小話(ストーカー参上)
ストーカー視点です。
俺の名前は服部 忍。
STKである。
STKとは対象者に悟られないよう適切な距離を取りながら、しかし対象者の所作、言動、表情。更には指先のほんの些細な動きまでも見逃さない洞察力が必要とされる隠密行動の総称である。
含め、対象者の廃棄物を確認し、情報となりえる物品を回収の後、対象者の一日の行動を推測する能力も要求される。
――――平たくいうとストーカーだ。
ターゲット確認!
自宅である七階のマンションテラスから望遠レンズのビデオカメラとデジタルカメラを構え、対象者を劇写する。
目標の人物は道路を挟んだ向かいにある家に越してきた「日向未来」ちゃん。
動くたびにキラキラと光を撒き散らしているように見える、目も眩むような美少女だ。
未来ちゃんはカゴを抱えて庭に出てきた。小鹿のような軽い足取りで洗濯物へと向かっていく。
小物を先に取りこんで、次に洋服。
未来ちゃんの笑顔と、シーツとカッターシャツの白が冬の日差しにも眩しい。日常生活の一コマだというのにまるで美しくエフェクトのかけられたコマーシャル映像のようだ。
並んで干してある小さなカッターシャツと、やたらとでかいカッターシャツ。
小さなシャツはもちろん未来ちゃんのシャツだ。
でかいシャツはというと……、なんと、未来ちゃんの彼氏のシャツだった。
彼氏の名前も調べはついている。竜神強志。何代も前からこの土地に居を構えている結構な名家の長男だ。
当年とって二十三歳、大学を卒業しそこそこの企業で働いている俺でさえ、彼女居ない暦年齢だというのに、高校一年で未来ちゃんみたいに桁外れの可愛い子と同棲なんて爆発しろどころの騒ぎではない。法律に引っかかってるはずだと信じて、六法全書を隅々まで読み込んでしまった俺の時間を返して欲しい。未成年の同棲が法律違反では無いだなんていまだに信じられない。いや、待てよ。ひょっとしたら条例に引っかかってるかもしれないぞ! よっしゃ公報を入手しなければ! 明日にでも役所に問い合わせよう。
それはさておき、あの忌々しい竜神を襲撃してやろうかと思ったことは一度や二度ではない。
しかし、クソガキは恐ろしく立派な体格をしていた。
推測するに、身長は約190cm、体重約85kg。
鉄パイプ持って殴りかかっても返り撃ちにされるだろうな。うん。俺、最近ちょっとだけ運動不足だし。今運動不足だから勝てないだけであって、俺も十六歳の頃に戻れるならばあいつ相手でも結構いい勝負ができたんだけどなー歳取るってつれーわーまじつれーわー。
未来ちゃんは小さなシャツを取りこんでから、大きなシャツをハンガーから下ろした。
しばしでかいカッターシャツを両手にとって眺めていたかと思うと……。
そのシャツを服の上から着て、その場でくるくると回り始めた。
太腿どころか膝まで隠れてしまいそうなくらいにサイズの違うシャツが大きくはためいている。実に楽しそうだ。
あの服が忌々しい竜神の服ではなく、俺の服だったなら……!!
怒りで手が震えてきた。いくらこのカメラが手振れ防止付きと言えどもいただけない。落ち着くんだ服部忍。
すぅ、と深呼吸していると、カメラの端に人影が映りこんだ。
む!? いかん! あれはSTK8号ではないか!
