、その眼は人好きのする柔らかさを持っている。


 傭兵(ようへい)イグナスがそこに立っていた。


 ──明るく笑う女はいい。


 快楽に(あえ)ぐ顔も、その後の恐怖も。


「それにしても」


 イグナスはニヤニヤする笑みを浮かべながら、無精髭を()でさすった。


「たしかに、ふつう狼は街にはいないわな」


 さすがに作り話が適当すぎたようだ。娘にその質問をされた時、イグナスは()き出しそうになった。そりゃそうだ、と思わず言いそうになったのだ。


「いやはや、いい暇つぶしになったぜ」


 満足げにつぶやくと、


「そろそろ仕事にかかるとするかね」


 軽い足取りで廊下を歩きはじめた。

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