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ニーソと鯛焼きと

「わた、わたたたった、わた、わたた」


 自分の部屋の中、制服に着替えながら俺は口の中で呟いていた。

 間違えて、俺って言わないように「わたし」の練習だ。

 俺みたいな偽者の人間を好きって言ってくれた竜神に、俺女が恥をかかせるわけにはいかないから、心構えをしっかりしておかないと。


 頑張るからな早苗ちゃん――――。

 そう誓い掛けて、息を呑む。

 ……早苗ちゃんは居なかったんだ。


 早苗ちゃんが俺の妄想から産まれた偽者の女の子だったなんて。まだ少し、考えるのが苦しい。


 早苗ちゃんがいると信じていた時は、竜神を取られるって怖くなったり体を取られるって怖くなったのに、居なかったら居なかったで罪悪感で苦しくなるなんて、自分が勝手すぎて嫌になる。


『脳死はいわゆる死だ』


 この体になってすぐに聞いた、兄ちゃんの言葉が耳の奥で響く。


 いくら体が生きていようとも、脳が死んだら、人は、死んでしまう。

 法的にも医学的にも。

 日向未来の体が死んだ日より一ヶ月も早く、上田早苗ちゃんは死んでいた。

 体だけは人工呼吸器と点滴で生かされていたけど、早苗ちゃんの心はこの世のどこにも存在していなかった。



 暖かく鼓動を刻んでいたはずの、この体の中にも。



 心の重さに引き摺られるように、体まで重たくなった気がした。

 俺は慌てて首を振って、カバンとマフラー片手に部屋を出る。


「竜神! 今日も寒いんだってさ。マフラーと手袋忘れるなよー!」


 部屋に呼びかけると、「おー」と返事があった。


 今日は初雪が降るかもしれないって天気予報で言ってたからな。防寒対策はちゃんとしておかないと。


 あ、そだ、俺もあれ履かないと!


 ソファにマフラーとカバンを投げて部屋に舞い戻る。


 厚手の紙袋を乱暴に開いて、買ったままの状態でほったらかしていた「それ」を取り出した。







「ぬく……」


 左右がちょこっとだけ折れ曲がった三面鏡みたいな姿見の鏡の前で、俺は「それ」の意外な暖かさに感動していた。

 太腿の半ばまであるニーソックス! だったかな? ニーソだニーソ!

 制服のスカート折って足を出すようにしたのはいいけど、余りの寒さに凍死しかかった。

 このままでは冬を乗り切れないと悟った俺は、特攻する勢いで靴下専門店に飛び込んだのだ。

 そのお店で店員さんにお勧めされて買ったのが、この、ニーソ。

 靴下だけより全然暖かい! ありがとう店員さん!


「よかったな」

 後ろに竜神が立って自分の制服を確認する。この鏡2mもあるし、俺と竜神に身長差もあるから、俺が前に立ってても竜神の全体像が把握できてしまうのが悔しい。


 竜神の首にマフラーを巻いてやり、俺もまたもっこもこのマフラーと手袋をつけて二人で一緒に家を出る。


 あと二週間もせずに冬休み!


 クリスマス、年末、年始、お正月。行事が目白押しの季節だ。

 皆誘って年越し、したいなぁ。

 そういえば、お泊り会もやってないまま冬になっちゃったから鍋パしてもいい。

 達樹も花ちゃんも高等部への内部進学が決定してるから、受験を気にせず目一杯遊べるぞ。


 皆の予定を聞いてみようと、うきうきしつつ教室に入る。

「おはよー」

「はよー未来」

 俺の挨拶にドア近くの女子とチャラ男が挨拶を返してくれた。

 チャラ男、高比良が俺の足を見て鼻の下を伸ばす。


「うっぉ、未来、ニーソエッロー!」

「まじエロいなー」


 エロ!?


