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未来の暴走(球技大会(後編))【挿絵有り】

イラストをプチカ様にいただきました! ありがとうございますありがとうございます!!

「さ、ここに横になって」

「ありがとうございます……」


 保健医の猪狩は布団を捲って日向未来を促した。


 友人に付き添われ、保健室に入ってきた未来は、ただでさえ白い肌を陶器のように冷たく凍えさせていた。


 未来が保健室に訪れたのはこれで二度目だ。初めて来た時からおよそ半年が過ぎた。

 しかしたったの半年だ。

 それなのに、未来の美しさは格段にも磨きが掛けられていて驚いてしまう。


(随分とまあ、綺麗になったわね)


 遠目で見ることはあれども、ここまで接近したのは久しぶりだ。美貌だけで人を圧倒する生き物がいるのだと感嘆さえ覚えてしまう。



 保健医という職業柄、生徒から様々な相談を受けることがあった。

『暴力で支配されてる女の子がいるんです……。助け出したいんだけど、どうすればいいと思いますか』

 男子生徒からそんな相談を受けて、すわ暴行事件かと青ざめた。しかし、詳しく聞いてみると、暴力で支配されている女の子とは日向未来のことだった。

 当然ながら、支配している男とは「ヤクザ君」こと竜神である。


 猪狩は全身から力を抜いて答えた。


『暴力で支配されてるなんて考えすぎ。あの二人は先生から見てもラブラブよ。こないだの豪雨の日なんか、傘が一本しかないからって、竜神君が日向さんを抱っこして帰ってたのよ。暴力で支配する男が、カバン二つ持って、濡れないように女の子抱っこして帰るわけないじゃないの』


 天気予報が外れに外れた挙句の秋の集中豪雨の日。

 傘が一本しかなかったらしく、二人はしばし「どうやれば濡れないか」と試行錯誤していたものの、いかんせん身長差が大きい。

 結局なんの妙案も浮かばなかったらしく、苦肉の策として竜神が未来を抱っこして、未来が傘をさす形に収まっていた。

 それだけでも恋人の居ない生徒をイラッとさせるに充分なのに、女子に「バカップル」とからかわれ未来が真っ赤になって全身で否定してる光景に出くわしてしまい(じ、自覚が無かったのね……!)と本気でおののいた。

 竜神は特に反応しておらず、こちらには自覚ありといった所かと妙に納得したのだが。


 とにかく、はじめて見た時の、「姫と騎士」の印象そのままのとても微笑ましいお似合いのバカップルである。

 暴力などと考えられない。


 それなのに『ヤクザみたいな男に自由を奪われている可哀相な女の子が』と相談が引きも切らない。最近では面倒くさくなって、「日向さんが竜神君を信頼してて、竜神君が日向さんを宝物みたいに扱ってるのが判らないケツの青いうちは恋愛しちゃだめよ」と纏めて一刀両断している。


 考えに没頭しながらも、耳式体温計で未来の体温を確認する。

 37.8分。高熱とまでは言えないが辛い状態だろう。未来の頭の下に氷枕を敷いてやる。


「どうしても駄目だったら早退もできるから、早めに申告する事。いいわね」

「はい……」

 力無く答えた未来の額を撫でる。肌理が細かくてうっとりするぐらいに触り心地のいい肌だ。

 保険医の役得ねぇと喜んでしまうが、いやいや、これでは退職した体育教師、辻と同じだと自分を責めたその時、未来が嬉しそうに無防備に笑った。


「せんせ、の手、気持ちいい。お母さんの手、みたい」

「――――」

 笑顔に見惚れ言葉を失った猪狩に、未来ははっとした顔をして慌てて捲くし立てた。

「あ、す、すいませ、ん! お母さんが再婚して家を出ていっちゃったから、つい、」

「いいのよ。もし私が十八で子供を産んでたら、貴方と同じ年だもの。ところで……お母様、家を出たの? 再婚で? じゃあ、貴方、今一人暮らししてるの?」

 未来のように美しい少女が一人暮らしなどと洒落にならない。思わず詰問口調になってしまう。

「兄と、暮らしてて」

「そう」

 猪狩はほっと息をついて、今度こそ未来から離れた。





 ベッドに横たわった未来は天井を見上げていた。


(眩暈、凄いな……)


