皇国ホテルでクリスマスパーティー
パーティー会場の重厚な扉の先に広がったのは、ただひたすらに豪華絢爛な空間だった。
三階建ての家さえ収まってしまいそうな高いドームの天井。中央で煌びやかに輝いている五メートルはあろうかというクリスマスツリー。白に煌くクロスが掛けられた沢山のテーブルと名も判らない豪華な料理、そして、奥から響く弦楽器を中心とした生演奏!
「花沢百合様と、ご友人です」
会場に入ると同時に紹介され、どくん、と心臓が跳ねた。
俺の前を歩いていた百合と竜神が会場中から集まる視線を真っ向から受け止める。
視線を一身に受けた百合は、竜神の腕に腕を絡ませて視線に答えるかのようにふわりと微笑んだ。
百合のネコ被りモード発動だ。いつ見ても変わり身の幅が凄い。
「花沢……、あの女……」
「よくもまぁ、顔を出せるわね」
「花沢百合……!」
「まったく、忌々しい……」
あちらこちらから百合の名前が響いてくる。
声を潜めてない人までいる……。百合って一体どれだけ恨み買ってるんだろ。
心細げに竜神に身を寄せながら、百合が誰にともなく呟いた。
「リリィ様はいらっしゃらないのね……? どちらに行かれたのかしら?」
今日のパーティーを開き、俺達を招待してくれたのはビュッフェで会った長身の美人、リリィさんだ。
まずは挨拶をしたいのにリリィさんの姿が見えない。
ん?
四十代ぐらいの、身長は俺ぐらいなのに体重は竜神よりありそうなおっさんが、目が落ちるんじゃないかってぐらい瞼を見開いて百合を凝視していた。
握ったシャンパングラスを振るわせ顔をどす黒くさせて、足音高く詰め寄ってくる。
「花沢……!! お前のせいで、俺は、俺は……!!」
おっさんは意味もわからない雄叫びを上げながら、持っていたグラスを百合の顔目掛けて投げた!
百合!
ばしゃ、パリン。
息を呑んだ俺たちの前で竜神が動いた。
男が腕を振り上げると同時に百合の腕を引いて抱え込むように位置を入れ替え、背中でグラスを受けたんだ。
重力のままに落下したグラスが、竜神の革靴の後ろで甲高い音を立てて粉々に弾け飛ぶ。
「大丈夫か?」
タキシードをシャンパンで汚されながらも、竜神はすぐに百合の安否を確認する。
百合はこくこくと頷いた。
「り、竜神君……、ありがとう、助かりました。でも、服が……」
「気にするな。拭けばいいから」
シャンパングラスを配っていたスタッフがトレイをテーブルに置いて、慌てておっさんを取り押さえる。おっさんは「お前のせいで、お前のせいでええ!!」と繰り返しながら両手を振り回して暴れていた。他のスタッフも駆けつけて一気にホールが騒然となる。
そんな中、百合が怯えて体を振るわせ、竜神は気遣うような笑顔で百合を慰めている――――――ように見える。
けど、すぐ後ろにいた俺たちにしか聞こえない程度の声でやり取りされる言葉は、見た目を裏切って殺伐としていた。
竜神「ここまでヒデーだなんて聞いてないぞ。ワイン掛けられるどころかグラス投げつけられたじゃねーか。しかもお前の顔狙ってただろあれ」(超小声)(気遣うような笑顔で)
百合「ふははは。依頼人からの要望があれば恨みまで引き受けるのがウチのモットーだからな。次は刃物が飛んでくるかもしれんがしっかりと盾になってもらうぞ」(超小声)(心細げに目尻を振るわせ怯えながら)
相変わらず役者だな百合……。
竜神も意外と演技派だよなー……ってそんなことはどうでもいい!
百合、どんだけ恨み買ってるんだよ! 竜神が血を流すような怪我したらぎゃーぎゃー泣いてパーティーを台無しにしてやるからな!
