とあるパパラッチ視点(クリスマスパーティーの会場にて)
まさかこんなに容易く潜入できようとは思ってなかった。
アホみたいに高い天井を見上げて、ふへー。と上げそうになった声を呑みつつ視線をパーティー会場に戻す。
飾り付けられた巨大なツリー。
高級食材ばかりで彩られた盛り付けまで見事な料理。
柔らかく室内に流れる生演奏。
自分が暮らすゴミだらけのボロアパートを思い出してクラスの違いを痛感してしまう。
俺の名前は本村 裕也。
俗に言うカメラマン……もとい、パパラッチである。
ここに招待されてる製薬会社のご令嬢が今人気の芸人と熱愛中との情報があり、二人の写真が撮れないかと潜入を果たしたのだ。
まぁぶっちゃけ、そこまで大したスクープでもない。
だというのに、なぜ潜入なんて危険な真似をしているかと言うと、仕事に対する熱い情熱を燃やして――とでも言っておこうか。
決して「クリスマスなんて面倒だよなー。彼女のプレゼント考えるのも面倒だしよ。おまけに飯にまで連れて行かなきゃなんねーって。お前はどこに連れて行くんだ? 参考までに聞かせてくれよ」と尋ねてくる同業者に「今年は仕事だって言ったら怒られちゃってさー」なんて言い訳をするためじゃないからそこのところ誤解しないでほしい。
大体、彼女が居ないのを想定していないその質問はどういうことだ。
いねーよ。
もうかれこれ三年も彼女居ねーよ。
大学から二年付き合っていた彼女とくだらない喧嘩で別れたっきりだよ。
次なんてすぐできるさ。なんて楽観していたのにこの有様だ。
寂しさに耐えかねてよりを戻そうと連絡したら、あっちはとっくに結婚して一児の母になってたしな。本気で世を儚んだわ。
苦い記憶に俯いてしまったせいで、鼻に下がってきた眼鏡を中指で押し上げる。
細いフレームで、見た目は完全にただの眼鏡なのだが、これには隠しカメラが内臓されていた。
俺の心強い商売道具の一つだ。
「花沢百合さまと、ご友人です」
朗々とした声が会場に響く。
目当てにしていたご令嬢の名ではなかったので、俺は特に関心も払わずに空になったグラスをテーブルへと戻した。
「花沢、お前のせいで、俺は……!!」
な、なんだ?
咄嗟に隠しカメラのシャッター部分に指をやりつつ顔を上げる。
中年のおっさんが黒髪の女の子目掛けてグラスを投げていた。
確かあのおっさん、嫁さんに不倫がばれて多額の慰謝料を毟り取られてた男だ。大企業の跡取り娘と結婚して婿養子してたってのに、社長就任前に不倫が発覚してしまい半生の苦労が水の泡に消えたとか何とか。
なるほど、花沢とは日本探偵事務所のご令嬢か。逆恨みされて大変だな。
エスコート役の男が見事に庇って、心配気に黒髪の少女を慰めている。
……若くねーか? あのエスコート。どう見積もっても高校生ぐらいの年齢だろ。専属護衛とか言うヤツか? 金持ちはやることが違うな。
つか百合ちゃん、怯えてるじゃねーか。可哀相に……。不倫した自分が悪いのに、探偵会社の娘に八つ当たりするなんて男の風上にもおけねーな。
「ザマないわね、花沢百合」
今度は、顔は可愛いのに根性の悪そうな金髪娘が百合ちゃんの前に立った。
金髪娘のいちゃもんは学生の喧嘩の域を出なかったから、俺は関心を無くして料理の並ぶテーブルに足を向けた。
キャビア、フォアグラ、トリュフ。
俺でも知ってる高級食材がふんだんに使われた料理を贅沢に皿に積み上げる。
「――さみ?」
「あさ――う?」
なぜか女達が色めきたった。
改めて騒ぎの中心を見る。
な、浅見虎太郎じゃねーか!!