 天井に設置された長方形の蛍光灯が丸く見えるほどに視界が回っていた。


(早く、竜神が居ないのに慣れないと。俺のことやらしい目で見てくる男にも慣れないと)

(知らないシーツの匂い……。苦手だ……)


 人の視線が怖いから、布団を被って一人の世界に閉じ篭ってしまいたい。でも、知らない布の匂いが怖くて潜ることもできない。

(なんかもう、生きるのしんどいな)


 早苗ちゃんに全てを任せれば楽になるのだろうか――――「未来」


 名前を呼ばれて、全身に張り詰めていた恐怖が一気に吹き飛んだ。

 呼吸が楽になって、吐き気をもよおすほど回っていた視界がクリアになった。


 大きな掌が未来の首筋に当てられる。

「熱あるじゃねえか」


 竜神だった。


「早退しなくて大丈夫か? お袋が車出すって張り切ってんだけど」

「……何で張り切るんだよ。おばさん面白いな。早退するまでもないよ。六時間目の集会には出れると思うから……わざわざ連絡してくれたんだね。ありがとう」

「礼言う必要ねーよ。昼休みになったけど、飯食えるか?」


 未来は力無く首を振る。


「お弁当、皆で食べて。食べられなかったら残していいから」

「お前の分まで食わせてもらうよ。動きっぱなしだったから腹減ったし。……これ」


 竜神が未来の布団の上に布を広げた。

 未来の体を包めるほど大きな、竜神の制服の上着だ。


「知らない匂い苦手だろ? 無いよりマシかって思って」

「あ……」 


 嬉しくて嬉しくて、未来の視界が滲んだ。

 慌てて竜神から視線を下げて、「ありがとう……」か細い声で礼を言う。

 竜神はしばし考え込んで、布団の下に上着を入れた。

「こっちがいいか?」


「し、皺に、なるよ。帰るとき恥ずかしいでしょ?」

「皺ぐらい気にしねえよ」


「ほら、そこのバカップル、他の患者の迷惑になるからその辺でね。元気な男は外に出る」

 猪狩に言われ、竜神は会釈してすいません。と謝った。


「これ、具合悪くなったらいつでも連絡しろ」

 教室に置きっぱなしにしていた未来の携帯を布団の中に入れて、竜神は保健室から出て行った。


 未来は布団を頭まで被った。

 他人の視線が一切無い世界の中、安心する竜神の匂いが心地良い睡魔を連れてくる。


 怖いことも辛いこともない。優しく、深い眠りに身を委ねた。





――――





「未来。そろそろ集会だけど、出れるか?」


 今度は、乱暴だけど気遣っているのがわかる女の子の声に呼ばれて、未来は優しい眠りから目を覚ました。


「…………戸田……?」

 クラスメイトの戸田彩夏だ。


「竜神が心配してたぜ。寝ていたら起こさないでくれとか具合悪そうだったら呼べとか念押されたよ。あいつ、見た目あんななのにほんと心配性だよな」


 未来がベッドから体を起こす。布団と、竜神の制服がぱたんと折れた。保健室にいるのは未来と戸田だけだった。保健医も姿が見えない。


「……なんで、戸田が……?」

「オレ保健委員だもん。熱計るから動くなよ」


 未来の耳に体温計が押し当てられた。

 ぴ、と音が鳴る。


「げ、38度越えてるじゃん。こりゃ駄目だな。帰るなら先生に言うけど……どうする?」

「終わるまで待つよ。心配するから、竜神には熱のことは言わないで」

「わかった。さっきさ、担任と竜神が話してるのちらっと聞いたんだけど、あんたの彼氏、柔道と剣道で表彰されるらしいよ。二部門で表彰されるのは初だって担任がはしゃいでたよ」


 スポーツ大会の締めの集会では、活躍した生徒に表彰が送られる。

 表彰を受けるぐらいだ。竜神は留年をまぬがれたのだろう。未来はほっと安堵した。

 だが一つ、訂正しなければならない。竜神は未来の彼氏ではない。ミス桜丘に選ばれた三年生の彼氏だ。


「竜神は、私の彼氏じゃないよ……」

「あんた、そっちがいいね」


 戸田が笑った。


「竜神に助けてもらわないと女からも逃げられない弱虫のくせに、自分のこと「俺」って言うの、全然似合わなかったもん。やっと、あんたの中の『日向未来』、死んだんだね。よかったな」


