未来の誕生日(添い寝券)
竜神視点の三人称です
てってってってって。
足取り軽く未来が近寄ってきたかと思うと、床に正座をして、ソファに座る竜神を見上げてきた。
この新築一軒家に備え付けられていた家具は、高校生が二人暮らしに使うには贅沢過ぎるグレードの品ばかりだった。
床に敷かれたラグも毛足が長く足が埋まる高級品だ。
それでも、ソファに座る横に正座されるとどうにも居心地が悪い。
体格差が強調されるからだろうか、奴隷を見下ろす高圧的な主人になってしまったかのような、なんとも言えない罪悪感に苛まれてしまう。
「竜神さん。もうすぐ俺の誕生日です」
「……だな」
竜神さん?
突っ込みを入れたい部分は数あれど、とりあえず、軽い体を抱き上げてソファに座らせた。
未来はソファに座らせた後も、竜神を向いて正座のまま姿勢を正していた。
「俺、物凄く欲しいプレゼントがあるんです。竜神さんにしかお願いできないことなんです。今まで散々お世話になってきて、あつかましいと思われそうですが、凄く、欲しいんです」
へぇ?
へんな所で遠慮しいのこいつが珍しいと、竜神は新鮮な気持ちになった。
未来相手ではジュース一本奢るのにも苦労するのだ。
ぎゃーぎゃー騒ぎ立てて意地でも金を返そうとしてくる。百五十円のペットボトル一本渡して、小銭がなかったからと千円札を渡されそうになった時は心底辟易した。
黙って奢らせろと何度言った事か。そんな未来が、自分から欲しいものを要求してくるなんて。
多少高価な物でも用意してやろう。短期のバイトを入れてもいい。弾んだ気持ちになりながら未来の言葉を待った。
「欲しいものって何だ?」
(けど、オレにしかお願いできないことってなんだ?)といささか疑問になる。
高価な品ならば、別に自分に強請らなくとも誰にでも用意できる。
よくよく考えれば、未来ならまず自分ではなく兄に頼みそうだ。
高価な品ではないのかもしれないと考えを改める。
だとすればなんだろうか。
(オレにしかできないことなんか、あるか?)
百合は金を持ち、探偵能力に優れる。頭の良さでは浅見が抜きん出ている。達樹は未来と同じ部活だったし竜神より付き合いも長い。未来の髪に山ほど付いていたクリップやゴムを、髪を一本も切らずに外した予想外の器用さを先日に見せられたばかりだ。美穂子に至っては、竜神が勝てる部分があるのかどうかさえ疑わしい。
友人たちより優れている面で唯一思い当たるのは、腕力や喧嘩の力ぐらいのものだが、はたして、未来が暴力沙汰のプレゼントを望むだろうか。
いや、どう考えてもありえない。
これが百合なら「気に食わない奴がいる。プレゼントはいらんから骨を砕く程度に殴ってこい」ぐらい言いかねないが未来はない。
「肩叩き券、お食事券、お手伝い券、いろいろありますよね。小学生時代作りましたか?」
「作ったけど……?」
一通りは作って、父の日や母の日、敬老の日なんかに渡した記憶がある。それがどうかしたのだろうか。
「俺、そいね券が欲しいです」
そいね?
「添い寝! お前のベッドで寝る券欲しい! お前と一緒に住むようになったから結構安眠できるようになってきたけど、まだちょっと不眠気味なんだもん。お前のベッドだとスゲー寝れるから、一緒に寝る添い寝券欲しい!」
――――――添い寝。
平仮名だった文字が脳内で変換され、竜神は思わず立ち上がって怒鳴っていた。
「お前、いくらなんでもオレを信用しすぎだ! 一緒に寝たら襲われるって思わないのかよ!」
「え!!? ひ、ひょっとして、竜神って俺が女に見えてたのか!?」
「おい…………鏡見てこい……」
「だ、だってだって、くっついていっても今までずっと無反応だったじゃねーかよ! 道端の草か石程度にしか思ってないもんだとばかり……知らなかった……!!」
(草!? 石!?)
幼少時より祖父や父に鍛えられ磨き上げてきた鉄の自制心で血を吐く思いで我慢していたというのに、まさかの斜め上解釈にぐらりと視界が歪む。
「けど、竜神は俺が泣いたら何も出来ないだろ?」
!!!????
未来が竜神の目から視線を逸らさずに、「ほら、出来ない」と笑う。
表情は動かしてないはずなのに、完全に内心を見透かされていた。
「泣いたぐらいでやめてくれるんなら襲われてもいいよ。プレゼントは添い寝券が欲しいです」
「――――――!!」
未来の頬を抓り上げて涙目にさせる百合の気持ちが痛いほど良く判った。
傍目で判るぐらいに百合は未来を大事にしている。
なのに、時折、百合は容赦の無い仕置きを未来に食らわす。
暴力と言うほど強烈な行いではないものの、好きな相手に手が出せるのが不思議だったのだが、今なら百合の気持ちが良く判る。
無防備で馬鹿な未来には、頬を引っ張って泣かせる程度の報復はしておいた方がいいのだと。絶対やらないけどやれないけど。
思わず浮かせていた腰をソファに戻して、未来の肩を掴んで竜神は声を絞り出した。
「確かにお前の言う通り、泣かれたら何もできないけど、襲って泣かれたってだけで自己嫌悪で死にたくなるから、頼むから自衛してくれよ頼むから」
もうほとんど懇願だった。
掌ですっぽり包めてしまう細く華奢な肩だ。肩から続く細い首も薄い背中もこうして触るだけでも怖いのに、襲ってしまったら自分が自己嫌悪で死ぬ前に未来がショックで死んでしまいそうで怖い。是が非でも自衛してほしい。頑張ってるけど添い寝されてまで理性を保てる自信なんて無いのだから。
「自己嫌悪……?? ん……でも……」
未来が竜神の手を両手で掴んだ。
掌を上にして、指先や親指の付け根を揉んでくる。竜神の指よりずっとずっと細いのに柔らかい。
「家事の邪魔になるから」と、深爪じゃないかと心配になるぐらいに短く切りそろえられた、小さな爪が飾りのようだ。
包みこむように握ると、未来もまた握り返してきた。
すべらかな肌とふにっとした弾力が指先に心地いい。
「お前にだったら何されても怖くないけどな……。この手、すげー好きだから触られたら気持ち良」
びくん、と未来が肩を跳ねさせた。一気に耳まで赤くなる。
無意識に口走っていたようだ。
声に出て耳から入ってきてようやく、自分が何を言ったのか理解したか、未来はがばっと竜神から離れた。
「いいいい今の無し! 無し!! 何も言って無い言って無いからな! うわああああ!」
未来が駆け出して自室のドアの向こうに消える。竜神はがっつりとソファに倒れ込んだ。
ラッキースケベを入れたいのに未来が馬鹿すぎて入れる余地がありませんでした無念