未来の誕生日(みんなからのプレゼント)
昼休み。浅見はぐったりと裏庭のベンチに沈んでいた。
「浅見。ご飯食べないとバテちゃうぞ」
心配そうな未来の声。
しかし体を起こす気力が湧いてこない。
仕事で心労が嵩んでいるし、今日は朝から喧嘩もしたし、おまけに、好きな女に渡すプレゼントのチョイスを間違うなんて痛恨のミスまでやらかした。ベンチに座る気力どころか、生きる気力まで口から抜けていったような気がする。
許されるなら、今すぐにでも自宅のベッドで寝込みたい。
未来が小さな弁当箱で頭をぺしぺしと叩いてくる。
「おーい、あさみ、生きてるかー?」
浅見が返事をしないままでいると、「返事はない。ただのしかばねのようだ」と芝居がかった口調で呟いた。
「……しかばねです……」
「そっか、とうとう死んだか。最近疲れてたもんな。死因は過労死で間違いない」
「…………」
「お弁当、食べないの?」
浅見は最近毎日、弁当を半分以上残してる。
「食欲が無くて……」
「そっか……。んじゃ、弁当取替えっこしようか」
「……?」
「俺の弁当、ちょっとしか入ってないからさ。食欲なくてもこれぐらいなら食べられるだろ?」
浅見の頭に未来の弁当箱が乗った。
浅見の母が持たせてくれる弁当は、至ってシンプルな内容だ。
おかずは三品で米ばかりが多い。
それに比べ、未来の弁当の中身はいつも可愛らしく豪華だ。
弁当の大きさは浅見の方が勝れど、内容の充実を比べると未来の弁当の足元にも及ばない。
「いいの……?」
「ん。不味かったら残していいからな」
「……ありがとう」
未来が開いた浅見の弁当の中身は、卵焼きと鮭と煮豆の三品だった。
申し訳なく思いながらも、浅見は渡された弁当を開いた。
卵焼き、ミートボール、唐揚げ、ウインナー、きんぴらごぼう、ほうれん草のバター炒め、ご飯にはふりかけもかかってる。
ちっさな箱に丁寧に詰められた食べ物が輝いて見える。
早速、ミートボールを口に入れた。甘いソースが濃厚で、思わず美味しい、と呟いてしまった。
「よかった」
未来が満面の笑顔で見上げてきた。
あぁ、可愛い。顔に血が上りそうになって慌てて未来から視線を逸らした。
ミートボールだけじゃなく、唐揚げもバター炒めも全てが絶品だ。
中途半端に箸をつけてしまった後だというのに、不安になって、浅見は未来の手元を覗きこんでしまった。
「僕の弁当、美味しくないよね。その、うちのご飯、味がなくて……」
浅見の母親は極端な健康志向で、出汁も、塩も、砂糖もほとんど使おうとしない。
卵焼きは卵の味そのままだし、鮭は鮭をそのまま焼いただけだ。
煮豆にはかろうじて味があるだろうが、それだって、よくよく味合わないと感じない程度の甘味だ。
「味が無い? あぁ、素材の味そのまま生かしてる感じだよな。美味しいよ。お母さんのお弁当って感じがしていいな」
浅見に食の楽しみは無い。何を食べても平坦な味しかしないからだ。
無邪気に母の弁当を褒める未来が眩しかった。
美味しいお弁当をほうれん草の一本も残さず食べ終えると、未来が嬉しそうな声を上げた。
「よーし、全部食べたな! よく頑張った! ご飯食べないのって心配になるから、ちゃんと食べてくれてよかったよ」
「未来のお母さんって料理上手なんだね。食欲無かったんだけど、ひさしぶりにご飯が美味しかったよ。ありがとう」
「それ、俺が作ったんだぞ。美味しかったんならよかったよ」
「え!? み、未来が作った!?」
「うん? そんな驚くこと? 俺って不器用だと思われてたのか?」
