最強の子VS普通の子(後編)
「うわー百合先輩さすがに気の毒っすねー。未来先輩ってば百合先輩のこと全然信用してねーじゃねーっすか……。百合先輩の自業自得でしょうけど」
「失礼ですが、竜神様、浅見様、達樹様」
「!?」
突然背後から声を掛けられて、ドアから覗いていた三人が驚いて振り返った。
立っていたのはソバカスの浮いた、長い黒髪を三つ編みにした女――百合の使用人である冬月冬子だった。
「冬月さん……」
浅見が小声で名前を呼ぶ。
「浅見さんのお友達っスか?」
「違うよ。百合さんの友達だよ」
「友達ではございません。百合様に仕えている使用人でございます。冬子とお呼びください」
綺麗にお辞儀されて、達樹も竜神も会釈を返した。
「どうぞ、お受け取りください」
冬子は竜神に、浅見に、達樹にとホットドリンクを手渡した。どこで調べ上げたのか、それぞれが好んで飲む銘柄だ。
「男子が女子会を覗き見する物ではございませんわ。そちらをお飲みになりながら、教室でお待ちになってください」
丁度いいタイミングで百合が出てきたからついついこの場に留まってしまったが、それもそうだと三人は踵を返したのだった。
女子達三人はほどなく一年二組の教室へと戻ってきた。
いつもの無邪気な様子はどこになりを潜めたのか、ぎくしゃくとしている美穂子と未来の様子に戸惑ってしまう。
怒っているのではない。ただただ悲しんでいるのが判ってしまうだけに言葉も無い。
百合は二人の後ろでがっつりとうな垂れて暗雲を背負い込んでいるが。
「掃除してくれてたんだな。手伝わなくて悪かった」
「いいよ」
竜神の言葉に、未来は、泣きそうな表情を無理やり笑顔に変えて答えながら、掃除道具をロッカーに戻した。
「待たせてごめん。さ、帰ろう」
言葉少なに六人は歩き出す。
さすがの達樹も余計な口出しはせずに様子を伺っている。
ぎくしゃくした空気のまま、校門でそれぞれの帰路に別れた。
百合と美穂子はバス。
浅見と達樹は徒歩。
そして、竜神と未来は二人、駅に向かって歩き出す。
力無く歩く未来のスピードに合わせて、竜神も速度を落とす。
友人たちの後姿が完全に見えなくなってから竜神は口を開いた。
「さっきの話、ちょっと立ち聞きしちまった。ごめん」
「え!? ど、どこを……!?」
未来が顔を上げて一歩下がった。
電柱に打ちつけそうになった背中を竜神が咄嗟に腕で庇う。未来は庇われたことも気が付かずに目を見開いて竜神を見上げていた。
「オレに面と向かって嫌いって言ってほしく無いって、美穂子が百合に言ってた所」
まさかそんな肝心な部分が。未来は竜神に飛びついて制服を掴んだ。
「ち! 違うんだよ! 百合に悪気があったわけじゃなくて、百合、女の子が好きだからだと思う。お前がどうこうじゃなくて、男が苦手なんだよ。だってお前、良い奴だし、百合だって、」
たどたどしいながらも、フォローしようとする未来に笑みが漏れてしまう。
竜神は未来の頭を撫でてから言った。
「オレも百合のことはめんどくせーって思ってるぞ。あいつ、オレが隠そうとしてることに限ってすぐ目ェつけてくるし、平気で無茶振りしてくるし」
「え!? な、ど、」
「あの手の人間と一緒に遊び行ったりするなんて有り得なかっただろうな。一対一で話するたびに、お互いの腹の探りあいみたいな会話になって疲れるから」
「そんな」
悲しそうに顔を歪める未来に、竜神は重ねて言った。
「けど、お前がいたら百合と話すのも楽しい」
「え……?」
「百合と一対一で話すのは疲れるけど、お前を挟んで話すのは楽しいよ。親父が言ってたんだけど、苦手な奴に限って、一緒にいる間に親友になるってことがあるらしいぞ。自分に持ってない物を持ってるからだとか、逆に、自分と同じタイプだからウマが合うようになるとかって言ってたかな」
『苦手な相手に限って、一緒に居て張り合いあるっていうんだから、本当に人生って判らないもんだな』そう言って、同世代の友人と笑いながら酒を呑んでいた父を思い出す。父と酒を酌み交わすその友人が、「苦手な相手」だった。
警察の同期で、苦手同士だというのに、もう二十年も付き合いがあるのだという。お互いに悪態をつきながらも、父も、その友人も楽しそうにしていた。
夜中だったというのに叩き起こされ、酌をさせられて、酔っ払い二人掛かりで訳の判らない説教をされたのにはうんざりしたが。体がでかすぎるから女の子が怖がるんだとか、顔が怖いから駄目だとか説教されても素で困る。
身長を縮めることも、人相を変えることも出来はしないのだから。
大体、父親は竜神より身長が高いし、父の友人も身長は百八十を超えている。人相の悪さも五十歩百歩だ。理不尽な説教にも程がある。
「お前が傍に居てくれるなら、百合とオレは将来親友になれるんじゃねーかな。百合が聞いたら鳥肌立てて殴りかかってきそうだけど」
竜神の話が終わると、未来はふふ、と笑った。
「お前が言うなら、そうなんだろうな。良かった……」
未来の手がふらと宙をさ迷う。手を繋ぐのだと感覚で察して竜神は未来の手に手を重ねたものの、未来の指には力が入らずに、それどころかするりと掌から抜けて行ってしまう。
まただ。
前は頻繁に手を繋いでいたのに、ここ最近はすぐに手を離されてしまう。
厳密に言うと、未来の誕生日の次の日からだ。
あの日の朝、未来は布団から悲鳴を上げて飛び起きた。
