早く子供を作りなさい
竜神の家族の邪魔にならないように、俺達は隣接された別室に引っ込んだ。
竜神が入院している病室はやたらと広く、カウンターテーブルやソファまで置いてあって、まるでホテルの一室のような部屋だった。
各国の要人だかが宿泊する最高ランクの病室らしい。ちなみに、料金は冷泉から出ている。
俺達が引っ込んだ別室はボディーガードさんや付き人が使うための部屋だ。ベッドと簡易キッチン、冷蔵庫やレンジ、それだけじゃなくシャワールームやトイレまで設置されている。
達樹が勝手に冷蔵庫を開いて、高級そうな箱をいくつも取り出した。
「これ、竜神先輩の見舞いにっていろんな人が持って来たお菓子っス。果物もありますから痛まないうちに食べたがいいですよ」
「こんなに沢山? すげーな」
アシュレイさんやリリィさん、それから、メイクしてくれた蓮さんや麗さんからのお見舞いの品まであった。
花も大量に届いてたらしいけど、花瓶に入りきらないからと竜神のお母さんや美穂子達が持って帰ってくれたそうだ。
「竜神君に連絡が繋がらないって学校の子達が心配してたよ。怪我をして意識不明だって連絡はしたけど、ここに入院しているってことまでは伝えてないから」
美穂子はそう言ってから、さて、と呟いてバッグを持ちなおした。
「もう帰るね。竜神君と未来の邪魔しちゃ悪いし」
「そうだね。お大事にって伝えておいてくれないかな」
「あぁ。邪魔した」
皆一気に帰り支度を始めてしまい、俺はええ?と声を上げて身を乗り出した。
「もうちょっといてくれてもいいのに……」
唇を尖らせる俺の頬に、美穂子の優しい手が触れた。
「目の下に隈が出来てるよ。未来、ただでさえ細いのに益々痩せちゃってるし……。今日は竜神君とご飯一杯食べて、ゆっくり休みなさい」
「明日もまた来るから。必要なものがあったら遠慮なくメールしていいからね」
「お邪魔しましたー」
「じゃあな」
賑やかに部屋を出て行く四人を見送る。通路に続くドアを閉めるとほぼ同時に、竜神の病室に続くドアが開いて、花ちゃんが恐る恐るといった様子で顔を覗かせた。
「み、未来さん……?」
「何?」
尋ねると、花ちゃんが飛びついてきた。
「よかったあああ未来さんが喋ったあああ!! 叩いても抓っても叫んでも反応しなかったから心配してたの……!」
「ご、ごめん、竜神が居ないと駄目みたいで」
「ごめんじゃ済まないわよ! 猛さんにも、未来さんの様子が変だから病院に連れて行ってあげてくださいってお願いしたのに、『ここが病院だ』とかなんとか話が通じなくて……そうじゃないでしょ! ここが病院なのはわかってるわよ! ちゃんと専門のお医者様に診察してもらってくださいって意味だって説明しなくてもわかるでしょお!?」
「あぁ……ウチの兄ちゃんそんなだから……なんか重ね重ねごめん」
「こら、花。お兄さんの悪口を言うような真似するんじゃないわよ。お医者様なんだから考えあってのことだったのよ、きっと」
続いて入ってきたお母さんが兄ちゃんをフォローしてくれた。けど……。違うだろうな。兄ちゃん、絶対、竜神が目を覚ませば何とかなるだろって軽く考えて放置してたんだろうな。そういや、兄ちゃん、いつの間にか居なくなってたな。いつ部屋から出て行ったんだろ?
引きとめたにも関わらず、竜神のご両親と花ちゃんもあっさり帰ってしまった。
賑やかだったのが一気に静かになって少し寂しい。でも二人きりになれるのはありがたいので遠慮なく竜神の病室に入らせて貰った。
「なぁ、竜神。こんなに沢山お見舞いの品が届いてたよ。なんか食べる? ゼリーみたいな軽いのがいいかな?」
開けっ放しだったドアを大量の箱を抱えてくぐる。
竜神はベッド上で枕にもたれかかるように座っていた。
「そういや腹減ったな……10日も寝てりゃ当然か。何があるんだ?」
「うんと……フルーツゼリーにシフォンケーキの詰め合わせにお饅頭の詰め合わせ……なんだこれ、角煮があるぞ」
一番下にあった箱は、パック包装された豚の角煮だった。誰だよこんなお見舞い持って来たの。
「角煮がいい」
すかさず竜神が食いついてきた。よりによって角煮か。
「……胃、大丈夫?」
「大丈夫だ。やべ、腹減ったの自覚したら腹減りすぎて眩暈してきた」
慌ててベッドテーブルを準備して、すぐ食べられるものを置いて隣の部屋に駆け込んだ。
角煮を切り分けてお皿に盛って、レンジで暖める。
……あれ? この皿、ウチの皿だ。それに、包丁やまな板は備え付けだろうけど……ラップって誰が持ってきてくれたんだろ? 兄ちゃんかな? いや、兄ちゃんがそんな気の聞いた真似しないよな。
花ちゃんか竜神のお母さんが持ってきてくれたのかな?
