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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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60 カホカの悩みⅡ(後)

 ちょっとした驚きだったが、(わし)のアジトには井戸があった。


 地下の部屋の中に、である。


「やっぱり、頭が女だといいね」


 とはいえ、カホカの高祖母であるマイヨールが仕切っていたリュニオスハートの娼館でさえ、井戸は中庭にあった。よほど金持ちの屋敷でない限り、そういうものだ。ひとつの区画を見た場合、建物が四辺にあり、その中央に中庭を作る。井戸は兼用で使う。それぞれの住人は、必要があれば中庭に出て、水を汲みに行く。


 水を温め、湯船に湯をためて入る風呂もないわけではないが、贅沢(ぜいたく)である。


 いま、カホカが目にしているのは、あくまで部屋の中に作った井戸のため、風呂とは呼ぶことができないが、それでも人目を気にせず水浴びができるのは、いいものだ。


 着ていた黒装束を脱ぎ、部屋の一角に投げた。


 浴用の椅子の座面は、うすい木目の山毛欅(ブナ)である。ちんまりとした造りだが、質感よりも重さがあった。


 髪留(かみど)めを口にくわえ、頭を振る。黒髪が流れ、扇のようにふわりと広がった。傷に水がかからないよう気をつけながら、頭から水をかぶる。


「っぷう……」


 真水である。季節は春のため、まだマシだが、これが冬だと洒落にならない。その場合は一日のもっとも温かい昼の時間に水浴びをするか、どうしても寝る前に洗いたければ、さっさと済ませて暖炉に当たる、ということになるが、暖炉さえない極貧の家庭では、数人で一緒に寝て温まるしかなかった。


 ──アタシは、怒るべきなんだろうか?


 身体を洗いながら、カホカは考える。


 状況が状況なだけに、ティアが助かるためにバディスの血を飲まざるをえなかった、というのは、わかる。しょうがないとも思う。


 でも、そんな危険になる前に、なぜ血を飲まなかったのかと、責めてやりたい気持ちも当然、あった。


 ──なんだけど。


 カラカラと滑車から水を掬い上げ、木桶(きおけ)に移し変えた。


 ──けど、なぁ。


 くわえた髪留めを上下に振った。


 これまた複雑な気分なのだ。


 ティアに血をやるなら、まず自分が、ということになりそうだ。けれど、カホカはカホカでサスを救出する役目を負っていたし、あそこで血を飲まれてヘロヘロになるわけにはいかなかった。


 じゃあ、もっと早くに血をやっていれば、と思うが、なんとなく、ティアは血を飲むことを拒んでいる節がある。いや、拒んでいるというより、飲まずに済めばそれにこしたことはない、という消極的な態度を感じる。


 自分が吸血鬼だと思っているからこそのこだわりなのか、それとも自分が人間だと思っているからこそなのか──もしくは両方の想いが混ざり合っているのか。


 はっきりしない態度はいかがなものかと思わないでもないが、その戸惑いや悩みはわからなくもないし、何より……カホカにも後ろめたさはあった。


 ティアはカホカの血を飲むことに抵抗があるのだろう。単刀直入に「血が欲しい」と言われれば「そこまで言うなら」ともっていけるのだが、今となっては自分から率先してあげるのも、なんというか、女として負けな気がする。


 女は男を好きにさせてこそ、というのはリュニオスハートの花街の娘たちからよく聞かされていた言葉だが、カホカ自身もそう思う。


 血を飲む、飲まれるは男女の事柄ではないはずだが、ティアがはじめて血を飲んだ相手が自分なのだ、という事実は、ムズムズするような妙な嬉しさがあったりなかったりする。


 だからなのか、


 ──ティアが他の人間の血を吸うのは、なんか嫌だ。


 という気分になってくる。というか、なった。まさに今、そうなっている。


 一種の独占欲のようなものなのだろうか。


 けれど、そうなってくると必然的に、


 ──何の独占欲だ?


 という疑問にぶつかってしまう。


 いつぞや思った、これは、母性か、仲間意識か、それとも……というやつだ。


 ややこやしいのはそれだけではない。


 仮に自分から、「飲んでいい」と言ったとする。


 そうしてティアが自分の血を飲んだとする。ホイホイと。バカみたいな顔して。


 で、血を飲んだ結果である。


 ティアは、ますます吸血鬼っぽくなっていくのだろうか。


 ティアがもし、自分を人間だとして葛藤しているなら、それは吸血鬼になる前のタオとしての面影を色濃く残しているからではないか。


 だとすれば、ティアが吸血鬼という存在の一方に偏るのは、カホカにとって好ましくない、気がする。


 ──どうせ好きになるなら、ティアよりタオのほうがいいし。


 と、そこまで考え、カホカの頬に朱がさした。口からぽろりと髪留めが落ちる。


 ──これ、好きって認めてんじゃん!


 あわててもう一度、水を頭からかぶった。


「女じゃん! あいつ女じゃん!」


 アタシ、子供産めないじゃん!


 ていうかどっちも産めるのか。


 ていうか吸血鬼は子供産めるのか?