 隣に居た山原まで身を乗り出してきて、思わずカバンで足を隠した。

 エロ!? エロイのか!? ニーソってエロイのか!? 待て、エロは駄目だ。

 スポーツ大会の剣道の試合で俺を見てきた男の顔が、脳裏に鮮明に浮かんでくる。俺を女として見る性的な欲を滲ませた視線が怖い。心臓がばくばく鳴って、視界が回ってくる。


「未来にセクハラしてんじゃねーよ」

「でっ!」「だっ!」

 竜神が山原と高比良の顔面をカバンで殴る


 俺はカバンで足を隠したまま、金縛りにあったみたいに固まってしまってた。竜神が背中を押してくれたお陰でなんとか歩けるようになって、慌てて席に座る。

 エロいなら、これ、脱がなきゃ。エロい目で見られるのは怖い。

 思わずニーソを脱ぎかけたんだけど、

「気にすんな。単なる靴下だろ。裸足じゃ風邪ひくぞ」

 後ろの席に座った竜神がこともなげに言った。


「くつした?」


「あぁ」



 そっか、くつした、だよな。






 うん、そうだ、靴下だ!



「あ!」

 俺はぱちんと手を叩いてから、カバンを開いて中から雑誌を取り出した。勿論「ガールズPOP」だ。


「この世には靴下フェチとかマフラーフェチとか耳当てフェチがいるってこれにも特集されてたよ! そっかー、あいつら靴下をエロイと思う靴下フェチな連中だったんだなー。いろんな趣味の人間がいるんだなー。やっぱ勉強になるなガールズPOPは」


「おはよう」

「お早う、百合――」


 聞きなれた声に顔を上げないまま挨拶を返した途端、俺の手からガールズPOPが消えてしまった。

「へ?」

 百合が窓を開けて、ガールズPOPを片手に遠投の構えを取っていた。


「ゆゆゆり、捨てようとすんなー! それ、勉強になるんだからマジで!」

 咄嗟に百合の体にしがみついて止める。だけど、し、身長差があって雑誌に手が届かない!

 必死に騒いで百合から雑誌を取り返した頃にはくたくたになってて、ニーソがエロって言われた事なんか忘れ果てていた。



 のだけど。



 数時間後の休憩時間。

 机の横に立って竜神と話してたら、後ろから急に抱き付かれた!


「な、」

 ぎゅって抱き締められて背中に柔らかい胸が押し当てられる。顔が肩の上に乗ってくる。


「未来、ニーソ似合ってるぞー!」

「ニーソって興味なかったんだけど……未来が履くと超エロイねー! かっわいー」


 俺に痴漢してくる女子、道中と斉藤だった。スポーツ大会以降、浦田と岩元が大人しくなったから完全に油断していた。

 触ってくる痴女が他に居たってこと、完全に忘れてた。


 二人は俺の太腿を触り、指先をニーソの中に突っ込んできた。

 靴下だってのに、まるで服の中に手を突っ込まれるような恐怖に体が竦み上がる。


「ひ――――、っ!」


 目に涙が滲む。

 心臓がぎゅうううって痛む。

 恐怖のあまり息が止まりそうになる。

 振り払って逃げ出して、竜神の後ろに隠れようと足が強ばった。


 駄目だ、ここで怯むな!


 俺は目をきっと吊り上げて、大きく息を呑んでから、震える拳を道中と斉藤に振り下ろした。


「――――うきゃー!!」

 恐怖に途切れそうになる意識を奮い立たせるために奇声を上げながら、二人をべしべしと殴る。


「やー、未来が怒ったー」

「叩かないでー。ぜんっぜん痛くないけど」


 きゃあきゃあ笑いながら二人が逃げて行く。


 はー、はー、

 肩で息をして、握っていた拳を凝視しながら開く。掌はぶるぶる震えて頼りなく、情け無かったけど、でも、


「未来! ちゃんと自分で抵抗できたじゃねーか! 強くなったな」

 竜神の嬉しそうな声に全身を襲っていた緊張が解けた。

 