所属事務所が出し惜しみしててインタビューどころか素性の一つも明かされて無いってのに、なんでここに!?
とにかく写真だ!
皿をテーブルに戻してひたすらにシャッターを切り続ける。
しっかし生で見てもムカツクぐらいイケメンだな。
あいつは俺みたいに些細な事で彼女と喧嘩しようと、女から謝ってくるんだろうな。それとも何か。定食屋の日替わりメニューのごとく毎日女をとっかえひっかえか。一昨日は学校の美人後輩、昨日は事務所のグラビアモデル、明日はセクシーOL美女か。元カノの人数三桁越えってか。
「お騒がせ致しました」
浅見が頭を下げる。そんな仕草も様になってて腹立たしい。
俺の嫉妬の視線を受ける浅見の影、百合ちゃんとエスコートの男の後ろに少女の姿があった。
――――――うわ。
手に何かを持っていたならば、取り落としていたかもしれない。その証拠に、会場のあちこちからカチャンとシルバーの落下音が上がっていた。
姿を見せたのは、俺の拙いボキャブラリーでは表現出来ないぐらいに美しい少女だった。
息を呑む美しさとはまさにこの事か。
少女の存在感に目が引き寄せられ全神経が集中して、身体機能さえ忘れてしまった錯覚を起こす。
呼吸どころか、心臓さえも止まっていたかもしれない。
少女は緊張しているのか、それとも怒りでか、白皙の美貌を冷たく凍らせていた。
そんな顔じゃなく、笑顔を見せて欲しい。笑って欲しい。
あの少女が微笑んでくれるのなら、どんな道化にだってなれる。
少女の笑顔を見るためだけに人生を費やしても惜しくはない。
理性などどこかに拭き飛んだ本能で少女にかしずきたくなった。
「すげ……」
ここがアッパークラスの集うパーティー会場だということも忘れて、下品な言葉を漏らしてしまう。自分の声を自分で聞いて、は、と我に返った。
咄嗟に周りを見回すが、いぶかしく思われはしなかったようだ。というか全員あの一団に釘付けになっていた。
浅見がこんな所に姿を現したのは、あの女の子がモデルデビューする前の売り出しか?
ここには名だたるデザイナーも企業社長も何人も招待されている。一気に顔見せするにはうってつけだ。
彫刻のような、いや、それこそ、美を隅々まで極めてモデリングした3D映像のような、夢を具現化した美少女だ。
モデルだけではなく、企業のイメージキャラクターに起用したいと思う輩も多いに違いない。
少女は一歩を踏み出して、百合ちゃんの肩に触れる。
「よかった」
呟いて、微笑む。
三年も彼女が居ないこととか、元カノが結婚して一児の母になっていたこととか、クリスマスの予定を聞いて来た同業者のこととか、クリスマスだってのに仕事してることとか、もう、全部どうでも良くなった。
少女の笑顔に負の感情が洗い流され、なんだか、この世に産んでくれてありがとうお母さんってところから感謝したくなる幸福感が全身を包んだ。
それから俺は、当初の仕事も忘れ、並ぶ浅見と彼女を重点的に激写し続けた。
少女の名前は日向未来。盗み聞いた会話の内容からするに、モデルでも何でも無い一般人で、百合ちゃんの学校の友人だった。
冷たく凍っていた当初の印象とは違い、未来ちゃんは次々に話しかけてくる連中に、時に困り、時に笑顔になり、時に戸惑いとくるくる表情を変えて受け答えしていた。
ただの学生とは思えないほど立ち振舞いは上品で、育ちの良さが伺える。
次々に話しかけられることに疲れたのだろうか。二人は連れ立ってテラスに出て行った。
取り巻いていた連中も、学生相手にはしゃぎすぎたと反省したのか、外まで浅見と未来ちゃんを追おうとする不躾な奴はいなかった。それなりの身分の連中ばかりだと引き際も分かってんだな。
友人達も後を追うように出て行ったので、俺もこっそりと続かせてもらう。
気の置けない友人達だけになったからだろうか。未来ちゃんはそれこそ、無防備にはしゃいで友人達の輪の中でキラキラと輝いていた。
まさか、あの大男が未来ちゃんの彼氏(しかも未来ちゃんがベタボレ)とは思わなかったけどな!!!