「ザマないわね、花沢百合」
余りのことにふるふるしていた俺の頭に一気に冷水が浴びせかけられた。
百合を嘲弄しながら現れたのはビュッフェで絡んできた縦ロールだ。一歩歩くごとに、派手なピンクのドレスをこれ見よがしにたなびかせている。
いや、縦ロールだけじゃない。横に、後ろに、同じ年ぐらいの女を引き連れていた。
どいつもこいつも嫌な笑い方をしてて、ヒソヒソと会話を交わしてる。
女の子だけじゃなくてエスコート役だろうか、付き添いの男まであわせると人数は軽く十五人にも達しそうだ!!
ひぃいいい!!!
百合は困ったような笑顔でかわす。さ、さすが百合……俺だったらこの集団に詰め寄られただけで腰を抜かす自信がある。
大勢で来られるだけでも怖いのに、顔見て笑われるとか耐えられないぞ泣くぞ!
縦ロールは持っていたグラスを隣に立っていた男に渡して片手を腰にやった。
「珍しくお連れの方がいらっしゃるのね。友人がいらっしゃらなくて毎回一人で参加してたのにどこから連れてらっしゃったの? あぁ、金を積んで買ってきたのかしら? 成金らしいやり口ね」
縦ロールが顔を歪ませて笑う。答えたのは竜神だ。
「金なんて積まれていませんよ。百合さんは大切な友人ですから」
十数人を引き連れた縦ロール相手に、竜神が百合を自分の後ろに隠して一歩も引かずに一人で受けて立つ。
縦ロールも美人だけど、引き連れてきた女の子も可愛い子ばかりだ。おまけに、チャイナドレスの子、肌が褐色で中東風の肩から流すドレスを着た子などなど、あからさまな外国人が何人もいるし、テレビ詳しくない俺でも知ってる女優さんと歌手まで交じってる。
そんな美女軍団の悪意の視線を受けながらも竜神は平然としていた。
長身で強面の竜神は普通に立っているだけでも威圧感がある。
そんな男の強い否定に縦ロールが一瞬怯みながらも、すぐにキッと竜神を睨みつけた。
「あなたには聞いてないわ! 大体、ここは、貴方達のような――下種な成金や普通の学生が足を踏み入れていい場所じゃないのよ! さっさとお帰りなさい!」
後ろに立っていた女たちも口々に「帰りなさいよ!」「恥を知りなさい!」「あなた達がいるだけで不快だわ!」そう金切り声を上げる。
「――――やめてください」
甲高く上がる声を制止しながら、竜神の横に出た人が居た。
――浅見だった。
浅見との付き合いはたった半年程度しかない。だけどその間に沢山の表情を見てきた。
困った顔、笑った顔、百合に詰め寄られて戸惑ってる顔、達樹と言い合いする顔――。
そのはずなのに、今の浅見の表情は一度も見たことが無いぐらい大人びた表情をしていた。
ざわ、と空気が揺らいだのを肌で感じる。
あちらこちらから浅見の名前やブランド名を呟く声が聞こえた。
浅見は自分の姿が人の歓心を得るまでの数秒の間を置いてから、続ける。
「僕たちはこのパーティーにご招待を頂きました。ホストにご挨拶もせず立ち去ることなどできません」
俺と同じぐらい人が苦手で自己主張も控えめだったのに、大勢の女の子相手に立ちはだかることが出来るようになっただなんて、浅見の進歩に驚いてしまう。
痴女にも抵抗できないぐらいに大人しい奴だったのに。
浅見を見て、縦ロールは勝ち誇ったような顔になった。
「やっぱり金で買ってきたんじゃない百合。今人気のモデルを買ってくるなんて、ほんと、貴方のやりようって下品よね」
腕を組んで勝ち誇ったように笑う。
な、なんでそうなったのかな?
確かに浅見は今人気急上昇のモデルだ。だからこそ縦ロールの言う「成金」には手の出せない存在なんじゃないだろうか。浅見の事務所にだってイメージ戦略がモロモロとあるだろうし。
庶民の考えだけど。
それに、その、貴方の後ろにも有名な女優さんと歌手さんいますけど、買ってきたの?