「え……」


 安心して笑顔になっていた未来の顔が固まった。


「し、死んで、ないよ。私は、日向未来だもん」


「……? そうなのか? 日向未来を殺さずに女になれるもんなのか? 男なのに?」




 未来は硬直した。心臓が止まるかと思った。





「あんたさ、小さくて可愛い女の子なんだから過去の自分なんかさっさと殺しちゃいな。そんなもん取っといたって苦しいばっかでしょ。さっさと忘れて可愛い女の子になっちまえって。せっかく、それだけ綺麗なんだから。んじゃ、ゆっくり休みなよ。放課後に彼氏が迎えに来るからさー」


 戸田が未来の頭を撫でてベッドから離れていく。


「あら、戸田さん……あぁ。未来さんの様子を見に来たのね。熱、下がってた?」

「38度越えちゃってたよ。このまま寝かせてあげて。放課後になったら制服の彼氏が迎えに来るからさ」

 からかうように未来を見て、じゃあねーと戸田は保健室を出て行った。



『男なのに?』


 戸田の言葉が耳の中で何十回も何百回も何千回も反響する。



(そうだよなー。俺。こんなことしたって無駄だよなー)


 く、と笑いそうになったが顔が歪んだだけで笑い声は出なかった。



 どれだけ頑張ろうと中身が日向未来である以上は女の子じゃない。偽者だ。





 偽者である以上、本物の女の子には勝てない。

 気持ちの悪い、キメラ体だ。

 どれだけ頑張ろうと、竜神は結局傍から離れていく。



 男からやらしい目で見られるのが怖い。女から触られるのまで怖い。

 お化けも怖いし、知らない匂いも怖いし、耳元で囁く早苗ちゃんも怖い。


 この世は怖いことで一杯だ。



 一人で戦っていかなきゃならないと思うだけで気が遠くなる。



(変わってあげるよ)


 早苗の声がじわりと全身に染み込んできた。


 臆病で根性無しで弱虫の未来に、戦う気力は、もう、無かった。





(うん。早苗ちゃん。変わって)






 心臓が潰れるような怖い思いをするのも、寂しい思いをするのも、嫌だ。



 ざらり。



 左手から嫌な音がした。


(あ)


 早苗の死の原因になった手首の傷から先。掌が、砂になってベッドの上にさらさらと広がっていた。


(こういうふうに消えるのか。うわ。すげー怖い。叫びそう。駄目だ。声、上げるな。ここ、保健室だし。静かにしなきゃ)


「日向さん?」


 猪狩は保健医になって、まだ五年程度だ。

 それでも何百人と言う生徒を見てきた。

 ベッドの上に座ってぼんやりと自分の左手を見る未来の異変にすぐに気が付いた。


「どうしたの? 左手がどうかしたの?」


 未来の左手を取って、掌を、手の甲を確認するが傷も何も無い。

 リストバンドの下には痛々しい傷跡があるものの、古い傷なので血も出ていない。

 未来は虚ろに左手を見ているだけで返事もしなかった。



 体育館からかすかに全校集会の放送の音が漏れてくる。


『次、剣道部門、柔道部門の優秀賞を発表します。一年二組、竜神強志』


 未来がぴくりと反応して、窓を見た。


 だがそれだけだった。


「日向さん」


 未来はやはり呼びかけに反応せずに、竜神の制服に包まってベッドに横たわり目を閉じた。



(りゅうのにおいする……。ちょっと、ぜいたくな、きぶん)


 竜神本人は傍に居ないけど、竜神の制服の中で消えられるなんて幸せだ。

 意地汚く生きたいと足掻いていたら、竜神に呆れられ、一人ぼっちで消える羽目になったかもしれないのだから。


 ざり、と、左手が肩まで消えた。


(これなら、こわくない……)



