添い寝。
身長190cmの竜神のパーカーの中に俺はどれだけ入るのか。限界に挑戦してみる。
結論:体育座りで丸まると、上着の中に頭から足先まで全部埋まった。
「楽しいか?」
上着の固まりになってるだろう俺に、竜神が聞いてきた。
「割と」
「眠れそうか?」
「うーん……。駄目かもなー」
竜神の匂いあるとすぐ寝ちゃう俺が、未だに起きて遊べるぐらいだからな。
時間は十二時。就寝時間が近づいてきた。
明日も学校だからそろそろ寝ないとな。
竜神のパーカーをちゃんと着て、洗面所の前、竜神と一緒に並んで歯を磨く。
自分の部屋に入ろうとする俺を、竜神が引き止めた。
「今日は、一緒に寝るぞ」と。
え!!??
添い寝していいの!?
やった、今日は熟睡できるぞ!
――――喜んだのは束の間でした。
リビングに布団を敷いて(しかも二枚並べてしけなかったから、頭をくっつけて縦に並べて)眠ることとなりました。
もうね。俺をぬか喜びさせるの止めて欲しい切実に。誕生日プレゼントが金券だったのも、封筒渡された瞬間は添い寝券貰えると本気で思って嬉しかったのに。
拗ねたくなるけど、一緒に寝てくれるだけでもありがたいと思わなきゃな。
添い寝じゃなくても、これだけ近くに竜神がいるんだからいつもよりは寝れるかも知れないし。
「おやすみ」
「おやすみー」
照明を切って、布団に入って、枕に頭を埋めた。
○十二時
うーん……。やっぱり、竜神の服ったって、竜神の匂いがしないから眠りにつけない。
○十二時二十分
うーんうーん……時々ウトウトする……。竜神が傍にいるからかな……寝れるかも……。
竜神はとっくに爆睡してる……。いいなー。こいつ寝付きいいよな。一旦寝たらなかなか起きないし。羨ましい。
○十二時四十分
(諦めて携帯ゲーム中)
○一時
(携帯ゲームに飽きて、竜神の服の中で動き回って遊ぶ)
○一時二十分
うー。
俺も寝たいー。くそー、一人だけ眠りやがって……! 濡れたティッシュでも顔の上に置いてやろうか。
竜神にも不眠の呪いをかけてや――――。
ぱし。
ぐ。
うつ伏せになって、竜神の頭を睨んでたら、竜神の手が俺の頭に乗ってきた。
寝相が悪いのか? って一瞬思ったけど、竜神がただでさえ人相の悪い顔を更に悪くして、俺を睨んでいた。
……寝惚けてるな。
竜神が一旦寝たのに起きるの自体珍しいもんな。学校でさえ一旦寝たらなかなか起きない男だからなこいつは。俺が寝れるかどうか、気にしてたのかも。
「ねれ、ない、のか」
掠れた声を搾り出してくる。
「寝れません」
「ん」
竜神が布団を上げて、とんと、隣を叩いた。
え!?
いいの!?
こいつ、完全に寝惚けてるじゃねーかよ。でも言質は取ったぞやったー!
布団から出る。
冷たい冷気が一気に体温を下げた。
さむ!
すぐさま竜神の布団の端っこに寝転がる。
わ、あったか!
人の布団ってこんなあったかいのか。
安心する匂いに、あっという間に意識が沈んでいくんだけど――――どん。
竜神の腕が俺の体に乗った。
「う」
引っ張られて、後ろ向きに胸の中に抱き込まれる。
突然の事態にバクン、と心臓が跳ねた。
え、えええ!?
びくびくしながら竜神の出方を待ってたんだけど……竜神はとっくに寝息を立てていた。
ね、寝てる、よな……?
びっくりしたー。落ち着け俺の心音。
腹の上にある竜神の掌にまで伝わってしまいそうなぐらい、心音が鳴り響いてる。
「う……」
竜神がう、ともむともつかない声を上げて、益々強く俺を抱き寄せた。
………………。
……全然怖く無い。
布団の中でこんだけくっついて拘束されてるのに、全然平気だ。
うん。やっぱり相手が竜神だったら怖くも何とも無いな。そりゃそうだよな。
散々上に乗ったり腰にしがみついたり膝に乗ったりくっついてるのに、今更怖くなるわけねーよな。
背中がすっごいあったかいなー。
俺の腕より二倍は太い、竜神のがっちりした腕が俺の胸の形を変えながら肩を抱いた。
力強くぎゅって抱き締められて、竜神の顔が髪に埋まる。
息が、唇の感触、が、
え?