なんだそれふっざけんなよ!!
お前、学生でそんな可愛い彼女作っていいと思ってんのか人生の先輩に回せ!!
せめて浅見虎太郎だったらまだ納得できたのに、あんな人を二、三人殺していそうな人相の悪い男が彼氏だなんて!!!
浅見は浅見で、後輩らしいチャラ男に馬鹿にされてるわ、皆が話しだすと無口になるわ、あいつ、単なるコミュ障じゃねーか! インタビューに出てこないはずだよ! その顔は飾りか!
イライラしながら酒に口をつけて、遠い夜景を見る。
この夜景の中でどれだけのカップルがイチャイチャしてんのかなー。
ふるさとのお母さん。僕に新しい彼女ができるのはいつになるのでしょうか……。
牧歌的に考えていると。
パンパンって轟音が響いて鼓膜が軋んだ。
何だ!?
振り返った先にあったのは、中年男の手を蹴る浅見、御曹司冷泉三郎を庇っている人相の悪い男、血の赤、拳銃――――!! さっきの音は銃声か!?
こんな平和な国で、どうして、こんな平和な会場で、銃撃!?
反射的に脳内を検索するが、御曹司には命を狙われるほどのスキャンダルはなかったはずだ。あれば耳に入っている。理由はなんだ!?
銃撃で意識が飛んだか、男がどさりと床に崩れ落ちた。
つかひっでーな、冷泉を守ろうと今更警戒を始めたボディーガードが冷泉を引っ張ったから、男が床に倒れたんだけど、せめてゆっくり寝せてやれよ!
結構な勢いで頭打ったぞそいつ!
「――――!! 血、血が、血が……!!」
チャラ男が肉食獣に狙われた草食動物みたいに立ち竦んで叫ぶ。男の体の下に急激に血溜りが広がっていた。うわあああ!! 出血半端じゃねえぞ! これ救急車くるまで持つか!?
ぱん、と浅見がチャラ男の頬を打った。
「達樹君、ナイフを持ってきて。竜神君の止血をしないと」
チャラ男の胸倉を掴んで、真正面から目を覗いて発した浅見の声は、恐ろしいぐらいに冷静だった。
「え、あ、は、はいっ!」
チャラ男はしばし口を空回りさせた後、パーティー会場、料理の並ぶ場所へと勢い良く走り出した。
チャラ男どころか俺まで動けなかったっていうのに、浅見は指示をくだすと自分もパーティー会場に入り、ガラス壁を装飾していたカーテンを無造作に引いて破った。足を止めずにそのままここに戻ってきて、傷ついた男の横に膝を付く。
ボタンを外しもせず力任せに上着を脱がせる。
黒のタキシードの下には極薄手ながらも体を守る防弾ベストがあった。
「美穂子、未来を頼む」
「う、うん」
百合ちゃんが未来ちゃんを少女に託し、止血の手伝いに入った。
「美穂子さん、未来、向こうむいてて」
浅見はそう促しながら百合ちゃんと二人で手際良くベストを外した。
美穂子と呼ばれた少女がぎゅっと自分の胸に未来ちゃんの顔を伏せさせて、壁を向く。
「――――」
うわあ! そう悲鳴を上げたのは誰だろうか。
パーティー会場の中で伺っている連中か? ひょっとしたら俺の悲鳴だったかもしれない。
一番間近で見ている浅見や百合ちゃんは無言だった。
男の背中はずたずたになっていた。
防弾ベストがあったお陰で命だけは助かっているようだが、成人した男でも目を背ける有様だ。
「持ってきました――うわぁあああ! な、あ」
この場にいる一番の子どもだろうチャラ男は悲鳴を上げて、ナイフをいくつか取り落とした。言われるがまま、持てるだけ持って来たのだろう。10本以上も抱えている。
