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未来の暴走(球技大会(前編))

三人称視点です。

「竜神、今日の晩ご飯、何が食べたい?」


「え」


 未来が振り返って満面の笑顔でそう聞いてきた。

 先程までの切羽詰った空気が夢だったかのように。


「遅くなっちゃったからすぐに食べられるのがいいかな。お肉安かったら焼肉にしよっか。たまねぎとにんじんとー、ナスとピーマンとー。ウインナーも美味しいよね。早くスーパー行こう」


 未来だ。


 間違いなく未来のはずなのに、何かがおかしい。


 未来は恐ろしいぐらいに綺麗な女だ。しかし、それ以上の生気に溢れていた。

 目を見張るぐらいの美女なのに嬉しいことも嫌な事もくるくる変わる表情に出すせいで、「綺麗なお人形」ではなく「場を盛り上げるマスコット」に近い存在だ。


 なのに今は、本当にただただ綺麗なだけの、女、に見える。


 スーパーでも未来の様子は変わらなかった。


「おー、未来ちゃん、いらっしゃい! 今日はすじこが半額だぞ。ご飯に目一杯イクラ乗せて食べたいって騒いでたろ。今日がチャンスだぞー」


 鮮魚コーナーのマネージャーである壮年の男性が威勢よく未来に話しかけてくる。売り場が氷で満たされたこのコーナーで、未来はいつも好物である高価な蟹やイクラをチェックしていた。当然買えないのだが、安売りしてないかとついつい見てしまうらしい。力一杯に期待しては価格に落胆するのを繰り返すうち、売り場のスタッフとも顔見知りになっていた。


『うわぁああ! 竜神、すじこ半額! 今日はイクラ丼で決定だな! ありがとうございます、やった、嫌ってぐらい食べてやるー!』


 竜神も、売り場マネージャーでさえも、未来がそうはしゃぐとばかり思っていた。


「竜神、イクラ食べたい?」

「――――――」


 竜神を見上げもせず問いかける、予想と違い過ぎる反応に男二人が内心で狼狽する。


「食べたかったんだろ? 毎日チェックしてたじゃねえか。半額なんて滅多にねえぞ」

「竜神の食べたいご飯、作りたいから」

「……イクラがいい」

「じゃあイクラ丼にしよっか。大葉取ってくる。待ってて」


 たた、と未来が野菜売り場に向かってしまう。


「おい、未来ちゃん元気ないな。ひょっとして喧嘩でもしたのか? あんないい子逃がしたら一生後悔するぞ。さっさと謝っちまえ」

 マネージャーにこそっと話しかけられ肱で小突かれる。確かに未来を逃したら一生後悔するだろうが、喧嘩したわけでもないのでどう謝ればいいのか検討がつかない。

「おじちゃんもなー、お前と同じ歳ぐらいのころ付き合ってた彼女になー……」と続いた話を聞き流して、未来と合流する。


 買い物をすませて、帰宅。


 いつもならバカ面の動物の絵が描かれた部屋着に着替える未来が、ショートパンツと体のラインが出る細身のセーターで出てきた。


「出かけるのか?」


 思わず聞いてしまった竜神に、未来は首を振った。


「どこにも出かけないよ? 今からご飯作るし」

「その格好じゃ寒いだろ」

「火を使うから寒くないよ。すぐ出来るからお風呂入ってきていいよ」

「料理、教えてくれるって言ってただろ?」

「イクラ丼とお吸い物は初心者にはハードル高いから、今度ね。私に任せて」


 私?


「未来、いきなりどうしたんだよ。オレの前で無理に私って言わなくてもいいんだぞ。言葉遣いだって、態度だって……」


「無理してないよ。いい加減に言葉遣い直さなきゃって思ってたし。私ももう、十六歳になったんだから」


 竜神が口を開く前に未来が続けた。


「言葉遣い変わっても、日向未来は日向未来にしか見えないって言ってくれたよね。今までと同じように接してくれると嬉しい」

「本当に……無理はしてないのか?」


「してないよ」


 極上の未来の笑顔。だが、まるで、雑誌の中の写真でも見ているかのように、綺麗すぎて現実感が無かった。




 翌朝、未来はまた、足を惜しげも無く晒す格好でキッチンに立っていた。華やかな淡いピンクのニットワンピースだ。短いスカートから伸びる足に、エプロンの紐がひらりとはためいている。


「おはよう竜神!」

「あぁ……」


 広告塔のモデルを連想させる、手本のような表情で未来が笑う。


 なんて声をかけていいのか判らない。


 『前の未来がいい』?