しかいが、とおく、なる
からだの、ちからが、ぬけ、
いしきが、――――――。
これ、は、
(さなえ、ち)
激しく鳴ってた心音がたわんで、ノイズのようにザァザァと鼓膜に流れてくる。
俺が見ている視界が遠くなって、目の形に外の世界を覗いている。
俺の体が勝手に動いて、竜神の腕から抜け出した。
横向きに寝てた竜神の肩に掌を乗せて、
やめ、
りゅうじん、に、触るな!!
早苗ちゃんは、俺の声とは違う、低く落ち着いた声で「大好き」と笑った。
そして、竜神の頬に掌を添えて、そっと、近づいて、唇を寄せていった。竜神に、キスをしようと、
待て。
そこで完全に、俺の意識は途絶えた。
ぁ。
ぁああああ!!
ばん、と、体を跳ね上げた。
掛け布団がはらりと折れ曲がる。
「未来!? どうした」
大股の足音が近づいてくる。
竜神だ。
「…………」
両方の腕の辺りを掴まれ揺すられるけど、竜神の声が頭を素通りしていく。
何があった。
昨日、何が起こった。
心音が嫌な音を立てていた。
嫌な音ってなんだよ。心音に嫌も良いも無いはずだ。
でも、この体は俺の体じゃない。
ぞわっと全身から血の気が引いた。
そうだ。この体、俺のじゃない。
俺の言うままに動いてくれてるけど、でも、この体は。
ぎし、と心臓が軋んで、呼吸がままならなくなって、口を動かした。水面に顔を出す金魚みたいに。
「未来」
「――――!」
竜神に抱き締められて、名前を呼ばれ、背中をとん、と叩かれて、意識が浮上した。
呼吸も一気に楽になる。
「あ、お、おはよ、竜神」
『お前は日向未来だよ。多少言葉遣いが変わっても、女っぽくなっても日向未来にしか見えない』
今、目の前にいる男の、いつか聞いた言葉が耳の奥に響く。
大丈夫。俺は、日向未来だ。
「びっくりさせんなよ……。上着のお化けに追われた夢でも見たのか?」
「うん。大群だった」
「そりゃ、オレでもコエー……って、しまった」
竜神が俺を抱いたままキッチンに駆け込む。
「やべ、目玉焼き完全に焦げた……。目玉焼きってどうしたら焼けるんだ? 白身焦げたのに黄身が生のままになっちまうんだけど、これ――」
「お、お前、飯作ってくれたのか!? ちょっと待て、今何時? うわああ、もう七時!? 大変だ今からじゃ弁当も作れないどうしよう!」
「いいよ。コンビニでパン買えばいいだろ」
「ご、ごめん! まじごめん、ご飯も作ってくれてありがとうな。なんか超嬉しいよ。朝起きてご飯あるって懐かしい感じ。母ちゃんいるときこんなだったなあ」
オーブンからはパンが焼けるいい匂いが流れてくる。コーヒーの匂いもする!
母ちゃんよりまともな食事だ! ウチの母ちゃんパンと味噌汁とか、ご飯とコーヒーとか、嫌がらせみたいなコンボ繰り出してたし。
「それよりお前、勝手に布団に入ってくるんじゃねーよ。襲うって言っただろうが。昨日の今日でよ」
ええ!?
「お、お前が入って良いって言ったんだぞ!」
「!!?? まじか」
「大まじだ。俺も、お前が寝惚けてるってのわかってて入ったけど」
竜神はショックを受けたみたいにその場に座りこんだ。
「……オレ、何もしなかったよな?」
「してないよ」
竜神のパーカーを着たまま、長い袖をヒラヒラさせる。
「夢見が悪かったの……オレと一緒に寝たからか?」
しゃがんだまま聞いてきた竜神に、俺は全力で「違うよ!」と答えた。両手を胸の前に振り上げたオーバーリアクションで。
「そ、それだけは違いますから考えすぎるなって。俺の悪夢なんて日課みたいなもんだもん。睡眠時間三時間程度なのに悪夢まで見るタイプの不眠だから。むしろ今日は良く眠れて助かったよ」
これ以上話したら、へんな事を言ってしまいそうでさっさと洗面所に逃げる。
竜神の姿が見えなくなった途端、体に違和感がある気がして拳を強く握りこむ。
この体は俺のだ。
やっと慣れてきたんだ。戸籍が女になった日から、男だったと考えることもやめたんだ。
日向未来は体も女、戸籍も女、頭も、女の、普通の女子高校生なんだ。
今更、早苗ちゃんに、渡したくない。何でだろう。前は、早苗ちゃん消すのが可哀相で嫌だったのに、今は怖い。いや、違う。怖かった。勝手に竜神に触る早苗ちゃんが怖くて仕方なかった。
前も眠る竜神の傍で早苗ちゃんになったことあった。あの時は怖くなんてなかったのに!
