皇国ホテルでクリスマスパーティー(メイクだったり)
それから、パーティーが始まる日まで、俺と浅見はマナーと立ち振舞いの指導を受けた。
俺、女の子として生きて行くと決めた後も『日向未来』が消えてしまいそうで怖くて、男言葉を直せなかった。
だから、せめてもと立ち振る舞いには気をつけていた。
「どれだけ移動速度が遅く感じようとも大股を開いて歩かない」「椅子に座るときは足を閉じる」などなど、早苗ちゃんが恥をかかないように。
それでも、細々とした所作が行儀悪かったのだと反省することが多かった。
例えば、椅子に座ったとき膝は閉じるけど足先は開いてる座り方だったり、テテッて感じの歩き方だったり。
立食パーティーとは関係無いマナーもあったけど、知っておいて損はないからな。習うならちゃんと覚えておかないと勿体無いし。
やるなら徹底的にと、兄ちゃんに事情話して二日も学校を休んで教えてもらったから、付け焼刃じゃないきちんとした立ち振るまいができる自信もできた。
これならあの縦ロールにも文句は付けられないだろう!
パーティーが開かれるのは24日のイブの夜だ。しかし俺の戦いは数日前から始まっていた。
マナーの勉強もだけど、髪や肌のスキンケアがマナーに続く最重要課題として出されていたから。
いうなれば、マナーは縦ロールに対抗するための攻撃魔法、スキンケアは補助魔法といった所か。
お陰で、竜神が感心して俺のほっぺたをふにふにするぐらいのぷるぷる肌、そしてツヤッツヤうるうるの髪に仕上がった。
そして今日、クリスマスイブ、俺の戦いの火蓋が切られたのだった!
家の前まで迎えに来てくれた百合の自家用車に乗って、途中で美穂子、達樹も拾い百合の家に向かう。
浅見は仕事先の人と一緒にくるのだそうだ。
驚くことに、浅見には専属のスタイリストとメイクアップアーティストが付いているらしい。
その関係で、パーティーに着て行く服は浅見が所属している事務所から提供されるとのことだった。
パーティーで食べ物にがっつかないようにと出されたサンドイッチを摘みつつ、浅見が来るのを待つ。
「お、お待たせしてごめん、皆……」
冬子さんに連れられて、浅見が百合の部屋に駆け込んでくる。
「遅かったスね浅見さん」
「待ってたよー」
達樹がサンドイッチをひらひらと浅見に振り、美穂子が笑う。
浅見の後ろから、ガラガラと車輪を転がす音がした。
「お邪魔するわよ」
浅見の身長より大きな、車輪のついた巨大なケースが扉を潜ってくる。
ケースを押しながら入ってきたのは――――カッコいいお兄さんだった。しかも双子だ。
ふわっとウェーブのかかった髪だけが左右対称で、一人が右目、一人が左目を隠すような髪型になってる。
けど、鏡に映ったみたいにそっくりだ。
年齢は二十代前半ってところかな。
この人たちがスタイリストとメイクアップアーティスト?
モデルでもおかしくないぐらいスタイルが良くてカッコいいぞ。
でも、喋り方、ちょっとヘンじゃなかったか? わよって言ったよな?
「始めまして。今回貴方たちの衣装を担当させていただく、音無 蓮よ」
「私はメイクとヘアメイクを担当する音無 麗。よろしくね」
お、オネェさんだ……。
この人達が浅見の担当なのか。キャラ濃いなー。
駅に貼られていたポスターでの存在感はどこへやら、主役であるはずの浅見が、頭の横に汗マークが飛んでるような顔してる。
「まったく、衣装もメイクもこちらで用意する手はずだったのに、無理やりねじ込んでこられて迷惑にも程がある」
百合が足を組み変えつつ双子のオネェさんに言い放つ。
「何言ってるのよ! ウチの虎太郎にはもうタイアップブランドがついてんだから表に出るときはいろいろと制約があるの。他所のスタイリストなんかに任せておけないわ!」
「電話でも根性悪そうだったけど本物はもっと感じ悪いわね。あんたそれでも高校生?」
「本当に虎太郎の友達なの? 大丈夫虎太郎、苛められてない?」
「感じ悪いけど顔は悪くないわね。悪役面してるけど充分綺麗じゃない。黒髪も素敵よ。ちょっとあんた、ウチの事務所に所属してみない?」
「あら、私は嫌よ。こんな女と仕事するなんて」
「も、もうその辺で」
早口でマシンガントークし出す連さんと麗さんを浅見が止める。
俺どころか百合でさえ口を挟む隙も無い。