 『変わるのもいいけど無理してないか』?


 元気に笑い、お化けに騒ぎ、転び公妨もかくやという勢いでドアの前で「添い寝添い寝」と騒ぎたてる未来が竜神が知っている『日向未来』だ。

 困らせられることも多かったけど、竜神は未来に従順な振る舞いを望んでいるわけではない。

 しかし、変わろうと頑張ってる未来に対して、『前の未来がいい』だなんて言うのは失礼だ。

 今のこの姿が、未来が考える最善の女の子の立ち振る舞いなのだろうし。


 『変わるのもいいけど無理してないか』これは昨日言って、無理してないと返事をされたばかりだ。


 結局言葉が掛けられず椅子に座ろうとして、テーブルの端に置かれた大小さまざまのタッパーに目が行った。


「これ、全部弁当か? なんでこんな大量に作ってんだ」


「美穂子と相談して、今日から皆のお弁当作って行こうって事になったんだ。おかず、いろいろ詰めたから楽しみにしてね」

「そりゃ……楽しみだけど……。浅見にも達樹にも食わせるのか」

「うん? そうだよ」


 浅見や達樹に未来の手作り弁当を食わせるなんて癪だが、さすがにそれを口に出しては了見の狭さに未来を呆れさせてしまう。


 昨日の会話で達樹に手作りの飯を食わせようと思ったに違いない。

 一人で三人分の弁当を作るなんて大変だろうに、美穂子と未来のお人よしな面にはいっそ感心する。




「全部バカ面の動物だな」

 気持ちを切り替え、タッパの蓋に描かれた、犬、アルカパ、猫、カピバラ、カエル、間抜けな顔をした各種イラストに笑う。


 イラストが面白かったのではなくて、未来がどこまでもバカ面をした動物にこだわるのが可愛い。


「変、かな……」


 笑う竜神とは対象的に、未来が顔を真っ青にして俯いた。


「私、センスないから」


「変じゃねえよ。可愛いって。オレはこういうの集めるって発想が出てこないから、お前といると新鮮で楽しいよ」


「……ほんとう、に……?」

「嘘ついてどうするんだよ。お前相手に」

「良かった」


 未来はほっと息を吐いて、続けた。


「今日はお休みするって浅見からメールあったよ。お仕事の先輩が急病で倒れちゃって、体格同じだった浅見が代役することになったんだって。大変だよね。まだ学生なのに」

「休むのか? 確か、あいつ、バスケに出場予定だったろ」


 今日は、一時間目から六時間目までを使った冬季スポーツ大会が執り行われる。

 冬季スポーツと銘打たれてはいるが、スキーやスケートなどのウインタースポーツが行われるわけではなく、球技大会の拡張版だ。


 執り行われるスポーツは、ソフトボール、バレーボール、卓球、柔道、剣道、バドミントン、テニス、サッカー、ハンドボール、マラソン、バスケットボール。


 時間さえ間に合うならば一人何種目に参加してもいいし、参加した競技の数と成績が体育の成績に加点されるといった、桜丘独特の大会だ。


「湯川に変わりの出場頼んだって言ってたよ。ほんとは竜神に頼みたかったみたいだけど、剣道と柔道に出るからずっと忙しいでしょ」


 一学期に頻繁に授業をサボリ、おまけに体育教師の辻と揉めた竜神は、体育の加点目当てで幼い頃から得意としている二種目を選択していた。

 ほぼ、一時間目から五時間目までのフルの出場となる。


「未来はソフトボールだったよな。頑張らなくていいから怪我するなよ。滑り込みは絶対するんじゃねーぞ」


「ジャージだから大丈夫だよ。……美穂子と百合と別の種目になっちゃったのが残念だったなぁ……」


 席がえで驚異的なじゃんけんの強さを見せた百合が、なぜか今回はてんで駄目で、未来と同じ種目に入ることができなかった。美穂子もだ。百合は剣道に、美穂子はテニスにと完全にバラバラだった。


