58 鷲のギルドⅤ
王都ゲーケルン、鷲のギルドにて。
古屋の地下に作られたアジトの一室で、不吉な音が響き渡った。
両腕の骨をへし折られ、絶叫とともに、男が蹲った。石床に額をこする。積もった埃が、黴臭い匂いとともに舞い上がった。
「うぉっくしゃぁ!」
サーシバル──サスは大きなくしゃみをひとつして、
「ったくよぉ」
むずがゆい鼻を指でこすった。
「おい、ディータ。ここはちゃんと掃除しとけって言っただろうがよ」
傍らに立つディータに苦い笑みを向けると、
「すまねぇ」
謝りながら、ディータも笑みを浮かべていた。片腕には包帯が巻かれている。
ふたりは、床の上でのたうつ男に視線を落とした。どちらも顔には笑みを張りつけていながら、瞳はまったく笑っていなかった。
「あーあー、可哀想によぉ」
同情を装いつつ、サスはいがらっぽく喉にからまった痰を男に吐きかけた。
「こりゃ、あれだな。因果応報ってやつだ」
サスは男の前に立つと、
「よっこらせっとな」
膝を広げてかがみ、男の耳元で話しかけた。
「どうだ、ん? 痛ぇか? 痛ぇよな。俺も心が痛むぜ」
だがなぁ、とサスは男の髪をつかみ、無理やり持ち上げた。すでに泣き顔を浮かべた男が、それでも「死にやがれ」と啖呵を切ってくる。
「おーうおう。いい根性してるじゃねえか。やっぱ男はそうでなくっちゃサマにならねぇ」
サスは酷薄な笑みを浮かべ、「実はよ」と男に話しかける。
「仲間には内緒にしといてもらいてぇんだが……おれぁ、なんつーか、そう、マゾっ気ってやつがあってな。お前の涙で心を壊しちまいてぇくらいなんだ」
あくまで表面上は明るい顔で、サスは蛇のギルドの男に迫る。
「頑張って耐えてくれよ。な、俺も頑張るからよ」
髪をつかむ手に力を込め、男の顔面を床に叩きつけた。
男は、蛇のギルドの一員だった。人買い船でランタンを掲げ、サスに唾を吐きかけた男である。
ディータと別れた後、サスが人買い船に襲撃をかけ、このアジトまで攫ってきたのだ。
生け捕りにすることは難しくなかった。なにしろ蛇の男たちは、これまでの用心深さが嘘のように、今夜が鷲のギルドの最期とばかりに船上で勝利の美酒に酔いしれていたのだ。よほど気がゆるんでいたのだろう。サスが仲間たちと包囲し、忍び込み、その喉元にダガ―を押し当てるにいたってようやく、事態に気づくというお粗末ぶりだった。
蛇のギルド員たちのほとんどを斬り殺し、金目の物はすべて奪い取った。
拿獲である。
暗殺ギルドとしての報復だった。
「どれどれ」
サスは弱々しくうめき声をあげる男の顔を持ち上げた。汗と涙と鼻血でぐちゃぐちゃになった男の顔面をひとしきり眺め回すと、その頬を軽く叩いた。
「ダメだな。まだゼンゼン二枚目半ってとこだ。おれぁ、もっと、こう、とびっきりイカしたお前の顔が見てみたいんだワ」
「……こ、殺してやる」
男が、震える声でサスをにらみつけてきた。
「それだよそれ。いい眼してんじゃねぇか」
サスはしみじみと感心しながら、
「気に入ったぜ、お前の眼」
肩越しに手を振った。するとディータが用意しておいたナイフをサスに手渡す。
「……その眼、俺にくれよ」
「なっ──」
一瞬で蒼白になった男の反応を待たず、サスは男の後頭部に手を回すと、乱暴に髪を掴んだ。もう一方のナイフを、男の眼に近づけていく。
「やめろ!」
「いいじゃねぇか、目ン玉の一個くらい。ケチケチすんなよ。いっちょ、男気見せていこうぜ」
ナイフの先端を、男の右目へじわじわと寄せていく。目前に迫ったナイフの、その痛みへの恐怖をゆっくりと刻みつけながら。
「わかった! 言う! 知ってることはぜんぶ言うからやめてくれ!」
恐怖に負け、とうとう男が悲鳴を上げた。
けれどもサスは男の期待に反し、一向にナイフを下ろそうとしない。