「不器用だなんて思ってなかったけど……凄いね未来って……。こんな美味しい料理まで作れるなんて……、ほんと、……凄い……」
「ど、どうしたんだ? なんで落ち込むんだよ? 美味しかったんなら喜んで欲しいんですけど」
どよどよと雲を背負い出した浅見の肩を未来が揺すってくる。
未来は一人ぼっちだった自分に変わる勇気をくれて、痴女に襲われても抵抗も出来なかった情けない姿を見ても軽蔑することもなく、頑張れと背中を押してくれた。とても、優しい、いい子だ。
なのに料理までこんなに美味しいだなんて。余りにも自分と差が違い過ぎる。人間としての出来の差が。
せめてお礼の品だけでも渡したい。
浅見はポケットからチェーンを取り出した。
誕生日プレゼントに用意したネックレスだ。
高価な品だと悟られ、負担に思われるのが嫌で、ブランドのロゴが入った紙袋も箱も取り払うしかなかった。
むき出しのままプレゼントするなんて、これはこれで非常に失礼な話ではあるが、こんな手段しか思いつかない自分が心底情け無い。
「未来、今日誕生日だったよね。おめでとう……。これ、プレゼント。箱もなくてごめん……。新品だから、その」
「え!? いいの!? これ、ネックレスだろ? 俺なんかが貰っていいのか?」
「……受け取ってくれないなら、処分するしか……」
「だからなんで落ち込むんだよ!? 嬉しいよ助かった。俺こういうの一本も持ってないからさー。いくら何でも一つぐらい持ってないと変かなって思ってたんだ。でも、アクセサリー選ぶセンスなんか無いし。浅見が選んでくれたんなら安心だもん」
「安心……?」
「女の子に人気のデザインとか、ちゃんとリサーチしてくれてそう」
「あ、うん、それは、ちゃんとしたよ! これ、季節問わず使えて人気なんだって」
「やっぱり。ありがとうな。ん」
未来が両手を首の後ろに回して髪を掻き上げ、顎を突き出した。
「えッ!?」
妙に扇情的なポーズに、浅見は思いっきり後ずさってうろたえてしまう。
「う!」
未来も自分の取った格好に気が付いたか、真っ赤になって俯く。
「ご、ごめん……。ネックレスのつけ方判んないから、つい……」
あぁ、そういうことだったのか。納得して、継ぎ目の輪に指を掛けた。
「い、いいよ。つけるから、髪上げててくれないかな」
「いいの?」
浅見は細い首にチェーンを回して、ゆっくりと輪を繋ぐ。繋いだ部分を首の後ろに回転させて、飾りを未来の胸の中心に合わせた。
触れたら溶けてしまいそうな雪のように繊細な肌、細い顎、くるんと上を向く長い睫。薄らと開かれたピンク色の唇。
無防備な未来の首に腕を回した一瞬。未来が自分一人のものになったかのような錯覚を起こした。当然、それは錯覚でしかありえないが。
友人の首にネックレスをつけてあげただけだ。だけど、それがまるで、結婚式で指輪を指に通したかのようで、なぜか、ひどく、幸せだった。
きゃぁきゃあとはしゃぐ女子の声が近づいてきた。
「あ、あの……!!」
呼びかけられて、浅見も未来も顔を上げる。
女子が五人も居た。
お互いに顔を見合わせ、頷き合ってから、女の子達は雑誌を浅見に差し出した。
「こここここ、これ、先輩ですよね!!」
詰め寄られて、浅見は驚いて姿勢を正した。
女子が開いた雑誌のページに写ってたのは、間違えなく浅見だった。
「えええええ!? どゆこと!? お前、モデルしてたの!!?」
「……いや、その、それは……」
「すげー! かっけーな! お前かっこいいもんなーすげー似合う!」
騒ぐ未来の腕を掴んで浅見は裏庭から逃げ出した。