「お弁当だけじゃなくて、朝ごはんも豪華なんだよ。――かつ丼です!」


 竜神の前に丼が置かれた。甘辛い香りで煮物かと勘違いしていたが全然違った。


「うわ、ほんとに豪華だな。美味そうじゃねーか。朝からどうしたんだ」


「スポーツ大会だから元気の出るメニューにしてみました。昨日の夜から丼続きになっちゃったけど許してね」

「言わなきゃ丼続きだってことにも気が付かなかったよ。味全然違うし」


 ことりとカツ丼の横に椀が置かれた。未来が蓋を取る。入っていたのは黄色に艶めく茶碗蒸しだ。以前作ってもらって竜神が気に入ってた白和えも置かれた。


 とろとろの卵とさっくりしたカツの極上とも言えるカツ丼と、なめらかに蒸し上がった、具沢山の茶碗蒸しの贅沢な朝食だ。

 実家ではどうしても最年少である花に合わせた食事となって、竜神には少々物足りない部分があった。

 未来は小食だが胃は強い。朝から揚げ物でもカレーでも平気なので、今回のような体力勝負の日にボリュームのあるメニューを用意してくれるのが純粋にありがたかった。

 『あんないい子逃がしたら一生後悔するぞ』――。昨日の鮮魚売り場の男の声が耳に蘇る。


 登校時の満員電車の中、未来を守るために細い背中に腕を回して抱き寄せる。

 いつもは竜神に身を任せて、時折見上げてきてへらりと笑う未来が、硬い表情で窓の外だけを見ていた。


 未来の言葉遣いと態度の変化に戸惑ったのは竜神だけではなかった。


「未来、お早うー!」

「おはよう! どうしたの未来、スカートいつもより短くない? 太腿から色気がダダ漏れしてるよー。けしからんなぁ」


 未来の天敵とも言える存在になりつつある、岩元と浦田が未来の腕に腕を絡ませる。


 しかも、あろうことか、浦田の手が未来の内股を撫で上げた。


『うやぁあああ! 触んな痴漢――!! 竜神助けてまた変質者集団が! 襲われる……!!』


 全員がそんな反応を予想していたのに、未来は息を呑んで小さく体を振るわせた。


「――ごめん、触られるの、本当に、怖く、て」


 か細い声が浦田を制止した。

「ご、ごめん!!」


 体を硬くして震える未来に、浦田は悲鳴のように謝って手を離した。


「そ、そんなに怖かったんだね、ほんとごめん!」


 未来は俯いたまま、ふるりと首を振る。


「か、髪なら触ってもいいかなー……? 美穂子まだ来てないでしょ? 未来の髪、手触りいいから遊ばせて欲しいなー」

 場を和ませようとしたのか、岩元が冗談めかせてさらりと指先で未来の髪を流す。


「変な癖ついたら困るから……岩元も、ごめん」


「あ、謝らないでいいよ! 確かに変な癖ついたら後が大変だもんね……」


 浦田と岩元が同時に竜神を振り返って、体当たりするみたいに突っ込んできた。


「いったい何があったの!? 未来が別人だよ!!」

「いつも竜神竜神って飛びついていくのに、どうしちゃったの! あんな静かな未来、未来じゃない!」


 超小声ながらも問い詰めてくる二人に、竜神は「オレにもわかんねーよ」としか答えられなかった。



 未来をからかってくる男子や、ちょっかい掛けてくる女子達全員が、未来の変化に戸惑いを見せていた。




 唯一変わらなかったのは、いつも一緒にいる友人達だけだった。


 達樹までもが静かな未来の態度にも動じずあるがままに受け入れている。あらかじめメールで連絡をしていたのかもしれない。


 朝礼のチャイムが鳴るより随分早く、担任の山口が教室に入って教卓に立った。書類を捲りながら口を開く。


「えー、うっかりと伝え忘れていたが、この教室に、体育の単位が足りない生徒がいる」


 ええええ!? と教室中から悲鳴が上がった。それもそうだろう。出場種目の変更もできない当日に言われても対処のしようもない。「楽そうだから卓球にしとく」なんて決め方をした生徒もいるし、じゃんけんの結果、不得意な競技に回ってしまった者もいるのだから。

