未来の誕生日(暗躍する友人達)
浅見虎太郎は徒歩で通学している。
未来と竜神が登校してくる時間よりも、ほんの少しだけ早く、校舎に入る。
「今日も凄い数だな……」
女子の靴箱の下から二段目、日向未来の上履きの上には手紙がいくつも積み上げられていた。
そっけない封筒から煌びやかな封筒、ファンシーな封筒から和紙封筒、挙句の果てには折りたたまれたメモ帳やルーズリーフ、ノートの切れ端まで。毎日毎日多種多様だ。
「お早う浅見」
「あ、百合さん、お早う」
「毎朝ご苦労なことだな」
「このぐらい何の苦労でもないよ。未来のためだしね……」
浅見は手紙を一つ残らず集めてから、纏めて、ゴミ箱へと捨てた。
未来や竜神よりも早く登校して、手紙を処分する。これが浅見の日課だった。
「お前か。手紙捨ててるクズは」
威嚇するような声に浅見は振り返った。男が三人、剣呑な表情で立っていた。
上履きの色は紺。三年生だ。
「はい。僕ですが。竜神君に頼まれてやっているだけですので、文句があるなら彼にお願いします。出過ぎた事とは思いますが、彼氏の居る女の子に言い寄ろうとするのは迷惑ですので控えてあげてください」
竜神強志は常に未来の傍にいる上に、長身と強面で目立つので校内でも有名な男だ。
喧嘩の腕っ節も知られていて、竜神の名前を出せば九割が引く。
残りの一割が正面切って竜神に挑み、返り討ちにされているのが日課のようになっていた。
竜神の名前を出すのは、九割の振るい落としのためだ。
浅見は幼少の頃から空手を学び、一般の男子生徒よりも強い男なのだが、なにしろ見た目が優男だ。
長身ではあれども細身なので、実力よりも随分と下に見られる。
浅見が矢面に立ってしまうと、絡んでくる人間全員を相手にする羽目になる。流石に体が持たない。
「いいから裏来い」
だが、今日の相手はやや面倒なようだった。
「……わかりました。百合さんは教室にもどってて」
「女もだ。教師にちくられたら面倒だからな」
後ろに回られ、逃げ道を塞がれる。
「あ、浅見……」
百合は青ざめて浅見の制服を掴んだ。
誘導されるように、浅見と百合は校舎裏へと連れて行かれた。
人気のない通路の真ん中で止まり、ドレッドヘアの男が、短髪の男を指差しながら口火を切った。
「こいつはな、三日前、日向未来に出した手紙に、母親の形見の指輪を入れてたんだぞ! ゴミに出しやがって、どうしてくれんだよ!」
動揺するか、謝るか。どちらかの反応を三年生は予想していた。
だが、浅見の表情は変わらなかった。
「それが何か?」
「あぁ!?」
浅見はオッドアイの瞳を冷たく凍らせたまま、男達を睥睨する。
「形見だなんて扱いに困る品を押し付けて、女の子を手に入れようとするなんて最低のやり口です。未来は優しいから、酷く悩んだでしょうね。よかった。僕が処分してて」
「てめ……、ふざけんな!!」
ドレッドと短髪が同時に殴りかかってくる。
浅見は短髪にカバンを投げて怯ませてから、ドレッド男の顔に蹴りを叩きこんだ。細身の体から繰り出されたとは思えない重たい打撃音が裏庭に響く。
足を戻すと同時に後ろに下がり、体勢を乱さないまま、回し蹴りを短髪の腹に打つ。
体が浮き上がりそうになるほどの勢いで革靴の踵が食い込んで、短髪男の胃から胃液が押し上げられてくる。
「ぐぅ……!」
ドレッドの男は地面に崩れ落ちて、短髪は腹を押さえて膝を付いた。
浅見は喧嘩慣れしているようには見えないし、一年だからと舐めてもいた。まさか蹴りが来るなんて予想もしてなかった。
「やめましょう。他言はしませんので、このまま引いてください」
浅見は投げたカバンを拾い上げながら落とし所を提示する。
それでも三年生達は引かなかった。
腹を押さえて蹲っていた短髪の男が視線を浅見の背後に流し、にやりと顔を歪ませた。
浅見は慌てて後ろを振り返る。残った金髪の男が百合の髪を掴んだ。
「百合さん!」
「きゃぁあ! は、離して……!」
「調子に乗ってんじゃねーよクソガキが……!」
表情一つ変えないまま喧嘩をしていた浅見が初めて焦った顔をした。
そんな浅見の顔面を殴りつけてやろうと、金髪男は百合の髪を掴みあげたまま、顔を歪めた笑い顔で拳を固めたのだが、
「加地!!」
友人に名を呼ばれて金髪男の気が逸れた。
「え?」
髪を掴んだ金髪男には見えていなかったのだが、百合の表情が変わっていた。