「おい、なんで逃げるんだ? あの子達お前のファンだろ? 相手しなくていいのか?」
どこに行こうかと右往左往して、浅見は結局、無人の五階へと足を向けていた。
屋上にある竜神の秘密基地は、今はもう、五人全員が知るところとなっていた。
風が冷たくなってきたので今のたまり場は屋上ではなく、ピラミッド状に詰まれた机のある教室になっているが。
五階に足を踏み入れた途端、未来が浅見の腕を引いた。
「浅見、いつからモデルなんかしてたんだよ」
浅見は視線を戸惑いに揺らしてから口を開いた。
「その……夏休みから……未来が、頑張れって言ってくれたから、人付き合いを頑張ろうって、思って。その後タイミングよく、スカウトされたから」
「頑張れ……? あぁ! 痴女に襲われた時か! そっか、お前ほんとに頑張ってたんだな。あ……だから、最近ご飯入らなくなってたのか……余計な事いっちゃったな。頑張れ頑張れいってゴメン。お前がご飯食べられないのは嫌だよ……。無理しない程度にしてくれよ」
「うん……ありがとう」
心配してくれてありがとう。
「僕、未来に自慢して貰えるような、立派な人間になるから」
「お前は今でも俺の自慢の友達だぞ?」
もっともっと。
もし、未来と竜神がすれ違うようになり、心が離れる日が来たら、すぐに思い出してもらえるような存在になりたい。
未来と竜神がお互いを裏切る日など、一生こないだろうけど。
蝶番を蹴ってドアを開くと、達樹と竜神が椅子に座っていた。
「よー」
「ちーす。あ、先輩、そのネックレスかわいっスね。アクセサリーしてんの始めて見るかも。すげー似合ってますよ」
「これ、浅見がくれたんだ。可愛いよなぁ」
「え!?」
達樹が低く息を吐いた。咄嗟に竜神と浅見の顔を見比べる。
「浅見」
「ごめん」
竜神が机に肱をついて顔を片手で覆い、浅見が間髪を入れずに謝る。
浅見に悪気は無いのだと判っているから責めることなどできないが、身につけるものは避けて欲しかったと竜神が思ってしまうのはしょうがない。
「? どうしたんだ? 竜神、浅見」
未来だけが何も判ってない様子で竜神と浅見を呼んだ。
さっさと空気を変えたが良さそうだと、達樹は足元に置いていた袋を目の高さまで翳した。
「じゃーん! 未来先輩、お誕生日おめでとうございます! おれからのプレゼントっす!」
「で、でけーな。何?」
「開けてからのお楽しみー。どぞ!」
未来は紙袋のテープを開いて、中身を取り出した。
「うわ、すげー、サッカーボール……? の、ぬいぐるみ……?」
大きさは実物大で、しっかりとした素材で作られてはいるが、本物のボールとは全然違う張りのあるヌイグルミのような手触りだ。結構重い。
「ミニサンドバッグっス。これ殴って鍛えてくださいよ。痴漢ぐらい撃退出来るようになってもらわないとおれらも心配だし」
「おお! ナイスだ達樹! お前って意外とプレゼント外さないよな! 差し入れもいい感じの御菓子ばっかだったもん」
未来がはしゃぎながらサッカーボールに拳を打ちつける。
擬音にするならぽやん、ぽよん程度の打撃が見ていて微笑ましいのだが、(あぁ駄目だ、痴漢の撃退なんか一生できそうにもない)と確信させられる。
「こんにちはー」
かたんとドアから音がして、美穂子と百合が入ってきた。
百合は前置きも何も無く、未来に向かって紙袋を差し出した。
「誕生日おめでとう。紅茶のセットだ。はまってるんだろう?」
「え、ちょっと話しただけだったのに、よく覚えてたな。ありがとう! なんだこれ、マンゴーの紅茶なんてあんの? 楽しみ!」
「私からはこれー。握力鍛えたいって言ってたよね?」
