ⅩⅩⅩⅧ
「ピアノ、休みたい」
何となく口をついた言葉だった。別に、先生がすごく怖いとか、そんな大した理由じゃなかった。その日までのところを練習していなかっただけ。そのときの気持ちは本当に、ただ嫌で出来ないことから逃げたくて、休んでしまいたかっただけだったの。負けず嫌いで、出来ない自分が恥ずかしくて。練習していないのは自分なのに。
いつもの甘えで、当たり前に叶うんだと思ったわ。嫌だって言えば、何だって遠ざかるって。
でも、そうじゃなかった。
「だめよ」
「どうしてよ。ねえ、ママ……」
そのときに見上げた視線が。
あまりに冷たく見えて、恐ろしくなったの。
いつもの瞳じゃなかった。優しいものじゃなかった。
初めて見る、視線で。
それを見て、思ったの。文句なんか言っちゃいけないって。求められているのは、やるといったことをやりきる良い子で、文句なんて言わずに頑張る子で、向上心がある素敵な子なんだって。わたしの感情より、きっとそんな“子供”である私が求められているんだって。今まで与えられていた幸福は、きっとそんな子の為のもので、わたしの為のものじゃない。不幸になっちゃいけない。幸福な子供でいなくちゃいけない。だって、望まれたように居ればみんな優しいんだもの。わたしが文句なんて言わなければ、ママもあんな目をすることはない。あんな目を向けさせなくてすむ。わたしが良い子で居さえすれば。気持ちを黙っていさえすれば。