先ほどまでの怯え、青ざめた表情が嘘のように口を三日月にした表情で笑っていた。
舞う様に、百合が動く。
百合は勢い良く後ろに踏み込み、体重の乗った肱を金髪男の鼻に叩き込んだ。
骨の砕ける嫌な音が蹲ったままの短髪男にまで聞こえた。
百合は掴まれていた髪を引っ張り自由を取り戻すと、軽く地面を蹴った。短髪男の顎に刺すようなハイキックを入れて脳震盪を起こさせる。声もなく男は地面へと倒れこんだ。百合の行動を追うかのように、長い黒髪が広がり、流れて、ふわりと背中に収まる。
「ふん。喧嘩を売っておきながら、この程度か」
「百合さん……強かったんだね。知らなかったよ」
「恨みを買うことが多い家業だからそれなりにな。他の連中には漏らすなよ。私の喧嘩スタイルは可愛い仕草で油断させてからのハイキックだからな」
「……相変わらず、敵を欺くにはまず味方からって考えなんだね。いい加減信用してくれてもいいのに」
「信用はしているさ。性分なだけだ。それに……女の武器は最大限有効に使いたい。楽しいからな」
唇に指先で触れ、本気で楽しそうにクククと百合が笑う。
「僕も騙されたよ。百合さんが囲まれたぐらいで怖がるなんて、変だと思った」
か弱く狼狽した百合に制服を掴まれて、浅見まで狼狽しそうになってしまったのだ。
もちろん、囲まれて怖かったからではなく、百合の態度が怖かったからだ。
「私を女扱いしないのも大概にしておけよ。普通、女は男に囲まれたら怖がるものだぞ」
「くそが……!」
大量に鼻血を流している鼻を押さえて、加地と呼ばれた金髪が起き上がってきた。
大降りに腕を振りかぶり、百合に殴りかかろうとする。
その頭に、ごしゃ、とカバンが落ちてきて――加地はがくりと気を失った。
「大丈夫っスかー? 浅見さーん、百合せんぱーい!」
達樹だ。
二階の窓から手を振っている。
此処は中等部の校舎裏だった。
「ありがとう達樹君。これ、後から教室に持っていくから」
「お願いしまっすー」
ぶん、と手を振って、達樹は引っ込んで行った。
「百合様」
さっさと立ち去ろうとカバンを拾いあげていると背後から呼ばれた。
声を掛けてきたのは、黒髪を三つ編みにした女子生徒だった。スカートは膝の下まであり、黒タイツを履いて、黒縁の大きな眼鏡を掛けている。顔にはそばかすが浮いており、特筆するような美人ではないが、一重の黒目がちの瞳が鋭く印象的だ。
「冬月か」
「誰?」
「我が家の使用人だ。三年二組に通っている。あのバカを抑えるために転入させたんだ」
「あのバカ……? あぁ、冷泉さんのこと? どうりで最近教室に来ないと思ってたよ」
「始めまして浅見様。わたくし、冬月冬子と申します。お見知りおきを」
冬月が片足を斜めに引き、スカートを摘んだ美しい仕草で頭を下げてくる。浅見も姿勢を正して一礼した。
「は、始めまして。浅見です……。僕のことはもうご存知のようですね」
「はい。存じ上げております。浅見様の氏名、家族構成、生年月日、血液型、住所、携帯番号、メールアドレス、身長、体重、胸囲、足のサイズ、成績、スポーツテストの各種結果、出身中学から一分間の心拍数、今やってらっしゃるお仕事まで」
「えと……」
余りに知られすぎているのに驚いた浅見が二の句をつぐ前に、冬月は百合にデジタルカメラを差し出した。
「暴力の証拠写真を撮影いたしました。百合様と浅見様のお顔は写っておりませんのでご確認ください」
「いや、いい。お前に任せる。きっちりと停学に追い込んでくれ。か弱い淑女と貧弱な優男相手に暴力を振るってくる連中にはきちんと報復をしておかなければな」
「かしこまりました」
「か弱い淑女はハイキックなんか繰り出さないと思うけどな……」
「お前はどうして一言多いんだ」
未来にするように、浅見の頬も抓って引っ張る。
「浅見様」
「はひ?」
抓られたままだったので、浅見の返事から空気が抜けている。百合はようやく指を離した。
「山本陽司の母親は存命です。形見なんて嘘八百ですわ。お気になさらぬように」
「そうだったんだ、よかった! 嫌な嘘ついてくれるなぁ……。ゴミ集積場に探しに行こうって思ってたのがバカみたいだ」
「お前……そんなことを考えて居たのか。バカ正直にも程があるぞ。行動に起こす前に私に相談しろ」
「うん……。でも、今後は捨てないほうがいいのかな。どこに保管しよう。僕の手元に置くのも嫌だけど、未来が見つけられない場所ってなると……」