(りゅうじんだって、)
またぐらりと視界が歪みそうになって、洗面台にしがみ付く。
竜神だって? 何だ?
早苗ちゃんはキスしたんだろうか。
あぁ、考えたくない。呼吸ができない。
力が抜けそうな手足を叱咤して、手早く身支度を整えてキッチンに戻る。
「こんなもんしか用意できなくて悪かったな」
テーブルの上には、焼いたパンと、コーヒー。フライパンには焦げた目玉焼き。竜神が困ったみたいにうな垂れた。
「何言ってんだよ。嬉しいよ! 俺こそ寝坊してごめん。目玉焼き、一個貰うな」
「……黄身、ほとんど生だぞ。お前ならターンオーバーに出来るんじゃねえの?」
「初めて竜神が焼いてくれたんだから、手なんか入れたくないもん。ラピュタパンにして食べよーっと。あ、お前の分はどうする? 焼こうか?」
「いや、いい。オレのもパンに乗せてくれ」
「了解」
バターを塗ったパンの上に目玉焼きを落とす。
パンにかじりつこうとした途端、玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に誰だよ。
立ち上がろうとする竜神を止めて、リビングを横切り玄関を開ける。
そこに居たのは兄ちゃんだった。
「どうしたんだよ。こんな朝早く」
「こないだの学校の書類だ。捺印しておいたから――……ん? 焦げ臭いな。料理、失敗したのか?」
「焦げ臭いなんていうなよ。竜神が目玉焼き焼いてくれたんだー。いいだろ」
兄ちゃんは眉間に皺を寄せた。
「強志君が? まさか強志君に家事をさせているのか? あまり迷惑をかけるなよ。ただでさえ馬鹿なお前と一緒に住むなんて負担を掛けているんだ。甘えすぎると逃げられるぞ。一人になりたくないなら家事ぐらい完璧にこなせ」
一人になる?
小さくひゅ、と喉が鳴った。
今、椅子に座ってる竜神が消えて、リビングにある竜神の私物が消えて、竜神の部屋が空っぽになって――。
昨日の泣くぐらいに嬉しかった誕生日がこの先、一生、無くて。
一人ぼっちで。
――――――!!
一人でテーブルの椅子に座る自分の姿を想像してしまい、一気に平衡感覚を失った。
倒れるかと思った。
指先が冷たくなって頭から血の気が引いて足も冷たく引き攣る。
ぐらりと視界が回る。
「未来」
優しい声に名前を呼ばれ、肩の上に掌が乗って、びくん、と体が跳ねた。
竜神だ。
「お早うございます、猛さん。オレが逃げるなんてありえませんよ。未来と猛さんが許してくださるなら、いつまでも居たいぐらいなんです。未来の飯は美味いし家事は全部やってくれてるし、オレには勿体無いぐらいに良くして貰ってますんで」
「あぁお早う……それならばいいのだが……。では、失礼するよ」
兄ちゃんはプリントだけ渡して、玄関を出て行った。
俺はまだぼんやりと足元を見ていた。
「未来、猛さんは医者だから完璧主義なのかもしれないけど、オレはいい加減だから完璧にする必要ねーぞ。できる範囲は手伝うし、目玉焼きぐらい焼けるようになりたいし。あんま気にすんなよ」
……。
兄ちゃんの声、聞こえてたんだな。気を使わせて悪いことしたな。俺が家事全部してるなんて嘘までついてくれて。竜神、風呂掃除だって部屋の掃除だって自分でしてくれてるのに。
大丈夫。家事ぐらい完璧にこなすから。
『一人になりたくないなら』
絶対、一人になんてなりたくない。
いなくならないよう、細心の注意を払っとかないと。ちゃんと、努力しないと。
それに。
女っぽくなっても日向未来にしか見えないって言ってくれたのは。
りゅう、
だけだ、
竜神がどっかいっちゃったら、多分、俺は、溶けて消える。