美穂子が未来の後ろから抱き付いて、目の前にハンドグリップを差し出す。
「うん! 竜神のバイクに乗せてもらうために握力30キロ目指してる最中なんだ。ありがとう、使わせて貰うよ!」
未来は美穂子からハンドグリップを受け取ると、早速、右手に掴んで強く握り締めた。
「やっぱ、硬いな……」と指から力を抜いた途端に。
『ぐげぁ……』
ハンドグリップが苦しげに鳴いた。
「うぁああああ!!?」
未来が絶叫を上げてハンドグリップを投げ捨て、竜神の後ろに回りこむ。
「これね、ちゃんと最後まで握り締めないと、今みたいな音が出るの。怖がりの未来が訓練するのにぴったりでしょー♪」
「大変だ竜神! 美穂子がSだ! ドSだ! あんな子じゃなかったのに!」
『ぼぐぁ……』『ぎゃぁああ』『ぐちゃん……』
「ほーれほーれー」
「うおわあああうやああああ」
百合が実に楽しげにハンドグリップを鳴らす。
しゃがみこんで耳を塞ぎ、悲鳴を上げてぶるぶるする未来が余りにも可哀相で、浅見が「百合さん、その辺で……」と止めに入った。
未来の要望でハンドグリップは教室の端へと追いやられた。
「お前は? お前のプレゼントは?」
期待に煌く瞳で未来が竜神を見上げた。
竜神は少し躊躇ってから、未来の前に封筒を差し出した。
「え!? 何!? ひょっとして、本当に券くれるの!?」
券とはなんだろうか。
何か約束でもしていたのだろうと、友人全員が竜神と未来の親密さを羨む。
全員のプレゼントを喜んでくれたけど、未来の表情は誰に見せたものよりも嬉しそうで、期待に胸を弾ませているのが判る。
未来は満面の笑顔で封筒を開いて――――――。
中から出てきた金券に、えらい勢いで机に崩れ落ちた。
「ねーわ! これはねーッスよ! あんたは親戚のオッサンか! いくらなんでも未来先輩が可哀相でしょうが!」
「わ、私の下を行くプレゼントがあったなんて……!」
「おい、竜神、お前ふざけてるのか?」
達樹と美穂子と百合が同時に声を上げる。
「こいつ、オレが選んだプレゼントじゃ怒るから、自分で買えるのがいいかなって思ったんだよ」
未来は怒りの余り、ぎー、と、子猫が敵を威嚇するような声を上げて、突っ伏したまま机に爪を立てている。
それから床に座りこみ、サッカーボールにぽよんぽやんとひとしきり八つ当たりしてから、
キッと竜神を睨んで、飛びかかって胸倉を掴みあげた。
「わざと!? これわざとだろ!? 券貰えると期待させてから絶望させて楽しんでるだろ正直に白状しろ怒るから!」
「もう怒ってるじゃねーか。悪かった。わざとじゃねーよ結構必死に考えたんだぞ。一緒に夢屋にでも買い物に行くか。その券使ってお前の欲しいもん買ってやるから、それでいいだろ」
胸倉を掴む未来の手を、ぽんぽんと叩いてなだめる。
「え」
一緒に買い物かぁ……と未来が視線を斜めに落とした。
「うん、それならいいよ。約束だからな!」
未来はびし、と竜神を指差して、プレゼントを抱え、美穂子と百合と教室を出て行った。次の授業は体育だった。女子の準備は男より時間が掛かるものだ。早めに行って準備をするのだろう。
置き去りにされたハンドグリップに奇声を上げさせながら達樹がぼやく。
「勉強になんなー。ああやって女デートに連れ出すんスねー。おれなんか、未来先輩に三百通ぐらいお誘いメール送ってるのに一回も応じてもらったことないってのに」
「計算してるわけじゃねーぞ偶然だ。二度と送るなよ」
「はーい」
拗ねたような達樹の返事を最後に、竜神、浅見、達樹の三人も教室を出たのだった。