「捨てろ。形見が入ってようが札束が入ってようが構うな。未来はお前以上にメンタルが弱いからな。どんな些細な事で流されるかわからん。……あいつが傷つけられるのを見るのはまっぴらだからな」
目を離したばかりに、冷泉に踏まれたのだって全員が後悔しているのだ。
今の未来は、体も、心も、酷く傷つきやすい。
告白に呼び出され、詰め寄られでもしたら怯えて動けなくなるのが目に見える。
せめて精神が安定するまでは守ってやりたい。
「それに……形見が嘘だったということは、こいつらはかなり質の悪い真似をしているということだ。どんな文面で出したかは知らんが、指輪を処分した後に、形見だったとごねて未来を良いように扱おうとしたかも知れん。もしくは、弁償しろと詰め寄ったりな。この手の送りつけ商法のようなトラブルは亜種が多いんだ」
「あぁ、それもそうだ……。未来が引っかかりやすそうな手じゃないか……考えが及ばなかったよ。ありがとう百合さん。今までどおり全部処分するよ」
ピコン。軽く可愛らしい音が鳴った。
冬月がポケットから端末を取り出す。
「百合様、天使が登校なさいましたわ」
「天使?」
浅見が首を傾げた。
「未来様でございます。あのような美しく可愛らしいお方がこの世のものであるはずもございません。まさしく天使」
「未来の靴に発信機を仕掛けてあるんだ」
発信機? 浅見は驚いて息を呑んだ。
「それ……竜神君が知ったら怒るよ」
「面倒だから言うなよ。万一のための用心でもあるんだからな」
「うん……」
頭を下げて見送る冬月と別れて、教室へ戻る。
廊下を歩いている最中、片手に達樹のカバンを持ち自分のカバンを腕に挟んだ浅見がぎくりと足を止めた。
「どうした?」
「ゆ、百合さん! ひょっとして、女の子って友達にアクセサリープレゼントされるのって嫌かな!?」
「一般的には嫌われる贈り物ではあるな。好きでもない男から渡されても扱いに困る品だし、高価な品だと受け取るほうも負担にもなるし、付き合っている男が居る場合は揉め事の種になるかもしれんからな。未来への誕生日プレゼントをアクセサリーにしたんだな。バカかお前は」
今日は、日向未来の誕生日だった。
さらりと言い当てられ、浅見がよろりと体を傾ける。
「だよね……。手紙に指輪を入れたの批難したのに、僕も同じようなことしようとしてたなんて……。失敗したくなかったから仕事先の女の人に聞きまくったのに……恥ずかしかったけど頑張ったのに……」
百合や冬月には把握されていたようだが、浅見は夏休み終盤頃から友人たちには内緒で仕事に励んでいた。
プレゼントを選ぶに当たり、女の子へのプレゼントは何が好まれるかと同世代の女子に手当たり次第聞き撒くったのだ。
彼女達の意見を参考にして、選んだプレゼントは、人気の高いブランドのシンプルなハートの飾りがついたネックレスだった。
「お前は中身はどうしようもないが、面は無駄に整ってるからな。『お前から貰って嬉しいプレゼント』と解釈されたんじゃないか? 美穂子に相談すればよかったのに……。まぁ、未来相手なら構わんだろう。竜神も、お前のどうしようも無さを熟知してるから気を害したりはしないと思うぞ」
「ああもう、自分が嫌になる……」
「そう気を落とすな。来年挽回しろ」
「珍しく百合さんが優しい……」
普段冷酷な百合にまで慰められてますます悲しくなった。
余計な一言を加えたせいで、百合に尻を蹴られて危うく転んでしまう所だったが。
教室では、未来が岩元に詰め寄られ、竜神を盾にして何やら騒いでいた。最近の見慣れた光景だ。
百合はカバンを浅見に押し付けると、岩元を後ろから抱き締め胸を容赦なく鷲掴みにした。
「ぎゃあー! ゆ、百合!」
「そこまでだ。これ以上未来に構うと、脱がせるぞ」
「きゃーきゃー! 本気で脱がしに掛からないでごめんなさいいいい!」
スカートのホックに手を掛けた容赦のない百合のセクハラ攻撃に岩元が逃げて行く。
「百合! ありがとう……!」
未来が百合に抱き付いた。
百合は両手を広げて未来を受け止めた。自分よりも十五センチも背が低く、一回り以上小さな体を。
「やっぱお前頼りになるな! 竜神が最近冷たいんだよ……。相手が女の子だったら相手させようとすんの。俺、怖いって言ってんのに!」
「女にぐらいそろそろ慣れろ」
竜神が椅子を引きながら未来に言った。