麗さんが俺達に視線を滑らせて、俺と目を合わせたかと思うと大きく目を見開いた。
「何この子!! こんな綺麗な子初めて見るわ。この子に比べたらウチに所属してる女共なんて大根よ、カボチャよ!」
「あぁこの子ね、アホみたいにバランスいいスタイルしてる子! サイズ表見て目が飛び出るかと思ったわよ。どんな生活したらここまでバランスいいプロポーション保てるのかしら」
ウエストを両掌でぎゅって掴まれて、俺は飛び上がって竜神の後ろに隠れた。
「やめてください、未来は人に触られるのが苦手なんですから」
浅見が竜神とオネェさんの間に割って入る。
「虎太郎、あの子は? あの子はどこに所属してるの!? ってんなわけないわね、あんな目立つ子、紙面の片隅に乗っただけでもウチの社長の目に止まらないはずないもの」
「だから、未来は人が苦手なんです。普通の子なんですから」
「そんなの関係無いわよ。私が人に見られる快感を教えてあげる」
「そうよ。あれだけ綺麗な子を一般人のままにしておくなんて、億の値打ちのあるピジョンブラッドを泥の中に転がしてるようなモンだわ。私達が磨いて最高の女にしてあげるわよ」
「いい加減にしろ!」
百合が怒声を張り上げて麗さんと蓮さんを止める。
「仕事をするつもりがないなら追い出すぞ。そちらの要求を飲むのは私の好意なのを忘れるな」
「あら。野暮ねぇ。女の子を口説く時間もくれないなんて」
「そうよ。せっかちな女はせっかちな男以上に嫌われるものよ」
軽口を叩きながらも、麗さんが巨大なケースを開いた。中にはタキシードやドレスが数十着も掛けられていた。
「虎太郎の友人とはいえども、高校生だと舐めてかかっていたのをまず謝らせて頂戴ね。そっちの二人も」
そういって、蓮さんが美穂子と達樹を指差す。
「それから、盾にされてるそこの子も」
次に俺が後ろに隠れたままの竜神を指差した。そして、百合に指先を滑らせる。
「百合ちゃんも、今更手を入れる部分なんて無いぐらいにとても素晴らしい素材よ。私たちが全力で綺麗にするから、協力お願いね」
パチン、と音がしそうなウインクを飛ばして、「早速試着よ!」と声を上げたのだった。
男性三人はリビングで、俺たちは個室へと案内されてそれぞれ手渡された服に着替える。
二度、三度と試着を繰り返し、そのたびに蓮さんに見てもらって、最終的に決まったドレスはというと。
美穂子は胸のすぐ下にリボンがあって、胸を強調しているのにすごく可愛い膝丈のふわっふわしたドレスで、百合は大人っぽく見える黒のロングドレスだ。生地が艶めいているからだろうけど、黒髪に黒いドレスなのに全然重たく見えない。おまけに何かがキラキラ輝いてて、近くで見たら生地に縫い混まれた本物の宝石だったからびっくりしてしまった。た、高そう……! これ幾らするんだ?
そして俺は案の定と言いますか、白を基調としてフリルとレースがふんだんに使われたドレスを着せられてしまった。
うーん。ウェディングドレスとまでは言わないけど……袖までレースでひらっひらだー。
文化祭の時に着せられた衣装とは違って、背中も胸もちゃんと隠れてるのはありがたいけど。
花びらみたいに開いた袖を振り回しながらリビングに出る。
「どうだー、似合うかー……って! うわ、お前たちもカッコいいなー!」
部屋を出た俺は、タキシード着た男三人に駆け寄ってしまった。
竜神も浅見も迫力が段違いだし、ガキ臭い顔してる達樹でさえ締って見える。
いいなー。俺もどっちかっていったらこっち着たかったなー!
「うわ、未来先輩超カワイイっス!! ちょ、写メ撮らしてください!」
「嫌!」
「ほら、ドレスではしゃがない。未来ちゃん、こっち向いて。着こなしの確認したいから」
「は、はい」
蓮さんに怒られて、俺は大人しくその場に立つ。
あ。
着替えた俺の姿をチェックしていた蓮さんが、俺の左腕の傷を見て眉間に深い皺を刻んだ。
何か言われるかと身構えてしまったが、お説教も、傷の理由を尋ねられることもなかった。
「手袋が必要ね」
ただそれだけ言って、蓮さんは巨大なケースに足を向けたのだったが、
「こちらで準備してます」
そう言って、竜神が俺に袋を差し出してきた。
「お前にクリスマスプレゼント」
「え!?」
て、手袋を用意してくれたってことだよな?