俺はカメラを設置したまま、エレベーターを待つのももどかしく、手摺すらジャンプで乗り越えながら階段を段飛ばしに掛け下りた。
マンションから飛び出て、二車線の道路を突っ切る。
ピンポーン。
年齢は五十代程度。草臥れたおっさんがニヤニヤと笑いながら未来ちゃんの家のチャイムを押していた。
通称STK8号。こいつは俺が把握しているSTKの中でも最もタチの悪い男だった。
「はーい」
耳に甘く響く可愛らしい声が庭から答える。
俺は8号に思いっきり体当たりして突き飛ばすと、男のコートを引っ張って引き摺り、未来ちゃんが出てくる前に曲がり道に隠れた。
塀の影からそっと覗いて未来ちゃんを確認する。
未来ちゃんは門を開いて顔を出したものの、誰も居ないのに首を傾げて引っ込んで行った。
「おい、待て、おっさん」
俺が未来ちゃんの様子を見ている間に、おっさんが這うように逃げ出そうとしていた。
足を踏んで逃げられないようにしてから、俺は、おっさんが落とした袋を指先で摘み上げた。
袋に入っているのは白い液体だ。
「おい、なんだこりゃ」
「そ、それは……」
8号は言い淀んで俺から視線を外した。
いるのだ。可愛い子に体液をかけて満足するタイプの変質者が。
未来ちゃんが門を空けると同時に、頭から被せる気でいたに違いない。
この8号はしょっぱなっから白ジャムを未来ちゃんの家の前に置くと言うかっ飛んだ行動をしやがった筋金入りの変態だ。
未来ちゃんが触る前にと地道に処分していたのだが、やはりエスカレートしてきたか。
袋に触りたくもないおぞましい代物だがこのまま見過ごしては再犯の危険性がある。俺は大腰筋と背筋を振り絞り、全力投球で顔面スパーキングをぶちかました。袋が弾け、びちゃ!と男の顔一杯に液体が広がる。
「う、おぉえ! う」
男はえずきながら絶叫して自分の顔を拭いつつつんのめる。
「二度とここに近づくんじゃねえぞ! もし近づいたら今日の写真持って警察にいくからな!」
吐きたくなる汚臭を撒き散らしながら逃げて行く男に言い放つ。
男は振り返りもしなかったが、これで懲りたと思いたい。全く、いい歳こいたおっさんが15歳の女の子相手に変質行動に走るなど世も末だ。
撮影を邪魔されたのも忌々しい。
鍵も掛けないまま飛び出した自宅に戻り、テラスに出て未来ちゃんを確認する。
未来ちゃんは今度は、バカ面のブタのジョウロを片手に花壇の前に座っていた。咲き誇る花になにやら話し掛けているようだ。
花と美少女。何と絵になる取り合わせだ。
あの花壇は未来ちゃんと竜神が二人で作ったとか、そんなことは問題にもならない。
む!? いかん! 今度はSTK12号だ!!
再び未来ちゃんの家に迫り来る男を発見してしまい、俺はまたまたダッシュを繰り出し道路を越えて、男を影に引っ張りこんで追い払う作業を繰り返したのだった。
七階から一階までの往復を繰り返すのはさすがに堪えた。
未来ちゃんの笑顔に癒されたくてベランダに出るのだが、彼女の姿はもう庭にはなかった。がっかりだ。彼女の笑顔だけが仕事場と自宅の往復しかしてない俺の唯一の癒しだというのに。撮影ぐらいゆっくりとさせて欲しいものだ。
機材を撤去していると、またも未来ちゃんの家に近づく人影を見つけた。
今度は女性だ。
いや、女の子――なのか?
望遠のカメラを構えて覗きこむ。
年の頃は高校生といったところか。年齢とは不相応な高級なコートを身にまとっておきながらも、それが全く嫌味になっていない。
どこか女王然とした風格を漂わせた美女が、長い黒髪を靡かせながら歩いていた。
女の子は未来ちゃんの家の前で立ち止まると、チャイムを押した。
未来ちゃんが家から出てきて――――。
女の子を見た途端、甘えたような可愛らしい表情で笑った!
やばい、きゅんと来た。
学校の先輩か?
ぼわん、と脳内に映像が浮かぶ。
未来ちゃんがあの女に抱き付いて、女が未来ちゃんの頬を撫でている映像が。
『お姉さま、大好き!』
『いい子ね、未来。竜神なんか捨てて私と暮らしましょう』
これこそ美少女のあるべき姿ではないか! 見るからにヤクザの風貌をしたゴツイ男などお呼びではない。さっさと捨てられろ。
俺は慌てて室内に戻り、ヘッドホンをつけてガラケーに似た受信機を起動させた。
『よくここがわかったなー! 竜神、百合が遊びに来てくれたぞー』
スイッチを入れた途端、耳に飛び込んできたのははしゃいだ未来ちゃんの声だ。
そう、これは、盗聴器の受信機なのだ!
未来ちゃんは可愛い顔に似合わない庶民的な言葉遣いをする。これがまた取っ付き易くていいのだが、それはさておく。
どうやら、あの女の子の名前は百合ちゃんというらしい。
俺の階からでは庭が覗けるだけで、室内を見ることができないのが非常にまどろっこしい。
『何しにきたんだ帰れ』
答えた竜神の声は冷淡だった。嫉妬か!