熱々になった角煮と箸を持って病室に飛び込む。
「お待たせ!」
「お前ばっか働かせてわりぃな」
「悪いと思うなら怪我なんかすんなよー。はい、あなた、あーん」
竜神は左の背中の肩甲骨を骨折してる。利き手は無事でも左手が使えないと食べ難い。そう思って角煮を箸で竜神の口元に持って行ったのに、竜神は肩を揺らして笑った。
「笑わせんじゃねーよ。傷に響くだろ。いってえ」
「笑うなよー」
ブーブー文句言う俺の頭に竜神の右手が乗る。
「心配させてごめんな、未来」
「…………」
二度目の謝罪だった。
竜神が謝る必要なんてないよ。
誰かが傷つくのを黙って見てられる奴じゃないって知ってるから。
でも、低く響く声や何度も呼ばれる名前が嬉しい。
自分が乾いた植物だったような感じがする。竜神が名前を呼んでくれるたびに水と栄養が降り注いでくるみたいだ。
意思の強さの現れのような、白と黒のコントラストがはっきりとした綺麗な目の中に俺が映っていた。
日向未来は『そこ』にいる。喜びと安堵に全身から力が抜ける。
りゅう。
竜神の大きな掌が俺の顔の形を辿るみたいに下りて、頬で止まった。
なんだか、息が苦しくて心音がうるさい。
頬に触ってるりゅうの掌に掌を重ねる。俺の指はバカみたいに震えていた。
泣きたいんじゃないのに目尻が熱くなる。
竜神の掌が、俺の頬から耳を辿り、頭の後ろにまわる。
手の甲に触れていた俺の手は停まったままだったから、竜神の手首から腕へと滑った。俺を軽く抱え上げる力強くて熱い腕を指先で撫でる。
無くて七癖。
俺の癖は、人の目をじっと見てしまうことだ。
何十メートル離れてようと、至近距離だろうとも。
なのに。
りゅうの目を見続けるのが恥ずかしくなって、視線を逸らして、瞼を閉じてしまった。
そっと、竜神の腕に力が入って、ゆっくりと引き寄せられて――――。
コンゴン。
乱暴なノックの音に、心臓が壊れるかと思うぐらいにびっくりして後ろに飛びのいた。
「未来!」
ぱし、と竜神が俺の腕を掴んだ。
うわあ、掴まれてなかったらそのままひっくり返ってたよ! なななんあ、今のは一体、いや、それよりノック、誰!?
竜神は俺を落ち着かせるようにぽんっと肩を叩いてから、「どうぞ」と扉に呼びかけた。
「お邪魔するよ」
入ってきたのは、なんと、
「かか、か、母ちゃん!?」
「おばさん……」
俺の母ちゃんだった!!!
「お久しぶりね強志君。具合はどうだい?」
「かーちゃん、い、いつの間に帰ってきてたんだ? ひょっとして今日帰ってきたの? すっげー偶然!!」
「アホなこと言ってんじゃないよ。強志君が意識不明になってすぐに飛んできたに決まってるじゃないか。誰があんたの着替えを毎日用意してたと思ってんのよ」
「そ、そだったの?」
「まさかとは思ってたけど、私の声も届いてなかったんだねえ……。このバカ娘はまったく……」
ほら、と紙袋を押し付けられた。中に入ってたのは俺の服だった。
「未来は……、おばさんの言葉にも反応していなかったんですか?」
竜神が眉を潜めて母ちゃんに聞く。
「そうなのよ。ほんとに困った子よね。母ちゃんなんてお前を産む二日前に父ちゃん亡くして大変だったってのに、ちゃんと葬式も出産もこなしたんだよ。お前も強志君に何が起こってもどんと構えて待てるようもっと肝を太くしておきなさい。旦那が死んでも母ちゃんが倒れても子供は腹を空かすんだから」
――!?