一緒に眠ったせいで竜神を男だと意識してしまい怖くなったのだろうか。
寝ていて意識が無かったとはいえども、未来に手出しはしてないと自分自身を信じたい。だがこうまで避けられるとその自信が揺らぐ。
何か決定的な失敗をしてしまったのかもしれない。
今更怖がられるなんて最悪だ。挽回の方法さえ浮かんでこない。
いや、まだ未来に怖がられたと断定するには早い――――。
落ち込みそうになる意識を懸命に引き戻す。だが、前はソファに座ってたら体が触れるぐらい近くに座っていたし、ラグの上に寝てたら隣に寝転んで「どーん」なんて言いながら体をぶつけてきたり、上に乗っかってきた。それらも全部無くなった。
これはひょっとして、最悪の事態ではないだろうか。
「…………早苗ちゃんの友達から、まだ、連絡ないんだ」
俯いた未来が呟くように言った。竜神は咄嗟に会話に集中した。
「前に……会う約束してたのに、断られちゃったって話したよな。それから全然連絡なくて。俺から急かすのもできなくて……」
俯かれてしまうと表情が完全に見えなくなってしまう。四十センチ近くある身長差が歯がゆい。
「そうか」
「早苗ちゃんってどんな子だったと思う?」
「さぁ……?」
上田早苗がどんな女だったのか。竜神は知らされていなかった。
移植に絡む一件で竜神は検体である未来の一番近くに居たが、所詮高校生だ。早苗に関する情報は何一つ与えられはしなかった。『上田早苗らしき人格』と接触することはあったが、それが本当に上田早苗なのか判断もできない。
「早苗ちゃんのお母さんがちらっとだけ話してたんだけどさ、早苗ちゃん、大人しい子だったんだってさ。優しくて…………女の子らしい子だったんだよ、きっと。当たり前だけど、自分のことは私って言って、頭も良い、いい子で、俺なんかよりずっと料理も上手で、誰にでも気配りが出来て、いろんな人に好かれて、我侭言わなくて……」
「未来」
「何?」
「普通の高校生がお前より料理上手って無理だろ。しかもあれこれ期待するなよ。最初からハードル爆上げされたら早苗ちゃんだって困るだろ。どうしたんだよいきなり」
「どうもしてないよー」
未来が見上げてきてへらりと笑った。
「ねぇ、りゅう」
「ん?」
未来が制服の袖を摘んで来た。手を繋ぎたくて指先が動くが、無理やり握ったら怖がられてしまう。
無駄に体がでかいから、萎縮してしまった女が相手では、細心の注意を払って動こうとも怖がらせてしまうのが経験で判って動けなくなる。
「俺も、覗き見しちゃった。お前がミスさんに告白されている所」
「……いいよ。見られて困るわけでもねーから。断ったし」
「――――断った?」
「あぁ」
「……そっか」
しばらく沈黙があった。
「今まで秘密にしてたけど……俺の中に、早苗ちゃんがいるんだ」
未来は再び俯いてから、そう言った。
未来が早苗の存在に気が付いていたことに竜神は些か驚いた。
早苗が出てくるときは未来の意識は完全に無いように見えた。未来自身も、今まで一度も相談さえしてくれなかった。気が付いてないとばかり思っていた。
やはり、自分は未来の信頼に足る存在では無かったのだと痛感する。
メンタル面が強靭な人間であっても、自分の中に「他者が居る」状態を易々と受け入れられはしない。
未来は体を失い、言葉遣い一つで「日向未来が居なくなるような気がする」と言ってしまうほど、臆病な人間だ。
おまけに寂しがりで甘えたがりだ。少なからず恐怖することもあっただろうに、相談さえして貰えなかったなんて。
歯を食いしばる竜神を他所に未来は続けた。
「――さなえちゃんさ、凄く可愛いんだよ。おまじないが好きで。でもすごく、大人っぽい子なんだ。…………俺みたいにうるさくないから、きっと、百合や竜神と仲良くなれると思うよ」
未来の表情は相変わらず、見えない。
「未来」
思わず竜神は未来の肩に手を乗せて、強く引き寄せて無理やり視線を合わさせた。
驚いた大きな瞳が竜神を見上げてくる。
「変なこと言い出すのやめろよ。早苗ちゃんがどれだけいい子でもオレは未来じゃないと嫌だからな。お前じゃないなら傍にいる意味も無い」
未来はただでさえ大きな目を更に見開いた。
立ち止まって細い肩に掌を乗せて、未来が言葉を選ぶのを待つ。
いつも視線を合わせてくる未来が、自分から目を逸らした。
そして、いきなり走り出す。
「未来?」
走り出したとはいえども未来の足は遅い。少々早歩きになるだけで追いつける。
未来にとって、上田早苗は大切な存在なのだろう。それこそ、自分の中で勝手に人物像を作ってしまうほどに。
否定しては駄目だっただろうか。
考え無しに口走ってしまった浅慮な行動が悔やまれる。
だけど早苗より未来が大事なのは揺るがない事実だ。
未来と知り合ってまだ半年に足らない。
添い寝させるような真似をして信頼を裏切った上、早苗がいることを相談さえしてもらえなかった、未来にとって信用に足らない存在だった力足らずな自分が腹立たしい。
それでも。
ここまで怯えさせてるなら距離を持つのが正解なのだろうが、今更、未来から離れることなど出来そうに無かった。
百合のフォローと未来の心配に終始して自分の告白劇のフォローを完全に忘れてる竜神。
百合と美穂子に告白してもらおうとするも断られ、最後の手段で早苗ちゃんを売り込もうとするけど失敗する未来。
※10/15に告白を断ったと告げる場面を追加しました!後付けすいません!