女の子同士の友情を引き裂こうだなんてひどい男だ!
百合ちゃんがショックを受けるのではないかとはらはらして続きを待つのだが、答える声に揺らぎはなかった。
『お前が不甲斐ないから私がこうしてここに来たんだろうが。同棲しているのだから未来のプライバシーぐらいは守ってやれ』
百合ちゃんの声は想像したとおりの美しく凛と響く声だったのだが、予想していたお嬢様の言葉遣いとは違って驚いてしまう。
『ど!? 同棲!? 同棲じゃないよ同居だよ! って、あれ? 竜神と一緒に暮らしてるって話してたっけ……??』
『まだ話してねーよ。勝手に調べるのやめろ。……プライバシーってどういうことだ』
『とにかく話は後だ』
――ザザッ・
音にノイズが走る。
なんだ?
しばし沈黙があって、ピピ、と甲高いデジタル音の後に、ことんと小さな音がした。
『まず一つ目――これは盗聴器だな』
な!?
発見されてしまったのか!?
青ざめてしまうが、いや、待て俺。恐らく大丈夫だ。声が遠い。
発見されたのは俺が仕掛けた物ではなく、他のSTKが仕掛けた物のようだ。
『え!? と、盗聴器!?』
未来ちゃんが悲鳴みたいに叫ぶ。
『仕掛けられていたのか……。全然気が付かなかった……』
『これと……、これも盗聴器だな。玄関もチェックしよう』
声が遠くなっていった。
再びデジタル音がする。
『ふむ』
『ふむじゃねーよ。今反応しただろ』
『心配するな。これは私がつけたものだからな』
『よくもまぁ悪びれもせずに言えるなお前は……』
『発信機だからな。別にやましい場所にはいかんだろう』
『そういう問題じゃねーんだよ』
べり。
『あぁ!』
『く、靴のかかとの中に仕掛けてたのか! ぜんっぜん気が付かなかった。毎日履いてたのに』
百合ちゃんの悲鳴と、未来ちゃんの声。
『くそ。失敗だったな……。またどこかに仕掛けなおさないと』
『やめろ!』
『百合、発信機なんて必要ないよ。携帯GPSの機能をオンにしてるもん。何かあった時竜神が探しやすいように』
『…………』
『オレが無理やりさせてるわけじゃねーからな。おばさんと猛さんとこいつ自身の希望の結果だ』
『うん』
『……まったく、結婚した夫婦でも嫌がるものだというのにお前等ときたら……。携帯GPSは電源を切っただけで使い物にならなくなるから、当てになるものじゃないんだぞ。まぁいい、また仕掛け直すとするか』
『やめろっつってるだろうが』
『発信機ぐらい別に気にしないけど』
『気にしろ』
三人の声が近くなり、遠くなり、また、近くなってきた。俺の盗聴器だけは見つかりませんようにと願うも虚しく――。
『最後の一つは、これだな』
これまでになく声が近くなって、
ビ、ビ――。
布の裂ける音がした。
とうとう、俺の盗聴器も発見されてしまったようだ。
『クッパー!!!』
未来ちゃんの悲しそうな絶叫が上がった。
そう、俺の盗聴器は、バカ面をした海亀のヌイグルミの腹に仕掛けていたのだ。
『これも盗聴器だな』
『ク、クッパのお腹が切られた……!』
『この亀、クッパという名前なのか。お前、ネーミングセンスも無いんだな』
『ネーミングセンス『も』って何だよ『も』って! 他にセンス無いことがあるってのか!?』
かわいいだろー! と未来ちゃんが百合ちゃんに怒っている。
『そもそも海亀にクッパはおかしいだろう。あれは陸亀じゃないのか?』
『そ、そうなのかな?』
『この亀、どこで手に入れたんだ?』
竜神が問う。
『一週間前に、こいつが玄関前に段ボールに入って捨てられてて……』
そう。「可愛がってください」の手紙と共に玄関先に置いておいたのだ。
未来ちゃんは段ボールの中にバカ面の亀を見つけると、左右を見て誰も居ないのを確認してから、はっしと亀を胸に抱いて、「お前も家族に捨てられたのか……! 今日から俺が家族だ! お前の名前はクッパにしよう。よろしくな、クッパ」と宣言するように言ってから家に持って入ったのだ。実に可愛かった。