父さんが、俺が生まれる二日前に事故死したってのは知ってた。
その話を聞いても「大変だったんだなー」ってのと、ことあるごとに持ち出してくるから「その話何回目だよ」ってぐらいしか思ってなかった。
「か、母ちゃんって凄かったんだな……!!!!」
子供がお腹にいる時に竜神が死んだらもう全部駄目だよ。自分が生きていられるかも怪しいのに出産なんて無理すぎる……。葬式なんて百パーセント無理だよ竜神を火葬にするって想像するだけで俺が死ぬ!! むしろ一緒に焼いてほしい!!
「なんだい今更。あの時は本当に大変だったんだからね。葬式が終わった途端産気付くわ、女の子だって太鼓判押されてたお前は生まれてみれば男だったわ。ほんと、腹に入ってる時から親不幸な子だったわよあんたは」
「ごめん……!!」
ってそれ俺のせいじゃない気もするけど、今更ながら母ちゃんを尊敬してしまう。
「いちおう、あんた達の家の冷蔵庫は整理させてもらったわ。未来はこれからどうするの? 家に帰ってくるかい?」
え?
家に?
「母ちゃん……どこで寝泊りしてるの? 前の母ちゃんの部屋?」
「兄ちゃんの家に決まってるじゃない。まったく、猛は猛でちょっと見ない間に家の中をぐちゃぐちゃにして、新築だってのに書類と本でリビングまで埋まってたのよ。しょうがないったら」
母ちゃんがブツブツ文句言い出す。そっか。前の部屋に泊まってる訳じゃないんだ。
じゃあ、今、俺と竜神の家は無人だ。家に帰っても一人ぼっちになってしまう。
帰りたくない……けど、我侭は、いえないよな。
うな垂れた俺の手を竜神が握って、母ちゃんに言った。
「未来は……ここで、オレがお預かりしてもよろしいでしょうか」
「あら。なんで私に聞くんだい? おばちゃんに確認取らなくていいわよ。未来に聞きなさい」
「こ、ここに居てもいいの!?」
いくらなんでも邪魔になるだろうって思ってた。まさか、ここに居ても良いって言ってくれるなんて! テンション上げて竜神に食って掛かってしまう。
「あぁ。付き添い用の部屋もあるから丁度いいしな、お前の様子も心配だから」
「なんで心配するんだよ。怪我したのはお前だろ」
「反応しなくなったなんて聞かされたら心配するに決まってるだろ。おばさんと一緒にいるのが一番安心だって思ってたんだけど……お前、おばさんにも反応しなかったんだろ?」
全然記憶にございません。母ちゃんがいたことさえ今知ったからな。
「入院は一ヶ月以上になるらしいわね。あんたが退院するまで、おばちゃん、こっちに居るつもりだから何かあったら言ってきなさい。未来もあんまり迷惑かけるんじゃないわよ」
「え!? りゅう、一ヶ月も入院すんの!? 学校は!?」
「お休みにきまってるじゃない」
母ちゃんが俺の頭をぺしんと叩く。
「お休み……。そっか、一ヶ月も竜神いないのか……」
「なるべく早く退院できるよう先生に頼んでるんだ。オレ、出席日数あぶねーし。……一人でも大丈夫か?」
竜神が俺の頭を撫でながら顔を曇らせた。
「だ、大丈夫に決まってるだろ! 一ヶ月掛かったってちゃんと耐えてみせるから傷を治す事に専念しろ!」
慌てて空元気を出してびし、と竜神に指を突き付ける。
「……なら、いいけど……」
大丈夫。竜神が居なくても頑張るからな。
竜神に教えられるようにちゃんと勉強してくる!