なんだろう! こいつ結構プレゼント外すからな。ミトンだったらどうしよう。さすがにパーティーにミトンは変だよな。ご飯食べにくそうだし。
ドキドキしながら袋を開く。中から出てきたのは、レースで薔薇が象られた滅茶苦茶綺麗で可愛い手袋だった!
「おおおおお」
思わず手袋を掲げて目をキラキラさせてしまう。
「あら、素敵じゃない」
「ありがとう竜神! 大事にするよ! ミトンとかビニール手袋だったらどうしようかって思っちゃった。お前、やればできるんだな!」
「気に入ってもらって良かったよ」
竜神が面白そうに笑う。
「ちょっと、ひょっとして、あの二人付き合ってるの?」
「ひょっとしませんよ。ラブラブです」
麗さんだか蓮さんの質問に、美穂子が声を潜めようともせずに答える。
「「マジでか」」
はもって答えた声はオネェ声ではなく完全にどすのきいた男声だった。
「あのね、わたしも竜神にプレゼントがあるんだ」
俺はソファに置きっ放しにしてたバッグに飛びついて、中から黒のケースを取ってくる。
「これ!」
ぱかって開いて、竜神に差し出した。
「カフス?」
そう。中に入ってたのはカフスボタンだ。
「ほう……銀じゃないか。細工も美しいな」
百合が感心したみたいに呟いた。
「父さんの形見なんだー。パーティーに出るって言ったら、母ちゃんが竜神にって送ってくれて」
「形見!? そんな大事な物借りれねえよ! 傷でも付けたら取り返しつかねえ」
「貸すんじゃないよ。プレゼントだもん」
「貰えるわけねーだろ! 猛さんもいるのに」
うん……兄ちゃんいるけどさー。
「カフスって袖につけるだろ? 特にこれ、特殊な形してるから誰かに付けてもらわないと一人じゃ付け難いんだってさ。ウチの兄ちゃん、付けてくれる人いないから……」
「…………」「…………」
俺の言葉に、部屋に沈黙が走る。
竜神は観念したように腕を俺に差し出した。
「……付けてくれるか?」
「うん!」
父さんの形見を竜神に付けてもらえるなんて嬉しい……っていうか何だか恥ずかしいな。俺、父さんのことなんて何も覚えてないんだけど。
顔が耳まで赤くなってしまう。
「ま……。未来ちゃんって竜神君にべたぼれなのね……。あの二人、全く釣り合ってないってのに……」
蓮さんが独り言というには大声で呟いた。
つ、釣り合って無くて悪かったな!
「竜神みたいにちゃんとした男にわたしみたいなのはつりあわないって判ってるけど……」
「未来、逆だ逆」
竜神が手を振る。
「逆?」
どういう意味だ?
「竜神君があんたに釣り合ってないって話よ」
「え!!? り、り、りゅうの事何も知らないくせにバカにするなー!! 竜神は私なんかには勿体無いぐらいいい奴なんだぞ!!」
「あらら。自分が釣り合わないって勘違いした時より怒ってるじゃないこの子」
「彼氏の事大好きなのねぇ」
「甘酸っぱいわぁ。あーん、私も久しぶりに恋がしたくなっちゃったわー」
「あら。恋なんて楽しいのは最初の一週間だけじゃない」
「そうなのよねぇ。すぐ他に目移りしちゃうから……」
ぎいいいい。かんっぜんに俺のこと無視してやがる!