「無理! ウチのクラス痴漢しかいねーんだもん。ケツとか胸揉まれるの嫌――――ひぅ!」
弾かれたように未来が百合から離れ、竜神の後ろに隠れて、涙に揺れる瞳で百合を睨みつけてくる。
「は、無意識に手が尻を触ってた」
背中に回していたはずの腕がいつの間にか下がり、未来の尻を鷲掴みにしていた。
「百合……バスの中で痴漢で捕まるなよ。フォローできねえ。『いつかやると思ってました』としか答えられねえぞ」
竜神が呆れた声を出す。
「いくらなんでも他人に触ったりはしないぞ……多分な……」
「多分か……」
――――――――
休憩時間。佐野良太は心の底から身を竦めていた。
「なーなー良太、美羽ちゃんと喧嘩中なら俺とどっか遊び行かねぇ? カラオケ行こうよ」
後ろに座る未来に、ちょんっと制服を引かれるけど、振り返ることさえできやしない。
おい、やめてくれ。お前ガチで空気読め。そんなだから美羽に嫌がられるんだぞ。
そもそも、彼女と喧嘩した男を遊びに誘うって行動が、どんな意味を持つのかちょっとぐらい考えろ。
女になった自覚まだできねえのか。周りが女だ女だって言ってくれてるのに頭に入らねえのか。鳥か。鳥頭か。いや鳥よりひでーな。こいつの兄ちゃん、ちゃんと脳みそ全部入れたのかな。入れ忘れがあるんじゃねーかな。
ああ殴りたい。頭叩いてやりたい。けど、叩いた瞬間殺されそうだ。いや、手を振り上げた瞬間に殺されそうだ。特に、未来の後ろに座る男に。
「……なんで無視するんだよ……。ばかりょうた……。もういいよ……」
悲しく声が小さくなって、かたんと椅子の鳴る音がした。
「未来、どこいくの?」
美穂子が呼びかけた。
「トイレ」
「じゃ私も一緒に行く」
「え、体育館裏まで行くから大変だぞ?」
「体育館裏まで行く事ないの。前も言ったでしょ。トイレなんて近くにいくらでもあるんだから」
「わ、美穂子、ちょ、」
華やかな声が遠ざかっていく教室の中で、良太はあいも変わらず小さく身を竦めていた。
その姿勢のまま、固まった体から声を絞り出す。
「あの……竜神君、浅見君、花沢さん。そろそろ睨むのやめてほしいんですけど……お前等まじ怖いんだって。大丈夫だよ、二度と未来には触らねーから」
先日、未来の胸を触ってからというもの、良太は未来の友人達に最大限に警戒されていた。
そりゃ胸を触ったのは悪かったけど、話しかけてくるのは未来からだというのに、睨まれるのが自分なのは不条理だと訴えたい。心の底から。
自分の周りだけ室温が零下まで下がっているのに、なぜ未来は友人たちの殺気に気が付かないのだろうか。
心労で身も心も擦り切れそうだ。
良太は喧嘩だって生まれてこの方、二三度しかしたことのない至って平々凡々な男なのだ。
浅見どころか百合にだって勝てる気がしない。自分とそう身長が変わらないとは言えども女子なのに、なぜか、瞬殺される光景しか想像できない。本能の警告かもしれない。
「本気で未来と付き合おうなんて考えてないだろうな」
隣の席の百合に、どすの利いた声で問い詰められた。
「ねーよ!! お前等ががっちり守ってるお姫様に、今更手なんか出せるわけねーだろ」
「ほう。姫だと思っているのか」
やめてください言葉のあやです。
「だいたい、未来のどこがいいのかわかんねえよ。そりゃ、顔は可愛いけど、おっぱいもでけーけど、彼女と喧嘩した男をカラオケに誘うような尻軽なんだぞ」
「尻軽じゃねーよ。お前が親友だから気を許してるだけだろうが」
後ろからの声に心臓がきゅってなった。
駄目だ。一言話すごとに地獄の門が近づいてくる。
逃げ出したいが、立ち上がった途端、狩られそうな予感がするのはなぜだろうか。ああ。早く授業が始まらないかしら。
おっぱい触っただけでこの仕打ちはあんまりだ。花沢なんかしょっちゅう触ってるくせに。
でも。
柔らかくて張りがあって形のいいおっぱいだった。触っても無反応だったのは警戒してないからだろう。
口を開かせたら男言葉とバカすぎる発言に萎えるけど、黙らせてしまえば極上のいい女だ。
人形のように動かない静かな未来を頭の中で全裸にさせ、くたりと座りこませて、手に残る胸の感触を思い出して――――――ガンッ!!
花沢に机を蹴られ、派手に体をびくつかせた。
「何かよからぬ妄想をしたな?」
なぜわかる。勘が鋭いってレベルじゃねえ。
佐野良太は心の底から身を竦めるしかなかった。