大丈夫。一ヶ月なんてあっという間だから。
なんて思ってたけど、やっぱり、竜神不在の学校生活は死ぬほど長いです。
残り三日間の冬休みは吹き飛んだ?って思うぐらいあっという間に過ぎ去り、新年っぽい行事の一つも無く学校生活へと突入した。
朝は暇してる母ちゃんが病院まで迎えにきてくれて、一旦家に戻り、お弁当を作ってから、百合の車で登校してる。
前の築四十年の家のキッチンは狭かったから母ちゃんと一緒にご飯作るのも一苦労だったけど、今の家は広々してるからゆったり作業できるのが嬉しいよ。登校前の慌しい時間に、母ちゃんと二人でお弁当を作りながらしみじみしてしまう。
「母ちゃんとご飯作るって久しぶり……。今度ナポリタン作ってよ!」
「分かったわよ。竜神君の分も作ってあげるから、病院に持っていきなさい」
「うん!」
「それにしても……、あんた、いつの間にか友達増えたのねえ。美穂子ちゃんも百合ちゃんもいい子じゃない。あんたみたいなどうしょうもないのと友達になってくれる女の子がいたなんて、ほんと、ありがたいわねえ」
「ふふ。母ちゃんにネグレクトされてる間に成長したんだ。自分のこともわたしって言ってるし、女友達だって学校に行けばもっといるんだぞ。岩元とか浦田とか柳瀬さんとか。こないだも女の子ばっかでスイーツビュッフェ行ったんだ」
「やっぱりお前はほったらかした方が成長早かったわね。私が傍にいたら母ちゃん母ちゃんって甘えてばっかりで、絶対成長なんかしてなかったでしょ」
「甘えてねーよ! だいたい、一緒に居たって毎日放置してただろ! 母ちゃんから女の子らしい言葉遣いの一つだって教えてもらったことないんだからな!」
兄ちゃんは勝手に俺の服や靴、部活の道具――――生前の思い出の品捨てて、文句言ったら蹴られたし、母ちゃんは母ちゃんで女の子らしく振舞う作法の一つも教えてくれなかった。
あの当時、俺を甘やかしてくれたのは竜神ぐらいのもんだ!
早苗ちゃんの家で襲われた時、わけわかんない文句言って殴った時だって慰めてくれたぐらいなんだからな。あいつは。
「あら。あんた、女の子らしくしたかったの? 言えば教えてやったのに」
「え」
「あの頃は、『俺は男だ』とか言ってたでしょ。母ちゃん、てっきり男の子のまま生きて行きたいのかと思ってたわよ。今時は性同一性障害に理解だってあるし、あんたぐらいの言葉遣いの女の子もゴロゴロ居るからねえ。無理して強制する必要ないって思ってたんだけど」
それは、その。
女の子として生きていく覚悟が出来たのは竜神と生活したからではあるけど。
「そんなことより、あんた、いつになったら子供作るの?」
こ?
「母ちゃんもう五十なんだからそろそろ孫の顔見せて頂戴よ。兄ちゃんが結婚するのは諦めたから、あんただけでもさっさと子供作りなさい」
ま?
母ちゃんの言葉の意味が分からず真っ白になってから。
硬直して。
ゆっくりと言葉が浸透してきて。
俺は生まれて始めてじゃないかってぐらいの大声を張り上げた。
「ななななな何言ってんだよ母ちゃんんんんん!! まだ高校生なんだぞ!! 子供なんか作るわけねーだろおおお!!! だだだだだいたい、結婚もしてないのにこここ子供作るなんて、そんな!」
「朝っぱらから大きな声出すんじゃないの。近所迷惑でしょ……って、この家じゃちょっとやそっと叫んだぐらいじゃ外に声なんか漏れなかったわね。やっぱり新築はいいねえ。お隣さんとも距離が離れてるから快適だし。庭でバーベキューできるんじゃない?」
のんびりと世間話に移行した母ちゃんに食ってかかる。
「話し逸らすなああ!」
「うるさいわねえ。学校なんて辞めればいいじゃないの。女なんてね、学がなくてもどうとでもなるもんだよ。それよりも孫の顔見せてくれたほうがどれだけ親孝行か。子育ては手伝ってあげるからね。妊娠したら九州においで。旦那も孫が出来るの楽しみにしてるんだから」
「バカじゃねーの?母ちゃんバカじゃねーの!?」
「親に向かってなんて口のきき方すんの。このバカ娘は」
ばしっと俺の頭を叩いてから、母ちゃんはウインナーを炒めつつ楽しそうな声で言った。
「強志君とあんたの子なら可愛い赤ちゃんが産まれそうよねえ。顔はあんた似でもいいけど、性格は強志君に似てほしいわね。あの子人付き合い上手だから。猛と普通に接してくれる男の子なんてあの子ぐらいなもんだよ。あぁ、虎太郎君の子でもいいわよ。あの子モデルだったのねえ。駅に大きなポスター貼られてたから母ちゃんびっくりしちゃったわよー。男の子にしちゃ綺麗だって思ってたけどまさか有名人になるなんて。帰る前にサイン貰っていかなきゃ」
「かーちゃんとはもうくちきかない」
そっぽ向いて完成したお弁当を手に家を出る。
庭先にはお迎えの車が既に停まってて、車の中から美穂子と百合が挨拶をくれた。