「ありがとう! ついにやった、自分で追い払ったぞー!」

 おおおおお! っと拳を振り上げる俺に、背後から冷静な声が掛かった。


「お前等レベルが低すぎる」


 百合だ。


「低いっていうな! これでもがんばってるんだぞ! 触られ放題で竜神の後ろに隠れてたビビリ未来はもう居ないんだ!」

「涙が出てるぞ。女を追い払うごときで半泣きになるようではまだまだだろう」

 俺の涙を指先で拭って苦笑する百合に、浅見が食って掛かった。

「そんなことないよ百合さん、凄い進歩だよ! 抵抗するって勇気のいることなんだから」

「浅見君の言う通りだよ! 未来強くなったねー! 私、感動しちゃった!」

「美穂子!」


 抱き付いて来た美穂子をはし、と受け止める。美穂子のほうが身長高いから、俺が抱き締められたみたいな格好になってるけど。

 美穂子って太ってるわけじゃないのにふわふわしてて気持ち良いな。


「未来」


 何?

 自分の進歩を喜んだ笑顔のまま美穂子を見上げる。


「私が抱き付いても、体を硬くしなくなったね。前はカチコチに緊張してたのに」


 !!!!


 た、確かにそうだ。あ、あれ? 俺、いつから平気になったんだっけ!? そうだ、こないだ、岩元に触られそうになった時だって自分から百合に抱き付いてた。百合は男みたいな性格してるけど、でも、女の子だ。以前の俺だったら自分から触るなんて有り得なかった。俺、どうして。いつの間に。


「これも大きな進歩だよ。未来」


 美穂子が笑った。お姉さんみたいな顔で。

 俺が言葉を無くしていると、緊張感の無い声が教室に響いた。


「お邪魔しマース」

 達樹だ。達樹は紙袋を抱えて小走りに近寄ってきた。


「せんぱーい、オスソワケ買ってきました!」

「オスソワケ買ってきた?」

 意味も判らず鸚鵡返ししてしまう。お裾分け買って来たって日本語おかしくないか? 沢山あるからお裾分けするもんだよな。なんて考えてたら、ふわりと甘い匂いが漂ってきた。こ、この香りは……!


「タイヤキ!?」


「正解! 未来先輩はカスタードっすよね?」

「あ、ありがとう達樹! お前時々凄いな! うわ、まだ熱々! どっから買ってきたんだよ!?」

「移動販売の車が窓から見えましたからね。速攻で追いかけてきました。サッカー部最速の名は伊達じゃねーっスよ。美穂子ちゃんはチョコレートでしたよね」

「わー! ありがとうー嬉しいよー!」

「どういたしまして。百合先輩と竜神先輩と浅見さんは餡が好きって言ってましたよね」

 竜神、百合、浅見と手渡していく。


「いいなうまそー。達樹、俺達にはねーのー?」

 チャラ男三人組がちょっと本気の様子で達樹に言うが、達樹は「すんません、おれ貧乏なんで許してください」と笑ってかわした。



 あったかいなー!