 次は右足が、ゆっくりと砂になって溶けていく。




 猪狩は胸騒ぎを感じて、同じ階にある放送室へと駆け込んだ。

 スイッチを入れてマイクに呼びかける。



『一年二組の竜神強志君、至急、保健室まで来なさい!』




 竜神は、壇上で校長から表彰状を受け取って、全校生徒に向かい一礼をしていた。まさにその時、切羽詰った保健医の声が体育館に響いた。


 生徒や教師がざわめくより早く竜神は、百五十センチはある壇上から駆けるように飛び降りて、そのまま体育館を出、校舎に走りこんだ。


「日向さんの様子がおかしいの。傍にいてあげて頂戴!」

 階段上で待っていた保健医の言葉を立ち止まらないままに聞いて保健室に駆け込む。脇目も振らずに未来の肩を両手で掴んだ。


「未来? どうした、何があった? 未来!」


 竜神が呼びかけると、未来はようやく反応を見せた。


 ふと、気が付いたような顔をして、竜神に顔を向けた。


「何もないよ? 竜神こそ慌ててどうしたの?」


「――――――――」


「竜神?」


「未来……?」


 竜神は自分の見たものが信じられなかった。

 目の前に居る未来は未来のはずなのに、全くの別人に見えた。

 何が違うと断言できるわけではないが、未来ではない。全然、違う。




「まさか……上田早苗か……!?」


 唸るように名前を呼んだ。





「やっぱり、わかるのね、竜神君! わたし、早苗です! 本物のちゃんとした女の子になったの!」



 どんな男でも篭絡するような、庇護欲と本能的な欲望を刺激する表情で、女は笑った。


「偽者の未来はいなくなったの。わたし、やっと、本物の女の子になれることができたの」

 両手を合わせて指を互い違いに絡ませ、美しい所作で肩を竦める。


「未来を出せ」

 竜神は短く言い放つ。




「どうして?」


 早苗が笑う。



「わたし、ちゃんとした女の子になったんだよ。未来がね、決めたことなんだよ。本物の女の子の私に変わったほうがいいって。あのね、わたし、竜神君が好き。ずっとずっと前から大好きだったの」



「オレが好きなのは日向未来だ」




「え」


 早苗が笑顔のままで硬直した。



「そんなの、ありえない。未来は、女じゃないのに」

「未来。戻ってこい」


 痛みを感じるぐらいに強く肩を掴まれて、早苗は震える声を絞り出した。


「絶対に嘘。竜神君が、未来が好きだなんて、そんなのありえない」

「ずっと前から未来のことが好きだったよ。未来を出せ」

「未来は、駄目だよ、偽者だもん。消さないと。本物の女の子はわたし」




「未来。頼むから戻ってこい。オレを一人にしないでくれ」




「な――――――」




「お前が居なくなるなんて嫌だ」








 バチン。


 早苗の頭に閃光が、いや、電撃が走った。

 まるでスタンガンでも押し当てられたかのように早苗の意識が無くなって、残ったのは、



「な、なんで、お前が、そんなこと言うんだよ……!!」






 ぶわ、と『未来』の瞳に涙が浮いた。



挿絵(By みてみん)





「一人になるのいやなのはお前じゃない! 置いて行くのはお前のくせに、なんで、そんなこと……!!」



「未来……!」


 一人ぼっちになるのはいやだ。

 一人ぼっちになる苦しさと寂しさと悲しさを知っているから、竜神に辛い思いをさせたくなくて、未来の意識が引き摺り出されてしまった。


 早苗の中で、穏やかな繭の中に篭って同化の時を待とうとしていたのに。


 感情を持て余してきつく竜神の腕を掴んでぼろぼろ涙を零す未来を、竜神は手加減できず力一杯抱き締めた。


「未来、よかった……本当に良かった……急に居なくなるんじゃねーよ! びっくりしすぎてオレが死ぬ所だったろうが!」

「う……、、、うわぁああう○×■※※ぁうゃあああううぅああー!(う……、、、うそだ、竜神が未来を好きだ何て嘘だ! なんでそんな嘘つくんだよばかー!)」


 体育館から盛大な拍手の音が上がる。未来の絶叫のような泣き声は拍手の音に掻き消されて、竜神と、保険医である猪狩の耳にしか届かなかった。





 意味不明な言葉を発しながら号泣する未来に、猪狩はほっと息を吐いた。先程までの無反応だった状態が悪い夢だったかのようだ。


「嘘じゃねーよ「うびゃあぁあ×●⊃$□нああありゃぁあいぅいにゃぁああ(いつか俺を置いていなくなるくせに!本物の女の子の早苗ちゃんのほうがお前の傍にいるのに相応しいのに!!)」