ここ突っ込み入れるところか??
マナーや立ち振る舞いを学んできたとは言えども、生まれも育ちも庶民なので突っ込みどころ満載なのに突っ込めずに居ると、今度は達樹が口を開いた。
「金とかじゃないっスよ。おれら全員、普通に百合先輩と友達ですし。浅見さんだって、モデルになる前から普通に友達だったから百合先輩の誘いに乗ったってだけで……。あんたの後ろに居る人たちも芸能人混じってるじゃねーっすか。買ってきたんですか?」
俺と同じ庶民を代表して、達樹が気になっていた箇所をずばりと指摘してくれた。
「――――――!!!」
縦ロールが顔を赤くして息を呑む。どうやら達樹に図星を付かれてしまったようだ。
それでも何か反論しようとしたのだろう。ピンクに塗った唇を開いた途端に、
「ヘンリエッタ」
冷たい声が会場を打った。
リリィさんだった。
「お下がりなさい」
縦ロールもとい、ヘンリエッタは、凄い顔で達樹を睨んでいたけど、リリィさんには逆らえないのかふいと顔を逸らして足音高く会場の奥へと下がっていった。取り巻きを引き連れて。
会場中に張り詰めていた糸がゆっくりとたわんでいく。
「お騒がせ致しました」
注目していた連中に浅見が笑顔を向ける。百合の罵倒に加わってなかった第三者の人達(女性)が好意的な笑顔になって悲鳴のようなキャーといった上ずった声を上げる。浅見もやんわりと綺麗に一礼した。
その仕草がやっぱり大人びてて純粋に感心してしまう。
このパーティーに参加するため、俺と浅見は一緒にマナーの勉強をしてきた。勿論、馬鹿な俺と違い、浅見はあっという間に教えられる事柄を吸収していた。
浅見が出来る奴だってことは知ってたけど、ここまで完璧に実演して見せるなんて予想外だ。
きっと、モデルの仕事を頑張ってきた結果なんだろうな。
夏休みの登校日に、がんばれって言った俺の言葉を素直に受けて、がんばるためモデルになって。
一時期はご飯も食べられないぐらい疲れていたのに、それでも努力してきた結果が、今、こうして現れているんだ。
――――わたしも、頑張ろう。
腕に掛けていた小さなクラッチバックをぎゅっと握り締める。
知らない人が怖いから、顔が引き釣りそうになってしまう。
注目されるのが怖い。知らない大勢の人達の視線を浴びるだけで、座りこんで泣き出してしまいたくなるぐらいに怖い。
文化祭の時そう言って、劇をしたいって言ったクラスメイト達を失望させてしまった。あの時からまるで進歩してなかったりする。
でも、浅見だって強くなった。それにここには竜神も、百合も、達樹も、美穂子も居る。
わたしばっかり怖いからって小さくなってばかりじゃ駄目だから。
リリィさんは下げた指先を絡ませながら瞳を伏せた。
「お誘いしたのは私なのに不愉快な思いをさせてごめんなさいね、百合さん。お友達にもご迷惑をお掛けしてしまいましたわ。謝罪致します」
今までいろいろと助けてくれた百合のために少しぐらいは、役に立ちたい。
「よかった」
百合の肩に触れながら、リリィさんの前に出る。
浅見やリリィさん、そして百合に集まっていた視線が私に移って来たのがわかって顔が引き釣る。
ドキンと鳴る心臓を押さえながら声を絞り出した。
「リリィさんにまで歓迎されてないんじゃないかって心配してしまいました。百合は私たちの大事な友達なんです。これ以上いじめるのはやめてくださいって、皆さんにお願いしてください」
リリィさんは百合に対して好意的な態度を取っていた。
それに、今日のホストなんだから、これで間違いは無いはずだ。
声も、足も、少し震えてしまったけど。
未来の女の子モード発動です
脳内も「わたし」にすることで発動される究極魔法ただし効果時間は短い