「ちがうな、そうじゃねんだ。俺はそんなのを期待しちゃいねぇんだ」
文字通り男の眼の前で、サスが小刻みにナイフを振る。
「言わねぇでほしいんだワ。だから、な、ここはひとつ、俺の顔に免じて頑張ってくれよ」
諭すような口調で男に話しかけながら、サスはひょいと手を上げ、何かを掴むように指を動かす。ディータが、今度は丸めた布切れをサスの手に置いた。
「言うって言ってんじゃねぇか!」
腕を折られながらも暴れる男の口の中に、サスはすかさず布切れを詰め込んだ。
「ああん? 聞こえねぇよ」
ナイフを持つ手を耳に当て、聞こえない仕草をする。
モゴモゴと口を動かし、喉音だけを発するに男に、
「すげぇな。何語だい、そりゃ?」
嘲り笑いながら、サスは「まぁいい」と、立ち上がった。
「あんまりお前が可愛いもんだから、興が削がれちまったよ」
つまらなそうに言い、踵を返した。
ディータにナイフを返し、そのすれ違いざま、
「……痛めつけて吐かせて殺して捨てろ」
底冷えのする声音で告げ、サスは何事もなかったかのように部屋を出た。
◇
階段を上りきると、地下一階に当たるアジトの主要部分になっている。
サスはギルド員たちが集まる広間には向かわず、頭領であるレイニーの部屋がある廊下の、その隣の扉を叩いた。
しかし返事はない。
「悪いが、邪魔するぜ」
声をかけて入ると、灯が揺れ、三人の寝息が聞こえた。
もともと設えてある寝台に加え、簡易的に作らせた寝台を置いたため、部屋は手狭になっている。
もともとの寝台のほうにはバディスが、もう一方の寝台には娘がふたり、昏々と眠り続けている。どちらもまだ少女と呼べるほどのあどけない寝顔だったが、同時に目を奪われるほどの容姿を持っていた。
けれどもいま、サスが気になるのはあくまでバディスだ。
サスはバディスの寝台の脇に立つ。
「……何がどうなっているのやら」
しずかに息を吐きながら、サスはつぶやいた。
腕を斬られたとディータからは聞いていたが、いま上半身を裸にして眠っているバディスの腕は、見事につながっていた。顔色は青く、全身に汗をかいているようだが、命に別状はなさそうだ。
夜明けごろにサスが戻った時には、すでにディータはアジトにいて、この三人は寝込んでいた。
事情はディータから聞いていたが、にわかには信じられないことも多い。
もう午過ぎだったが、部屋は地下にあるため、一切の陽の光は届かない。かわりに蝋燭の火がぼんやりと灯っていた。
バディスの腕はつながっているものの、まだ傷は残っている。
おそるおそるサスがその傷に触れようとすると、
「……触らないほうが……いい」
はっとしてサスが振り返ると、娘のひとりが眼を開けていた。ゆるゆると、寝起きの様子で身体を起こしてくる。
「すまねえな。起こしちまったか」
サスが謝ると、「……いや」と、娘はつらそうに額に手を当てた。よほど寝覚めが悪いのか、サスを見ようとさえしない。
「まだ……この時間は……よくない」
「何がだ?」
「眠い……」
宿酔の時のように、娘は額をおさえながら、ようやく顔を上げた。灰褐色の瞳が、ぼんやりとサスを映している。
「バディスは……まだ、起きない」
それだけ言うのがやっとのようで、娘はいきおいよく寝台に倒れ込んだ。
「……私も、わからない、が……下手に触る、のは、危険、かもしれない」
もはや会話というより独り言である。娘は身体を丸くすると、蝋燭の光から壁を作るように、眠っているもうひとりの娘の下に潜り込み、横向きになった。光避けにされた娘は脇腹の傷が痛むのか、寝ながら「うーん、うーん」と、悪夢にうなされた時のような声を上げている。
「よくわかんねえな、こいつら」
サスはそれ以外に言いようがなかった。