 竜神も未来も気が付いていないだろうが猪狩は未来のベッドにカーテンを引いていた。そのカーテンが激しく波打っている。未来が号泣しながら暴れていた。


「置いていかないって。絶対、逃げたりしないってこないだ言ったろ。おまけに、昨日、早苗ちゃんがどれだけいい子でも、未来じゃないと嫌だって言ったよな。なんで信じてくれねーんだよもう……」


「あぁううぅにゃうあ△#&%@Юうにゃああぃうああ(男の未来より女の子の早苗ちゃんがいるべきなのに!)」


「いつまでも女だ男だ言うなって。体が女で戸籍が女でこれ以上何を女にすれば気が済むのか逆に聞きてぇよ……」


 会話が通じてるのか。うにゃうみゃびゃああとしか聞こえない号泣を聞き取っている竜神に感心してしまう。


(大丈夫だったようね……。でも、なんだか、大変な状態だったみたいね。上田早苗……移植前の体の持ち主かしら。……臓器移植で記憶転移が起こる現象があるとは聞いた事があるけど……人格まで現れるなんて…………




 そんなことがありうるのかしら?




 日向さんは弱い子だわ。人の体を借りて平気に生きていける精神力なんて無い。虚偽記憶から来る偽の人格の可能性が高い。


 早苗という人格そのものが偽者だとしたら、日向さんは――――)








 猪狩は引っ張り出していた日向未来の書類に目を通しながら一人、思考に入る。


(日向さんの家族構成は母親と……お兄さんが脳外科医……。そう、未来さんを手術したのはお兄さんなのね。身近に専門家がいるなら、私が口を出す必要はないわね。食い違いがあると日向さんを混乱させてしまう)


 未来の号泣は全校集会が終わる頃には落ち着き、啜り泣きに変わっていた。


 猪狩は様子を見に来た一年二組の担任に、未来の保護者に迎えに来るよう連絡を入れるように要請していた。

 ただでさえ混乱しているのだから、身内が傍に居たほうがいいだろうと判断してのことだったが、未来の保護者に連絡は付かなかったらしい。

 代わりに竜神の保護者に連絡を取る。

 普通そのような手段は取らないが、竜神の保護者から、日向未来があの姿になったのは親類の不注意のせいだから、何かあれば連絡して欲しいと要望が出されていた。父親が警察官ということもあり、また、未来の母もそれを望み、問題なく要望は受理されていた。


 内線電話が鳴ったので受話器を取る。竜神の母が到着したとの知らせだった。



 カーテンの向こうの泣き声がすすり泣きに変わってから随分と経つ。

 もう頃合だろうと、隙間から竜神の制服を差し出す。


「竜神君、お母さんが迎えに来てくれたそうよ。そろそろ着替えなさい」


 二人の制服から鞄まで、クラスメイトである熊谷美穂子と花沢百合が持って来ていた。二人とも届けただけで、すぐに下校してしまっていたが。女の子は仲間意識も野次馬根性も強いものだ。心配そうにしながらも、カーテンを覗くこともなく去っていった少女二人の大人の対応に驚いた。日向未来は中々素晴らしい友人に恵まれているようだ。


 カーテンが少しだけ開いて中から未来が出てきた。

 号泣したせいで目も目尻も真っ赤だ。


「せんせい……その、長い事お邪魔してすいません……」

「いいのよ。気にしない。日向さんの保護者の方には連絡がつかなかったのだけど……」

「オレの母が送りますので、大丈夫です」


「担任の山口先生には連絡しておくから、そのまま下校していいからね。熱が上がった顔してるわよ。ちゃんと頭を冷やしてお大事に。教室の鍵はもう締まってるから」

「……はい……」


 入れ替わりで未来も着替えを済ませると、二人は寄り添うように保健室を出て行った。



 (ところで)


 猪狩は顎を指先で掴んだ。


 (あの二人って、まだ、告白もしてない状態だったのねぇ)


 それはそれで、驚愕の事実だった。




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― 新着の感想 ―
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