浅見は無言でチャラ男の手からナイフを全て取り上げると、騒ぐチャラ男の肩を鷲掴みにし、後ろを向かせる。
ナイフを取り上げたのは、動揺するチャラ男が怪我をすると判断したからなのだろうか。二本だけ手にして残りはすぐ傍のテーブルに放置した。
百合ちゃんと二人掛かりでカーテンを裂き、硬く団子状にして、血が溢れる傷口を押さえる。
「お前も手伝え!」
犯人は取り押さえられているというのに無駄に冷泉の前に立っていたボディーガードを百合ちゃんが呼びつけた。
百合ちゃんとそのボディーガードが竜神の上半身を抱え上げ、浅見が体にカーテンを何重にも巻きつけ、きつく縛る。
「こんなことじゃ気休めにしかならないかもしれないけど……」
「しないよりはマシだ。中々手際がいいじゃないか。少しだけ見なおしたぞ浅見」
浅見と百合ちゃんがお互いをねぎらう。
まだ高校生だろう二人の掌は、友人の血で真っ赤に染まっていた。
救急隊員がくるまでは酷く長く感じた。正確な時間はわからないが、体感として、数十分も待ったように感じた。
当然、パーティーは中止になった。
何人かは会場から逃げ出していたが、まだ残っている連中も居た。今日のホスト役である少女も、青ざめては居たが気丈に振舞って招待客に詫びの挨拶をしていた。
喧騒に紛れ、会場を抜け出す。
当初の目的は完全に忘れてたってのに中々のスクープが取れたぞ。
美少女を伴ってパーティーに現れた売れっ子モデル、冷泉三郎の銃撃。
馴染みの雑誌社に持って行けば巻頭も目じゃねーな。迅速な人命救助の様子まで伝えれば浅見の事務所も文句は言わないだろ。
通路に敷かれた無駄に豪華な絨毯を早足で踏み締めながら、小躍りしたくなった衝動を堪える。生々しい怪我を見てしまったせいでしばらく肉は食えそうにねぇけど。
お。いい女。
お高そうな毛皮のコートを来てロシア帽を被った黒髪の女がエレベーターの前に立っていた。
女は振り返ると、口紅の塗られた唇を妖艶に吊り上げて、俺に歩み寄ってきた。
な、なんだ!? どうしたんだ一体!
でもいい女だなーと見とれていると、眼鏡を外された。
「え?」
バキ!
そして、思いっきり、眼鏡を叩き折られた!!
「な、な、何しやがる!! 返せ」
ここここの眼鏡は普通の眼鏡じゃねーんだぞカメラなんだぞしかも内臓記憶媒体だから眼鏡に全部のデータが保存されてるんだぞこれからPCに落としこむんだぞ!!
女はひらりと俺の手を避けると、折れた場所から伸びていたコードをハサミで切断してしまう。うわああ! 俺の今日の努力が全部パーじゃねーか! 潜入するのにいくら使ったと思ってんだ!
「ごめんあそばせ。眼鏡の弁償はいたしますわ。こちらにご連絡いただけるかしら」
女は名刺を差し出してきた。そこに書かれていたのは『日本探偵事務所 秘書 冬月冬子』
に、にほん、たんていじむしょ!?
まさか、こいつ、
「百合様の目を欺けるとお思いにならないでくださいね。本村裕也様。貴方が撮影していたのは筒抜けでしたわよ」
な、なんだってー!! ええ!? 嘘だろ!? まさかそんな、俺、あの連中と話しもしてないのに!! つーか名前、どうやって!?
美女はふわりと微笑んでからエレベーターに乗り込んで、呆然とする俺を残して消えていったのだった。
百合の使用人である冬月冬子は23歳です。海外育ちで日本の学校に通ったことが無いから楽しく高校に登校しています。
同級生に年上だということはばれていません。