 袋に入ったままの鯛焼きの温もりをほっぺたで楽しんでしまう。


「あれ? 達樹の鯛焼き、ピザなのか?」

 達樹は俺の前の席に座って鯛焼きを食べていた。

 ふわりと漂ってきたチーズとピザソースの匂いに首を傾げる。

「そっスよ。ウインナー入りです」

「へー、そんなのもあるんだね。チョコレートもカスタードも初めて見たよ」

 答えたのは俺じゃなく、隣の席の浅見だ。


「カスタード初めて?」

 珍しいな。どのお店でも売ってる定番なのに。

「食べてみる? すげー美味しいぞ」

 浅見に鯛焼きを差し出す。浅見は少しだけ躊躇したけど、鯛焼きに手を添えて一口齧った。

 咀嚼してから、「美味しいね」と笑う。


「だろー」

 好きな食べ物を人に美味しいって思ってもらえるのは嬉しい。

 俺も鯛焼きに被りつく。焼き立てだったんだろう。しっとりしている皮なのに、ぱりっとした部分も残っててすごく美味しい。

 カスタードの甘さも丁度良くて思わずにやけてしまう。


「皆、頭から食べるんスねー」

 達樹が唐突に言った。


 確かに、俺達全員が頭から食べ始めていた。


「こだわりがあったわけじゃないぞ。袋から出てる側から食べ始めただけだ」

 百合が苦笑しつつ答える。

「うん。私も。この鯛焼き美味しいねー」

 美穂子が頬を片手で押さえながら言った。

 鯛焼きって食べ方にこだわりが出る食べ物の代表だよな。

 頭から派、尻尾から派、はたまた腹から派に背びれから派。二つに割ってから食べる派なんてのもあるし。ちなみに、良太は腹から食べる派だった。


「あ、食べ方で思い出した。福岡とか東京のお土産でひよこってあるよな。知ってる?」

 持っていた鯛焼きを少し上にあげつつ、俺は誰にとも無く言った。

「知ってますよ。美味いっスよねアレ」

 うん。俺も大好きだ。ひよこの形をしたお饅頭で、皮も餡もしっとり甘くて美味しい。

 ひよこも鯛焼き同様、頭から食べるか尻尾から食べるか論争になる食べ物だ。

 頭から派と尻尾から派。地球上のほぼ全人類がこの二派に納まるはずなんだけど、兄ちゃんは違った。


「ウチの兄ちゃん、あのひよこの皮剥いで身と別々に食ってたんだ……」


 ぼそりと呟いた言葉に、達樹が体中の毛を逆立てたみたいな表情をした。


「先輩の兄ちゃん鬼っスか!? 止めてくださいよなんかコエーよ!」

「止めたかったよ! でも怖くて無理だった。速攻で部屋から逃げ出したもん。うちの兄ちゃんコミュ障だからかひよこの食い方も変で……」

「それコミュ障関係ねーだろ」

 竜神が冷静に突っ込みを入れてくる。


 無駄話をしつつ鯛焼きを食べてると、百合が「そうだ」と声を漏らした。


「竜神、皇国ホテルで立食パーティーがあるから私をエスコートしろ」

「面倒くせえから嫌だ」

「私も嫌だ」


 …………。

 えと……?


 竜神が瞬殺のごとく断ったのは、とりあえず置いといて……。


「百合、自分から誘っておいて、嫌ってなんだよ」

 百合は鯛焼きを咀嚼してから本気で嫌そうに口を開いた。


「造船会社の馬鹿娘からクリスマスパーティーへの招待状が届いたんだ。無視してやりたいところだが、私の家業が信頼第一ということもあって、断るわけにはいかなくてな」

「それが皇国ホテルの立食パーティー? さすがお嬢様は違うな……。一流ホテルでクリスマスパーティーなんて」


 皇国ホテルとは、どんなガイドブックでも最高峰の評価を受ける、料理、接客、調度品全てにおいて最上級の格式を持ったレストランだ。

 一般向けに開かれているランチバイキングでさえ、お一人様六千円という庶民では物怖じしてしまう値段だったりする。

 そんな場所でのパーティーなんてどれだけ豪華なんだろうか。生まれも育ちも庶民の俺では想像さえできない。


「あぁ。だからその日は竜神にエスコートさせる」


 させるって断言してるけど、竜神、嫌って言ったよな? 決定事項になってない?

 それに、クリスマスパーティーって24日か25日だよな。竜神連れて行かれたら、俺、一人っきりのクリスマスだよ。竜神居ないのに皆誘ってパーティーする気になんてなれないし、素でへこむ。

 皆に見えないようこっそりと、後ろの席から伸びる無駄に長い足のズボンを掴んでしまったのだけど、


「当然ながら、お前等も連れて行くからそのつもりでいろ」


 百合はきっぱりとそう言い放った。




百合に抱き付いていったエピソードは「暗躍する友人達」にあります。

過去に出してきたエピソードと比較して「女の子になった未来」の物語を進めていけるのが楽しいです。

これからも「女になったばかりの頃は駄目だったのに、女の子として自覚が出来た今は違う」エピソードを小出しにしていきたいと思っています。

30万字も越えましたので回収できるエピソードもいろいろありますので…(ナンパ編とか)!


どうでもいい話ですがここ三日ほど鯛焼きは半分こにして食べるエピソードにするか一人一匹にするかで悩みに悩みました。

やっぱり半分こにするべきだったか……!


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