『怪しすぎるだろうが。そういうのはちゃんと警戒しろ。家に持ち込むな』
『で、でも、寒空の下可哀相だろ! 亀は変温動物だから動けなくなって凍死しちゃうし!』
『それはヌイグルミだ。もともと死んでる』
『ヌイグルミにも魂はあるんだよツクモガミがつくんだよ!』と未来ちゃんの声が遠くなって近づいてくる。
『待ってろよクッパ、今から怪我を治してやるから!』
カチャカチャ。パチン。
『…………見事な針捌きだな……』
『よっしゃ完成』
『すげーな。縫い目わかんねえ。お前ってほんと器用だよな』
『家事能力に極振りしているせいで他が低めなんだな……。次レベルアップの機会があればINTを高めに上げておけよ』
『失礼な! テストの成績だって超平均だから馬鹿じゃないぞ! ……わ、なにそのごっついケース』
『盗聴器の電波を遮断するケースだ。これらは証拠物件だからな。私が預かろう』
あぁ、とうとう盗聴器が回収されてしまうのか……。
パチン、と、箱を閉じる音がしたのだが、『あれ? これは持って帰らなくていいの?』と未来ちゃんの声が聞こえた。
あれ? 回収されてなかったのか? なぜだ?
『これはいいんだ。……おい、聴いているんだろう? 服部忍』
ヒィ!!!?
な、なぜだ?! なぜ俺の名前を!?
『こちらにはお前を訴える準備が整っている。だが、お前の働きも把握している。そのまま未来に寄ってくるストーカーの排除を続けるのならば今までのお前の犯罪は見逃してやる。その意思があるのならば両手を上げろ』
どどどどどういうことだ!?
ま、まさかどこからか俺を監視しているのか!?
思わず室内を見渡すが、当然、この部屋には俺しかいない。
しかし、訴えられてはかなわないので恐る恐る両手を上げた。
『百合様。服部が両手を上げたのを確認いたしました』
竜神でも未来ちゃんでも百合さんでもない声がかすかに聞こえた。無線機からの音声のようで声が不明瞭だ。
やはりどこからか見られているのだ。
どこだ!? 一体、どこから――!?
俺の姿を覗ける場所に高層の建物はない。
いや、あるにはあった。
一キロ程も離れた駅前の高層ビル群。まさかあそこから見ているとでもいうのか!?
『よし。未来への接触は許さん。今後は盗聴及び法に抵触する範囲での撮影があれば、即お前の一族郎党この土地から追い払ってやるから覚悟をしておけ。お前はただ粛々とストーカーの排除に勤しむんだ。いいな』
俺はがくがくと頷くしかなかった。
『言っておくが、今までの未来のデータは破棄してある。以上だ』
え?
えええええええ!?
飛びつくようにしてノートパソコンの電源を入れようとしたんだけど、何度押しても電源が入らない。
コンセントを確認するが電気に異常はない。パソコンだけ完全に破壊されていた。おそらく高圧電流か強磁気を当てられたのだろう。
なんてこった、30GB以上もあった俺の未来ちゃんコレクションがああああ!! ついでに20万したノーパソがああ。
ショックの余りに突っ伏して、長い間涙してしまったのだった。
未来ちゃんの周りを徘徊していたSTKは俺が把握しているだけでも総数20人近くもいた。
が、この数日後、その半分以上が町から消え去ってしまった。
裁判沙汰になった者、自ら引っ越して行った者様々だが、とにかく実害のある連中が纏めて消え去ったのだ。残るは俺を筆頭とした、影から見守っているだけのチキン系STKのみ。
近所のご婦人方の井戸端会議をこっそり立ち聞きして得た情報によると、未来ちゃんの周りをうろついていたSTK達は纏めて駆除されたそうだ。
ここ数日は泳がされ、証拠固めをされていたのだという。
直接捕まえたのは竜神だったり、彼の親類だったが、情報を統括し証拠集めをしたのが花沢百合という15歳の女だというのだから、この世には、敵に回してはならん人種がいるのだとつくづく思い知ったのであった。
百合は非合法な手段でも迷わず駆使しますので警察より動きが迅速です。
どんな鍵でも二秒で開ける特技も持ってます。