 ブーイングが出るのは当然だ。


「だ、誰ですか!?」


 加藤が顔を青くして山口を促す。


 山口は、もったいぶるように、えー。と言ってから、告げた。


「竜神 強志。この大会で六点以上取れなきゃ留年だ。死ぬ気で頑張れ」


 やっぱりか。竜神は思わず机に右手の肱をついて額を掌に乗せた。


「「「竜神――――!?」」」教室中から驚きの声が上がった。


「竜神先輩いい! ちょ、大丈夫なんスかあんた!」

「竜神! り、留年なんて!」

 がばりと未来に掴みかかられ、達樹が椅子の背もたれを揺すろうとしてくる。


「大丈夫だよ。こんなことだろうと思って柔道と剣道取ったから」


「まじっすか!? 頑張ってくださいよ嫌っスよ竜神先輩と同級生なんて! 超気まずいじゃねーっスか! 花が泣きますよ!」

「あぁ」

「竜神と学年が離れるなんて絶対嫌だよ! 本当に大丈夫なんだろうな!? 絶対勝てよ!」


(あ)


 未来の言葉遣いが戻っている。大げさに変わる表情もいつもの未来の顔だ。


「判ってるよ。絶対勝つから心配すんな」

「絶対だぞ――――あ!」


 未来が口を噤んだ。口元を押さえてから、


「ぜ、絶対、頑張ってね」


 そう言い直す。引き攣った笑顔で。


「…………あぁ。頑張るよ」


 竜神は釣られて引き攣りそうになる顔をどうにか抑えて笑った。




 朝礼が終わると同時に、制服からジャージに着替え、各試合会場へと各々散らばって行く。



 競技数が多いので、柔道、剣道、ハンドボール、バレーボールは、学校から徒歩五分程度の銀行が所有している体育館で執り行われる。


「竜神、後から応援に行くから頑張ってね!」


 柔道の試合の為に体育館に向かう竜神に、未来は校門まで付いて行って見送った。

「絶対勝つっていったろ。お前も怪我するなよ」


 竜神が心配で、未来は後を追いたくて堪らなかった。

 だが柔道の試合は九時からで、未来が出るソフトボールの試合もまた九時からなので応援にいけない。


 ジャージの背中を見送りつつ、「うー」と唸りそうになって声を呑んだ。



「みーき、ほら、彼氏は銀行体育館で試合なんだから諦める。準備運動するよー」

「……彼氏じゃない……」

「はいはいー」

 未来と同じくソフトボールに出場する柳瀬に手を引かれて、準備運動をするために輪になったクラスメイトの中に交じる。


 ソフトボールに出場するのは、一年生から三チーム、二年生から一チームの合計四チームだ。リーグ戦で、勝ったチームのみが二回戦へと出場することになる。


 未来達のチームは先制となった。バッターボックスに浦田が立つ。


「浦田、がんばれー」


 未来が浦田に声援を送った。

 浦田は驚きにがばりと振り返った。


「お、おー! がんばるよー! ホームラン狙っちゃう!」


 体に触って未来を怖がらせてしまったので、前みたいに笑い掛けてもらえないんじゃないかと浦田はひっそりと落ち込んでいた。

 なのに無邪気な声援を貰い、安堵して、オーバーアクションで未来に答えてしまう。


 未来も笑顔になって、グラウンドに腰を下ろした。


「今日の未来、凄く可愛いね」


 隣に座る柳瀬に唐突に言われて、未来はきょとんと見返してしまった。

 一瞬間をおいて言葉の意味を飲み込んで、笑顔になった。


「本当?」


「本当本当。いつもの未来も可愛いけど……なんか、雰囲気違う。余裕があるっていうの? 綺麗過ぎて怖いぐらいだよ」

「褒めすぎだよ。でも嬉しい。ありがとう」


 良かった。未来はほっと安堵の吐息をついた。


 未来は完璧な女の子になると決意を固めていた。竜神に愛想を付かされないように、綺麗で可愛くて行儀のいい、完璧な女の子になると。


 竜神にだらしないところは見せない、竜神の前ではずっと可愛いままでいる。

 パジャマ姿なんて見せない。足を出す格好をする。勿論、家事も完璧に。


 長めにしていた制服のスカートも、皆と同じぐらい短く折る。

 髪の毛だって、毛先まで注意を払って綺麗な状態を保つ。


 竜神に恥をかかせる行動は絶対にしない。騒いだり叫んだり絶対にしない。


 『私』と口に出すたびに心のどこかが崩れていくような気がするけど。


(大人しくていい子で優しい、(上田早苗になる)――違う、日向未来になるんだ!)


 耳元で囁く早苗の声を歯を食いしばって振り払う。



 俺は私は、私は、完璧で可愛い女の子。


 竜神に、一日でも長く傍にいてもらう為に頑張るんだ。



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