 いや、そういう意味じゃないし。


 わけわからん。


「わけわからーん!」


 アタシはノンケだぁ! とばかりにさらに水をかぶったら、油断して思い切り傷口にかかった。


「うっぐぁぁぁああああ! しーみーるぅー!」


 カホカは椅子の上で身体を丸め、足をばたつかせた。


「ふざけんなコラ!」


 立ち上がって木桶を蹴った。勢いよく壁にぶつかり、ちょうどこちらめがけて跳ね返ってくる。


 それをひょいとかわした。


「ふ、甘いわ」


 勝ち誇って床に転がった木桶を見下した。得意げに笑みを浮かべる。


 素っ裸で。仁王立ちで。


「……って、何やってんだアタシ」


 ひとりきりでなぜ桶と格闘しなければならないのか。カホカはむなしい気分で桶を取って、椅子に座る。


 天井を振り仰いだ。


「あー、疲れた……」


 やっぱりファン・ミリアとは喧嘩(けんか)をするもんじゃないな、と思った。そもそもを振り返れば、自分がファン・ミリアに勝てず、窮地(きゅうち)に陥ったことが、バディスの深手の直接的な原因になってしまっている。


 はじめから勝てるなどとは見込んでいなかったし、多少なりとも悔いは残るが、いまこうしてアジトに戻ってこられただけでも上々と思うしかない。


 すべて、命あっての物種(ものだね)なのだ。


 死んでしまってはどうにもならない。苦しいのも、辛いのも、生きているからこそだ、というのがカホカの人生に対する基本的な考え方だった。


 ──生きてりゃいいことあるだろうし。


 それでも、こんな事態になったのは自分のせいだ、という思いもやはり、カホカにはあるのだった。


 ティアはティアで悩むのだろう。それなら、自分は自分で悩むしかない。バディスのことを思えば、正面きってティアを慰めるのはおかしいし、責任の一端を負ってしまっている自分を省みれば、誰かに慰めてほしいとは思わない。ティアもそうだろう。


「……そろそろ出よ」


 最後に水をかぶった。考えていたせいで、またもや傷のことを忘れていた。


 ばっしゃぁ! と痛いところに水がかかる。


「おおおおお──」


 カホカは涙目で木桶をにらみつけ、


「ぉおっしゃぁああ!」


 と、叫んだ勢いそのままに拳で木桶をたたき割った。


「一度ならず二度までもこのカホカちゃんを苦しめておいて、生きて帰れると思ったか」


 成敗してやったぜ、とカホカは勝ち誇る。


 ……むなしさが倍増した。


 借りた男物の服を着て、髪を()きながらすごすごと退散するように部屋を出ると、ちょうどディータが廊下をこちらに歩いてくるのが目に入った。腕に着替えをかけているところを見ると、彼も水浴をしに来たらしい。


「オッサン」


 カホカが立ち止まると、


「お前も浴びてたのか。傷は大丈夫か?」

「まぁ、なんとか」


 答えると、ディータが深々と頭を下げてきた。


「ありがとよ、お前たちのおかげで助かったぜ」

「それはいいんだけどさぁ」


 カホカは不機嫌そうに腕組みした。じとりとディータを見上げる。


「あの時、なんで戻ってきたんだよ。アタシは逃げろっつっただろう?」

「できるかよ」


 ディータは悪びれもせず言い返してくる。


「俺は男だぜ。恩人の、しかも女を置いて逃げられるかってんだ。お前がもし死んだら、オレはどうすりゃいい? 一生後悔して生きてくなんざ、ごめんだね」

「いけしゃあしゃあとさぁ。アタシより弱っちいくせに、よく言うよ」


 あきれてカホカが言い返すと、


「そんなことをな、いちいち考えてたら何もできねえだろうが。強えとか弱えとかじゃねえんだよ」


 ディータはディータで、揺るぎない口調で返してくる。ふーん、とカホカは思わず納得しかけた。勝つとか負けるとか云々、という言葉はカホカがファン・ミリアに吐いた言葉だ。


「じゃあ、何なのさ?」


 ついカホカが訊くと、ディータは「そんなもん」と鼻で笑う。


「行きてぇか、行きたくねぇか、だろう」


 そう言うディータの腕にも、包帯が巻かれていた。


「呑気なこと言って身体を張ってると、ほんとに死んじゃうよ?」

「そん時ぁ、そん時だ。自分から助けておいて、『なんで助けさせたんだ』とは誰も言わんだろう?」


 ディータが、バディスのことを言っているのはわかった。遠まわしに慰めてくれているのかもしれない。


「ま、そうかもね」


 カホカがふたたび部屋に戻ろうと歩きかけると、


「後でお頭の部屋に来てくれ。兄貴も礼を言いたいそうだ。約束もあるしな」

「約束?」


 なんだっけ、とカホカが首を傾げると、


「腹いっぱい食わせてやるって言っただろう?」


 ああ、とカホカは思い出した。凍らせた葡萄(ぶどう)だ。あれはいいものだ。


「んじゃ、行く」

「待ってるぜ」


 と、ディータが井戸のある部屋に入っていった。するとすぐ、


「うおおぉ! 誰だ、桶を壊しやがったのは! 桶はみんなの共有財産だろうが!」


 背後から、ディータの怒声が聞こえてきた。


「しーらね」


 そそくさと、カホカは足早に立ち去った。

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