「ま、恋にときめくのは後回しにしましょ。次はメイクと……香水ね。蓮、頼んだわよ」
「了解」
蓮さんが小箱を開く。中にはいろんな香水が入っていた。
「さて、貴方達に似合う香りはどれかしら?」
「飯が出る場所なのに香水なんか付けていいんスか?」
「邪魔にならない程度、足元にほんの少しだけ、ね。香りもマナーの一つなのよ」
ふぇー。と達樹が気の抜けた返事をする。
「竜神と同じ香水付けたいなー」
ぽつりと呟いた途端、蓮さんと麗さんに同時に睨まれた。
「香り舐めんな。おままごとやりたいならお家でやんなさい」
「ご、ごめんなさい……」
ドスの聞いた声で怒られて思わず身を縮めてしまった。
それぞれ違う香水を足元につけられ、次はメイクだ。
「さて、と。どんなメイクがご希望かしら?」
意匠の凝った三面鏡の前に座らされた俺の髪を上げながら、麗さんが言った。
どんなメイク? そうだな……。
「私の事、金持ちの男に付きまとってる女だってバカにしてきた奴がいるから……。人に負けないのが良いです」
「あら。素敵じゃない。化粧は女の武器だものね。存分に戦ってらっしゃい」
「おい、未来、金持ちの男って誰の事だ? まさか、冷泉か?」
竜神が鏡越しに訊いて来た。
「うん。あいつのこと狙ってる女にビュッフェで絡まれたんだよ」
「冷泉さんを狙ってる女の人? 世の中には物好きな人がいるんだね」
浅見が怪訝に首を傾げる。
「冷泉は日本屈指の財閥の御曹司でもあるからな。狙ってる女の三桁や四桁いても不思議ではないさ。あいつも今回のパーティーには参加予定だ。できるだけ接触しないように気をつけておけよ。未来」
「え!? あいつも来るのか……。やだなー」
「主賓だ。パーティーでの目玉といったところだな」
そ、そうなのか! あいつってマジでお坊ちゃんなんだなー。全然ありがたみない変態だってのに。
「さ、お喋りはそこまでよ。お口にチャック」
唇を指先でなぞられて慌てて閉じる。
麗さんは俺の顔に化粧水と乳液付けて、液状のファンデーションをほっぺたに乗せて、「うーん。」と唸った。
ぺたぺた、ぬりぬり、かきかき。筆だのペンだの色んな道具が俺の顔をなぞる。くすぐったいなー。
閉じていた目を開くと、麗さんの額に血管が浮いてて驚いてしまった。な、なんか怒ってるぞ。と身構えたまさにその時、くわっと口を開いて怒り出した。
「目元くっきり、睫くるんくるん、唇ピンク、肌綺麗。元が良すぎるから全く化粧映えしないじゃない! あんた、私に喧嘩売ってんの!?」
「う、売ってません!」
「喋るな!」
ひいいい。
麗さんに文句言われながら化粧してもらう。こ、怖かった……。
始まる前からへとへとになって、化粧が終わると同時に竜神に凭れ掛かってしまった。
文句は言われたけど、メイクが終わった俺の顔は目尻も頬も唇もピンクで、すごく派手になってた。
おー、なんか戦闘力が上がった気がする。+3ぐらい。大人っぽく見えるし、カッコいいな。さすがプロ。
化粧の次はヘアメイクで、俺と美穂子は髪を巻かれ、百合は結い上げられて、竜神はオールバック(って言ったら麗さんに怒られた。アップハングって言うらしい)、達樹は毛先があちこちに遊んでる七三分け(と言ったらまた怒られた)浅見も前髪を真ん中で分けて横に流して顔を完全に出した髪型になった。
「よし、完成。どこに出しても恥ずかしくないわ。視線を掻っ攫って主役を奪ってきなさい。虎太郎」
一番最後に整えた浅見に、麗さんが満足そうに頷いた。
「僕は……できるなら、角で静かにしてたい……うッ!」
麗さんに腹パン食らって浅見が呻く。
「何いってるの。私と蓮が腕によりを掛けて仕上げたのよ。誰よりも綺麗にカッコよく、ね。パーティーには未来ちゃんをバカにした女も来るんでしょう? エスコートするあんたがそんなでどうするの」
「未来は竜神君がエスコートするから……」
「はぁ?」
蓮さんが麗さんの横に立って俺と竜神を見比べた。
「駄目よ。身長差がありすぎて見栄えが悪いもの。未来ちゃんが十五センチのヒール履けるなら竜神君とでもいいけど。立食でしょう? 無理じゃない?」
り、立食じゃなくても十五センチのヒールなんて無理です! 竹馬に乗っているイメージしかできないぞ。
「違和感のないペアは竜神君と百合ちゃん、虎太郎と未来ちゃん、そして達樹と美穂子ちゃんよ。そのつもりでコーディネートもしちゃったわ」
そ、そうか。
「よろしくな浅見。浅見に迷惑掛けないように頑張るから」
「僕も頑張るよ……。バカにされないように……」
達樹が拳を掌にぱしんと打ち付けた。
「うっし、おれも頑張ります! 百合先輩の恨みで美穂子ちゃんのドレス汚されないよう全力でガードしますんで」
「気にしなくていいよ達樹君。ワイン掛けられたらびっくりしたフリして、ジュース掛けかえすぐらいの心意気でいくから」
「そういうのは百合先輩に任せとけばいいんスよ」
「あぁ。私に任せろ……と言いたいが、達樹、美穂子は全力でガードしてくれ。美穂子に手を出されたら冷静でいられる自信がない。男相手なら金玉潰して、女ならその場で全裸にする程度の報復をしかねない」
「「「ああ……」」」
俺と達樹と浅見の納得の声がはもる。確かに百合ならやってしまいそうだ。
とにもかくにも、支度は終わった。
今度はリムジンに乗せられて皇国ホテルへと向かう。
ふふ、今度こそあの縦ロールに謝らせてやる……!!